Gene Over│Last Episode閉環 03呼ぶ声

「…声……」
 真っ白な部屋に、真っ直ぐな声が響く。
 親友の声に、ディールティーンは目を開いた。レイトアフォルトは彼と目を合わせず、宙を見ている。
「……何も、聞こえないが…」
 どんなに耳を澄ましても、聞こえてくるのは空調の音だけのように思える。
「聞こえる…。誰かに、何かを伝えようとしてるんだ。…いや…呼んでる…?」
 レイトアフォルトは目を瞑った。
「でも、…嫌な予感がする。……行ってはいけない…」
 先天的なオーパーツの起動者であるレイトアフォルトのこういった予言めいたものがよく当たることを、ディールティーンは知っている。彼は、呼ばれているらしいその誰かが不幸な目に遭わないことをそっと願った。


 どこか遠くへ自分の意識を置いてきてしまったような感覚。
 ただ、足を先に進める自分。
 どこへ向かっているのか、周りがどういう状況なのか、理解出来ない。
 セフィーリュカの瞳はムーンが放つ、自分を取り囲む青色の幕のみを見ていた。
 セフィーリュカの耳は自分を呼ぶ誰かの声のみを捉えていた。

―…セフィーリュカ…―

 聞いたことがある気がするのに。
 誰?
 何も考えられない。
 ただ、行かなければならない。
 私が行かなければ…開けない。
 開かなければ…私が。


「何か、嫌だな」
 次々と吸い込まれるようにエルステンに突入していく第六艦隊の揚陸艦を遠くスクリーンに眺めて、リゼーシュは目を細めた。セラリスティアが首を傾げる。
「少尉、何が嫌なんですか?」
「最近、後手に回ってばっかじゃんか」
 プロティアが危うく侵略されかかった時も、こうして第六艦隊の後を追うのも。リゼーシュは操縦桿を倒して、前を行く第六艦隊の小型戦闘艇を接触すれすれで追い越した。
「予想外のことが起こりすぎているということだ」
 チアースリアは腕を組んでエルステン宇宙港周辺の詳細地図を睨んでいる。先ほどの第六艦隊による攻撃でどの辺りまでが原型を留めているのかはわからないが。
「これ以上、予想を超えることが起こらなければいいんですけど…」
 追い越した戦闘艇からの苦情を訴える通信文を両手で丸めてダストシュートに放り投げ、セラリスティアはため息をついた。
「よし、重力圏内に侵入成功。セラ、着陸ポイントを探してくれ」
「了解です」
 所々煙の上がっている宇宙港。かろうじて機能しているらしい管制塔―もしかするとコンピュータによる自動制御かもしれない―から退去するようにとの警告文が何度もザリオットの通信モニタに浮かび上がるが、三人共それを無視し続けた。セラリスティアはひたすらキーボードを叩く。
「安全と思われる着陸ポイントを発見しました。座標346,013です」
「オッケー、降りるぜ」
 ザリオットが機体を傾け、爆撃を逃れた固い道路の上に着陸する。
「空気組成を確認します。…酸素濃度は基準値に達しています。宇宙服は必要なさそうです、艦長」
 外へ出るための準備を始めたチアースリアに、セラリスティアが伝える。
「そうか、そうなれば生存者は多いかもしれないな」
 チアースリアが呟いたとき、セラリスティアの手元へ新しい通信文が送られてきた。彼女は真剣な表情でそれを読み、チアースリアを振り返った。
「艦長、ザリオットに続き、第九艦隊から救助艇がこちらへ向かってくれているそうです」
「そうか。では、我々は一足先に生存者の捜索を始めていよう」
「了解」
 リゼーシュとセラリスティアは敬礼すると、ザリオットのシステムを停止させた。
 三人がハッチから出ると、遠くから銃声が聞こえてきた。第六艦隊と第二艦隊の残存兵力が、既に衝突しているようである。
「ダスロー人って喧嘩っ早いんだな」
「陸戦部隊の強さは宇宙連邦軍一って言いますしね…」
 どこからか漂ってくる血の臭いに、セラリスティアは眉を顰める。チアースリアは探査レーダーを片手に、周囲を見渡していた。
「すぐ近くに、多数の生命反応が見られる。行くぞ」
 彼はそう言うと走り出した。二人も顔を見合わせ頷き、後に続く。


 銃声、金属のぶつかり合う音、爆音、地響き。
 ゆっくりと目を開けると、黄緑色の髪の毛が霞んで見えた。
「……フェノン…?」
 呟き、コアルティンスは跳ね起きた。体中がぎしぎしと痛む。ふと見ると足に何か鋭利なものが当たったらしく、血が出ていた。なかなか状況が把握出来ない。
「そうだ、突然すごい音と爆発が…」
 きょろきょろと辺りを見回すと、暗い室内が破壊されていた。棚は倒れ、天井が崩れ落ち、壁に開いた無数の穴から光や炎が入り込んできている。まだ出発していなかった自分達を始めとするエヴェスの兵士達も皆倒れている。
「フェノン…フェノン!」
 フェノンがコアルティンスの隣に横たわっている。揺り起こしても目を覚まさない。ポケットの中から機械の端末を取り出したコアルティンスは、フェノンのデータを引き出した。無数の数字と文章の羅列が彼の周囲を取り囲む。
「爆風でアダムに負荷がかかったんだね…再起動しないと」
 端末を操作していると、後ろからフィックが歩いてきた。
「フォルシモ博士、無事で良かった…」
 フィックは頭を押さえていた。少し出血しているようだ。
「クローゼ艦長、一体何が起こったのですか…?」
「情けないが、何が何だかわからない内に吹き飛ばされていたようだ。…ヒュプノスは大丈夫か?」
 フィックがフェノンを見下ろす。コアルティンスは頷いた。ちょうど端末への入力が終わる。
「………」
 フェノンが目を開ける。赤い瞳が音を立てて瞳孔を調節する。
「博士…?」
「大丈夫?感覚器に異常はないと思うんだけど…」
「うん、大丈夫。あたしはどれくらい停止してたの?」
「ええと…三十六分四十七秒…」
「我々もそれくらいの間、気を失っていたということか」
 フィックが天井を仰ぐ。それ程無防備であったのに、追っ手が迫ってきた様子がまるでないというのはどういうことなのだろうか。
「!」
 フェノンが急に立ち上がる。崩れかかった壁を凝視していると、人影が見えた。
「誰!?」
 フェノンが駆け寄る。壁に手を付きながら歩いてきたのは見覚えのある黒髪だった。
「ヒュプノスの反応を感じたから来てみたが、お前だったんだな、フェノン」
「エル!それに…」
 エルナートの後ろを歩いてきた女性を見て、フェノンは驚いた。フィオグニルに誘拐されていたシオーダエイルが、エルナートと一緒にいるとは思わなかった。
「どうして…」
「ヴェーズに捕らわれていたところを連れ出してきた」
 エルナートが説明する。
「フィオは…フィオには会わなかったの!?」
「フィオグニルさんは、私をヴェーズさんに預けた後どこかへ行ってしまったの」
 シオーダエイルが突然片言のエルステン語で応じたので、フェノンは少し驚いた。
「エルステン語、話せたんだね」
「しっ…」
 エルナートが不意に口元に指を立てる。どこからか足音が近づいてくるのを、フェノンも聞いた。
 ぴたりと足音が止む。次の瞬間、爆音と共に壁の一部が崩れた。フェノンが銃を構えようと腰に手を回した時、低い声が室内に響き渡った。
「私はプロティア第五艦隊のアロラナール准将!我々は戦いを望まない!どうか武器を納めて頂きたい!」
 チアースリアが大声を張り上げて部屋に入ってくる。彼はとても堂々としていた。彼の後ろにはリゼーシュとセラリスティアが緊張した様子で立っている。
「アロラナール…?まさか彼はロクスグランの…」
 シオーダエイルが聞き覚えのあるファミリーネームを反芻する。彼女と同じくプロティア語を理解したコアルティンスがエヴェスの兵士達に武器を捨てるように伝えていた。彼とフィックがチアースリアに近づく。フィックはチアースリアに敬礼した。
「私はエルステン第八艦隊のクローゼ少尉です。私達には戦う意志も、力もありません」
 コアルティンスがチアースリアにプロティア語で伝える。チアースリアはコアルティンスを見て目元の黒子に見覚えがあるとは思ったが、それがフォルシモ家の特徴であるということまでは気が回らなかった。
「我々は味方艦隊の行き過ぎた攻撃で傷ついた民を救助するために来た。民間人の救助を優先させてもらうが構わないか?」
「もちろんです。私からも、ぜひ彼らの保護をお願いしたい」
 敬礼を返したチアースリアはフィックに自分達の行動を説明する。フィックは安堵の息をつき、すぐ横のコアルティンスの肩を叩いた。
「彼らは敵ではないようだな」
 エルナートがフェノンに言う。フェノンは頷くと、部屋の端に走っていった。シェータゼーヌが壁に寄りかかるように倒れているのを見つけたのである。
「シェータお兄ちゃん!」
「…シェータ君…?」
 フェノンが駆け寄ると、シオーダエイルもそれに気付いて追いかけた。フェノンは膝をついて、彼の肩を揺すった。
「……ん…」
 シェータゼーヌが目を開ける。
「大丈夫、お兄ちゃん?」
「…フェノン……」
 シオーダエイルもフェノンの横に膝をつく。
「シェータ君、どうしてこんな危険な所に…!?」
「シオーダさん…無事だったんですね…。俺達、あなたを助けに…」
 言いかけて、シェータゼーヌははっと辺りを見回した。
「セフィー、は…?フェノン、セフィーはどうした?」
「え?」
 フェノンはそこで初めて、セフィーリュカがどこにもいないことに気付いた。どこかに倒れているのかと部屋中を見渡すが、どこにもいない。
「セフィーですって?あの子も来てるの!?」
 シオーダエイルが身を乗り出す。シェータゼーヌは眼を瞑って記憶を辿った。爆発があった時、青い光と…。
「セフィー…ムーンと一緒に、どこかへ歩いていったんだ。あの衝撃にも無傷で、ふらふらと…」
「何てこと…」
 シオーダエイルが呻く。彼女は立ち上がると踵を返した。
「シオーダさん!」
「捜しに行くわ」
「…待って下さい!」
 後ろから引き止めたのは、声を聞きつけて走ってきたチアースリアだった。
「シオーダエイル・アーベルンさんですね?あなたの保護も我々の急務。ここは危険です、共に来てください」
「しかし、娘が…!」
「私が責任を持って捜しに行きます。先にエルステンを脱出して下さい」
「……わかりました、娘をよろしくお願いします…」
 シオーダエイルは辛そうに頷いた。チアースリアはシェータゼーヌに手を貸して立たせると彼の肩を優しく叩いた。
「シェータ…無事で良かった。シェーラも心配している、安心させてやれ」
「ああ、心配かけてごめん。…頼む、必ずセフィーを見つけてくれ」
 チアースリアは頷いて見せるとリゼーシュとセラリスティアを呼んだ。
「聞いた通りだ、二人共。後は頼むぞ」
「ちょっと待って下さいよ。俺も行きます、艦長!」
 リゼーシュが慌てて申し出る。セラリスティアも頷いている。
「私達が先に脱出してしまったら、艦長はどうやって脱出するつもりなんですか!私はザリオットと一緒に待っています」
「そうか…わかった。行くぞ、少尉」
「了解!」
 チアースリアとリゼーシュはエルステンの入り組んだ通路に去っていった。
「皆さんは私と一緒にこちらへ。救助艇までご案内します」
 セラリスティアは彼らと逆の方向へ足を向け、シオーダエイル達を促す。フェノンとエルナートはそれを見送っている。
「フェノンちゃん、エルナート。あなた達は…」
「あたし達は残るよ。まだ仲間を助けてないもん」
 フェノンはシオーダエイルとシェータゼーヌに笑いかけた。そしてくるりと踵を返すと、ドーランを再起動させてメティーゼにも同じ処置をしようとしていたコアルティンスを呼び止める。
「博士、メティーゼはそのまま一緒に安全な所へ連れて行ってあげて」
「フェノン?」
 言葉の意味がわからず、コアルティンスは首を傾げた。フェノンはメティーゼをじっと見つめている。ヴァルケータによって引き起こされた爆発が脳裏を蘇る。
「メティーゼはあたし達と一緒に来ちゃ駄目なの。メティーゼは優しいから…ヴァルケータみたいに自分を犠牲にしてしまうかもしれないから」
「フェノン……」
 コアルティンスはフェノンを抱きしめた。
「どうか…気をつけて行ってくるんだよ…」
「うん!」
 フェノンは元気良く頷くと走り出した。エルナートとドーランが彼女に続いて駆けて行く。コアルティンスはそれを見届けると、未だ停止しているメティーゼを抱きかかえて倉庫を後にした。