Gene Over│Episode5赤きヒトの涙 06憎悪するもの

 戦闘艦エヴェスは、惑星ハインでの調査を一通り終えたということで、当初の予定通り第八艦隊の本隊に合流していた。本隊はハインとその衛星の周りを哨戒中のようで、合流した時ちょうどエルステンに帰投するところであった。
「すごいね、ちゃんと並んで飛んでる」
 エヴェスが本隊に合流し、互いの相対速度を保ちながら複数の艦が同じ方向に進んでいくのを見て、セフィーリュカが感嘆の声をあげた。臨時に客として乗せてもらっている彼女達は艦橋の端の方でクルーの邪魔にならないように待機しているのだが、さすがに彼女のこの凡庸な感想に、近くにいたクルーがあっけにとられて苦笑した。リフィーシュアが恥ずかしそうに妹の頭を叩く。
「そういう訓練受けてるんだから当たり前でしょ!もう、恥ずかしいわね…あんた、ゼファーもああやって艦隊率いてるってわかってる?」
「そっか…兄さんってすごいね」
「…はあ…」
 リフィーシュアは思わず溜め息をついた。二人のやり取りを見ながらシェータゼーヌも隣で笑っている。
「君達は姉妹だけど全然似てないな」
「そうね、この子はどっちかといえばゼファーに似てる気がするわ。どこかこう…惚けてるのよね」
「そうかな…私は普通のつもりなんだけど…」
 セフィーリュカは煮え切らないといったように首を傾げた。
「姉さんは…性格、お母さんに似てないよね」
 不意にセフィーリュカがぽつりと口にする。リフィーシュアは遺伝子的には母親のシオーダエイルとかなり似通っている。それに伴って性格的にもう少し似ていてもおかしくはないのではないかと、以前からセフィーリュカは思っていた。
「母さんだって一見頼りなさそうなところ、あるでしょ?私までそんなだったら…家が成り立たなくなっちゃうじゃない」
 リフィーシュアはそう言って僅かに俯いた。
「…長女だからって、責任感じてるのか?」
 シェータゼーヌに言われて、リフィーシュアはしばらく何も言わなかったが、小さく首を振った。
「そんなに深刻に考えてないわ。もう誰も失いたくないだけよ…」
「姉さん……」
 セフィーリュカは姉を見上げた。リフィーシュアは彼女に微笑むと、彼女の頬を優しくつねった。
「それに、時々こうやってあんたをからかってストレス発散してるから大丈夫」
「そんなぁ…」
 セフィーリュカが情けない声を出す。シェータゼーヌは微笑ましそうに姉妹を見ながら笑っていた。
 艦橋内に通信機の音が響く。エヴェスの通信士が一言二言対応し、艦長のフィックに何やら報告している。フィックは頷くと、セフィーリュカ達に声をかけた。
「突然で申し訳ないが、旗艦を訪ねてもらえないだろうか」
「え?どういうことですか?」
 セフィーリュカがエルステン語で聞き返す。
「私個人の判断であなた方をエヴェスに乗せてしまったが、本隊に復帰した今ではその権利は私にはないのでね。司令の許可を取るために報告したところ、本人達に出頭させるようにと」
 フィックは本当に申し訳ないという表情で、セフィーリュカにそう言った。セフィーリュカは快く頷く。
「わかりました。ご迷惑をおかけしてすみません」
「案内役としてメティーゼを連れて行ってくれたまえ」
 セフィーリュカはフェノンから、メティーゼが機能喪失してコアルティンスによる修理を受けていると聞いていたので、すぐに返事出来なかった。
「でも、メティーゼさんはまだ…」
「心配無用よ」
 セフィーリュカの声を遮り、メティーゼがセフィーリュカ達の方に向かって歩いてきた。後ろから、コアルティンスとフェノンもついて来ている。
「司令の所まで送っていけばいいのね?艦長」
「ああ、よろしく頼むよ」
 メティーゼは踵を返して一同について来るよう言うと、そのまますたすたと艦橋を出て行った。フィックがやや心配そうにコアルティンスを見る。
「博士の腕を信じない訳ではないが…メティーゼは大丈夫か?」
「身体面での活動に問題はありません。精神面に関しては…10ナンバーについての意識構造が私にはまだ正確に理解出来ていないので、完全ではないかもしれません」
 フィックは納得しきれないといった顔で頷いた。フェノンがコアルティンスの袖を引く。
「置いていかれちゃうよ、行こう」
 フェノンが先頭に立ち、セフィーリュカ達は艦橋を後にした。廊下にも既にメティーゼの姿はない。フェノンは手首にある通信機をかざした。付近にヒュプノスがいれば画面に表示される仕組みになっているのだが、反応がない。
「あたし達はエヴェスの内部構造知らないのに…どうしよう」
 フェノンが困って一同を見上げた時、セフィーリュカの周りを飛んでいたムーンがすいとフェノンの前に出た。
「な、何よ…?」
 目の前でぴたりと止まったムーンを、フェノンがいぶかしげに見つめる。
「捜索対象を過去の戦闘記録より検索。サーチします」
 ムーンの黒い瞳が七色に変化する。全員が注目する中、ムーンは進行方向へとその向きを変えた。
「対象を捕捉。誘導します」
 そう言うと、ムーンは真っ直ぐ廊下を進んでいった。
「…何でも出来ちゃうんだね」
 負けたと言わんばかりにフェノンは肩を落とした。他の全員も驚いて立ち尽くしている。
「あんなにすごいもの、タダでもらっちゃって良かったのかなぁ…」
 セフィーリュカは突然不安になって口にした。リフィーシュアがコアルティンスを睨む。
「後でフォルシモ家からすごい額の請求書とか来ないでしょうね?」
「さあ、僕に言われても…」
 彼は困った様子で言葉を濁した。実はムーンの製作者であるラノムは彼にとって一番近い血縁であるのだが、別の惑星で暮らしていても連絡一つ取り合わない。彼が物心ついた時からそうであったし、それが不自然でも不自由でもなかった。
「そんなこと言ってる場合か?また置いていかれるぞ」
 一人冷静にムーンが飛んでいくのを見送っていたシェータゼーヌが進行方向を指差して全員に言う。セフィーリュカ達は我に返り、急いでムーンを追いかけた。
 近距離移動用のシャトル、その前にメティーゼは一人立っていた。追いついてきた一同を一瞥した彼女は特に謝罪の言葉もなくシャトルに全員を乗せた。

 第八艦隊旗艦ザムルのクルーは、エヴェスのそれに比べてより軍人らしいとリフィーシュアは感じていた。人種の違いだろうか。エヴェスには『熱の民(イル)』と呼ばれる、肌の浅黒い者達が多かったように思われる。皆それなりに仕事はこなしているようだが、艦橋でヴァルケータが航宙士に操舵の指導としているなどといった場面も見られた。また、戦艦ではあるがどこか和やかな雰囲気を感じたものだ。しかし同じ艦隊内でも、ザムルにはそういう者達が少ないようだ。リフィーシュアがそのことをメティーゼに問いかけると、彼女は面倒そうに答えた。
「確かにエヴェスにはイルが多いわ。…だから私とヴァルケータは稼働していられるのよ」
「?」
 メティーゼはそれ以上何も語ろうとしなかった。相変わらず先頭で後ろを顧みないまま、すたすたと先を急ぐ。背の小さいフェノンなどは歩幅が合わず、小走りしていた。
 案内された艦橋に待っていたのは二人の青年士官だった。入ってきたメティーゼを見て、指揮杖を持った方の士官が少しだけ動揺したように視線を泳がせた。
「エヴェスの客人を連れてきました」
 無感動に言ったメティーゼに、士官は頷いた。
「プロティア人だそうだな。私の言葉は通じているか?」
「私がエルステン語を話せます」
 セフィーリュカはそう言って会釈した。士官が彼女の方に向き直る。
「第八艦隊司令ブレード・リオヌ・レティウスだ。君の名前は?」
「セフィーリュカ・アーベルンです」
 フルネームで名を告げた司令に違和感があったが、礼を欠いてはいけないと思い、自分もフルネームで名乗った。一瞬ブレードの表情が強張ったように感じたのは気のせいだろうか。ブレードはコアルティンスを一瞥して再びセフィーリュカに視線を戻した。
「フォルシモ博士の船が故障して、エヴェスに保護されたそうだが…なぜ君達は彼の船に乗っていたのかね?」
「助けてもらったんです。シレホサスレンの…」
 言いかけて、セフィーリュカはコアルティンスを振り返った。彼が頷いたので、彼女は続きを話し始める。
「私達はシレホサスレンの機関にいたのですが、そこが攻撃にあったので一緒に脱出させてもらいました」
「君達の中にシレホサスレン人がいるのか?」
 ブレードの声が緊張の色を帯びる。セフィーリュカは首を振った。
「いえ、私達がその機関にいたのは偶然知り合ったシレホサスレンの人の紹介で…」
「攻撃にあうような機関に、一体何の用があって君達のような民間人がいたというのだね?」
 ブレードはセフィーリュカ、リフィーシュア、シェータゼーヌを見て厳しい口調でそう言った。フェノンがヒュプノスであることは彼にはわかっているらしい。
「乗せてもらった船が一時的に停泊しました。その船はエルステンに行くということだったので、その機関で出航を待っていたんです」
 嘘はついていない。しかし、その乗せてもらった船が人一人によって動かされていたオーパーツであるということはあえて語らなかった。どうしてそんなものに民間人が乗れるのか、と問い詰められるのは煩わしい。
 ブレードは依然として厳しい視線をセフィーリュカ達に送っていた。
「最後に聞こう。君達がエルステンに向かう理由は何だ?」
「…………」
 ブレード、そしてその後ろで控えている士官―副司令だろうか―はじっとセフィーリュカが答えるのを待っている。彼女には後ろを振り返って仲間に意見を求める時間を与えられなかった。鼓動が高まる。背中に嫌な汗をかいていた。
「……エルステンの人にさらわれた母を、捜すためです…」
 嘘をついて切りぬけるほど、簡単な対話ではないと感じた。ブレードの目をまっすぐに見据え、しっかりとそう語ったセフィーリュカを全員が注目した。気丈な少女を見るブレードの瞳が警戒の色を強める。彼は、セフィーリュカから目を離さないまま後ろの士官に命じた。
「この者達を捕らえよ」
 冷ややかなその言葉に、全員が戦慄した。士官がデスクの上のコンソールを操ると、艦橋内に数人の兵士が入ってきてセフィーリュカ達を拘束しようとした。
「何をするんですか!?」
 両手を後ろに回されたセフィーリュカがブレードに叫ぶ。彼は両腕を組んで彼女を睨んだ。
「現在、我々エルステン軍はプロティア軍と戦闘状態にある」
「な…」
 連邦の宇宙軍同士で戦闘が行われているなどと、俄かには信じられない。
「ダスロー政府から、ヒュプノスによって司令長官が誘拐されたと抗議がきている。それに乗じて、ダスローの第六艦隊と、プロティアの第五、第九、第十七艦隊が、我らがエルステンを侵略せんとしていると聞いた。…第五艦隊の司令の名は、確か『アーベルン』だったな…?」
 ブレードはそう言ってセフィーリュカに顔を近づけた。セフィーリュカは必死に首を振る。
「侵略なんて…兄さんはそんな恐ろしいことしません!」
「そうか、お前はアーベルン司令の妹なのだな。ならば、なおさら怪しい。言え、フォルシモ博士の船に乗っていた本当の理由を。お前達は第五艦隊のスパイなのではないのか?」

セフィーリュカの顎を片手でつまみ上げ問い詰めるブレードを、コアルティンスが止めようと割って入る。
「レティウス司令、それは違います!彼女達は本当に攻撃を免れるため僕の船に…」
「あなたには聞いていない、博士。あなたもこの者達の協力者として捕らえられたいのか。ダスロー政府の抗議の所為であなたが研究所を追い出されたことを、私は知っているのだよ?」
「くっ…」
 ブレードから侮蔑の視線を送られ、コアルティンスは何も言えなくなってしまった。
「さあどうなんだね、アーベルン嬢?」
 無理に肯定させようとするような口調へ反発するように、セフィーリュカは空色の瞳でブレードを睨みつけた。
「私達はスパイなんかじゃありません!それに、プロティアと戦う理由なんて、どこにもないじゃないですか!侵略なんて、あなた達が勝手にでっち上げたんでしょう!?プロティアのことが嫌いで、戦争したがってるのはあなたたちじゃ…」
「黙れ、小娘!」
 パチンと軽い音が響く。セフィーリュカはブレードに平手打ちをされて俯いた。後ろで兵士に捕まっているリフィーシュアとシェータゼーヌが彼女の名を呼んだ。
「ちょっと、その子に乱暴しないで!」
「それがエルステンのやり方だっていうのか!?」
 プロティア語で叫ぶ若者達をうるさそうに一瞥して、ブレードは鼻を鳴らした。
「よほど死にたいらしい。…望み通りにしてやろうか」
「やめて下さい!」
 静かに腰の銃へ手を回したブレードを止めようとコアルティンスが走り出す。しかし、途中で兵士に捕らえられて床に押さえつけられた。フェノンも銃を抜くまでもなく二人の兵士に両手を掴まれてしまっている。
 メティーゼはその様子をただじっと見ていた。
「…!」
 ふと、目の前の情景がぐにゃりと彼女の中で崩れ始める。それは数日に一度訪れる記憶並列と同じ現象だった。彼女の意識がこの時だけ何か他のものに支配される感覚。
―お前はエルステン政府を裏切ったのだ―
―やはりプロティア人など信用すべきではなかった―
「(誰?誰の記憶なの、これは…?)」
―違う、私は裏切ってなんか…!―
―黙れ!この惑星を滅ぼすためにプロティアから送られたスパイなのだろう!?―
「(いいえ、私は知っているわ。彼女は裏切り者じゃない)」
―勝手なこと言わないで!あなた達は『彼』の悲しみを知らないからそんなこと言えるのよ!もうこれ以上、罪もない人間を同じ目に合わせちゃいけない!―
―…おしゃべりの時間は終わりだ。トナ。この女を殺せ―
「(トナ…No.11…。ルーズフトス博士が唯一、他人に贈ったヒュプノス…)」
―トナ……あなたに、会え、て…よかった……ルーズ、フトス博士に…感謝、を…―
―博士はこんなことを望んでいなかった。…けれど、今なら私は…あなたのために―
「(!?)」
―馬鹿な!?解除コードはこちらにあるんだぞ!?―
―そのシステムが勝手に起動するはずは…!?―
「……っ…」
 記憶が乱れた。砂嵐が脳内でひどいノイズを作り上げる。メティーゼは我に返り、拳を握り締めた。
 目の前の映像が戻ってくる。ブレードがセフィーリュカの頭に銃を突きつけていた。メティーゼはゆっくりとブレードの元に歩き始める。
「自分達の計画に邪魔ならば徹底的に排除する…。そういうやり方しか出来ない…」
 不意に近づいてきたメティーゼに、ブレードは不審げに視線を移した。
「何を言っている、No.13…」
「四十年以上もニンゲンを見ていたのに…あんた達の歴史を、記録を…忘れていた。汚い…汚い記憶…!」
 メティーゼの赤い瞳が鈍い光を発する。次の瞬間、目にも留まらぬ速さで二丁拳銃を抜き取ると、メティーゼは肘でブレードの顔を打ち、そのままセフィーリュカを床に伏せさせて、皆を捕らえている兵士達の肩や足などを矢継ぎ早に撃ち抜いた。兵士から解放されたリフィーシュア達にはかすり傷一つない。
「メティーゼさん?どうして…」
 見上げるセフィーリュカを立たせ、目で艦橋の外へ出るように合図をする。
「話は後よ。こんな所で死にたいの?」
「No.13、貴様何を…!?お前もバグが…」
「バグなんて起こしてない。これは私の『意志』よ。私の中には八人分の記憶がある。これ以上あんたを、リオンを信じられない」
 口から血を流したブレードがメティーゼを睨み付ける。彼女も厳しい表情で彼を見つめていた。彼女がブレードを牽制している間に、セフィーリュカ達は艦橋から脱出することに成功していた。銃を構えて警戒しながら、メティーゼも艦橋を後にする。ブレードは副司令を振り返った。
「追撃させろ。奴らをこの船から逃がすな!」
 艦橋を出た一同は走って乗ってきたシャトルを目指していた。一番前を走るフェノンが予備の小型銃に弾を装填し、後ろを走る民間人達をちらりと振り返る。
「(複数人を護衛しながらの船外脱出…。あたしとメティーゼだけで、守りきれるの…?)」
 実戦経験に乏しいフェノンの人工知能では、明確な答えがはじき出せなかった。緊張した様子で走るフェノンの周りを、ムーンが飛んでくる。フェノンはにこりと微笑んだ。
「頼りにしてるよ」
 一番後ろにメティーゼが追いつく。彼女は通信機に呼びかけていた。
「こちらNo.13。ヴァル、訳あって司令を裏切るわ。ここからは民間人の保護を最優先に行動する。エヴェスから小型揚陸艇を一隻奪って合流して欲しいの。艦長には謝っておいて」
 一方的でぶっきらぼうに通信を切ると、メティーゼは右手の銃を後ろに向けて発砲した。追いかけてきた兵士の一人が呻き声を上げて倒れ込む。
「そんな通信で大丈夫なの、No.13?」
 フェノンが不安そうにメティーゼを見る。メティーゼは表情を変えないが、どこか自信を感じさせた。
「ヴァルならわかってくれるわ。いつでも私と同じ気持ちだって信じてる」
「そ、そう…」
 10ナンバーの精神構造はフェノンにわかりそうにない。ただ、互いに強い絆で結ばれているということは羨ましいと思う。裏切りようがない、十で一つの意識。
「それより、追っ手の数が気になるわ。ここは仮にも旗艦なんだから、それなりに白兵戦を得意としているはずなのよ」
「ムーン、敵の数はわかる?」
 セフィーリュカが尋ねると、ムーンは瞳を虹色に光らせて何やら検索し始めた。
「前方から十人、後方から三十人…このままでは挟撃されます」
「…予想以上ね。No.51、前は頼むわよ。その変な機械と一緒なら十人くらい余裕でしょ?」
「了解!皆は適当に隠れててね」
 フェノンはそう言って周りの壁を指差した。白兵戦を想定して、ザムルの廊下は壁に凹凸があったり、様々なオブジェが置いてあったりして、十分に隠れられそうである。
 前後から足音が聞こえる。フェノンとメティーゼは立ち止まり、セフィーリュカ達を隠れさせた。セフィーリュカとリフィーシュアは植え込みの裏側、シェータゼーヌとコアルティンスは壁際に背をつけて、それぞれ敵襲を待った。ムーンはセフィーリュカとフェノンの間を警戒しながら飛んでいる。
 始めに発砲したのはフェノンだった。両手に構えた銃が兵士の手元を的確に捉え、撃たれた手から銃が転がり落ちる。足元に転がったそれをフェノンは片足で押さえ込むと、ひょいと拾い上げて自分のホルダーにしまい込んだ。
 後ろではメティーゼが四人の兵士をぎりぎりまで接近させて一気に二丁拳銃で撃ち抜いていた。艦隊に配属されてからの実戦経験が多い彼女はフェノンよりも数段慣れた手付きで敵を無力化していく。
 銃声の飛び交う中、コアルティンスはしみじみと二人を見た。いつの間にか携帯端末を取り出して、何やら操作している。
「ヒュプノスの実戦を目の当たりにする機会なんてそうそうないですから、いいデータがとれますね」
「こんな状況なのに、フォルシモ家の人間ってのはやっぱり変わっているな…」
 横でシェータゼーヌが呆れた声を出す。植え込みに隠れている姉妹に目を遣ると、リフィーシュアがセフィーリュカを抱きかかえるようにして小さくなっていた。
 フェノンとメティーゼは善戦している。二体は次々に襲ってくる兵士達を、息も切らさずに淡々と倒していった。殺そうとはしていない。うまく急所をついて気絶させているだけだ。そんな二体には傷一つついていなかった。
「これが、ヒュプノス…」
 セフィーリュカが驚いて姉の服を引く。リフィーシュアも緊張した様子で二人を見ていた。
「二人が味方で良かったわね…」
 それは心の底からの感想だった。フィオグニルが皆に銃を向けた時、フェノンが牽制してくれていたことの重要性を今改めて知った。
「はい、終わり!もう来ない?」
 フェノンがマガジンを取り出して弾を替えながらムーンに尋ねるとムーンは黒い瞳を光らせた。
「前方、敵殲滅を確認。後方部隊、更に展開。早急に前進することを勧めます」
 ムーンはフェノンやメティーゼに合わせてエルステン語を発した。メティーゼが振り返り、一同に首で合図する。
「その機械を先頭に走って!後方の守りを固めるわ、No.51は私の援護に回りなさい!」
 一部隊を倒し終えたメティーゼも両手に持った銃のマガジンを取り替える。フェノンは彼女の横に走り、そうしながら皆に手で走るよう合図をした。両側面に隠れていた四人が駆け出す。既に後ろから兵士達の足音が聞こえ始めていた。
 ムーンはどこに向かえばいいのか把握しているらしい。黙々と廊下を突き進んでいく。
「来たときと同じシャトルに乗ればいいんですか!?」
 セフィーリュカの声にメティーゼが頷く。
「そうよ。宇宙空間に出て、艦砲に撃ち落されずに済めばヴァルが拾ってくれるわ」
 撃ち落されればそこで一環の終わり…とは考えたくなかった。全員、無心で走った。
 後方でメティーゼとフェノンが次々と追手を退けていく。一民間人のセフィーリュカは銃撃戦などとは無縁の世界に生きていたが、不思議とこの状況を怖いとは思わなかった。色々なことが起こりすぎて感覚が鈍っているのかもしれない。しかし、何より二体のヒュプノスを信頼し始めているということが大きいような気がする。今や完全に敵対してしまったエルステンの産物であるというのに。
「見えた!」
 セフィーリュカはムーンのすぐ後ろを走りながら、目の前の扉を指差した。ザムルに乗り込んだ時にシャトルを止めた臨時格納庫である。しかし、彼女は来た時には開いていたその扉が今は閉まっていることに気付いた。扉の前に立ち止まり、セフィーリュカはひやりと冷たい鉄の扉を叩く。ドアノブのようなものはどこにもない。扉は何をしても開かなかった。
「データ解析…。この扉は当艦のシステムによりロックされています」
 ムーンが淡々と告げる。追いついてきたコアルティンスが軽く舌打ちする。
「遠隔操作されているようですね。制御室を占拠すればロックを解除出来ますが…」
「制御室の場所なんてわからないわよ」
 リフィーシュアは言いながら複数の足音に気付き、はっと後ろを振り返った。
「制御室、位置確認。この区画より三キロ西へ向かい、転送装置を二つ越えた先です」
「遠すぎるよ…私達じゃ逃げ切れない」
 ムーンはセフィーリュカの言葉にそれ以上応えなかった。足音が近くなり、フェノンが困惑したように、全員を最低限守れる位置に立ち直した。メティーゼは既に二丁拳銃を死角のない位置に構えている。二体共徹底抗戦を決めているようだ。
 その時、不意に何か大きな物音が近づいてくるのを、扉に背を当てていたセフィーリュカだけが気付いた。
「…何か、近づいてくる…?」
「! 伏せてっ!!」
 異常に気付いたメティーゼが全員に向かって叫ぶのと、轟音がザムルの廊下に響き渡ったのはほとんど同時だった。耳をつんざくような爆音と共に、廊下の壁に亀裂が生じ、それはすぐに巨大な穴になった。
「な、何っ!?」
 当然のことながら外は宇宙空間。宇宙船に穴が開くということは、そのまま生物の死を意味する。そんな中、リフィーシュアはとっさに自分が生きていて、しかも言葉を発していることの奇妙さに気付かなかった。
「…ムーン?」
 セフィーリュカは自分の頭上にふわふわと浮いているてるてる坊主を見た。黒い瞳は相変わらず感情を持たないが、そのボディのいたるところから青色の光が放たれている。それが美しい膜となり、セフィーリュカ達を包み込んでいた。爆発によって飛んでくる壁の破片が、膜を境に粉々に飛び散っていく。
「守って、くれてるのか…」
 シェータゼーヌは驚いたようにムーンを見て呟いた。
「これを、ラノム母さんが…」
 ラノムが気まぐれで少女に与えた機械。その恐ろしさをコアルティンスは今更ながら感じていた。フォルシモはどこへ向かおうとしているというのか。これが世界の流れだとでもいうのか。
 爆風が収まり、周囲を覆っていた煙が晴れ始める。その先には、何人かの兵士が倒れていた。突如突っ込んできた何かに対応しきれなかったらしい。その廊下に刺さっているものは、大きな金属の塊のようだったが、セフィーリュカには一瞬でそれを判別することなど出来なかった。
「エヴェス……!?」
 メティーゼが困ったような、懐かしむような声を出す。一同は信じられないといった顔で彼女を見ていたが、やがてその塊の先端部が大きく開かれ、そこからヴァルケータが出てきたのを見て、彼女の言葉が真実であることが証明された。
「無事か?」
 ヴァルケータは赤い瞳を一同に向けた。どうやらエヴェスは隙間なくザムルに突っ込んだらしい。廊下には一陣の風も吹いていない。真空では行動することの出来ないヴァルケータが涼しい顔で立っていることが何よりの証拠である。ムーンはそれを察したのか、青い膜をゆっくりと自分の中へと吸収させた。
「ヴァル…私は小型揚陸艇を一隻でいいって言ったはずよ。どうして…」
「艦長命令だ」
 ヴァルケータはそれだけ言うと、さっさとエヴェスの中へ戻っていった。全員が慌てて追いかける。
 エヴェスの中を歩き始めると、すぐ後ろから衝撃が伝わってきた。どうやらドリル状の船体先端部をザムルに突き刺し、そのままそれを戻そうとしているらしい。
「あれでしばらくザムルは動けんだろう。突撃艦の有用性が証明されたな」
 艦橋まで生還した一同に、艦長のフィックはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「どうして来たんですか!?反逆者は私とヴァルだけで充分です。あなた達まで悪者になることないのに…!」
 穏やかに微笑んで顎鬚を撫で付けるフィックをメティーゼが問い詰める。彼は微笑を崩さなかった。
「ヴァルケータから聞いたよ。司令は皆さんを殺そうとしたそうじゃないか。司令とはいえ、エヴェスの客人に勝手なことをされては困る」
「艦長……」
「でも…私達はプロティア人です。エルステン軍はプロティア軍と戦闘を始めたと聞きました。なのに、どうして助けてくれるんですか?」
 先程のブレードの痛いほどの視線を思い出して、セフィーリュカは少し怯えたようにフィックを見た。
「君達は民間人だ。軍人には民間人を救う義務がある、それだけだよ。人種なんて関係ない。……それが我々『絆の民(ディミオ)』の考えであったのに、いつからだろう…『冷の民(リオン)』が抑圧してしまった」
 フィックは悲しげに呟いて、セフィーリュカから目を逸らした。そして小さくすまないと謝った。彼は振り返り、艦橋を見渡すと威厳ある声で命じた。
「エンジン再点火。六十度回頭後、全速前進。これより当艦は艦隊を離脱する。しかし、諸君らに私のわがままを強要する気はない。反逆罪を恐れる者はシャトルで脱出し、他艦に助けを求めよ」
艦を降りる者は一人としていなかった。