Gene Over│Last Episode閉環 07進む者

―崩壊を…―

 声が近づく。
 ルドは、ダスローからプロティアまではひどく圧力がかった、強制力しか感じられない声を聞いていた。
 その後、プロティアの軍施設からはチアキの声を聞いていた。
 訴えるように、けれど中途半端な自分を後押しするように常に響いていた声。自分を創った人の声。そう考えると、暖かいものだったようにも思える。
 しかし、今頭に響く声は…。
 暖かな世界に育った生命の、突然の闇への叫び―。

―復讐を…―

「……っ…」
―どうかしたのかい、No.44?―
 突然立ち止まったルドを、チアキが諌める。ルドは辛そうに壁に寄りかかると、数回深呼吸をした。
「…全てを拒否する声…全てを恨む声が…」
―…すまない…―
 チアキは後悔していた。
 やはりヒュプノスに感情を与えることは間違えていたのかもしれない。感情を持つということは、人間を自分の認識の中に正しく組み込むということ。人間の中で任務をこなしていかなければいけない個体はいずれにしても、ルドに対しては例外をとればよかったのかもしれない。
 四十四体目の、Ωシステム完全体のルドは、この時のために、選ばれた『適合者』と呼ばれる人間を犠牲とせずにE-ユニットを制御する手段として造られたのだから。彼の存在理由は本来エルステンの奥底で起動者として眠り続けることだったのだから。
―それでも私は…ヒュプノスを…―
「?」
 弱々しい信号を発したチアキにルドは首を傾げた。恨みの声に耳を傾けないよう注意しながら、前へ歩き出す。時々床から嫌な震動が伝わってくる。 崩壊が近い。
 惑星の。宇宙の。
「怖がっちゃ駄目だよ…セフィーリュカ…」


 仲間を助けるため、三体のヒュプノス達は走っていた。
「広域サーチ完了。更に絞込み…」
 走りながら、エルナートは的確にフィオグニルの位置を割り出す。
「どこまで奥に行くんだよ!こんな所、フィオグニルだって知らないはずだろうが!?」
 自らが属する惑星でありながら見慣れない風景。ドーランは先頭を走りながら内心不安だった。フェノンも緊張した様子でドーランの後ろをついてきている。
「…絞込み完了。No.34フィオグニル、居場所特定」
「どこなの、エル!?」
「第七七五区画D-9室。…『惑星環境制御課第二分室』」
 エルナートは得られた地図データをドーランとフェノンの通信機に送信した。現在走っている場所から更に二層下の部屋である。ドーランは思わず立ち止まった。
「待てよ…第七七五区画ってのは確か…」
「エルステン最重要機密保管区画。人工天体エルステンの本体『E-ユニット』が稼動している場所」
 ドーランを少し追い抜いた所で立ち止まったフェノンは突然そう言った。二人が驚いて彼女を見る。
「フェノン?何でお前がそれを知って…」
「…あたし今、何か言った?」
 フェノンも驚いた顔で振り向く。
「…お前、もしかして記憶が混在してるんじゃないか?」
 ドーランに言われてフェノンは何度も瞬きした。確かに、再起動されてからというもの何か違和感がある。全く見たことがないはずのエルステンの廊下、壁、空気。そういったものが、ひどく慣れ親しんだもののように感じられるのである。エルナートもドーランの言葉に頷いてフェノンの前に立った。
「八年前、フィーノは軍の指示でエルステン本土にいた。謀反を企てたという軍特殊部隊の生き残りを殲滅するように今の行政委員長から命じられたのだと…」
「…じゃあ…フィーノがあの時撃ったのはもしかしてセフィーお姉ちゃんの…」
 あの時白昼夢のように甦った記憶。その中でフィーノが撃った空色の髪の男性。フェノンは俯いて拳を握り締めた。
「そう…フィーノはセフィーお姉ちゃんのお父さんを撃ったあの時、あの瞬間…感情システムに異常が…」
「その一年後、破壊することに耐える臨界点を越えたのか…。それでドーランを殺せずに自分を…」
 エルナートは自分の肩を抱いた。自己破壊してしまう前にフィーノの涙を目にし、それでも彼女の気持ちを理解してやれなかった自分が不甲斐ない。 重い沈黙を破るように床が強く揺れた。
「ゆっくり話してる暇はなさそうだぜ。段々揺れが激しくなってやがる」
「セフィーお姉ちゃん、見つかったかな…」
 再び走り出しながら、フェノンは空色の少女を想った。
 無事でいて欲しい。
 また会いたい。
 でも、どんな顔して会えばいい?
 大事な人を撃った、破壊者(フィーノ)の記憶を持つあたしが―。


 八年前まで、軍事的理由から深い関わりがあったというエルステン。その人工惑星の無機質な床を、こんな形で踏むことになるとは。
「息苦しい所っすね…惑星っていうより、要塞みたいだ…」
 血の臭いからそう感じるのか、リゼーシュは撃ち殺したエルステンの兵士から素早く目を逸らすと額の汗を拭った。
「さっき見たんですけど、住居スペースらしい場所の横に巨大な発電施設があったんですよ。何でこんなに住みにくく造ったんだか…」
「確かにそうだな…建物の配置に計画性がまるで見られない。まるで『人間ではない何かが勝手に組み立てていった』ような」
 少なからず違和感を覚えていたチアースリアもリゼーシュに同意する。
「それにしても、どこまで行っちゃったんですかね…」
 セフィーリュカを捜すためにエルステンの奥地へ入り込んだ二人は、未だ彼女を見つけられずにいた。
「誘拐されたというならまだわかる。しかし、シェータの話では自分で歩いていったと…。エルステン人に見つからないようなルートを行ったと想定してここまで来たが、徐々に警戒も厳しくなってきている」
 チアースリアは床で絶命している兵士を見た。連邦軍の軍服を見て突然襲い掛かってくる兵士が増えてきていた。話を聞こうとせずに攻撃してくるところを見ると―もっとも、言葉が通じないが―彼らが『宇宙連邦軍』に悟られたくない情報をこの奥に隠している可能性が高いようだ。それとセフィーリュカに何か関係があるというのだろうか。
「休憩はここまでだ、少尉。先に進むぞ」
 武器類を整理し終え、チアースリアは立ち上がった。リゼーシュも適当な返事をして歩き出す。
「…ゼファーの妹が、俺達に追いつけない程足が速いとは思えないんだけどなぁ…」
 身長が高く歩幅の広い上官の背中を見ながら、リゼーシュは首を捻った。


 この光は果たして体に当たっても大丈夫な代物だろうか?
 セラリスティアは考えながら、エルステン全体を包み込み、今や宇宙にまで手を広げているらしい光を見回した。
「ザリオットの見張りを買って出たのはいいけれど…ちょっと心細いかな」
 戦う力を持たないただの通信士である自分に見張りとしての意味はあるのか。セラリスティアはザリオットのボディに寄りかかってため息をついた。宇宙を見上げると吸い込まれそうな錯覚に陥って眼を瞑る。
「えっ!?」
 目を開いたとき視線の先に広がっていた状況に、彼女は思わず声を上げた。
「……球体型の…遺跡?」
 時空転移を終え、不可視状態を解いたシレホサスレンの特殊機関ケルセイを目にしたセラリスティアは、何度も目をこすった。その球体は所々煙を上げながらゆっくりとエルステンの宇宙港に降り立った。不時着に近いかもしれない、少なからぬ衝撃が港に響き、セラリスティアはザリオットにしがみついて風に飛ばされないよう足を踏みしめた。静かになったのを見計らい慌ててザリオットの中へ駆け戻ると、降り立った球体の分析を始める。
 数分後、通信機が鳴る。セラリスティアは緊張しながらそれに応じた。
「こちら、宇宙連邦軍第五艦隊所属特殊偵察艦ザリオット…」
「プロティアの方ですか?」
 応じたのは柔らかい声の女性だった。その言葉がプロティア語であったことにセラリスティアは安堵した。
「あなたは誰ですか?その…えーと、球体は…」
「私は特殊機関ケルセイの星間通訳、ニーセイム・ハルグメラ。二、三質問してもよろしいですか?」
「わ、私にわかることであれば」
 相手は何かに焦っているようだ。セラリスティアは少し緊張して手の汗を拭った。
「まず、エルステンで起きている現象について教えて頂けますか?」
「ええと…すみません。私にも何が何だか…」
「そうですか。それでは…連邦のものと規格の違う宇宙船を見かけませんでしたか?」
「宇宙船…もしかして、シレホサスレンの…」
「そうです!どこで見かけられました!?」
「その…ウチの艦隊で拿捕しています」
「…クルーは…無事なんですか?」
「一人は重傷らしいですが…プロティアの医療班が治療に当たっていますから」
「そうですか……良かった…」
 通信機の向こうで、女性の声が震えた。ニーセイムは泣いているようである。セラリスティアはキーボードを叩くとある座標をニーセイムに伝えた。
「これは…?」
「第五艦隊の位置です。事情を話せば彼らに会わせてもらえるはずですよ」
「…恩に着ます、プロティアの方。あなた方の健勝をお祈りしましょう、アルセイトの御名において(トルターテゼムアルセイト)」
 ニーセイムはそう言って通信を切った。ケルセイが煙を上げたまま飛び立っていく。セラリスティアはそれをモニタで確認した。
「シレホサスレン…連邦から独立した宗教国家…『神』を信じる国、か…」
 セラリスティアは誰にともなく呟くと、通信席で膝を抱いた。
「祈ったって、何も解決しない…神なんて人が都合よく考えた『装置』でしかないんだから。どうせ、神の名の下なら人を殺すことだって出来ちゃうんでしょう…?」
 仲間のために泣けるなら、そういう気持ちがあるのなら、争うことなんて出来ないはず。
 それでも争いはなくならない。
 いつになったら、人間は気づくことが出来るのだろう―。
 破壊された宇宙港。再びそこへ一人取り残されたセラリスティアは、膝を抱えて涙を押し殺した。