Gene Over│Last Episode閉環 09真実

 暴走する装置。
 娘の苦しみを解いてやれない自分に絶望しながら、カオスはひたすら娘の名を呼び続けた。
「セフィーリュカ!なぜ…なぜこんなことに…!!」
 厚く閉ざされた装置を叩き続け、握り締めた拳は赤く変色していた。カオスは無力な自分に打ちひしがれ、その場に座り込んだ。足元で倒れている青い髪の女性を一瞥する。
「……リゼッティシア…」
 名前を呼んでも、もう返事はない。僅かに呼吸はしているようだが、その精神は既にこの世にないのだろう。E-ユニットに捕らわれた者の末路。ゆっくりと、しかし着実に娘が彼女と同じ状態に近づいていることに、カオスは寒気を覚えた。
 背後で音がする。
 カオスは驚いて振り返った。コンピュータ制御により堅く閉ざされ、何をしても開かなかった扉が開いていた。
 駆け込んできたのは、赤い瞳の少年だった。腕の中に機械を抱えてカオスに近づいてくる。
「…君は……」
―…やはり、初代起動者と同じ状態に陥ってしまったか、リゼッティシア…―
 少年の代わりに声を発したのは、彼が抱きしめた機械だった。
―補体が存在していようと、起動者への負担は変わらないということだな―
「あなたが、セフィーリュカのお父さん?」
 無表情な少年がカオスに問いかける。カオスは何が何だかわからなかったが頷いた。
―オーパーツ起動者の能力を増幅する『補体』因子を持つあんたの娘が起動者とはね。とんだ遺伝子超越(ジーンオーバー)だ―
 チアキが淡々と言い放った。カオスは足元のリゼッティシアを見下ろす。
「起動者…補体……俺は、リゼッティシアの補体だった…?」
―そう、あんたは八年間リゼッティシアの精神部分を補う存在としてE-ユニットに同調していた。彼女の能力がそれだけ不完全だったということだ―
「そして、今のセフィーリュカも…」
 ルドがE-ユニットを見上げた。中心で眠るように目を閉じているセフィーリュカを見つめる。彼はゆっくりと装置に歩み寄った。指先をそっと触れ、意識を集中する。
「…セフィーリュカ…お願い、僕の声を聞いて…」
 E-ユニットが、ルドに感応するように光を放つ。
 適切な起動―。
 同調―。
 手を伸ばした先で、ルドは暗闇の中に蹲る空色の髪を見た。


 崩壊しかけた宇宙。
 果敢に敵地へ乗り込んだ第六艦隊の揚陸部隊は、驚異的な速さでエルステン宇宙軍の戦力を削いでいた。数時間もかからず、行政委員本部も制圧したことに、ルイスは別の意味で不安を覚えた。制圧した先に、宇宙連邦軍司令長官のアルソレイ・リオナシル・フォイエグストの姿はなかった。
 行政委員本部建物の最奥。ルイスはその一室で物言わぬ父親と対面した。
 全ての部署を制圧するまで彼女はそのことを正しく受け止める暇を与えられなかったが、制圧が完了した今、そういうわけにはいかなかった。
「……二人きりにして頂戴…」
 そう言って部下を部屋から出させると、扉が閉まりきった音と同時にルイスはその場に座り込んだ。父親の致命傷となった箇所は既に血が固まり、その体はひどく白く、冷たくなっていた。顔にそっと手を触れる。穏やかな死に顔だった。
「…喧嘩してばかりでしたわ…」
 物言わぬ父に、語りかけるようぽつりと呟く。
「あたくしに男のような名を与えたこと…お母様が亡くなったとき、軍務を理由に葬儀へ来てくれなかったこと…文句を言いたいことは、たくさんありました…」
 上質なカーペットに透明な液体が落ちる。
「…でも、それ以上に……お父様を…誇りに、思っていること…愛している、ことを……もっと、もっと伝えたかったのに…っ」
 涙がこぼれた。視界が曇る。
 いくら泣いても、何もならないことはわかっている。
 我が儘な子供でいてはいけないことはわかっている。
 それでも涙は止まらなかった。
 いつも気丈な上司の悲痛な嗚咽を、部下達は部屋の外でただ聞いていることしか出来なかった。シレーディアもその一人で、静かに扉の外側で目を瞑り死者に祈りを捧げていた。
 しかし、涙ぐんだまま顔を上げたシレーディアは廊下の向こうからやって来た人物を見て思わず声をあげた。
「イ、イーゼン中佐!?」
 アランは数名の部下を引き連れ、依然抵抗していたエルステン残兵の鎮圧に向かっていた。戻ってきた彼の姿はボロボロで、所々に深くはないが傷を作っている。
「いやー、予想以上に手間取ってしまいましてね」
 彼はそう言って笑った。そのままルイスのいる扉に向き合う。シレーディアはすっと手を差し出して彼を制した。
「中佐…まだ…」
 アランはノックしようとした手を素直に下げたが、ふと振り返ると部下達の電子ロープでしっかりと捕らえられている赤い瞳の女性を見た。シレーディアもそちらに視線を移す。
 赤い瞳。シレーディアが探す弟と同じ。
「彼女は…?」
「ラルネ司令長官を殺したロボットです」
 悔しげにヴェーズを見るアランの横で、シレーディアは息が止まったように立ち尽くした。
「ロボット…まさか、こんなに人間的な…」
「本当ですよ。戦って初めてわかったんですが、攻撃の正確性、完全な空間把握、そして…」
 アランが首でヴェーズの顔を示す。返り血に濡れた金髪の下に剥がれた皮膚組織が見えた。その更に下に見えるのは機械部品である。
「……赤い瞳の、ロボット……」
 バタンッ
 突然扉が音を立てて開いた。ルイスが立っている。しっかりと前を見ているようで、でも危うい視線。
「あなたがお父様を…」
 ぽつりと呟き、ルイスはヴェーズに銃を向けた。こんなにわかりきった攻撃パターンを彼女が回避出来ないはずはないのだが、ヴェーズはルイスから撃たれるのを待つかのように動かなかった。電子ロープで身動きが出来ないことだけが理由ではない。
 ヴェーズは見てしまった。
 本物の、涙を。
 ヒュプノスが持つ偽りのバグではない、人間にとって真に意味を持つメッセージ。

「あなた達にはヒトの痛みがわかるはずよ」

 厳しい口調で語ったシオーダエイル。彼女の言葉が離れない。
「駄目です、司令!」
 ルイスを止めたのはアランだった。ルイスが何か言おうとする前に口を開く。
「一連の事件の首謀者とされるフォイエグスト行政委員長が見つからない今、プロティア及びエルステンへの攻撃行為を法的に証明出来るのはこのロボットだけなんですよ」
 アランはそう言って銃口の前に立ちはだかる。やがてルイスはゆっくりと銃を下ろすと涙を拭いた。
「あたくしたちが今するべきこと…法的にエルステンを追求すること…罪を、償わせること…」
「そうです。……司令長官も、それを望んでおられるはずです。あなたの手でそれが成されることを…」
 アランの言葉に、ルイスは両手で顔を覆った。
 銃がカーペットの上に転がり落ちる。
 鎮圧完了まであと少し。
 しかし、この場にはもう武力は必要ない。
 一つの戦場が閉じる―。


「No.8…無力化を確認」
 フィオグニルは呟くと、顔を上げた。目の前のコンピュータを見上げる。
「フィオ!!」
 声のした方を振り返ると、黒いリボンで二つに結ばれた黄緑色の髪が見えた。
「No.51…」
 フェノンを無感動に見つめる。彼女に続いてドーランとエルナートも駆け込んでくる。二体は武器を構えているが、フェノンは無防備にも丸腰で一歩ずつフィオグニルに近づいてきた。
「フェノン!迂闊に近づくんじゃねえよ!」
 ドーランが怒鳴りつけるが、フェノンは首を横に振った。
「フィオ…あたしだよ、わかるでしょ…!?」
「……来るな。それ以上近づけば攻撃する」
 フィオグニルは何の迷いもなくフェノンに銃口を向けた。背後にあるコンピュータだけは誰にも占拠されるわけにいかない。E-ユニットの起動が完全になるまでは。Ωシステム完全体、No.44が起動を完了するまでは―。
「フェノン、下がれ。破壊されるぞ!」
 エルナートも叫んだが、フェノンは足を止めなかった。
「……破壊?私を?」
 二体に背を向けたまま、フェノンはやけに落ち着いた声で口を開いた。歩を進めたフェノンはぴたりと足を止めると、動揺した様子で自分を見下ろすフィオグニルをゆっくりと見上げた。
「あなたに私は破壊できないわ、フィオグニル…」
「………No.2……」
 フィオグニルはフェノンの顔を見つめたままゆっくりと銃を下ろした。ドーランとエルナートも何も言えず立ち尽くしている。フェノン―正確にはフェノンの奥深くに眠っていたフィーノの潜在意識がフェノンのパーツを使って具現化された存在―はフィオグニルをどこか淋しげに見つめていた。
「あなたがここにいる理由を私は知ってる。Ωシステム試作体…三体の中でもあなたは特別なのだものね」
「…………」
「八年前、ルーズフトス博士がE-ユニットの起動者と、彼女がまだ心を持つ人間だった頃に接触させたヒュプノス」
「…………」
「当時完成したばかりだった完全体のルドは政府から強力に監視されていたから、博士は秘密裏に遠隔操作であなたを介してE-ユニットに関するデータを集めていた。あなたは…観測用個体だし社会不適合個体だったから都合が良かったのね…」
 フィーノは語りながら、フィオグニルが背にしているコンピュータの前に立った。フィオグニルは彼女を止めようとはしなかった。
「E-ユニットに通じる扉が開いている。ルドが使命を果たしに来たの?」
「起動者から適合者を導くためのリクエストが発生したため…扉を開いた。しかし、その後最初にE-ユニットへアクセスした適合者は、No.44ではなかった…」
「…今、E-ユニットを動かしているのはルドではないというの!?」
「散発的にNo.44の干渉が見られるが…実際に起動しているのは彼でも、元起動者でもない」
 フィーノはコンピュータに触れ、慣れた手付きで操作し始めた。途中で手を止める。
「…セフィーリュカ・アーベルン…」
「何だと!?」
 ドーランとエルナートも顔を見合わせ、コンピュータに駆け寄った。
「これは…どういう…」
 訳もわからずコンピュータの画面を見つめるドーランの横で、エルナートはアダムのレーダーを稼動させた。
「E-ユニットの近くに複数の生命反応がある。ヒュプノスの反応も…」
「行こうぜ」
 ドーランが踵を返すと、フィオグニルがその肩を乱暴に掴んだ。
「正常に起動が完了するまで、E-ユニットに誰も近づけさせるわけにはいかない」
「てめぇ、まだそんなこと言ってるのかよ!?」
「やめて、ドーラン。フィオグニルはΩシステムに則って動いているだけ」
 落ち着いた様子でフィーノはドーランを諭す。フィーノがフィオグニルを真っ直ぐに見ると、彼はドーランから手を離して一歩後ずさった。
「…Ωシステムを持つわけではないのに、フィーノは攻撃対象ではないのか?」
 エルナートが首を傾げる。フィーノは淋しげに俯き、頷いた。
「E-ユニットのデータを持つフィオグニルは特別なの。他の二体とは別の方法でΩシステムに切り替わるようになっている。切り替えコードを知っているのはルーズフトス博士と、この私」
 淡々と語るフィーノを、フィオグニルはただ見ている。
「E-ユニットに関する役目はもう終わったのよ、フィオグニル。後は私達に任せて。……『破壊は平定せり(フィーノリスグイデル)、 更新せよ(エーダフェノン)』」
「Ωシステム、機能停止。…『更新(フェノン)』完了…」
 フィーノの言葉に呼応するように呟くと、フィオグニルはそのまま倒れこんだ。ドーランが途中でそれを支える。
「一体、どうなってんだよ…?」
「八年前、ルーズフトス博士が私に組み込んだ機能。自分がエルステンにいられなくなること、博士はきっとわかってたのね。…私が自己破壊することまでは…考えていなかったでしょうけど…」
 フィーノはくるりとドーランを振り向いた。
「再起動の影響で私は再び自己を構築出来た。けど…ここまでね。これ以上私が意識に干渉すればフェノンのシステムを壊してしまう…だから…」
 ドーランとエルナートを交互に見渡し、フィーノは最後に優しく微笑んだ。
「『破壊者(フィーノ)』が消えて、『更新(フェノン)』は残る。……さようなら、二人共」
 そっと目を閉じたフィーノは糸が切れたようにその場に座り込んだ。エルナートが優しく肩を叩くと、目を開いたのはフェノンだった。
「……フィオ…は…?」
 頭をさすり立ち上がると、フェノンはドーランに抱きかかえられているフィオグニルを見た。ドーランが頷くと、フェノンは俯き、小さく「ありがとう」と呟いた。
 昔の自分に。
 ヒュプノスを、仲間を最後まで愛した『破壊者』に。


 ルドがE-ユニットにアクセスしてから十分が経過しようとしている。
 カオスは物言わぬ彼を見て、その後彼が近くに置いた機械を見た。視線を感じたのか、チアキは光を放つ。
―信じろ、私の最高傑作を。八年前は機会が与えられなかっただけ…―
「扉を開いてくれたことには感謝するが…『人形』になど機会を与える価値はない」
 不意に背後から響いた、他人を不安にさせる低い声。カオスは振り返った。
「隊長…?」
 当時の呼び名。カオスにとってはほんの数十分前の呼び名。自分の所属していた特殊部隊の長にして、部下の行動を謀反と称して完璧なまでに潰そうとしてきた男。
「目覚めたのだな、アーベルン」
 一瞬を通り越したのはカオスだけ。八年経った今、アルソレイは当時とは比べ物にならない程の威圧感を持ってカオスの前に立っていた。プロティアの優良種であるカオスやシオーダエイルでさえ、戦闘技術面で敵わなかった優秀な軍人。
―アルソレイ・リオナシル・フォイエグスト…!―
 憎々しげにチアキが彼の名を呼ぶ。呼ばれた当人は、人ならざる機械に成り果てた科学者を侮蔑の表情で見返した。
「まだ存在していたとはな」
 彼は知っていた。生前の彼女を。
 ティア・ディルナ・フォルシモと共に、E-ユニットの管理についてエルステン政府へ異議を唱えて来た老科学者。
 八年前、銀河同盟軍の急襲で死亡したと見せかけて彼女を銀河同盟へ売り飛ばしたのはアルソレイ自身だ。年齢が年齢だけに、そう長い間生き続けることもないだろうからと珍しく情けをかけたつもりだったが―。
「銀河同盟で使い捨てにされていると思っていた。そんな姿になってまで存在し続けているとは予想外だったな」
―連邦にフォルシモが必要なように、私は同盟で必要とされた。さすがに連邦の惑星を破壊するための中枢機構として使われたことには寒気がするが…。…私の頭脳をみすみす手放したこと、後悔するんだね―
「カナドーリアを破壊したあの兵器か…」
 アルソレイが呟く。
「確かに、『人形作り』ばかりに精を出す女だと思っていたのは少々見くびっていたかもしれないな」
 アルソレイは汚いものでも見るかのようにルドを見下す。チアキがルドを宥めるように淡い光を発した。
―邪魔をしないでもらおうか。今こそ、八年前の誤りを正す時なのだ―
「誤りだと?昔も今も間違いなど犯していない。お前の造った人形などなくとも、時が来ればE-ユニットは新たな起動者を呼び寄せることがわかったのだからな。その娘がそれを証明した」
 アルソレイはE-ユニットの中で眠るセフィーリュカを見て不気味に喉の奥で笑う。
―…八年前と同じ議論だね。未だに、『起動者は人間であるべきだ』かい?―
「当然だ。エルステンは人間の惑星。人ならざる存在が惑星を支えるなど…考えたくもない」
「あなたは知っていたのか、この装置を。リゼッティシアをここに連れてきたらどういうことが起こるのかを。知っていて…彼女をシレホサスレンから連れ出したのか…!」
 カオスがアルソレイを睨む。高圧的な元上官は表情を変えない。
「無論知っていた。彼女が初代起動者エルステン・ケサティアの子孫に当たり、オーパーツを起動する力を持っていることは調査済みであったからな」
 倒れているリゼッティシアを見る。彼女は糸を失った操り人形の様に力なく伏せている。
「なればこそ合理的に事を運ぶことができるよう、お前達をシレホサスレンに派遣したのだ。一見、軍には似つかわしくない穏やかな人格を持ったプロティア人。リゼッティシアを連れ出すため、体のいいフェイクとして私が演出した…」
「そこまでして…E-ユニットの起動者が必要だったというのか?」
「当然だ。E-ユニットこそは人工天体エルステンの本体。常に起動していなければ、この星は崩壊するのだからな」
―今がその崩壊を招く状況だということに気づかないのかい?あの娘は、E-ユニットを制御するどころか宇宙の破壊を選択するだろう―
「起動者不在による崩壊とはわけが違います。今の崩壊は制御可能です。あなたになら出来ますね、ルーズフトス博士?」
 長身のアルソレイの背後に隠れていた影がゆっくりと姿を現す。元EDF副隊長のアーリアだった。
「人間がE-ユニットを制御するのに必要なものは、E-ユニットに呼応する遺伝情報。…起動者に意識は必要ありませんよね」
 アーリアが淡々と告げる。
「そして、今のうちに意識を破壊してしまえば八年前のようにはいきません」
 アーリアの言葉にアルソレイも頷く。
「八年前、リゼッティシアはその力でE-ユニットに通じるこの扉を封鎖し、外部からのアクセスを完全に拒んだ。…我々はこの時を待っていたのだ。今こそ我らがE-ユニットを掌握し、その破壊の力を外敵へ向けるべき時…」
「そんなことさせない…娘は、渡さない!」
 ゆっくりとE-ユニットへ向けて歩き始めたアルソレイの前にカオスは立ち塞がった。反射的に腰に帯びていた銃を抜き放っている。
 しかし、カオスは不意にアルソレイとは別の方向から攻撃を受けた。左腕への突然の衝撃。そちらに目を向けると、いつの間にか間合いを詰めた銀髪の青年がその赤い瞳をカオスに向けていた。
「あの時と同じ…赤い瞳?」
―No.5…お前、なぜフォイエグストなどに!?―
 チアキが激しく光を放つ。カオスに鋭利な刃物を突きつけたまま、ロイゼンはふと声のした方を見た。
「その声は…博士…?…その姿…」
 創造主の変わり果てた姿に、ロイゼンは少なからず驚いた様子で立ち尽くしていた。
―やめろ、No.5!私の命令を聞け!―
「今や実体なき女の命令など聞く必要はない、No.5!」
「…………」
 ロイゼンが見せた一瞬の躊躇はカオスに十分な時間を与えた。カオスは素早くロイゼンの手首を刃物の柄ごと掴むと思い切り自分に引き寄せてその胸元で発砲した。そのまま自分の背後に放る様にぐいと手を引くと、ロイゼンは赤い人工血液を流しながら倒れ、そのまま動かなくなった。
―No.5…―
「一応…急所は外したつもりです」
 ヒュプノスの人工血液がオプションだということを知らないカオスはチアキに向かってそう言った。チアキは何も答えなかったが、彼女はロイゼンが起き上がらないことから中枢器官のイブに何らかのダメージを与えられていることに気づいていた。
「……役立たずが」
 顔に飛んできた返り血を乱暴に拭い、アルソレイは憎々しげにロイゼンを見下ろした。緩慢な動作でカオスに向き直る。
「八年間眠っていた割には良い動きをする」
「あなた達よりも八年分若いですからね」
 銃のスライドを引いて弾を装填し直しながらカオスは冗談まじりに言った。アルソレイも唇の端で笑う。
「しかし…詰めが甘い」
 言うなりアルソレイはカオスとは別の方向に、袖の中に隠してあった仕込み銃を向けた。
「!?」
 相手の意図を読めないままカオスはアルソレイに照準を合わせたが、アルソレイはその牽制をものともせずに発砲した。
 銃声、小さくめり込む音、そして貫通した弾丸が機械をかすめる音。
 全てが停止したかのように見えた瞬間。
 アルソレイの放った弾は背を向けていたルドの背に、中枢器官イブに達していた。