―始まってしまった―
しわがれたような機械のような声。
―急がなくては。まさかお前の他に起動者がいたとは―
チアキの声は少し哀しげだった。彼女の意識を込めた機械と球体を抱きかかえた水色の髪の少年はふと立ち止まり、俯いた。何だろう、何か、不安で、孤独な―。
―行こう、No.44。何も恐がることはない。私が傍にいる―
返事の代わりに、ルドは一歩ずつ歩き出した。
漸く泣き止んだセフィーリュカは、改めて父の姿を見た。
自分と同じ空色の髪は櫛が通ったように滑らかで、どこか兄のゼファーに似ている。着ているものはデザインが数年前に大きく変更されたものより以前の宇宙連邦軍の軍服のようであり、セフィーリュカにはあまり見慣れたものではない。
「……セフィー、いくつになった?」
じろじろと観察していると、不意にカオスが何やら考え込みながらセフィーリュカに質問した。彼女は思わず慌ててムーンを握り締める。
「じゅ…十六歳…」
彼女の答えに、カオスは頭を抱えた。
「最後に会ったのがセフィーの八歳の誕生日だった…ってことは、もう八年経ってるのか…?それじゃ…ゼファーとリフィーは…」
「兄さんが今年二十歳で姉さんは二十一歳だよ」
「……何だか頭が混乱してきた。どうして俺一人だけこんなタイムスリップを…」
カオスはそう言って肩を落とした。話によると、カオスは死んだと思われていた八年間、ずっとこのエルステンの奥地で眠っていたらしい。冷気を含んだあの装置が生命を長く保存するための機能でもあったのか、元々プロティアの優良種だから関係ないのかはわからないが、彼は八年経ってもまるで年老いた様子はなかった。
セフィーリュカはカオスが眠っていた装置に近づいた。そこから伸びるチューブを見上げる。カオスも立ち上がってそれを見ていた。八年前の記憶を辿る。
「そうだ、俺達は隊長の命令を無視して『彼女』を取り戻すためにここへ来たんだ…その間に、ロクスグランも、ウランも、俺を庇って死んでしまった…」
「………」
セフィーリュカは黙って聞いていた。八年の歳月を一瞬で通り越してしまった父は、ほんの数分前のように感じられる仲間の死に、拳を握り締めた。
思い詰めた顔で俯く横顔を、セフィーリュカが心配そうに見つめていた。カオスは紙切れをポケットへ戻すと顔を上げて彼女に声を掛ける。
「シオーダは…母さんはどうしている?」
傷だらけになりながらも、自分と一緒にここへ辿り着いたシオーダエイル。最後の瞬間、離れた瞬間…覚えていない。セフィーリュカは俯いた。
「それが、エルステン人に突然さらわれて…。私はお母さんを捜しにここまで来たの」
セフィーリュカは自分が倉庫を離れた間に母とすれ違いになってしまったことを知らなかった。
「さらわれた…?……でも、生きてはいるんだな?あの赤い目をした女性からは逃げられたってことか」
「赤い目?」
セフィーリュカは驚いて顔を上げた。カオスが頷く。
「黄緑色の長い髪で…」
「…フェノンちゃん…?」
呟いて、セフィーリュカは首を振った。彼女は長髪ではないし、八年前にはまだ造られていない。だとすると考えられるのは、彼女の前駆体、フィーノ。
「…二人でここに辿り着いた時、俺が撃たれて…もう駄目だと思ってシオーダを無理矢理ここから出した時に…………光が…」
カオスは機械を見て、はっとした。ぼんやりとしていた記憶が鮮明になってくる。機械に向かって歩き出す。
「そう…そして、俺は……」
彼は立ち止まると、ゆっくりと機械を見上げた。
「ここで、E-ユニットに……取り込まれたんだ」
巨大な装置、それが悲しむように咆哮を上げる。セフィーリュカが抱きしめるムーンも、それに呼応するように青い光を発し始めていた。
「……!?」
エルステンから遠く離れたプロティアの豪邸。その主は豪奢なベッドから飛び起きると、自室の扉を開け放った。扉の前で口煩い執事と出くわす。
「ラ、ラノム様!如何なされました!?」
「爺、ラニーは…まだ戻らないの?」
ラノムは口に出すことすら嫌っている自分の同位体について尋ねた。普段の気の抜けた口調ではない、切羽詰った様子に執事は驚いて、とっさに手元のハンカチで額の汗を拭う。
「はい、今回の遠征は大規模な戦闘が予想されるため、ラノム様の影武者として宇宙へ出ており…まだ戻りません」
「やはり無理にでも私が行くべきだったわ」
「何を仰います!そのような危険な場所へ、フォルシモ家の宗主であられるラノム様が行かれるなど言語道断でございます!」
執事はそう言って再び額の汗を拭った。ラノムは美しい碧眼で彼を睨み付ける。
「そんなこと、言っていられなくなるのよ!ラニーは…とても恐ろしいことを考えている…!あの子は、宇宙を崩壊させるかもしれない…」
同位体同士が脳の特定領域に共有する記憶の箱。ラノムはその中に、自分の同位体の恐ろしい面を見てしまった。自分と同程度の頭脳を持つ同位体。同じ箱を共有する存在。それはすなわち自分の中の、奥底に隠れた思想を具現化してしまったということ。
「私は…あの子の存在を許さない…私の汚い部分をさらけ出す…あの子なんて…!」
同じ頃、ラニーは第五艦隊の偵察艦にいた。
フォルシモ家の権限として、研究目的に艦隊に乗り込んだ彼女は誰に怪しまれることもなく第五艦隊所属の宇宙船を行き来出来る。
彼女が艦の最重要機関であるコンピュータルームに入っていったこの時も、そのことを気に留める者はいなかった。
異変に気付いたのは第九艦隊の巡察艦コロリアルの艦長セトファーゼ・シニリアだった。コロリアルは超転移に関する解析をミレニアスから命じられており、その途中で信じられないデータを弾き出してしまったのである。
「トッホムド司令に通信を」
寡黙なセトファーゼは通信士にそれだけ告げると艦長席に座って両腕を組み、自分のデータに誤りがないことを再度確認した。やがてミレニアスが通信に応じる。
「何かわかったの、シニリア大佐?」
「これを見て下さい」
セトファーゼはスクリーンに宇宙の模式図を表示した。現在いる第一宙域と、超転移の起点となった第五宙域が無理矢理に線で結ばれているその図を見て、ミレニアスは首を傾げた。
「待って…こんなことあり得ないはずよ」
「これが超転移時に起こったことです」
淡々とセトファーゼが言う。そして彼は線を指し示して模式図の形を変えていった。
「そしてこの時出来た通路が…こうなる」
切り替わった図では、第一宙域と第五宙域を小さく結んだ線が太くなっていた。
「宙域という概念は一般に、別々の球状宇宙を意味することが知られています。特定の道を時空砲によって開放することによって、『隣』に接する宙域にのみ干渉することが出来る」
「時空転移理論の基本ね。だから、第五宙域からは第四、もしくは第六宙域へしか転移することが出来ない」
「そうです。つまり…今回起こった超転移では、今まではあり得なかった新しい『道』を開いてしまったのです」
セトファーゼが結論付ける。彼は更に模式図を変化させていった。球状をした二つの宙域に道が作られて…。
「球同士の衝突で…融合が起こる!?」
ミレニアスは思わず叫んでいた。セトファーゼは妙に冷静な様子で頷くと、彼女に最後の図を見せた。第一宙域と第五宙域が融合し、星々が歪んだ形に変形していく。
「変化は既に始まっています。この第一宙域に、第五宙域の隕石や岩石が混ざり合ってきている。そしていつかは…惑星も」
「こんな形になったら、惑星にかかる重力が変化してしまう。そんなところに生物は生きられないわ」
ミレニアスが模式図から目を逸らす。
「何とかして対応策を考えなくては…。あなたは解析を継続してちょうだい」
「了解しました」
二人は嫌な緊張感の中、通信を切った。
ゼファーがミレニアスから超転移に関する報告を受けた時、第九艦隊からエルステンに派遣されていた救助艇の一団が帰還してきていた。そのうちの一艘がロードレットの格納庫へ降り立つ。しばらくして、艦橋に入ってきたのはシオーダエイルだった。
「母さん!?」
ゼファーとリフィーシュアが同時に声を上げる。リフィーシュアは彼女に駆け寄った。
「リフィー…あなたもこんな危険な所まで来ていたのね…。ごめんなさい、心配かけて」
「母さん…無事で良かった…っ」
リフィーシュアが涙を拭く。シオーダエイルは彼女の肩を優しく撫でると、ゼファーを見た。
「私達、アロラナール准将に保護して頂いたの。でも…セフィーがまだどこかに残っていて、准将が捜してくれているのよ」
「だからザリオットだけ帰還していないのですね」
帰還者のリストを作っていたシェーラゼーヌが頷いた。
「シェーラちゃん、シェータ君も無事よ」
彼とは格納庫で別れてきた。コアルティンスと共に医務室で怪我の手当てをしてもらっているはずである。シオーダエイルの言葉に、シェーラゼーヌは安心したように胸を撫で下ろした。
「第六艦隊も順調に動いてるみたいだし、セフィーが無事に見つかればひとまずそっちは何とかなるか…」
ゼファーは更に別の件へ神経を費やさなければならないようだ。超転移の影響をどうするのかを。