エヴェスは第八艦隊から離脱した。エルステンへと帰還するための最短ルートを行く第八艦隊とは並行して飛ぶわけにはいかない。
「航路203に変更。ハインで待機した分、燃料の心配はない」
艦長のフィックは航宙士に指示を与えた。ヴァルケータが航宙士のすぐ横で補佐をしている。
航路を変えて飛び始めると、第八艦隊の所属艦が旗艦のザムルを取り囲むように停止しているのが見えた。エヴェスによって開けられた穴を塞ぐために苦心しているのだろうとフィックは想像した。追撃を受ける心配はなさそうだ。寧ろ第八艦隊の統率力の乏しさに、フィックはある種絶望的なものを感じていた。
エルステンの選民思想は日毎強くなる。しかし加速させる者がいる中で自分は必死にブレーキをかけようとしている。それが適切なのかどうかは知らない。
中途半端なだけの『絆の民』。その立場を認めたくなかっただけなのかもしれない。あのプロティアからの客人となら、もしかしたら変えるためのきっかけを作ることが出来るかもしれない。自分の意義も、惑星の意義も。
「艦長」
不意に呼ばれ、振り向くとメティーゼが通信士と共に索敵レーダーを見つめていた。
「どうした?」
近くを見回っていた副艦長のグラに問われ、メティーゼは赤い瞳をそちらに向けた。
「航路上に小型戦闘艇がいる。船籍はエルステンのものではない。敵か味方かは不明。十分後にエヴェスが追い抜く予定よ」
「小型戦闘艇がエルステンに向かっている…?」
「通信可能になり次第コンタクトを取ろう。敵でないことを祈るが…」
エヴェスのクルーには星間通訳がいない。五分後、セフィーリュカが艦橋に呼ばれた。メティーゼの指示の下、通信機を慣れない手付きで操作する。
「こちら戦闘艦エヴェス。船籍はエルステン。そちらの船名と船籍を教えてください」
セフィーリュカがエルステン語で告げると、少し遅れて返答があった。
「こちらダスロー第六艦隊所属小型戦闘艇ワレストス。すまないが星間通訳と代わってくれないか、エルステン語はわからないんだ」
早口なダスロー語。セフィーリュカはその声の主を確かに知っていた。
「……レンティス少佐…ですか?」
「へ?」
ダスロー語でセフィーリュカが尋ねると、相手は間抜けな声を出した。
「その声…まさか、セフィーリュカ?何でエルステンの戦闘艦なんかに乗って…」
「何、知り合いなの?」
自分に理解出来ない言葉を交わし始めたセフィーリュカに、メティーゼが尋ねる。セフィーリュカは頷いた。艦橋の中央でフィックとグラは安堵の息をついた。セフィーリュカは再び通信機に向き合う。
「色々あって…このエヴェスに乗せてもらっているんです。安心して下さい、少佐。敵ではありません」
敵、という言葉を口にするのは何だか躊躇われた。デリスガーナーの溜め息が聞こえる。
「もう何が何だかわからないな。まあ、無事ならそれでいいんだ。…お前達も超転移とやらに巻き込まれたのか?」
「超転移?」
セフィーリュカはアロースティルに乗って第一宙域に無理矢理転移させられたあの現象を思い出した。ブラックホールに飲み込まれ、時が止まったように冷ややかだった時間を。
「はい…気付いたら第五宙域から第一宙域に転移していて…」
「そうか。どうやら君達にいくつか情報を与えることが出来そうだ。すまんが…そちらにワレストスを収容してもらえるかどうか、艦長に聞いてくれないか?」
「あ、はい」
セフィーリュカがデリスガーナーの要求を伝えると、フィックは快諾してくれた。
「『来る者拒むべからず』。絆の民(ディミオ)の教えだよ」
フィックはそう言って人の良い笑みを浮かべた。
更に五分後、エヴェスの前方にワレストスの姿を捉えた。エヴェスが速度を落とす。それに伴って船体ドッキング用のハッチが開き、ワレストスは小型艇の機動力を活かして素早く角度を整えると器用にエヴェス内部へ入り込んだ。ハッチが閉じられる。格納庫内に空気が充填され、その間にワレストスは既に停泊中のアロースティルの横にぴたりとその船体を止めた。
完全に停止したワレストスの乗務員席からデリスガーナーが飛び降りる。セフィーリュカ達は彼を出迎えた。
「皆、無事で何よりだ。色々大変だったみたいだがな…」
彼は横付けしたぼろぼろのアロースティルを見上げた。リフィーシュアがワレストスを見る。
「小型船なのに…少佐の船は損傷していないわね」
「俺は超転移に巻き込まれなかったからな。えらい時間をかけて時空転移してここまで来た。…ショートカット出来て良かったんじゃないのか?」
「良いわけないじゃない。すっごく怖かったし、シェータさんは具合悪くなるし、挙句の果てに殺されかかるし…」
リフィーシュアはそう言って溜め息をついた。
「アランもそんなこと言ってたな…」
「仲間と連絡が取れたのか?連邦軍も無事でいるんだな?」
シェータゼーヌが尋ねるとデリスガーナーは頷いた。
「ああ、超転移の原因も大まかにはわかっている」
「再会を邪魔して悪いけど、折角エヴェスに乗せてあげたんだから、私達にも情報提供するのが礼儀じゃないの?」
メティーゼがつかつかとデリスガーナーに歩み寄る。彼は驚いて彼女の赤い瞳を見た。メティーゼとフェノンを見比べてフェノンに尋ねる。
「この娘も…フェノンの仲間なのか?」
セフィーリュカが翻訳してエルステン語でフェノンに伝える。彼女は元気良く頷いた。
「うん!メティーゼだよ」
「ば、馬鹿!個体認識名で呼ぶなって言ってるでしょう!?」
慌てたように怒りながらも、メティーゼは前のようにフェノンを傷つけようとはしなかった。
「オーパーツによる強制転移…」
コアルティンスが腕を組む。
デリスガーナーは第六艦隊のアラン、シレーディアと通信した際に得た情報を伝えていた。ルドの持つタイムラナーがその要因であること。それをシレホサスレンの二つのオーパーツが増幅させた可能性があること。第五艦隊が二つのオーパーツとその乗組員を保護していることなど。
「レイトさんとディールさんは無事なんですね?良かった…」
セフィーリュカは胸を撫で下ろした。ケルセイは無事だろうか。院長のユグルや星間通訳のニーセイムは…。
「ルドは見つからなかったんですか?」
「ああ、そうらしい」
「ちょっと待って。シレホサスレン人の二人はあの兵器を壊すためにオーパーツで出て行ったのよ?それが増幅効果を持っていたなら増幅されるべきものはすぐ近くにあったはずよね…」
リフィーシュアが皆を見回す。デリスガーナーが驚いて彼女を見た。
「まさか、タイムラナーとルドは…」
「あの兵器の内部に…?」
コアルティンスが呟く。彼の後ろでずっと話を聞いていたヴァルケータがふと顔を上げる。
「先程から話に出ている『ルド』とは?」
「あ、そうそう、ずっと聞きたかったの。そのルドって人、あたし達と同じ目をしてた。それってやっぱり…」
フェノンがヴァルケータとメティーゼを見上げる。ヴァルケータは頷いた。全てを知っている赤い瞳―。
「No.44。ルーズフトス博士の最高傑作。個体認識名は…ルド」
淡々とヴァルケータがフェノンに教える。その場にいた全員が息を呑む。
「No.44?そんな…僕は欠番だと教えられていた。そんなヒュプノスの記録なんてどこにも…」
コアルティンスが信じられないといった表情でヴァルケータを見る。
「ヴァルの言っていることは本当よ、フォルシモ博士。私達は直接見たことがないけど…No.44は確かに存在するわ。死ぬ直前のトナが会ってる。私とヴァルにはあの子の記憶が見えるから」
「トナ…ルーズフトス博士がティアに贈った、No,11…?」
「ティア?」
聞きなれない名前が出てきたので、セフィーリュカはコアルティンスに尋ねた。
「ティア・ディルナ・フォルシモ。僕よりも前にエルステンの『監視者』として派遣されていたフォルシモ家の人間です」
コアルティンスが説明する。
「されていた…って過去形ということは…」
「はい、亡くなりました。八年前に」
「また、『八年前』か。…この一連の出来事は全て偶然が重なったものではない気がする。どう繋がっているのかはわからないが…」
シェータゼーヌの意見に、コアルティンスも頷いた。デリスガーナーが眉間にしわを寄せる。
「ルドが人型兵器?おいおいちょっと待ってくれよ。彼はダスローの王族だって聞いて…」
言いかけて、デリスガーナーはふと思い出した。彼がノジリス王家に養子として迎えられた異質な存在であることを。
「何らかの理由で、エルステンからダスローに送られた…?」
「No.44がダスローに?…それはおそらくルーズフトス博士の意思ではないわね…。政府による工作に違いないわ…」
そう言い切るメティーゼにコアルティンスが理由を尋ねると、代わりにヴァルケータが答えた。
「先程も言った、No.44は最高傑作だと。ルーズフトス博士が手放すはずがない。…完成されたΩシステムを」
「Ωシステム!?」
フェノンが身を乗り出す。
Ωシステム―。それはフィオグニルがシオーダエイルをさらう直前にフェノンに向かって言った言葉だった。
「ねえ、それって何なの?フィオと何か関係あるの!?」
しきりに服の裾を引くフェノンに別段気分を害するでもなく、ヴァルケータは淡々と質問に答えた。
「Ωシステムとはコードネームだ。正式名称は『諸不随意装置総合コントロールシステム』。ルーズフトス博士はこのシステムを長年研究していた。数体の試作体に潜在アルゴリズムとして組み込み、データを収集し、完全なシステムをNo.44において構築した」
「…その試作体が、フィオなの?」
「No.5とNo.8もそうだ」
「ロイゼンとヴェーズ…ダスローの司令長官を誘拐した二体も…そのシステムの試作体だったっていうのか」
コアルティンスは宙を仰いだ。何ということだ。自分は何も知らなかった。知らされずにいた。所長として失格だ。もうその権利は自分にないのだが。
「三体共、表面上は他の固有システムによって動いているの。でも、あるコード入力をすることによって一斉にシステムが入れ替わるようになっている。博士はそのコードを使ってデータを引き出していたようだけれど、No.44が完成してからは必要なくなったから、コードは破棄されたはずよ。でも話を聞く限り、三体共そのコードの入力を受けてそれに従っているように思えるわ。どこからコードが洩れたのかわからないけれど…」
メティーゼが腕組みをして思案する。
しかしフェノンは別のことを考えていた。
「フィオは…試作体だったから廃棄されずにいたの…?」
「……何が言いたいの?」
怪訝そうに眉を上げたメティーゼに、フェノンは悲しげな瞳を向けた。
「固有の観測システムが優秀だからじゃなくて、その…Ωシステムを完成させるために情報が欲しかったから、フィオをダースジアに乗せていたの?社会不適合個体だって…皆から、人間から馬鹿にされるのを知ってて…」
「No.34から取得された情報は主にNo.44の対ヒト感情耐久のバロメータとして情緒機能を構築するために使われたようだ」
ヴァルケータが感情のこもらない声でフェノンに語りかける。フェノンは彼に鋭い視線を向けた。
「感情を制御する能力を得るためにわざと辛い環境にいさせたってこと!?そんなの…ひどすぎるよ!」
「ヒュプノスには完全な感情制御機能が必要なんだ、No.51。八年前、No.2が自己破壊した時にNo.7が研究員を殺害したことでそれは証明されているだろう。段階を積んだルーズフトス博士の感情制御機能研究は正しい」
「だからって…フィオが苦しんでもいい理由にはならない!」
フェノンは拳を握り締めた。
知っているのだ。ダースジアで見た悲しい瞳。自分と同じ色のはずなのにどこかくすんでいて、感情をいつも押し込めた瞳。
きっと人間のことが好きではないのだと、フィオグニルを見てそう思っていた。彼にとって人間とは自分を認めない存在であり、辛い感情を押し付ける存在であったのだから。
それでも、フィオグニルはプロティアで人間を助けた。セフィーリュカに手を貸し、ゼファーを助けた。それは誰から命令された訳でもない、フィオグニルの自律行動。フェノンにはそれが彼の意志だと確かに感じられた。苦しみながらも手に入れた、人への想いなのだと。
「フィオはわかりかけてた…人間を許しかけてた…。なのに突然Ωシステムが起動して…全部、忘れちゃったの…?」
悔しそうに唇を噛みしめるフェノンに、ヴァルケータは首を横に振った。
「Ωシステムはあくまで『裏』だ。解除コードを入力すればまた元に戻る」
「…ただ、それもルーズフトス博士だけが知っているんだけど」
メティーゼが溜め息をつく。コアルティンスは悔しげに唇を噛んだ。
「僕は先生から全く信頼されていなかったってことなんだろうね。コードのことはおろか、フィオ達にそんな機能があったことも知らなかったんだから」
「仕方ないわ。八年前…ルーズフトス博士が亡くなった時、あなたはまだ子供だった」
「何だか色々と複雑なんだな…」
デリスガーナーがメティーゼとヴァルケータを見ながら言う。二体共、彼から見ればまだ少年少女に見えるのだが、経てきた年数は寧ろ自分よりもずっと長いようである。自分が追っているルドも、もしかしたら見た目通りの年齢ではないのかもしれない。
でもとりあえずわかったことは、ルドを見つけるために自分がすべきことは例の兵器を探すこと。そして、これはもう一特殊戦闘員である自分一人では解決出来るものではないということ。
「因縁…」
低く呟くネイティに、アーリアはただ哀しげな視線を向けるだけだった。
「それはメンネルト嬢に関係のあることですかな?」
彼の言葉に、シオーダエイルは鳥肌が立った。
「……メンネルト………」
思わず呟いていた。
忘れていた名。
「………リゼッティシア・メンネルト……」
忘れてはいけなかった名。
自分達の罪を思い出させる―。
……しかし、それだけではない。何か大切なこと。閉じ込められた、記憶。
「やっと、思い出してくれたかしら?シオーダ」
アーリアがそう言って目の前に立つ。シオーダエイルは、ただ一つのことに関する記憶が泉のように湧き上がってくるのを感じていた。自分を信じてくれていた美しい盲人の淋しい笑顔。シオーダエイルは後ずさった。
「思い出した…。フォイエグスト隊長は…あなた達は…リゼッティシアを……E-ユニットへ、無理矢理……」
八年前のあの時起こったこと。
俄かに信じられなかった出来事。
E-ユニットに、オーパーツに捕らえられた女性。
彼女は、命令に従うまま自分達が誘拐してきた女性で―。
「嫌……」
思い出したくない。思い出すのが、怖い。
「あなたが八年前の生存者で良かった。私達に力を貸して頂戴、シオーダ…」
アーリアはそう言いながらシオーダエイルに近づいた。ネイティが真実に怯える彼女を守るように立ちはだかる。
「私は後方作戦班であったために、実動班であったあなた達のことはよく知らぬ。しかし…メンネルト嬢誘拐に関して押し切った隊長への不信感は、八年経った現在も拭えていない」
事態を収拾するべく戦闘の終わったエルステンへ降り立ったあの時。廊下に転がる無数の死体。エルステン地上軍。EDF部隊員。銀河同盟軍。混乱と、その後に残った気分を害するほどの静寂。そんな悪夢のような空間で、重傷を負いながらも何とか生存していたシオーダエイルを夢中で搬送した。共に行動していたはずの彼女の夫カオスは見つけてやれなかった。そして、シレホサスレンの盲人、リゼッティシア・メンネルトも。
アーリアは立ち塞がったネイティの手前で立ち止まると、彼を見上げた。
「そう……残念だわ」
次の瞬間、シオーダエイルはネイティが前に倒れ込むのを見た。温かな血が頬を濡らす。
「……ラルネさんっ!!」
シオーダエイルはネイティを抱き起こした。細い短剣が的確に彼の心臓へと刺し込まれ、血が止め処なく流れていた。顔を上げると、アーリアの背後に控えていたヴェーズが数本のナイフを構えている。
「何てことを…!」
「シオーダ、仕方のないことなの…私は、隊長に逆らえない…」
アーリアは辛そうに呟いた。
「……堕ちたな…!」
苦しげな呼吸をしながら、ネイティがアーリアに向かって吐き捨てる。
「こんな、ことを…して………エルス、テンは…孤立する…連邦から……宇宙か、ら…」
「ラルネさん、しゃべっては駄目!」
「見ているが…いい……あなた、達は…裁かれ、る…だろう…。…………ルイ、ス……正義…を…」
最期に最愛の娘の名を呼び、ネイティはがくりと事切れた。
「ラルネさん!!そんな…」
シオーダエイルはエメラルド色の瞳でアーリアを力強く睨み付けた。
「因縁に決着をつけるというのは、こういうことなんですか!?EDFの罪を消すために、口封じのために、関係者を殺すということなの!?」
「裏切り者はね。でもあなたは違う。あなたは私達に従ってもらう必要がある」
「こんな光景を見せられて従うほど、私は愚かではないわ!」
「夫を救いたいとは思わないの?」
「…え?」
突然のアーリアの言葉。シオーダエイルは彼女の言葉の意味が何一つ理解出来ぬまま、呆然と彼女を見つめた。