Gene Over│Episode5赤きヒトの涙 07関係

 ここはいつでも静かだった。
 ヒトによって作られた場所であるのに、自然に出来たような荘厳な静けさがあった。
 生命活動の中心であるはずが、全てのものが静止しているかのようだ。
 今、その静寂をアルソレイの軍靴の音が破っている。長く続く無機質な通路には等間隔に置かれた電灯しかなく、それが一人歩く彼の顔を照らしたり隠したりしている。どこからか吹く空調の風は、嗅ぎ慣れたエルステンの内部特有の香りがした。
 アルソレイは徐々に歩く速度を緩め、やがてぴたりと立ち止まった。
 彼の目の前には大きな扉があった。扉には無数のコードが張り巡らされ、他者の侵入を頑なに拒んでいる。
 アルソレイはそっと扉に触れた。僅かに電流に似た痛みが指先に走る。彼は鼻で笑いながら指を離した。
「もうすぐ、楽にしてやろう……アーベルン」
 アルソレイは踵を返すと元来た道を引き返した。通路に再び静寂が訪れた。


「ここまでやるとは、正直思っていなかった」
 少し相手を見くびっていたかもしれない。スルーハンは戦闘続行可能な味方の艦を数え、思わず呟いていた。
 彼の隣では、マルノフォンが時々旗艦ノルマットにまで飛んでくる量子砲の軌道を巧みに計算し、回避ルートを航宙士に伝えている。ノルマットは彼女のおかげで未だ無傷を誇っていた。カーラインには到底及ばないが、戦闘の最中でも先を見通す一定の冷静さを持っているようだ。
「大尉、君は土壇場に強いタイプなのだな」
「…こ、光栄です…」
 スルーハンは普段、あまり人を褒めない。マルノフォンは突然の自分に対する言葉に一瞬言葉を失いかけたが、何とか返事をした。
「どうするんです?このままでは本当にお互い削りあうだけですよ?」
「戦闘中に第五艦隊か第六艦隊が来てくれることを期待していたのだがな…やはり人任せは良くないということだな」
 ここまできて、人任せとは…。マルノフォンは少し呆れた様子で司令を一瞥したが、それだけで終わるような人でないことを彼女は知っている。
「全艦、砲門を開け。攻撃目標、中央」
 スルーハンの指示に、マルノフォンは困惑の表情を浮かべた。
「抽象的すぎます。中央って…」
 スクリーンを見た彼女は絶句した。知らないうちに自分の艦隊が敵艦隊を覆い囲むような陣形を取っている。分散隊形から、スルーハンは細やかな指示を単発的に発していたものの、それは気まぐれのようなものであると、誰もが思っていた。
「考えなしに動いていると思ったのか?見くびらないでもらいたい」
 スルーハンは指揮杖をくるくると手の中で遊ばせた。

 自艦隊の置かれた状況に気付き、クリスベルナは唇を噛み締めた。
「こざかしい真似をしてくれる…」
 クリスベルナの指揮杖が音を立てて空気を切った。
「全速前進、包囲網を突破しつつ攻撃。攻撃が最大の防御と思え。至近距離での砲撃も許可する。恐れるな、突き進め!」
 第二艦隊が回避行動を取り始めた瞬間、第十七艦隊からの攻撃が開始された。第二艦隊を同心円状に取り囲んでいた艦から次々とエネルギー光線が放射され、迷いなく円の中心に向けて飛んでいく。第二艦隊の旗艦トルヘインは、辛くもその攻撃をかわしてそのまま自分を囲んでいた艦を二隻撃ち落した。
「決定力に欠ける攻撃だ。我々の退却を誘っているとでも言うのか?」
 包囲網を抜けたクリスベルナの第一の感想がそれだった。事実、スルーハンは自分達の船に背を向けた敵艦に痛ましく追撃することはなかった。
「情けのつもりか。……ふざけるな」
 後続の艦が撃ち落され、その破片が強化ガラスを叩く音を聞きながら、クリスベルナは眉を顰めた。


 ゼファーは第六艦隊のアランから報告を受けて、第十七艦隊が戦闘中にあることを知った。
「すぐに追いつこう」
 即答したゼファーに、アランも頷いた。
 通信機を置いたゼファーの元に、シェーラゼーヌが駆けてくる。
「例のシレホサスレン人の意識が戻ったそうです」
 彼女によると、既にヨハンジーズによってレイトアフォルトをディールティーンに引き合わせているということらしい。ゼファーは艦隊を戦闘宙域へと向かわせ、その航行中にナーシアを訪問することにした。

「ディール……」
 病室に通されたレイトアフォルトはベッドの中の親友の名を呼んだ。ロズベルとの同調率を高めるために彼の身体から無数に伸びていた配線が外されていて、レイトアフォルトにとっては見たことのない親友の姿だった。
 ディールティーンは虚ろな瞳で天井を眺めていた。レイトアフォルトの声に気付いているのかわからなかった。麻酔から覚めたばかりでまだ意識がはっきりしていないようである。医師らしい白衣を着た男が彼の口元から人工呼吸器をそっと外し、病室を出がけに入り口で突っ立っていたレイトアフォルトと、その後ろに控えたヨハンジーズに会釈した。
「どうぞ」
 ヨハンジーズはシレホサスレン語でそう言い、レイトアフォルトを奥まで導いた。レイトアフォルトは遠慮がちに歩き出し、ベッドの少し手前で歩みを止めた。ディールティーンが振り向く様子がないので、彼は更に一歩を踏み出した。ディールティーンの顔を覗き込むと、彼は黒目を動かしてゆっくりとレイトアフォルトの姿を捉えた。
「……レ……イト……」
 微かな掠れ声がレイトアフォルトの胸を締め付ける。彼は恐る恐るディールティーンの片手に触れた。冷たかった。
「ディール……。ごめん、ごめん僕は…」
「…お前が……無事、で…良かった…」
 レイトアフォルトの謝罪を遮るように、ディールティーンは呟いた。
「シエ、スタに、異…常が起きた…あの時、俺は…初めて、『怖い』と…思った。…全てを、失う…ことを…」
 ディールティーンはほとんどがナノ皮膚で置き換えられた自分の身体に触れた。
「……もう、ロズベルには…乗れない…。俺はやっと…神(アルセイト)から、解放された……」
 レイトアフォルトは頷いた。目に涙を溜めている。
「君には…剣を捨てる時がきたんだ(セイラームフォエティグロズベル)。とても、羨ましく思うよ。神に縛られなくていい、もう…自由なんだから」
「ここ、は…」
 ディールティーンはヨハンジーズへ視線を転じた。今までの会話を言葉として理解出来ても、その意味を全く理解出来ずにいたヨハンジーズは緊張した面持ちで眼鏡の縁を軽く持ち上げた。
「安心してください。ここは宇宙連邦軍第五艦隊所属救護艦ナーシアの一室です。私は星間通訳のアロラナールといいます」
「第五、艦隊…プロティア…の…?なぜ、我々を…」
 ディールティーンの灰色の瞳が細められる。
 戸をノックする音が聞こえた。数秒後、遠慮がちに戸が開かれゼファーが入ってきた。
「具合はいかがです?不自由はありませんか?」
 ゼファーのプロティア語を、ヨハンジーズが同時通訳してディールティーンに伝えると、彼はあまり動かない首で小さく頷いて見せた。
「第五艦隊の司令を務めている、アーベルンです。いくつかお聞きしても構いませんか?」
「アーベルン……」
 ゼファーが名乗ると、ディールティーンは少し驚いたように目を見開き、レイトアフォルトを見た。彼は漸く落ち着いたように小さく鼻をすすると、穏やかな表情でゼファーを振り返った。ゼファーはゆっくりと質問を投げかけた。
「あなた達は…一体何者なんですか?」
 簡単な問い。しかし、答えるまでにレイトアフォルトは幾分か時を必要とした。自己の定義に迷う自分。目の前にいる青年の妹は自分と同じ様に悩んでいた。兄である彼も同様なのだろうか。ゼファーはただ、レイトアフォルトが答えるまでじっくり待ってくれていた。
「僕達は、シレホサスレンの特殊機関矯正院(ケルセイ)の構成員」
 結局はっきりと答えられたのは自分の所属する機関。人は社会の中で、属する『場所』に依存する。そこに個人はない。ただ場所があり、そこにいるだけである。
 ヨハンジーズにより直訳された『矯正院』という言葉に、ゼファーは首を傾げた。
「ケルセイ…?」
「シレホサスレンの大半の人々が信じる神『アルセイト』の裁きを、神の遺物によって実行する機関。…あなた達神を持たぬ人(ノアフェリデス)にはわかりにくいかもしれないけど…」
「ええ、確かに…わかりません。…あの見たこともない型の宇宙船が、その…『神の遺物』なんですか?」
 頭の中で必死に情報を整理しようとしているゼファーに、レイトアフォルトがゆっくりと頷く。
「神の遺物…正確には、連邦で過文明器(オーパーツ)と呼ばれる存在。第三宙域の辺境惑星で発見された二機の船型オーパーツ、それが剣(ロズベル)と盾(シエスタ)。ケルセイはこれらのための祭壇であり、僕とディールはその生け贄…」
「生け贄…」
 ゼファーは現在拿捕しているロズベルとシエスタを思い起こした。
 不思議で巨大な船。
 クルーは一人ずつ…生け贄。
 書類上は宇宙連邦に属していながら独立国家としての地位を保ち続けている謎多き惑星。その一端が垣間見えようとしている。異様な程の不気味さを伴って。
「シレホサスレンは連邦軍の駐在を許さない代わりに、ケルセイによって自国の危機を徹底的に排除しようとする。今回カナドーリアを破壊したあの兵器…あの存在は自国への脅威になり得る。そう判断した教皇の命で、ケルセイは連邦軍とは独立して捜査、戦闘を開始した」
 レイトアフォルトは淡々と語る。眠そうな表情はいつもと同じだが、紡がれる言葉はひどく冷静で、鋭利さを持っていた。ゼファーはすっかり混乱して、考えるように腕組みをした。
「ケルセイという組織がいつからあったのか、そんな組織があったことすら知りませんでした。今回が連邦軍との初めての接触ということになるんですか?…貴重な情報はありがたいのですが、話したことによってあなた方の立場が悪くならない程度で結構ですから…」
 ゼファーの発言に、レイトアフォルトもディールティーンも目を丸くしている。不意にレイトアフォルトが吹き出し、屈託のない笑顔でゼファーを見る。
「卑怯かもしれないけど、ケルセイは連邦軍に関する情報をある程度持ってる。僕はあなたのことを前から知っていたんだ、アーベルン司令。僕と同い年で一艦隊をまとめている司令…もっと怖い人かと思ってた。意外とお人好しなんだね」
 ゼファーは何だか気恥ずかしくなって頬をかいた。ディールティーンがゆっくりと首を動かす。
「俺達の、ことは…心配しなくて、いい。あの兵器を、止めることで…利害が一致…するのであれば、君達と、手を組むのも…悪い話ではない」
「それを聞いて安心しました…。ぜひあなた達にも協力していただきたいです。あの兵器に関しては、軍よりも多くの情報をお持ちのようですから」
「それ以上に僕は…個人的に、あなたに伝えなければいけないことがある…」
 レイトアフォルトが不意に真剣な眼差しでゼファーを見据える。ゼファーは、それが自分の家族に関することであろうと、何となしに予想した。先刻ついかっとなってレイトアフォルトを傷つけてしまったことを思い出す。今度は冷静に事実を受け止めなければ。
「突然だけど、僕はシエスタの起動者(ドライバー)なんだ」
 唐突に紡ぎだされた言葉に、ゼファーは一瞬面食らった。
「オーパーツは使用する人間を『選ぶ』。物体だけど、意識のようなものが存在する。僕にはその意識を感じ取ることが出来る。普通の人には多分ただの電磁波か何かとしか感じられないのかもしれないけど、僕はそれを『言葉』だと感じる。…ある時僕は、一つの言葉をシエスタから受け取った。いつもと様子が違ったから、多分それはシエスタ自身の言葉ではないのかもしれない。誰かが、あるいは何かが、シエスタを通して僕に伝えようとした言葉なのかもしれない。ただ、シエスタは僕にはっきりと伝えてきた」
 レイトアフォルトは一瞬の間を空け、しっかりとゼファーの目を見た。
「『アーベルン』」
 通訳をしながら、ヨハンジーズが何か気味の悪いものでも見るかのようにレイトアフォルトの横顔を見た。レイトアフォルトはそう思われても仕方ないというように悲しげに佇んでいる。ゼファーは、一瞬言われたことの意味が把握出来なかった。
「……ファミリーネームが同じ人間など大勢います。なぜ僕の家族に限定したんですか?その根拠は…」
「八年前の事件」
 レイトアフォルトは穏やかだが、突き刺すようにさらりとそう言った。
「八年前、僕の叔母はエルステンに誘拐された。彼女はシレホサスレンの寺院で働く盲人だった。目の治療をするためと偽り、エルステンのある部隊が叔母を連れ出したんだ。部隊名はEDF…」
「!?」
 ゼファーは息の詰まる思いがした。EDF部隊。両親の所属していた部隊の名前。名前だけで、どんな活動をしていたのかまるで語られなかった部隊。漸く他者により語られた実態。被害者により語られた真実。
「僕はやっとのことでEDF部隊の情報を見つけ出した。そこにあなたの両親の名前を見つけ出した。何となくだけど、僕はシエスタの言葉が、叔母と結びついてるんだと思ってる」
 レイトアフォルトは辛そうに俯いた。
「叔母にも、僕と同じ様にオーパーツのドライバーとしての資質があったから…」
 互いの力によって伝えられた言葉。レイトアフォルトはそれを信じてきた。叔母を取り戻すために。ただ一人残された家族を救うために。
「多分、叔母はオーパーツを通じて何かを伝えてきたんだ。理由も、用件もまるでわからない。でも、とにかく繋がるのは八年前の事件とそこに関わる『アーベルン』という人物。だから、僕はプロティアに行った。そこであなたの妹に会った。空色の…八年前に亡くなったという父親によく似た女の子。…これはまったくの勘だけど、彼女は何かを『開け』そうな気がした。漠然としていて今もよくわからないけど、あの子、セフィーリュカのイメージ…」
 レイトアフォルトはそう言うと軽く眼を瞑った。
 うやむやなビジョン。
 ―開く。
 ―歪む。
 ―崩れる―。
 目を開き、頭を振る。
「ごめん、はっきりとはわからない。…セフィーリュカとはぐれてしまったのは完全に僕の責任だと思う。…本当に、申し訳なく思う…」
「……あの子が宇宙に出たのは、必然だったのでしょうか……」
 ゼファーが不意に呟く。レイトアフォルトは天を仰いだ。
「宇宙は、人を選ぶ…。レイトは彼女に、その手助けをしたに、すぎない…」
 ディールティーンの重々しい声が響く。それはシレホサスレンの、ケルセイの教えなのだろうか。神を信じることを強要され、それでも信じられない者。しかしたとえ信じなくとも、抗うことが許されないこともあることを、彼はよく知っていた。
 嫌な沈黙。
 それを破ったのは、ゼファーの通信端末だった。
 第九、第十七艦隊との邂逅を告げるアラームが、白い病室に空しく響き渡った。