Gene Over│Episode5赤きヒトの涙 02赤きヒト

 アロースティルの破損状況を見た修理業者はぽかんと口を開けて一言「どこを飛んできたらこうなるんですか?」とリフィーシュアに聞いた。その言葉は現地の言葉だったので、業者の連れて来た星間通訳がプロティア語でリフィーシュアに問いかけ直す。リフィーシュアは両腕を組み、大げさに溜め息をついて見せた。
「第五宙域から飛んできたから…知ってるでしょ、四回も時空転移しなきゃいけないのよ?手違いで恒星に近づき過ぎたり…あと…ほら、こんな真っ黒な機体だから同盟軍のスパイ船と間違えられて宇宙警察に攻撃されたりとか…した訳よ」
 まさかブラックホールに吸い込まれてここに飛ばされて来た、とは言えない。真実を話したところで信じてもらえないだろう。リフィーシュアは適当に言いつくろったが、信憑性が薄いと判断されたのか、数人来ていた技術者達は揃って不審の眼差しを若い女性航宙士に向けた。
「まあ、仕事ということなので引き受けますが…。ただこの壊れ方じゃウチでどれほど直せるかわかりませんなぁ」
 一番年長らしい中年の技術者が目を細めてアロースティルを見遣った。
「急いでるのよ。転移システムとか難しいところはこの際目を瞑るから、せめて基本航法でエルステンまで辿り着ける程度までは修理してもらえない?」
 アロースティルはリフィーシュアの船ではないが、この場には持ち主がいないので適当に判断させてもらっても構わないだろう。中年技術者はまだ不安気にリフィーシュアとアロースティルを見比べていたが、やがて観念したように頷いた。
「やれるだけやってみましょう。ただ、機材がとても足りないようなので、必要なものを揃えて明日から修理に取り掛かるということでいいですかな?詳しい見積もりはその時で」
 面倒な案件だと思って逃げるんじゃないわよ、とリフィーシュアは言いかけたが、何とかそれを抑え作り笑顔で了承の意を示した。
 技術者達が引き上げていくのを見送って、リフィーシュアは疲れた表情でハッチからアロースティルの内部へと戻った。キャビンのドアが開いているのを見て、廊下から覗き込んでみると、セフィーリュカが彼女に気付いた。
「あ、姉さん。修理始まるの?」
「ううん、明日からだって。まったく、とんだ貧乏惑星だわ。船を修理することがどれだけ大事なことがわかってないんじゃないのかしら!私のこと女だからって馬鹿にして…!」
 リフィーシュアは悪態づきながら、廊下を歩いていった。
「……」
 呆気に取られたセフィーリュカとシェータゼーヌはお互いの顔を見合わせ、苦笑した。
「自分の船じゃないのにあんなに真剣になって…彼女はよほど宇宙船が好きなんだな」
「そうですね。自分の船だったらヒステリーかも…」
「きゃあああああっ!」
「そうそう、あんな感じに…」
 そこまで言って、セフィーリュカは一瞬硬直した。シェータゼーヌも何が起きたのか状況が飲み込めないまま固まっている。一番先に動いたのはムーンだった。セフィーリュカの周囲を一周してそのまま廊下に出て行く。二人はそれを見て漸く何か非常事態が起きたことに気付き、慌てて立ち上がった。セフィーリュカが先導して廊下へ飛び出すと、目の前でリフィーシュアが床に尻餅をついていた。
「姉さん、どうしたの!?」
「動くな!」
 駆け寄ろうとしたセフィーリュカの声と、甲高いエルステン語が重なった。セフィーリュカが声のした方を見ると、ハッチの丁度真ん中に一人の少女が立っていた。年齢はセフィーリュカと同じか、少し下くらいに見える。きれいに切りそろえられた短めの髪は鮮やかな赤色で、同色の瞳がアロースティルの廊下で動きを止めた三人を等しく睨み付けていた。手には小ぶりの二挺拳銃がしっかりと握られており、左手の銃はリフィーシュアの額、右手の銃はセフィーリュカの前に立ちはだかっているムーンの頭部にしっかりと狙いを定めている。
「何よ、このダサイ人形」
 ほぼ無意識の内にムーンへ銃口を向けたのだろう。改めて標的の姿を確認した少女が、その愛らしい顔からは想像出来ないような辛辣極まりない口調でムーンを挑発した。
「マスター、攻撃許可を」
 まさか挑発に乗るわけがないのだが、ムーンが突然口を開いた。セフィーリュカは許可を出さなかった。
「赤い瞳…あなたは、もしかしてヒュプノスですか?」
 ムーンを下がらせ、セフィーリュカはエルステン語で少女に問いかけた。一般的な軍服とは異なるようだが、左肩に宇宙連邦軍所属であることを示す紋章が描かれていることにセフィーリュカは気付いた。少女は不機嫌そうに眉を顰め、ムーンを狙っていた銃口をセフィーリュカの方へ転じた。
「あんた、自分の立場分かってんの?質問するのは私の方。この船の持ち主はどこよ?船内に監禁しているのだったら、今すぐに解放した方が身のためよ。さあ、答えなさい!」
 少女は一気に捲し立てると、セフィーリュカに接近した。左手の銃の照準をリフィーシュアから少しも外さぬまま、右手の銃口をぴたりとセフィーリュカの胸に当てる。
「皆から離れて!!」
「!」
 急に開いたハッチの外から、フェノンが飛び込んできた。腰のホルダーに差してある愛用の銃を両手で構え、寸分の狂いもなく少女に狙いを定めている。ただ、その引き金が引けないことを、お互いに理解していた。
「……」
 フェノンの声に、少女はゆっくりと両手の銃を下ろした。そして忌々しそうにフェノンを振り返る。
「私に指図するっていうの?生意気だよ、No.51。……いつまでそうやって構えてるつもり?撃とうとしても無駄なの分かってるでしょ、馬鹿じゃないの?」
「…くっ…」
 悔しそうに相手を睨み付けたまま、フェノンは銃を下ろした。少女が緩慢な動作で二丁拳銃をホルダーにしまい終わるのを確かめた後で、フェノンも銃をホルダーに収めた。
「No.51、あんたは第二艦隊にいたんじゃなかった?まさか役に立たないからって追い出されたの?」
 少女は意地悪そうな笑みを浮かべ、フェノンに歩み寄った。フェノンは何も言わず、相手を睨み付けている。
「それともあの部隊、壊滅でもした?役立たずが揃ってたもんねぇ…廃棄処分予定個体が五、六体いた…」
「皆を馬鹿にしないで!メティーゼこそ、どうしてこんな所にいるの!?」
 漸く反論してきた相手に冷たい軽蔑の視線を送ると、ヒュプノスNo.13メティーゼは目にも留まらぬ速さでフェノンの首に片手をかけ、徐々に力を込めた。
「私の半分も稼動してないガキのくせに、気安く個体認識名で呼ぶんじゃないよ。私にデリートシステムがあったら、真っ先にあんたを破壊してやるのに…!」
「…う……」
 一定以上の力をかけることは出来なくても、メティーゼの手にこもった力は十分フェノンを苦しめた。見ていられなくなったセフィーリュカが止めようとした時、開きっぱなしのハッチからコアルティンスともう一人赤毛の少年が走り込んできた。
「やめろ、メティーゼ!」
 少年は二人の所へ走り込むと、メティーゼの手を振り払った。メティーゼが憎しみのこもった赤い瞳で彼を一瞥する。コアルティンスは苦しそうに首元を押さえて咳き込むフェノンに駆け寄った。
「大丈夫、フェノン?」
「博士、下がってて…危ないよ」
 フェノンはコアルティンスを後ろ手に庇い、メティーゼから守った。メティーゼは、彼女とよく似たもう一人のヒュプノスに腕を掴まれたまま、憎らしそうにそのヒュプノスを睨んでいる。
「ヴァル、外部の索敵をしていてって言ったでしょう」
「メティーゼが無茶をしないよう監視しろと、艦長に言われている。…現状は穏便に収束可能だと判断した」
 ヒュプノスNo.14ヴァルケータは、相棒のメティーゼとは正反対の落ち着き払った様子でそう言い、首を横に振った。メティーゼは観念したように肩を落とし、それを見たヴァルケータが掴んでいた腕を離した。コアルティンスがフェノンの前に進み出る。
「メティーゼ…久しぶりだね。第八艦隊の船が停泊しているのはわかっていたけど、君達が乗っている船だったんだね」
「…フォルシモ博士、どうしてこんな辺境にいるのよ?」
「話せば長くなるけど、仕事で第五宙域にいたはずが第一宙域へ強制的に飛ばされてね。アロースティルの修理をするためにハインへ寄ったんだ。君達こそ、どうして急に武器なんて持ち出して…」
「俺達は治安維持のための哨戒任務中でした。砂漠での任務を終えて戻ったところアロースティルが停泊していて。遠目にも船の損傷がひどく、何らかの戦闘後、敵勢力の手に落ちたのではないかと予測を立てました。フォルシモ博士の姿が見えず、見慣れぬクルーばかりだったので」
 憮然としているメティーゼの横で、ヴァルケータが淡々と説明した。
「ご、ごめんなさい…」
 成り行きとはいえ、正式にクルーとして登録されていないのは確かだ。思わず小さな声で謝ったセフィーリュカの方を、メティーゼが振り向く。
「…あんた、随分若い技術者ね。専門はプログラミング?それとも感情メンテナンス?」
「彼女達は研究所の関係者じゃないよ。訳あってエルステンに行く途中なんだ」
 コアルティンスの説明にメティーゼは一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに興味を失ったようにセフィーリュカから視線を逸らした。
「別に誰でもいいけど。それにしてもエルステンに行くったって、こんなボロボロの船で行くつもりなの、フォルシモ博士?」
 メティーゼがそう言ってハッチの外を見遣る。ここに侵入する時に外装の壊れ具合を見てきたらしい。
「この星の物価なら何とか船を買い換えることが出来るかもしれないけれど、アロースティルを失うのは惜しいからね」
「…エヴェスで輸送するよう、艦長に掛け合ってみましょうか?」
 ハッチの壁を触りながら、メティーゼが呟く。エヴェスというのは彼女とヴァルケータが所属する、第三区画に停泊中の軍艦のことである。フェノンが不審気に彼女を見る。
「何を企んでいるの、No.13」
 仲間を製造番号で呼ぶことに違和感はある。しかし、個体認識名で呼んでまた攻撃されたくはなかった。
「失礼ね、これでも反省してるのよ。民間人を危険にさらしたことは軍規に触れるし。それに…フォルシモ博士はこのままエルステンに行っても入港させてもらえないんじゃないかと思ってね」
「…どういうこと?」
 フェノンが首を傾げる。コアルティンスは悲しげにメティーゼを見ていた。おそらく彼女は彼が研究所の所長を解任された事実を知っているのだろう。メティーゼは彼が未だフェノンにそのことを告げていないのだと見て取ると、溜め息をついて首を横に振った。
「…色々あるのよ。とにかく、アロースティルごとあんた達全員をウチの艦に乗船させるわ。いいわよね、ヴァル?」
「ああ、任務中に民間人を保護したことにすれば問題ないと思う。」
 ヴァルケータが頷く。フェノンはまだ訳がわからないといった顔でコアルティンスを見上げた。
「いいの、それで?」
「メティーゼの言う通りなんだよ。確かにアロースティルがエルステンの宇宙港に入れる保障はないんだ。二人に従おう」
 コアルティンスはセフィーリュカ達の方を見ると、船が度々変わって申し訳ないと謝ったが、話の一部始終を理解出来たセフィーリュカはともかく、エルステン語がまるでわからないリフィーシュアとシェータゼーヌはただ曖昧に頷くことしか出来なかった。
 修理業者に修理中止を申請してから、アロースティルはリフィーシュアの手動運転で隣の区画に停泊していたエルステン圏軍の第八艦隊所属突撃艦エヴェスの臨時格納庫に積み込まれた。積み込みが終わると、すぐに整備班の人間達が集まって来てアロースティルの破損状況や修理の手順などを語り合い始めた。材料が足りないのかこの場で修理することは不可能のようだが。
「他の仕事は良いのかな…」
「ここは暇人の集団なのよ」
 アロースティルを囲んだ技術者達を呆然と見ていたコアルティンスに、メティーゼが皮肉を言った。直接司令からハインの哨戒を命じられたのはメティーゼとヴァルケータの二体であり、下手に軍人が惑星内を歩き回って住民を怖がらせてはいけないと判断したエヴェスの艦長が調査終了まで艦内の人間をほとんど軟禁に近い形で待機させているのだと言う。
「何だかひどく遠回りさせられてるけど、今度はちゃんとエルステンに辿り着けるんでしょうね…」
「結局、軍艦に密航してるよな、俺達…」
 リフィーシュアとシェータゼーヌは心配そうにエヴェスの船内を見回した。セフィーリュカも不安でないわけではなかったが、今は信じるしかない。
「哨戒が無事終わったことを話したら、艦長は嬉しそうだった」
 一足先に艦橋へ報告してきたヴァルケータはそう言って肩をすくめた。彼の話によればエヴェスは準備が整い次第、本隊と合流するためにハインを出発するらしい。
「すごく穏やかなヒトなんだけどね…さすがに待ちくたびれたんでしょ」
 メティーゼは少し呆れたように俯いて言った。
「…エルステンの戦艦にプロティア人なんか乗せて大丈夫なんですか?」
 セフィーリュカが小声でコアルティンスに尋ねる。彼は優しく頷いた。
「メティーゼ達の船は第二級民(ディミオ)と第三級民(イル)で構成されていますから。…エルステンの人間全てがプロティア人を嫌っているわけではありません」
「ディミオ?イル?それ、何ですか?」
「エルステンは自転も公転もしない人工惑星です。それでいながら恒星アルガードと非常に近い位置にある」
 アルガードは大昔人類がまだ地球に存在していた時から恩恵を与ってきた太陽と同程度の光度とエネルギーを持つ。
「それって、アルガードに近い側に住んでいる人達には夜がないってことですか?」
「ええ。…エルステンが第二宙域からの移民で作られたというのはご存知ですか?一番多かったのは惑星ホワルからの移民者です。ホワルには元々階級制度があり、上位に属する者と下位に属する者とで、自然とエルステンにおいての居住区域が分断されました。上位の者は『冷の民(リオン)』としてアルガードの反対側、下位の者は『熱の民(イル)』としてアルガードに面する側、そして中位の者は『絆の民(ディミオ)』としてその中間区域に。そして三つの民の間は未だに昔からの差別社会から逃れられない…」
「知りませんでした…。では、プロティア人を嫌っているのはその…『リオン』だけなんですか?」
「そうです。彼らは自分達と対等、いえそれ以上の科学力を持つプロティアを一方的にライバル視しているんですよ」
 そう語るコアルティンスの目は悲しそうであったが、どこか力強い何かも秘めているようだった。きっと彼もプロティア人として、エルステンの者達に寄せる複雑な思いがあるのだろう。
「フォルシモ博士、ちょっといいかしら?」
 少し遠い場所から声がかかる。二人が声のした方を振り返ると、メティーゼが気難しそうな表情で手招きしていた。コアルティンスが一人で歩いてくるのを確認すると、メティーゼもやや彼に近づき顔を寄せた。周囲にフェノンがいないことを確認する。
「研究所のこと、どうしてNo.51に話さないのよ?」
 メティーゼは単刀直入にそう切り出した。コアルティンスは心の準備が出来ていなかったのか、数秒視線を泳がせた。
「…言わなくちゃいけないのはわかってるよ。でも…話したらフェノンはきっと悲しむから…」
「馬鹿なこと言わないで。いい?伝える権利があるのはあなただけなの。No.51のことを一番わかっているのは、あなたでしょ?」
 メティーゼの赤い瞳が細められる。彼女は不意にコアルティンスから視線を逸らした。
「柄にもないこと言っちゃったわ。でも…ちゃんと伝えてやりなさいよね」
「…ああ、わかった。ありがとうメティーゼ」
 コアルティンスが礼を言うのを聞いたか聞かないか微妙なタイミングでメティーゼはその場を去った。コアルティンスが彼女を見送っている間に、エヴェスの船体が揺れた。どうやら発進準備が整ったようだ。近くに窓がないのでわからないが、おそらくエヴェスは徐々にハインから遠ざかっているのだろう。
「僕はあなたが時々わからなくなります。けれど、あなたの造ったヒュプノス達には、僕のことがよくわかるみたいですよ。あなたには僕のことなどお見通しだったんですか、ルーズフトス先生…」
 砂の星を抜ける。
 コアルティンスは懐かしい師を遠くに思い描いていた。