エルステン宇宙軍第二艦隊に所属する第三級民(イル)は第一級民(リオン)の指示に基づき、宇宙港爆発の調査を始めていた。
本来であれば保安局の管轄に当たる仕事を宇宙軍が担当する。軍にとってそれはあまり名誉なこととは言えない。体裁を気にした第二艦隊の第一級民士官はこの仕事を下級民の構成員に一任させることに決定したのだった。
第二艦隊所属駆逐艦ディレン艦長リオ・イル・セクトーシ少佐はこの決定に従い、調査隊のリーダーとして調査を始めた。第二艦隊に所属する各種艦長の中で、彼女は唯一の第三級民であり、唯一の佐官である。
リオはディレンのクルーのうち特に信頼している数人の第三級民を引き連れてディレンを降りると、事故現場へと向かった。他の艦の者達は待機させている。
「艦長はディレンで我々にご指示を。まだ危険があるかもしれませんし」
「気遣いは無用です。調査は自分の目で行いたいですから」
いつもの淡々とした口調で部下に返事をしたリオは、先頭に立って黒焦げになった宇宙港に足を踏み入れる。
「(それに、もしクローゼ艦長が無事なら…伝えたいこともある)」
司令長官から直接下された爆発調査。そして、とある少女の捜索命令。異例づくしの命令に、リオは疑問を抱かざるを得なかった。
黒く焼け焦げ、金属すらも溶け出した宇宙港第四六ブロックを歩きながらも、リオは無表情だった。後ろから遠慮気味についてきた仲間達は爆発の悲惨さを目にして時折顔をしかめている。リオは爆発地点と思われるエヴェスが停泊していた箇所へ歩み寄ると、瓦礫を無造作にどかし始めた。部下も、恐る恐る彼女へと続く。
「おかしいですね」
瓦礫をどかす作業を数十分は繰り返しただろうか。壊れた機械へのしかかられた下に血痕や肉片がときどき見つかる。ただ、リオはその数に違和感を持った。先ほど見つけた人体の一部と思われる部分の横ではためく一枚の布を拾い上げる。保安局員の腕章。
「…爆心地に、宇宙連邦軍人の遺体がない」
赤黒くなった自分の手を見てぼそりと呟いたリオに、部下が歩み寄る。彼は不思議そうにリオが持つ保安局員の腕章を見つめていた。状況を理解出来ていない様子の彼に、リオは淡々と説明した。
「重要な手がかりです。船が粉々だからと言って、見つかる遺体が保安局員のものだけというのはおかしい。エヴェスは入港直後に査察を開始されたのでしょう?査察前にクルーが外出することはなかったはずですよね」
「なるほど。それではエヴェスのクルー達は…?」
リオはすっと視線を移した。その先にはかろうじて破壊を免れた巨大な扉がある。僅かな赤い塗装を目にして、通信士は頷いた。
「元非常用エレベーター…今は通信記録の保管庫に繋がっているんですよね」
「行きましょう」
リオはそう言ってすたすたと歩き出した。部下が慌てて呼び止める。
「あの、この人数では危険なのでは…」
「私達は別に戦いに行くわけではありません。クローゼ艦長が生きておられるなら、きっと大丈夫です」
エヴェスの艦長であるフィックは第二級民だが、第三級民の人間に対して差別意識を持たない人物として有名である。リオは再び歩き始めた。残されたクルー達もそれを追いかける。
エルナートは暗闇の中を進んでいた。忍び込んだ行政委員本部の天井裏を、物音一つ立てずに身をかがめて進む。まさか天井裏にヒュプノスが潜んでいることなど誰にも予測出来ないだろう。元々が対惑星探索仕様でもなんでもないエルナート自身もまさかこんな所に忍び込む事態が訪れることなど予想していなかった。
周囲は何も見えない暗闇。しかし彼女は衛星からリアルタイムで送られてくる地図情報を元に視界に頼らず進んでいた。宇宙での艦隊戦における優れた索敵装置を母核としている彼女はそれを応用しているのだった。
彼女はふと立ち止まった。体内の索敵システムが動き出すのを感じる。
「この反応…ヴェーズ?」
小さく呟くと、エルナートは更に先へと進んだ。反応が徐々に強くなる。通気口が見え、そこから光が差し込んでいる。
「ここか…」
エルナートはそっと下の様子を窺った。ヴェーズの姿が見える。扉の前に立って、誰かを見張っているようである。彼女の視線の先を追うと、シオーダエイルの紫色の髪が見えた。ヴェーズと向かい合わせに立つ彼女の足元には血を流して男が倒れていた。生命反応は、ない。
ヴェーズとの距離や所持武器などを索敵システムで計算したエルナートは消音機を取り付けたショットガンを通気口と天井の接続部にあてがい、続けて発砲した。壊れた通気口の間を滑り込んで音も立てず床に降り立つ。突然の出来事にさすがのヴェーズも驚いたらしく、彼女がとっさにナイフを構えてエルナートの頭部に向けて投げた時にはエルナートは既にその場にいなかった。ヴェーズの向かい側に立っていたシオーダエイルの髪を数本切って飛んでいったナイフがそのまま壁にめり込む。シオーダエイルはそこで初めて我に返った。その間にエルナートはヴェーズに駆け寄り、彼女の両腕を後ろに回していた。
「No.4、なぜ邪魔をするの?」
ヴェーズは落ち着いた口調でエルナートに問いかけた。エルナートは首を横に振る。
「私は、そのよくわからない命令からお前達を救いに来たんだ…ヴェーズ、目を醒ませ」
「Ωシステムは私達試作体に普遍のシステム。『完全体』の揃った今、私達は諸要因を収束させなければならない。E-ユニットを安定させるために。エルステンを安定させるために」
「どういうことだ?諸要因とは一体何の…」
「Ωシステムを持たないあなたに語ることなどない。この手を離しなさい、No.4。あなたは私に攻撃することなど出来ないのだから無意味な行動だわ」
身をよじり、エルナートの束縛から逃げ出したヴェーズはエルナートに向けてナイフを構えようと後ろを振り向いた。その瞬間、彼女の頭部を強い衝撃が襲う。頭部の中枢器官アダムが急速に機能を失っていく。ヴェーズは倒れる直前後ろを振り返った。そこには先程放ったナイフの柄を自分に向けたシオーダエイルが立っていた。
「…私の、センサーに感知されずに、近づける人間なんて…」
ヴェーズはその場に倒れ込んだ。シオーダエイルはすぐに彼女を抱き起こす。
「つい思い切り殴ってしまったけど…大丈夫よね、エルナート?」
ヴェーズと同じくシオーダエイルがそこに立ったことを感知出来なかったエルナートも驚きを隠せない表情で彼女を見ていたが、すぐにヴェーズの横に膝をつく。
「…大丈夫。一時的に停止しているだけだ」
エルナートの言葉にシオーダエイルが胸を撫で下ろす。エルナートは室内を見回し、ネイティの死体に目を留めた。
「あなたと一緒に連れて行かれた男…ヴェーズが殺したんだな?もう少し遅かったらあなたも危険だった…」
「私は…殺されるために連れて来られたわけではないみたいなの。なぜ生かされるのか…わからないけれど」
だが、アルソレイに引き合わされていたらその後どうなるかはわからなかった。シオーダエイルの持つ、E-ユニットやリゼッティシアの記憶を何かに利用しようとしているようだが。それに、アーリアは不思議なことを言っていた。八年前に死んだはずの夫のこと―。
「とにかくここから逃げよう、シオーダエイル」
「でも、エルナートは仲間を助けに来たんじゃ…」
「悔しいけれど私一人では何も出来ないみたいだ。途中で別れたドーランも心配だし、一度戻って態勢を立て直したい」
エルナートは降りてきた通気口に手早く電子ロープを掛けるとそこを上って天井裏へ戻った。シオーダエイルもそれに続く。暗い天井裏に出た彼女は一度振り返ってネイティの死体を見た。
「待っていて下さい、ラルネさん。必ず…八年前の罪を、真実を、解き明かしてみせます」
それがネイティだけでなく、今まで死んでいった他のEDF部隊メンバーへのはなむけになる、シオーダエイルはそう思った。
早く逃げるべきなのかもしれない。
でも、どこへ?
ここにいる全員が生き残れるであろう可能性は少ない。
エヴェスのメインクルーは、必死に作戦を練っていた。
エルステン政府を法的に押さえつけることが出来る証拠が見つかれば或いは、ここに向かっているはずの他惑星の宇宙軍が何とかしてくれるかもしれない。メインクルー達が作戦を練っている間、手の空いた者達は通信記録の解析をしていた。
八年前の事件について何か手がかりはないだろうか。セフィーリュカ達は通信記録の並んだ棚を見つめた。
「宇宙歴二二一九年の記録は、これで全部…」
セフィーリュカの前には、山程積みあがったデータディスクが置かれていた。途方に暮れながら、一つつまみ上げてみる。
「宇宙歴二二一九年三月十五日連邦標準時刻0912…ズール船籍民間船ラドゥバ入港。艦長ヤレー・クルデーシュ、乗員八名…」
「全然関係なさそうだな」
エルステン語を読めないシェータゼーヌがセフィーリュカの声を聞きながら首を振った。彼はセフィーリュカに『軍用船』という単語だけを教えてもらい、その印字をたよりにディスクを分けている。
「こんなことで本当に何かわかるのかよ?ニンゲンってのは回りくどいな」
呆れたようにドーランが首を振る。
「分析作業が得意なヒュプノスが誰かいてくれれば、すぐに終わるのにね」
フェノンがデータディスクを分けながら呟く。そうは言いながらも、文字を読み取る速さが人間とは比べ物にならないほど速い三人のヒュプノス達は作業時間を短縮することにかなり貢献していた。
その場の全員が途方もない作業に没頭していた時、非常用エレベーターが動き出していた。扉の前で見張りをしていた兵士が慌ててフィックに報告する。
「全員、壁を背に立ち、武器を構えろ!」
フィックの声にエヴェスの全員が反応する。ムーンもその声に反応してセフィーリュカの周りを巡回し始めた。全員が息を呑む中、ゆっくりと扉が開く。
姿を現したのは宇宙連邦軍の制服を着た数人の男女だった。全員が浅黒い肌をしている。
「………」
一人の女性が前に進み出る。銃をつきつけられても、彼女は何の心配もいらないといった様子で歩いてくる。
「ディレンの…セクトーシ少佐?」
フィックが彼女に近づく。
「クローゼ艦長、やはり生きておられましたね」
リオはそう言って敬礼した。
「少佐、まさかあなたが追っ手として派遣されてくるとは…」
緊張した声のフィックに対して、リオは落ち着いていた。
「私達はエヴェス爆発の事後処理調査を命じられただけです。あなた方をどうこうしろとは言われていません。我が艦隊の上級民士官がここに気付いてしまえば、その保証は出来ませんが」
「保安局だけでなく、第二艦隊が我々を追っているということですか!?」
グラがフィックの隣に並ぶ。彼と同じ浅黒の肌をしたリオは落ち着いた様子で頷いた。
「フォイエグスト司令長官直々の命令です。現在、第二艦隊の全兵員を導入して宇宙港をブロックしています」
「か、艦長…そんなことを話してしまってよろしいのですか?」
リオの部下が彼女の腕を掴む。リオは何も言わず、エヴェスの生き残りを見つめている。フィックもグラも不思議そうな顔つきである。
「…私は、確かめたい。あなた方の行動する理由を」
「理由……」
所属艦隊旗艦に対する破壊行為と無断離脱。軍法会議にかけられたなら下手をすれば死罪とされるかもしれないほどの罪。いつも冷静で適切な判断力を持つフィックがこのような衝動的な行動をすることには、きっと大きな理由がある。それは、彼個人の問題ではなく、もっと大きな局面を見越したものであるのではないだろうか。リオは、ずっと考えていた。フィックとリオはしばらく黙って互いを見ていたが、やがてフィックが口を開く。
「私は、この惑星の誤りを…正したいから行動している。下級民の扱いも、ヒュプノスの扱いも、プロティアへの態度も…私は納得することが出来ない」
フィックの言葉を静かに聞き、リオは焦げ茶色の瞳を真っ直ぐに彼に向けていたが、ふとその表情が緩んだ。
「でしたら、私にあなた方を捕らえることは出来ません。私は第二艦隊の士官である以前に、エルステンの第三級民(イル)ですから」
リオはそう告げると踵を返した。そのまま乗ってきた非常用エレベータの扉を操作する。
「…彼女が、アーベルン嬢ですか?」
ふと、リオは振り返って空色の髪と瞳の少女を見た。フィックが怪訝な顔で頷くと、彼女は彼にそっと耳打ちする。
「司令長官は彼女を探し出し、連行するよう命令を出しています。…プロティアの艦隊も近づいていますし、なるべく早くここを離れることを勧めます。私に出来る時間稼ぎには限度がありますから…」
「セクトーシ少佐…ありがとう」
フィックの言葉にリオは一瞬だけ気恥ずかしそうな表情をしたが、そのまま何も言わずにエレベータに乗り込んだ。
ダスローともプロティアとも異なる、人工的で無機質なエルステンの大地。いや、大地という表現はおかしいのだろう。
―ここは変わらんな―
腕の中の黒い箱からチアキの声がする。彼女は一体どうやって周囲の状況を把握しているのだろうとルドは不思議に思ったが、気にしないことにした。
「ずっと同じような道が続いてる。こっちで良いの?」
―ああ。この区画をそのまま北へ向かう―
ルドはチアキに導かれるまま、エルステンの中枢を目指した。