Gene Over│Episode5赤きヒトの涙 08真理

 これ以上は無理か。
 クリスベルナはスクリーンに映った第五艦隊を見て目を細めた。敵に増援が来るということは予想していた。しかし、第十七艦隊がそれまで自分達の攻撃に耐え得るものとは思っていなかった。完全に相手を見くびっていた自分の所為である。
「…相手に十分な打撃は与えただろう。撤退する」
 クリスベルナの指示に、航宙士は困惑の表情を浮かべた。
「司令…フォイエグスト長官がお許しには…」
「わかっている。責を負うのは私だ、貴様らの気にすることではない」
「…失礼いたしました。撤退します」
 苛立たしげに言葉を遮ったクリスベルナへ素直に頷くと、旗艦トルヘインの航宙士は操縦桿を握った。

 第二艦隊の攻撃が止んだ。
 生き残った全ての艦が回頭し、エルステンの方角へ撤退していく。第十七艦隊はそれを追わなかった。いや、正確には追撃するほどの力が残っていなかったと言うべきか。
「…助かりましたね」
 最終的には旗艦ノルマットも砲撃を受け、方々で消火活動やら救助活動やらが行われている。それらを指揮しながら、マルノフォンは思わず呟いていた。
 その時、第九艦隊から通信を求められた。スルーハンが応じると、第九艦隊の司令であるミレニアスが心配そうにノルマット艦橋のクルー達を見渡した。
「直ちに救助、補給に参ります。今日ほど戦うことの出来ない自分達を呪った日はありません…」
 スルーハンの指示で戦闘に巻き込まれない場所に待機していた第九艦隊は、すぐに傷ついた第十七艦隊の元に駆けつけた。時を同じくして、第五、第六艦隊も追いつき、第一宙域への超転移によってはぐれた艦隊群は漸く集結することが出来た。

「何だか疲れているようだな、アーベルン」
 第十七艦隊の復旧とそれに伴う小さな艦隊再編成。その間を縫って四人の司令官達は情報交換をしていた。ロードレッドに設けられた自室で通信に応じたゼファーに対し、スルーハンは開口一番そう言った。ミレニアスも心配そうにゼファーを見ていた。ゼファーは慌てて首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。すみません、ロイエ司令の方がよほどお疲れなのに…」
「あんな若造に負ける私ではない」
 スルーハンはあっさりとそう言った。
「そう仰る割には、損害が大きいのではありませんの?」
 ルイスが横目でアランから得たらしい被害状況レポートを見ながら呟いた。スルーハンは小さく咳払いをする。
「それより、これからのことを考えねばならない。…エルステンは完全に敵と見ていいと思う。第二艦隊の攻撃には躊躇いというものがまるでなかったからな」
 戦地で直接邂逅したスルーハンの言葉に、他の三人は重々しく頷いた。信じたくはない。宇宙連邦の意義が薄れてしまう。銀河同盟との戦争も膠着状態である現在、仲間割れなどという愚かなことをしている暇などないのだ。シレホサスレンといいエルステンといい、これほどまでに連邦が脆弱であったとは。ゼファーは先程の二人のシレホサスレン人との会話を思い返していた。
「エルステンはどうしたいのでしょう?連邦を裏切り、同盟に亡命するつもりでしょうか?それともシレホサスレンのように強固な独立国家を主張するのでしょうか?」
 ゼファーの問いかけに、皆が首を捻る。
「技術力は認めるが…独立できるほど強い惑星だとは思えない。階級社会だからな。必ず下級民から反発が起こる」
「もし上級民が自らを至高の存在とするために鎖国的立場を取っても、既に他の惑星の人間を知ってしまっている下級民は精一杯自分達の権利を主張し、上級民と争うか、もしくは他星へと逃亡する…というわけですね」
 率直なスルーハンの答えにミレニアスが補足する。ルイスはつまらなそうに自分の髪先をいじっていた。
「あたくしはあの惑星がどこへ属そうと、正直興味ありませんわ」
「は?」
 プロティアの三人の司令は同時にそう言ってルイスに注目した。彼女は優雅な仕草で指先同士をからめると三人をゆっくりと見回す。
「エルステン人はプロティア人がお嫌いなのですわ。理由はそれだけで充分ではなくて?」
「………………」
 三人のプロティア人は絶句した。真理…かもしれない。
「つまり、エルステンは表立ってプロティアを敵とするため、銀河同盟に寝返ったと?」
 ゼファーが尋ねると、ルイスは首を傾げた。
「さあ、あたくしはダスロー人ですからよくわかりませんわ。でも連邦で絶対的な科学力を持つプロティアへ対抗するために、裏から同盟に新兵器を提供していたとしたら…さぞかし素敵なストレス発散になりますわね」
「そ、それって…」
 ミレニアスが呻く。ゼファーがその続きを代弁した。
「エルステンが例の兵器を開発し、同盟軍にカナドーリアを破壊させた…ということですか」
「そういう可能性もあるということですわ」
 あくまで冷静にルイスは言った。
 真実は誰にもわからない。ここではわからない。
 エルステンへ行かなければ。
「連邦代表としてエルステン政府に逮捕状を出そう」
 唐突なスルーハンの意見。
「緊急の場合、連邦軍各司令長官には造反分子に対してそのような権限が認められている。連邦政府に問い合わせている暇はない、我々は既に攻撃を受けているのだからな。証拠はそれだけで充分だ。プロティアへの腹いせのために他の連邦惑星を破壊されるのではプロティア人として連邦全体に顔向け出来ない。…もう温和に解決することなど出来ないのだ、アーベルン」
 スルーハンはそう言って真っ直ぐゼファーを見た。四人の中で現在司令長官と同義の司令長官代理の権限を持つのはゼファーであるからだ。いくらスルーハンの方が人生の先輩であろうと、この決定権は年若いゼファーにしかない。
「………」
 シーリス・タタラ司令長官ならどうするだろう。ゼファーは考えた。カナドーリア会戦で大勢の仲間を失った彼女。惑星の破壊を目前で阻止出来なかった彼女。
―皆のために、戦っていると思っていた。でも、それは思い上がりでしかなかった―
 自分に司令長官代理を務めるよう命じた彼女の言葉。その真意は何であったろうか。今の皆の総意は何であろうか。彼女は止められなかった。でも、自分にはまだ止められる。まだ時間が残されている―。
「わかりました。連邦反逆罪の容疑で、エルステン政府及び軍部へ逮捕状を」
 ゼファーはしっかりと三人の司令を見据えた。スクリーン越しに三人の敬礼が揃った。


 第五艦隊も第十七艦隊同様に第九艦隊からの補給作業対象だった。旗艦ロードレッドの艦橋で必要物資のチェックを終えたシェーラゼーヌは、小さく息をつく。
「(合流にあと一時間遅れていたら、大変なことになっていたわ…)」
 エルステンまで飛ぶほどの燃料でさえもギリギリといったところだ。合流に遅れていれば、不慣れな第一宙域で艦隊ごと遭難していただろう。第十七艦隊の状態はどうなっているのだろう。エルステンの第二艦隊を相手に苦戦したようだが。すぐ近くを航行しているノルマットへ通信を送ってみると数秒後に通信スクリーンが展開した。
「お疲れ様です。何かご用ですか、コルサ中佐?」
「お疲れ様です。…マルノフォンさん…どうしたんですか、その顔?」
 ご無事で何より、と言いかけてシェーラゼーヌは一瞬言葉を失った。マルノフォンの左頬が大きな白いガーゼとテープに覆われている。旗艦で白兵戦を行うほどの戦闘だったのだろうか。当の本人はしばらくシェーラゼーヌの言葉の意味がわからなかったようで、何度か瞬きを繰り返して返答に困っていたが、数秒後、ああ、と思い出したように頬の傷へ触れた。
「ええと…その、色々ありまして…。大丈夫です、全然問題ないです!」
 マルノフォンは無理矢理笑ってごまかした。故意ではないにしろ、まさか司令に斬りつけられたとは言えない。詮索してはいけないようだと悟ったのだろう、シェーラゼーヌは心配そうな顔をしていたが話題を変えた。
「第十七艦隊の状況をお聞きしようと思って。何か手伝えることがありますか?」
「ありがとうございます。今のところ…大丈夫そうです。トッホムド司令が完璧に手まわしして下さったので」
 補給状況を確認し、マルノフォンはそう答えた。確かに、艦隊補助に関しては全宙域の宇宙連邦軍の中でも右に出るものがいないとすらいわれているミレニアスのことだから、作業に穴が出るはずもなかった。しばらく艦長席の端末を操作して確認していたマルノフォンは、ふとその指を止めた。
「あ…十五分前、当艦から第五艦隊の偵察艦カセムへ転送装置を使用した記録があるので確認をお願いします。使用者は…フォルシモ研究員です」
「了解しました。戦闘艦を利用されることが多いのに、偵察艦ですか…どうしてかしら」
「……あの…中佐。彼女には、気をつけた方が良いかもしれません…」
 端末を睨んだまま、マルノフォンが小さく呟く。シェーラゼーヌが聞き返しても、彼女は目を伏せそれ以上のことは語らない。何の警告なのか、このときのシェーラゼーヌにわかるはずもなかった。数瞬の沈黙、それを破ったのはお互いの携帯端末の音。
「…エルステン政府へ、連邦反逆罪で逮捕状…?」
 司令達が会議で話し合った結果なのだろう。それにしても、随分と強気に出たように思う。携帯端末に示された文字列を読み上げたシェーラゼーヌが通信スクリーン越しのマルノフォンを見ると、彼女もどこか緊張した面持ちでこちらを見ていた。

 四つの艦隊がエルステンへと向かう。真実を知るために。秩序を守るために。
 正しいことかどうかなんて当事者の一人であるシェーラゼーヌにはわからない。いや、軍人が惑星に押し入ることが良いことであるとは思えない。確かにエルステンには自分達の敵がいるかもしれない。しかし、多くの民間人も存在することは確かなのだ。彼らを前にして、堂々と行動することなど出来るだろうか。チアースリアなら出来るのかもしれない。彼の家系は代々軍役に出ている。それに比べて自分は…。
 生きていくためには仕方がなかった。言葉にすると簡単だけれど、なぜこんなに心の中で空しく響くのだろう。
 ふと、シェーラゼーヌは前方から人が歩いてくるのに気付いた。自分は第五艦隊内の各部署に次の作戦行動用の資料を運び始めたところである。どこの部署も忙しそうに持ち場で働いていたから、今この廊下をゆっくりと歩いてくる人間がいるということをシェーラゼーヌは一瞬不思議に思ったが、その人物の顔を見て納得した。
 きれいに整えられた金髪を揺らして歩いてきたのはラノムだった。彼女は艦隊に乗り込んで独自の研究をしているだけであって、艦隊の軍事作戦行動には関係がない。ただ、先ほどのマルノフォンからの連絡では偵察艦カセムにいるのではなかったろうか。不思議に思いながらも、シェーラゼーヌは通り過ぎ様、いつものように彼女に挨拶をした。
「………」
 ラノムは応えず、その場で足を止めた。シェーラゼーヌも自然と立ち止まる。いつもと様子が違う。以前は人懐こい笑みを浮かべて挨拶を返してくれたのに。目の前に立っている女性は愛想なく、深い緑色の瞳をただこちらに向けているだけだった。
「まだ生きているようね…」
 不意に彼女は呟くと、突然シェーラゼーヌを廊下の壁に押し付けた。シェーラゼーヌは短く叫び、驚いて手に持っていた資料を取り落とした。書類がバラバラと床に散らばる。
「…フォルシモ研究員…?」
 壁に押し付けられたまま、シェーラゼーヌは困惑した。ラノムのことは知っている。しかし彼女が今まで見たことのない人物であるような奇妙な違和感を持って自分の目の前にいる。怯えて片手を壁に付けたシェーラゼーヌを見て、ラノムは口元を大きく歪めた。
「同じなのに、気付かないの?」
「え…?」
 シェーラゼーヌには答えられなかった。一体何に『気付かない』というのか。
「何を言って…」
「私がラノムだと、本気で思ってる?」
 ますます意味がわからなくなって、シェーラゼーヌは黙り込んだ。自分をラノムではないと言う女性は、そんな彼女を憎々しげに見た。
「あなたと同じよ、コルサ中佐。私はラノムの同位体(アイソティア)」
「……同位、体…」
 目の前が暗くなる。彼女の言葉を理解するまでに時間がかかった。シェーラゼーヌを生み出した禁忌の技術、それがフォルシモ家によって利用されていたなんて知らなかった。
 同位体技術によって生み出された悲劇はシェーラゼーヌが一番良く知っている。いや、それは正しくない。造られた自分はこうしてのうのうと生きている。でもオリジナルであるシェータゼーヌは、どんなに自分の生について悩み生きていることか。二度とこんなことが起きないように、フォルシモ家によって技術が封印されているのだと信じていたのに。
「自分が特別な存在だと思っていたかった?ふふっ…愚かね」
「そんなこと思っていません!…あなたが同位体だというのが事実だとしたら、なぜフォルシモ家は同位体技術を封印してくれなかったんですか?個人の尊厳を守るべき人類社会で、そんな技術は必要ないでしょう!?」
「それはどうかしら?同位体技術が便利なものだと教えてくれたのは他でもないあなたよ、中佐」
「どういうことですか?」
「あなたを軍に入れさせたのはプロティア政府じゃない、フォルシモ家よ。あなたはよくここまで頑張って出世して見せたわ。…実験は成功よ」
 ラノムを名乗る女性はシェーラゼーヌの白い頬にそっと指先を伸ばした。シェーラゼーヌは思わずそれを払う。女性は払われた手を撫でた。シェーラゼーヌはその場を動くことも出来ず、立ち尽くしていた。
「オリジナルは病弱な男だそうね。でもあなたは軍務を充分こなせる健康体。兵士として、これほどの存在はない…」
 シェーラゼーヌは目を見開いた。
「まさか、フォルシモ家は同位体を……兵士として…」
「ご名答。エルステンでコアが造っているような処分しにくいだけの『人形』とは違う…。生身の人間だから気に入らなかったらすぐに『壊せる』し、壊してもオリジナルの遺伝子の一部を採取してくればすぐに新しい個体を作れる。どう、素晴らしいでしょう?あなたはこれから実用化されようとしている同位体のプロトタイプとしてプロティアに生かされているのよ。…そして、この私もね」
「そんな……」
 シェーラゼーヌは座り込んだ。船内の白い壁を呆然と見つめる。女性は楽しそうに高い笑い声をあげ、彼女に背を向けた。
「せいぜいこれからもフォルシモと連邦のために生きて頂戴。…そうそう、私の名前を教えてあげる。ラニー・フォルシモ。覚えておいて」
 ラニーはそう言い残して去っていった。シェーラゼーヌは彼女の後ろ姿を目で追うことしか出来なかった。
「ラニー(影)…」
 乾いた唇が、女性の名前を反復した。
 床に散らばった書類の束が、風のない宇宙船の廊下で静かにシェーラゼーヌを見つめていた。