Gene Over│Episode5赤きヒトの涙 04亡霊

「それ、本当?」
 フェノンは創造主を見上げて呆然とした。第八艦隊所属戦闘艦エヴェスの廊下を忙しく行き交う士官やら整備士やらが、隅で話し合っている若い科学者と幼い人型兵器を時折ちらりと見遣っては通り過ぎていく。エヴェスには長い間メティーゼとヴァルケータという二体のヒュプノスが配備されているものの、その他のヒュプノスを知らないので珍しいのだろう。
「ああ、僕は第七研究所を解雇されたんだ」
 コアルティンスは漸く事実をフェノンに伝えていた。フェノンは動揺した様子でコアルティンスの瞳を見つめている。
「どうして…」
「ヒュプノスの暴走が行政委員会で問題にされたんだ。フィオグニルに次いで、ロイゼンとヴェーズも命令に従わず、隠されたプログラムに則って動き始めてしまった。…誰かが責任を取らなくちゃならなくなったんだよ」
「どうしてそれが博士なの?博士はヒュプノスを暴走させるような人じゃない!そんなの、皆わかってるはずでしょ!?」
「人間の社会はそういうものなんだよ、フェノン。高い地位を得ればそれだけ生きるためのリスクが増えるんだ」
 まだ成人にもなっていない身ながらそこまで達観している若い科学者は、悔しそうに拳を握り締めた。
「わかんないよ、そんなの…わかんない…」
 創造主以外の人間と触れ合ってまだ日の浅いフェノンは混乱して俯いた。生きていくことの辛さ、兵器であり感情を持つ自分にはおそらくずっとつきまとうのだろう。でも、まだ生に幻想を持っていたかった。社会がきれいなものであると、子供のように信じていたかった。
「でも、このまま引き下がっている気はないんだ」
 コアルティンスが不意にポツリと口にした。その声にフェノンもゆっくりと顔を上げる。
「こんな半端な責任の取り方じゃ納得出来ない。どうしてこんなことが起こったのか、真実が知りたいんだ。だから僕はエルステンに行く。後から行政委員に何を言われても知るもんか」
「博士…」
「一緒に行こう、フェノン。一緒に三人を止めよう」
 コアルティンスはそう言ってしっかりとフェノンの赤い瞳を見た。フェノンは力強い彼の決意に緊張に似た感情を覚え、数秒後漸く頷いた。
「必ずあたしが守るよ…博士」
 フェノンの凛とした返事は、一瞬フィーノを彷彿とさせた。

「…航行俯角が六度ずれている」
 いつものように、艦橋の後方部でヴァルケータは航宙士に淡々と言い放った。エヴェスの航宙士はヒュプノスである彼の言い分に腹を立てるわけでもなく、素直に操縦桿を握り直した。
「こ、こうか?」
「ずれの修正を確認。…その調子だ」
 ヴァルケータに頷かれて、黒い肌の航宙士は胸を撫で下ろした。黄がかった色の肌をした壮年の穏やかな艦長は二人のやり取りを満足げに頷いている。
「私達にとってヴァルケータやメティーゼは、なくてはならない存在ですね」
 副艦長のグラ・イル・パーセル准尉はそう言って、航宙士の元を離れ今度は通信士の補助へと向かったヴァルケータを目で追った。艦長フィック・ディミオ・クローゼ少尉は先ほど第七研究所から送られてきた軍所属ヒュプノスの定期調整の結果に視線を落とす。
「君はこれに目を通したか?」
「いえ、まだです」
「二人の仲間は、ついにいなくなってしまったようだ」
「では、10(テン)ナンバーが…?」
 10ナンバーとは、チアキによって造られたヒュプノスのうち十一体目から二十体目の個体群を指す。
「……第一級民(リオン)率いる艦においては、ヒュプノスの能力など使い捨てのものでしかないということなのだろう。いくらそういう仕様だとわかっていても、私ならば決してその決断に踏み切れないのだが…」
「それが人として当然の感情だと私も信じていますよ、艦長。兵器とはいえ…彼らはあまりに、人間に近すぎる」
 立ったままヴァルケータの様子を見遣っているグラの横で、フィックは艦長席の背もたれに深く寄りかかった。窓越しの宇宙を虚ろに見上げる。
「艦長、この報告はメティーゼとヴァルケータに見せたのですか?」
 グラは報告書を手に取り、フィックの耳元でヴァルケータに聞こえないように尋ねた。フィックはゆっくりと首を振る。
「伝えようと伝えまいと…二人は知ってしまう。10ナンバーの特性はお前も知っているだろう?」
「記録並列…ですか」
 10ナンバーは十体で一体として扱われることがある。一定期間毎にそれぞれが得た経験をアダム内の共有サーバーに蓄積されることで十体が等しく機能するためだ。極端に表現するのであれば、この共有サーバーが10ナンバーというヒュプノスの本体であり、人型を持つ十体はその子機という位置づけだ。この特別な仕様は、ヒュプノス量産のための試作体として組み込まれているものである。
「あの二人は次回の並列時に仲間の死を擬似的に追体験させられることになる。合計で八人分の痛みを二人は背負う」
「これ以上二人を傷つけたくはありませんね」
「無論だ。……この艦にいる限り、あんなシステムなど使わせるものか」
 フィックはグラの浅黒い手から返された報告書をデスクにしまい込むと、堅く目を瞑った。


 ひたひたと小さな音を立てて、彼はひたすら暗闇の中を歩いていた。足の疲労など、既に他人事のようで、そもそも自分には疲労を感じる器官などないのではないのかと疑うほどである。彼の手には銀色の球体が握られている。
「………」
 ルドは立ち止まるとふと横を振り向き、壁にそっと片手を当てた。目を閉じて意識を集中する。
「……どこにいるの…?」
 尋ねても答えはなかった。ルドはチアキを捜していた。とても近くに聞こえていた『声』なのに、今はしんと静まり返って何も言ってこない。しかし、ここにいることは間違いないのだ。この巨大な兵器の内部から、ずっとルドのことを見て、語りかけていたのだ。
 何としても確かめなければならない。
 知りたい。創造主の正体を。
 聞きたい。自分は何のために生まれたのかを。
 廊下を歩いていると、ふと広い場所に出た。
 ルドは自分が通ってきた長い回廊を顧みて、もう一度今入ってきた室内を見回した。
 とても大きな機械が、部屋の中央で動いている。その機械から何百本ものコードが伸びて、天井まで届いている。その天井にも何やら大規模な機械があって、それが規則的な音をたてて動いている。
「心臓の、鼓動…?」
 天井を見上げたまま、ルドは呟いた。規則的な音の正体を識別しようとする。
―来たか……―
「!」
 肩が震える。ルドは視線を部屋の中心部に向けた。中心の大きな機械から、あの声が聞こえた気がした。
 ゆっくりと、機械に近づき始める。頭のどこかで、近づいてはいけないと警告しているのか、足取りは重い。それでも、ルドは確実に『それ』に近づいていった。
 『それ』は何重もの機械の層に守られていた。壁のように立ちはだかる機械をくぐるように抜けると、部屋の丁度真ん中の位置に、一つのカプセルが置いてあった。薄黄色の液体で満たされた、透明のカプセル。ルドは、その中に入っているものをゆっくりと見遣った。
 それは長い紐のように見えた。百足の足のようなひだがたくさん付いた紐。その紐が天井に向かって伸びている。ゆっくりと見上げるように紐を目で追っていき、紐の最上部を見た時、ルドは目を見開いた。
「…あ…あぁ…」
 恐怖で顔が引きつる。
 紐の先端に位置する液体の中に浮かんでいたのは、人間の脳だった。まるでカプセルを一人の人間と見立てるかのように、ぴったりと、丁度いい幅で脳が浮かんでいた。そして、紐だと思っていたそれは、見事にその脳と結合している。それは、脊髄だった。
―お前とこうして向き合うのは初めてだね、No.44―
 頭上で声が聞こえる。
 あの声が。
 見上げたくない。
 それでも、ルドは無意識の内に、天井を見上げてしまった。
 ルドを見下ろしていたのは、小さなスピーカーだった。そのスピーカーから何本もコードが伸びていることに気づき、ルドはそれを目で追った。そのコードの辿り着いた場所は、カプセルの中の、脳。
「……あなたは…何?…どうして…」
 ルドは震える声をようやく絞り出した。後ろを振り返って逃げ出したい気持ちを必死に抑えるが、無意識に数歩後ろへ引き下がる。
 なぜ、なぜこのような状態で声を発することが出来るのか。
 『生きて』、いるのか。
 彼女は果たして『人間』と、呼べるのか―。
―そんな、化け物を見るような目をしないで欲しいね。私はお前にとって生みの親だというに…―
 少し傷ついたような声が頭上から降ってくる。
「生みの親って…本当に、あなたが…?」
 訳が分からず、ルドは震える声で尋ねた。信じられない。造るも何も、手も足もないじゃないか。
―そうさ、私は八年前にお前を完成させた。もちろん、その当時は私にもきちんとした肉体があったが―
 ルドの疑問を汲み取ったように、スピーカーから流れてくるチアキの声はさも名残惜しそうであった。
―銀河同盟軍に捕まった挙句、こんな趣味の悪い兵器の起動素体として組み込まれてしまった。機械に人格を移しているなど、これではお前達と何ら変わらぬ―
「…………」
 どこか哀しげなチアキの声に、ルドは後退するのを止め、一歩ずつ部屋の中心部へ近づき始めた。
「あなたは…ここに囚われているの?…僕に、助けられる?」
―無論。お前をここに呼び寄せた理由の一つでもある―
 懇願するでもなく、チアキは淡々とルドにそう告げた。そんな彼女―の脳と脊髄が入ったカプセル―に、ルドは指先で触れる。カプセルが、その先に繋がる機械が、どのように連結されているのか、ルドは瞬時に全てを把握出来た。チアキの生命維持を残したまま、不要なケーブルを次々と外していく。
―どうやらここは第一宙域のようだが…お前のタイムラナーの扱いには粗暴さがあるな。他人からの干渉の所為なのか、システムがいかれているのか…。まあ、敵のオーパーツを暴走させるほどの力があるということはよくわかった。これで事を運べる―
 ルドがケーブルを外していく間、チアキはそう呟いた。黙々と動いていたルドの手が不意に止まる。
「……もう、人殺しは嫌だ…。もう、血を見るのは嫌だ…」
 ルドの乾いた赤い瞳は、自分の両手を凝視している。
―元々お前はそういう仕様ではない―
 ぶっきらぼうにチアキが言う。ルドは僅かに顔を上げた。
―あの薄汚い行政府の奴らが、ダスローへ送り込んだお前にどんな命令をしていたのかは知らんが、本来お前の力は、破壊のためのものではないのだ…―
 チアキはそれ以上何も言わなかった。ただ、液体の中に浮かぶ脳が、妙に悲しげに見えた。ルドはケーブルを外す作業を再開し、数分後にはチアキの入ったカプセルを自由にすることに成功した。カプセルを手に抱くと、意外なほど小さかった。脳と脊髄がむき出しの状態であることは何だか憚られたので、他の機器が入った黒いケースへカプセルをそっと収め、更にスピーカーもその中へ入れ込んだ。
「…僕、あなたの役に、立てた?」
―……ああ、悪くない働きだ―
 恐る恐るルドが尋ねると、彼の腕の中へ納まった黒いケースから返答があった。
 壊したり殺したりではない方法で、初めて貢献出来た。
 ルドは安堵で小さく息をつき、自らの創造主をしっかりと抱くと、ゆっくりと歩き出した。


 博士はいつだって優しくなかった。
 私達10ナンバーは捨て駒なのだと 何度も言い聞かせられた。
 でも、博士が懸命に自分自身に対しそう言い聞かせているように見えたのは、私だけなのだろうか。
「…………痛い……」
 メティーゼはベッドの上に寝転がったままで、自分の身を抱きしめた。全身をバラバラに引き裂く感覚と悲痛な叫びがアダムを支配する。
 10ナンバーの仲間であるNo.19シャルヴェスが破壊された。誰から聞いたわけでもない。知りたくなくても知ってしまう。彼の中に蓄積されてきた記録が、感覚が、全てが並列化されて流れ込んでくる。
―死にたくない―
―どうして俺には選べないんだ―
―フィーノ(No2)は選んだじゃないか…!―
「……っ…!」
 両耳を押さえる。意味はなかった。でも聞きたくなかった、死の間際の仲間の声など。
―ニンゲンは勝手だ―
―自分で造ったモノだからどうなってもいいと思ってるんだ―
―滅ぶべきは…―
「……っ…!」
 造物主を呪う声がメティーゼを縛る。
 この手を持ってすれば、脆いニンゲンなどすぐに葬り去ることが出来る。理性を失えば。全てを不要と感ずるならば。七年前、フィーノの死を引き金にドーランはいともあっけなく殺したではないか―。
「やめて、やめて…私は殺さないわ…。ニンゲン全てを憎んではいけない……悪いニンゲンばかりじゃ、殺されるべきニンゲンばかりじゃ……ない」
 メティーゼはつきまとうシャルヴェスの亡霊に、自分自身に、必死に呼びかけた。
 ここで狂ってはいけない。ここでタガを外してはいけない。
 今頃ヴァルケータも同じ苦しみに耐えているはずだ。二体で、10ナンバーの生き残りとして生きなくてはならない。生かさなければならない。
 エヴェスにいる自分達はきっと幸せなのだ。
 艦長のフィックは、偽りの生命体を否定しないでいてくれる。
 全てを絶望させるこの固有システムを使わせることなんてしない。
 『自爆システム』を使わせるなんて、あの人は決してそんなことしない。
「お願い、教えて下さい博士…。あなたはどうして私達を造ったんです…?あなたはどうして私達を見る時、あんなに悲しそうな目をしたんです…?」
 薄れゆく意識の中、懐かしいチアキの姿を見た気がした。手を伸ばしても届かなかった。
 不意に、メティーゼの中枢器官が過負荷に耐えられなかったのか、一時的に彼女の全システムがダウンした。メティーゼはベッドの上にパタリと倒れ込むと、眠るように機能を喪失した。