Gene Over│Last Episode閉環 06適合者

 唸る機械。
 セフィーリュカはムーンを抱きしめてどこからか流れてくる風に眼を瞑った。

―タスケテ―
―ココカラダシテ―
―ワタシヲコロシテ―
―ヒトリニシナイデ―
―クライ―
―コワイ―
―タスケテ―

「嫌…っ!」
 頭に直接響く声。セフィーリュカは恐ろしい叫びに両耳を塞いだ。セフィーリュカの腕を離れたムーンが彼女の周りで青い光を発している。
「そんな、セフィーにも聞こえるのか?…『彼女』の、リゼッティシアの声が…!?」
 カオスは驚いて娘を、そして機械を見た。ムーンの光が二つを繋ぐように輝きを増していく。

―タスケテ―
―カワリヲ―
―ダレカ…カワリヲ―
―ホシヲササエルヒトバシラヲ―

「やめろ!やめてくれ、リゼッティシア!!」
 カオスが叫び、セフィーリュカと機械の間に立ちはだかる。しかし、ムーンが突如振り返ると彼に向けて攻撃した。青いレーザーが彼の肩を貫き、同時に増大した青い膜がカオスを壁まで弾き飛ばす。彼はそのまま床に倒れ込んだ。
「お父さん!」
 セフィーリュカが駆け寄ろうとすると、何かの力に阻まれた。身体が徐々に機械、E-ユニットに吸い寄せられる。

―テキゴウシャ―
―テキゴウシャ―
―ヤットミツケタ―
―ゴメンナサイ―
―コレデヤット…ネムリニ―

「いやあああああっ!!」
 青い光に包まれ、セフィーリュカはE-ユニットへ吸い込まれていった。
 最後の瞬間、目にしたもの。
 それは眠るように目を閉じた青い長髪の、美しい女性だった。

 何も見えない。
 何も聞こえない。
 完全な闇。
 時間が止まっている。
 時間の概念などないのかもしれない。
 永遠の、もしかしたら一瞬かもしれない、永遠の時。

 ―記憶が重なる。

 少年は小さな機械を見つけた。
 重力を平定するその機械。
 それは彼の手の上でのみ反応した。
 機械を持った彼の周囲に無数の物質が集まる。
 家も、人工的に作られた木々も、そして人間も。
 集まったものは巨大な空間を、惑星を形作った。
 いつしか人々はその中心で機械を動かし続ける彼がいることを忘れていった。
 そして彼も、年を取ることを忘れ、感情を忘れていった。
 初代起動者(ファーストドライバー)―エルステン・ケサティア。

 女性は病気で光を失った。
 閉鎖的な惑星で育ち、閉鎖的な宗教観を他の者達と共有させられていた。 貧しいけれど幸せだった、家族と過ごした日々。
 しかし、それは簡単に崩れ去る。
 夫の甘言に騙され麻薬中毒となった姉。姉夫婦は大いなる神という名を借りた者達に裁かれ、彼らの一人息子だった甥は特殊機関ケルセイへ連れて行かれた。
 彼女は孤独な心を神に訴えながら、神を呪った。
 そしてその時が訪れる。
 自分を連れ出す連邦軍人達。
 これ以上の不幸などないと、諦めていた。
 そして連れてこられた惑星。
 受け継がれた、悲劇。
 二代目起動者(セカンドドライバー)―リゼッティシア・メンネルト。

 二人の声なき声が新しい起動者に語りかける。

―ジブンヲナクシナサイ―
―スベテヲワスレナサイ―

―嫌、そんなの嫌…!―

 少女は抗う。
 目を閉じようとするが、どこが自分の目なのかわからない。
 耳を塞ごうとするが、どこか自分の耳なのかわからない。

―ソレナラネガウガイイ―
―ホウカイヲ…スベテノモノニフクシュウヲ―

―崩壊…復讐……―

 それこそ、歴代の起動者が願ったこと。
 いくら叫んでも聞き入れられなかった希望。
 それでこの声が収まるのなら。
 それでこの声が安らかな眠りにつけるのなら。
 それでこの苦しみから解放されるのなら―。


 E-ユニットを中心とするエルステン全体が青い光を放つ。
 その光はじわじわと広がり、全てを飲み込んでいく。
 それを見つめていたレイトアフォルトが力なく膝を折る。
「聞こえた…崩壊を望む声…。リゼッティシア……」
 最後の肉親と信じていた叔母の声。
 全てを呪いながら、自分の全てを閉じた彼女。
「もう止められない…全て、終わる…」


 ルドは走っていた。大切な機械を抱きしめて。
「…僕、知ってる。この声…セフィーリュカの声」
 機械が熱を持つ。箱型の小さな機械に自らの人格を移した天才科学者。
―今回の起動者も不完全だったようだね。八年前も似たような状態だった。あの時はすぐに『補体』が事を収めたが、今回もそう簡単にとはいかないだろう―
 チアキはしわがれた機械音をスピーカーから放った。ルドが眉を顰める。
「セフィーリュカ…苦しんでるよ。全て、壊すって…」
―E-ユニットに乗っ取られたのか…―
 時間がない。
 重力を司るオーパーツ。
 それが暴走すれば全てが無に帰す。


 突如として響いたけたたましい警報。ゼファーは立ち上がった。
「何事だ!?」
「異常な空間歪曲を観測!超転移の終着点が…」
「スクリーンに出します!」
 通信士が口々に慌てた声を出す。スクリーンに映し出されたものを見て、誰もが一瞬声を忘れた。
「第一宙域に、穴!?」
 最初に口を開いたのはデリスガーナーだった。リフィーシュアも驚いてそれを指差す。
「あの時のブラックホール…!」
 それはゆっくりと、しかし確実に広がっていた。共に対策を考えていたスルーハンとミレニアスが通信モニタ越しにゼファーを見る。
「エルステンから放たれたあの光に呼応しているようだな…」
「何とかして閉じる方法は…」
 ゼファーは眼を瞑り考えた。
 開いたものを閉じる方法。
 通常、穴が空くのは時空砲によって―。
「逆位相だ…」
 不意にゼファーが呟く。スルーハンとミレニアスは驚いて彼を見た。
「時空転移では、転移完了後に逆位相を起こさせてその穴を閉じる。同じようにすれば…」
 スルーハンが両腕を組んだまま頷いた。
「確かにこれだけ艦がそろっていれば、高出力で逆位相が起こせるな。ただ…道を開くことと逆位相は二つで一つの事象。果たして成功するのか…」
「何もしなければここで死ぬだけです。可能性がある限り諦める気なんてありません。僕はやりますよ、ロイエ司令」
 ゼファーは意志の強い緑色の瞳を年上の優良種に向けた。今まで自分に対してこれほど真っ直ぐな瞳を向けてきた者はどれほどいただろう。スルーハンは一瞬の間を空けて笑い出した。
「α型だからなのか、あのカオスの息子だからなのか…君は本当に興味深い人間だな。いいだろう、私も協力する」
 彼はそう言ってゼファーに敬礼した。ミレニアスも微笑む。
「私も協力します。大丈夫、きっと成功するわ、アーベルン司令」
 通信機から通信文が送られてくる。ルイスから託された第六艦隊の残存部隊からであり、司令代理となったルーゼルの名が書いてあった。
「『ラルネ司令より、アーベルン司令の指示通りに動くようと命じられている。我らをどうか手足として使って頂きたく…』だそうです」
 神経質なルーゼルらしい、長々とした通信文だったが、受け取った通信士は半分以上を略してゼファーに口頭で伝えた。
「よし…全艦回頭!逆位相準備!」
 ゼファーの掛け声で、全ての艦が動き始めた。おぞましく歪み出した宇宙を、恐れることなく突き進む。

「そうはいかないわ」

 突如響いたその声が、全ての引き金となった。
 全ての宇宙船の照明が明滅を始め、警報が艦中に鳴り響く。艦橋内でスクリーンが勝手に起動を始め、そこに夥しい数の文字列と警告文が流れた。最後に表示されたのは、不吉な笑みを浮かべるラニーの姿。ラニーの存在を知らず、彼女をラノムだと信じていたゼファーは呆然とする。
「フォルシモ…研究員?」
「穴は閉じさせない。プロティアが憎むべきエルステンが崩壊するのよ?これほど嬉しいことはないじゃない?」
 至って冷静な口調で、ラニーは全員にメッセージを送っていた。
「全指揮系統を司るマザーフレームは乗っ取らせてもらったわ。ラノムの代わりに作っていたコンピュータウイルスがこんなところで役に立つなんてね。何だか運命的だと思わない?」
 ラニーが壊れた微笑を浮かべる。
「何を言っているんですか…ここで僕達が動かなければ、エルステンどころか、宇宙全体が崩壊するんですよ!?」
 ゼファーが叫ぶが、ラニーは依然楽しそうに笑っている。
「いいじゃない。壊れてしまえばいいのよ、宇宙なんて。私のような存在を作る…愚かな人類など、滅びてしまえばいい…!」
 ラニーは笑いながら通信を切った。ゼファーは急いで通信の送られてきた先を逆探知する。
「偵察艦…カセム…そこでウイルスを…?」
「…っ…」
 隣で逆探知先を見ていたシェーラゼーヌが、突然走り出す。
「副司令!?」
 ゼファーが引き止める前に、彼女は艦橋から出て行ってしまった。
 廊下を走りながら、シェーラゼーヌは腰に差したあまり使うことのない銃を撫でた。
「私が止めないと…私達は、同じなのだから…!」
 ロードレッドの艦橋ではクルーがウイルス対策に躍起になっていた。狂ったコンピュータが意味不明な数字を提示し、スクリーンの文字が躍る。
「司令に警告、マザーフレームから新しいOSのインストール要請が下っています。受諾しますか?」
 ゼファーを取り巻くスクリーンから声が発せられる。
「するわけないだろう!?コンピュータ、マザーフレームからの全命令を拒絶しろ!」
「…命令拒絶…不可能……マザー、ふレーむは、フかシンにして……ゼッたイ…ЖИБ…」
 ゼファーがコンピュータに指示を与えるが、全く意味を成さない。何語か特定出来ない意味不明な言語がスクリーンを埋め尽くす。
「くっ…どうすれば…」
 不意に艦橋の扉が開く。シェータゼーヌとコアルティンス、そして再起動したメティーゼが入ってきた。
「これは……」
 コアルティンスは艦橋を埋め尽くすスクリーンを見て呻いた。廊下を走ってきながら聞いたラニーの声を思い出す。彼はフォルシモ家の一員として、彼女の存在をよく知っていた。それどころか、彼女が造られることに関して実は深く関係していたのである。
「…僕達は、ラノム母さんの危険を減らそうと彼女を造ったのに…それが、こんなことになるなんて…」
 ラノムが自分を嫌う理由を知っている。自分が『影』を造ることを提案してしまったから。影が本当に闇を映すことを知らずに、造ってしまったから―。
 コアルティンスは幼い頃、離れて暮らしている母―姉でもある―ラノムが、フォルシモ家で最も発言権の強い『セクレア』一族の直系で、その分プロティア政府やフォルシモ家に反対する勢力から強い批判を受ける対象でもあることを教えられた。時に生命を脅かされるほどの批判や危険に、たった三つしか年の違わない家族がさらされることを、コアルティンスは容認することが出来なかった。
 そんな時だ、カナドーリアで生物学者のトロキス博士と共同で同位体研究を進めていたフォルシモ家の一員から、同位体研究が実用化可能となっていると聞いたのは。コアルティンスは迷わず、ラノムの同位体を彼女の影武者として造ってはどうかと彼に提案していた。その提案はフォルシモ家、プロティア政府双方の同意を得る形となり、ラニーが造られた。
 ただし、同位体技術は、表向きは禁忌だった。
 宇宙連邦政府の目から隠すように、ラニーの存在は本当の『影』とする必要があった。フォルシモ家の女系が普遍的に持つミドルネームがない、戸籍もない、世の中に認められることのない、存在しない、人間。そんな彼女が歪んだ人格形成を進めてしまったのは当然かもしれない。
 だが、コアルティンスにとっては、ラニーの製造を提言したことでラノムからの信用を失ったことの方が深刻だった。同位体を造られたことで、オリジナルである彼女は自分の価値を下げられた、自らの内に潜む闇を具現化された、そのように感じてしまったようだった。それからというもの、コアルティンスは事あるごとにラノムからの接触を避けられている。
 遠く離れて暮らしている『家族』は崩壊していた。
「コアさん、何とかならないの!?」
 リフィーシュアがコアルティンスの腕を掴む。はっと顔を上げた彼はしばらく考え、端末を取り出した。隣のメティーゼを見る。
「メティーゼ、この端末を通して船のコンピュータにアクセス出来る?」
「ええ。…内部がどうなっているかくらいはわかるわよ」
 10ナンバーの個体は巨大サーバーに接続された小さな端末であり、完全に同期することは出来ないにしても宇宙船のシステムとも多少の互換性を持つ。彼女は頷くと目を閉じた。コアルティンスが端末を操作する。
「これは…酷い状態ね。航宙記録も、基本的な動作ファイルも食いつぶされていってる…」
 メティーゼはコンピュータ内部の状態をそう表現した。コアルティンスは彼女が端末に表示するそういった破損データを一つ一つ修正していく。メティーゼは途中で溜め息をついた。
「フォルシモ博士、無謀だと思うわよ。いくらあなたでも、侵食の速さに追いつけないわ」
 ロードレッドだけではない。全ての艦に寄生したウイルスは、途方もない量だった。これをヒュプノスの自分ではなく、人間が目視出来てしまったら、誰もが発狂するだろう。メティーゼはそう思った。彼女はふらふらとコンピュータの中に意識を飛ばしながら、ふとあるものに遭遇した。
「これは…」
 彼女は目を瞑ったまま手を伸ばした。空中で何かを掴むように手を握るが、傍目から見るとそれは何も掴んでいないように見える。しかし彼女は確かにそれを自分の中に掴んだ。
「98604899」
 メティーゼがさらりと数字を口にする。一瞬、コアルティンスの手が止まった。
「何だって?」
「だから…98604899」
 彼女は再び口にした。よほど気にかかったのか、メティーゼはその数字をコアルティンスの端末に移し、更にはロードレッドの艦橋のスクリーンの一部にも示した。
「この数字は…?」
 ゼファーが驚いて数字を見た。何を表すのか全く意味のわからない八桁の数字。
「この数字がウイルスファイルの奥底で大事そうにしまわれている。何かしら、二つの穴も見える…これってもしかして…ワクチンのヒントじゃない?」
「八桁の数字、二つの穴…」
 シェータゼーヌが考え始める。リフィーシュアとデリスガーナーも首を捻った。
「四桁ずつ区切って入力してみたら?」
「……駄目。そんなに簡単じゃないみたい」
「それじゃ、反対から四桁ずつ…」
「子供並の考えね。もうちょっとまともな答え出して」
 リフィーシュアとデリスガーナーが口々に案を出すが、メティーゼはそれを一蹴した。シェータゼーヌはまだ考えている。
「八桁を二つに分ける…分け方は、減法か除法…」
「数字のことは、専門家に任せた方が良さそうね…」
「そうだな…」
 リフィーシュアとデリスガーナーが肩を落とすと、ゼファーが後ろからリフィーシュアの肩を叩いた。
「それじゃ、姉さんは専門家として僕と来てくれる?」
「はあ?あんた何言って…」
「副司令を捜しに行く。ウイルスの影響で、艦同士の転送装置が壊れてしまったから、カセムまでシャトルか何かで行くしかないみたいなんだ」
「……高いわよ?」
「身内からもお金取るの…?」
 にやりと笑顔を見せた姉に、弟は呆れた声を出した。シオーダエイルはその横でにこにこと二人のやり取りを見ている。
「こんな状況でも冷静さを忘れないのは、遺伝なのかしら?」
「そうかもしれないですね…」
 シェータゼーヌは三人を見て溜め息をついた。アーベルン家の人間を見ていると、良い意味でも悪い意味でも飽きないかもしれない。
「まあ、俺がついて行きますから、どうか安心して下さい」
 デリスガーナーがそう言ってシオーダエイルに笑いかけた。