Gene Over│Episode5赤きヒトの涙 01砂の星

 一面に広がる砂漠。その一角に作られた素朴な墓地。
 一年中、強い日差しと吹きすさぶ砂嵐にさらされる場所。
 周囲を覆う柵は時とともに風化し、墓石に刻まれた文字も読み取れなくなっているものが多い。
 寒暖の差が激しい砂漠に似つかわしくない軽装の少女は、そんな墓地を一人歩き回り、とある墓石の前で足を止めた。彼女の軽い体重でも足が徐々に埋まっていく。それをまるで気に留めず、赤い瞳で墓石を見つめた。その墓は他の墓とは様相が違うことを彼女は知っている。
 墓石の下に、眠っているはずの者は眠っていない。骨は埋められず、ただ墓標だけが遺された墓。
「こんなものに、何の意味があるっていうの…」
 少女は眉を顰める。汗ひとつかいていない乾いた顔。無感動にしばらく墓石を見つめた後で、利き手とは反対側に取り付けてある通信機のボタンを押した。土地柄電波が悪いのかひどいノイズが入る。短気な少女は舌打ちすると乱暴に通信機の電源を落とした。
「役立たず」
 ぽつりと呟き、ゆっくりと目を閉じる。言葉を意識にのせる。数秒後、意識の中に揺らぎを感じた。自分が自分であって自分でなくなる感覚。年を経て漸く慣れたが、この感覚はどうしても好きになれない。しかしそう文句を垂れても仕方がない。
「私達はそうやって造られてるの」
 意識の向こう側にいる人物へ向かって、少女は目を閉じたまま語りかけた。言葉として伝わらなくても彼女の感情は電気信号として相手に届けられたようだ。やがて彼女を宥めるような感情が作り物の心の中に流れ込んできた。
「ふん、何さ。自分だって不満に思ってるくせに」
 一瞬、意識のパルスが乱れた。
「ほら、やっぱりね。私達はどうせ『試験体』で『失敗作』なのよ」
 自虐的な台詞を言えば言うほどパルスの乱れが大きくなる。これは果たして相手を傷つけているのか、それとも自分を傷つけているのか。
 少女は赤い瞳で、自らの創造主が眠るはずであった砂の奥底を冷ややかに一瞥すると、全ての興味をそがれたかのように墓地から遠ざかり、二度と振り返ることはなかった。


 惑星ハインは、第一宙域の中では一番文明の遅れた惑星であり、エルステンと対極の関係にあると言える。
 人が住むには申し分ない大きさの星ではあるが、宇宙連邦に属する惑星の中で二番目に重力が大きく、人口も少ない。季節風の影響でほとんどの地域が年中悪天候でありなおかつ人の住めない砂漠地帯も多いため、観光として訪れる者も少なければビジネスとして使われることも少ない。ただ、土地だけは有り余っているせいか、宇宙船を安く大量に停泊させる事業が近年発展しつつあるという。経費を削減したい小規模の民間船航宙企業などはハインを仮の事務所とすることが増えてきているらしいと、リフィーシュアは上司から聞いたことがあった。
 そんな惑星であるからだろうか。他の発達した惑星と違い、アロースティルの入港は容易であった。船の星籍がエルステンであるのに通信士として対応した少女がプロティア人であることに、宇宙港の管制官が少し怪訝そうな表情を示したものの、アロースティルは無事にハインの宇宙港に停泊することが出来た。
「随分安く停めさせてくれるのね。逆に心配になるわ」
 プリンタから印刷された宇宙港利用に関する請求書を切り取ったリフィーシュアは何度も値段の桁数を数えた。プロティアの宇宙港で同じ様に修理のための停泊などしたらゼロがあと一つか二つ増えるのではないだろうかととっさに頭の中で計算する。
「先進惑星のようなサービスを受けられるとは決して言えませんが、出来る限りのことはしてくれると聞きますから大丈夫ですよ」
 宇宙港内にある格安の宇宙船修理サービスを検索しながら、コアルティンスはリフィーシュアに笑いかけた。そういう彼自身も、ハインで修理サービスを受けるのは初めての経験である。
「そうならいいけど…治安が良さそうな星には見えないのよね」
 そう思うのは、宇宙港のタラップ内に常駐している警備員の数が他の惑星よりも少ないからだろうか。それとも全体的に人が少なくて何だかもの寂しいからだろうか。実際アロースティルの停泊している近くに他の民間船は見受けられない。
「他に船はいないのかな」
 セフィーリュカも姉と似たようなことを考えたらしく外の様子を見ている。観光惑星の出身である二人には寂しい宇宙港など想像も出来なかった。
「民間船はいないみたいですけど…隣の第三区画に軍艦が一隻停泊していますね」
 コアルティンスがセフィーリュカの問いに答える。
「一隻?ハインってよほど資金がないのね。一隻じゃ、戦ったってまるで勝ち目がないでしょうに」
「いえ、ハインに連邦軍は常駐していません。これは…エルステン宇宙軍第八艦隊のもの…ですね」
「余計訳がわからないわ。艦隊に属してるならなおさらどうして一隻しかいないのよ?」
 リフィーシュアが考え込むのを見て、セフィーリュカは「修理じゃない?」と思いついたことを言ってみた。しかしコアルティンスが首を横に振る。
「宇宙港の様子を見る限りでは…修理している感じではありませんね。哨戒任務中か、特殊任務を受けた分隊かもしれません」
「もしくは過酷な環境で、演習でもやってるのかもしれないわね」
 リフィーシュアは能天気に呟いて窓の外を見遣った。照りつける日射しに思わず目を細める。
「リフィーシュアさん、アロースティルのこと、お任せしても良いですか?少し外出してきたいのですが」
 同じく窓の外を見たコアルティンスがリフィーシュアに声を掛ける。リフィーシュアは腕時計を見てから頷く。
「問題ないわ。どうせ修理が終わるまでここから動けないんだから」
「すみません、すぐに戻ります」
 言うなり立ち上がったコアルティンスの袖を、フェノンが引っ張る。彼女は心配そうに彼を見上げた。
「あたしも一緒に行く」
「フェノン…君はもしもの時に皆さんを守ってあげて」
「でも、博士一人じゃ心配だよ」
 セフィーリュカは二人のやり取りを見ながら横目でムーンを見た。すっかり直って、正常に機能しているようだ。ときどき内部で電子音を響かせながら、セフィーリュカの周りをくるくると旋回している。
「ムーンがいますから、私達は大丈夫です。だからフェノンちゃんを連れて行ってあげてください」
 セフィーリュカの申し出に、コアルティンスは少し戸惑ったようにフェノンを見た。
「…わかった。一緒に来て、フェノン」
 そう言って彼はフェノンに頷いて見せた。
 二人が出て行って、残された姉妹は残された仕事について考えた。リフィーシュアはこれからやって来る修理業者に色々と指示をしなければいけなかった。ハイン語での通訳が必要かとセフィーリュカが尋ねると、姉はこの場合、業者が星間通訳を連れてくるのが一般的なマナーなのだと教えてくれた。そういうことならと、セフィーリュカはまだキャビンで臥せっているシェータゼーヌの様子を見に行くことにした。
 セフィーリュカは姉と別れて艦橋を後にするとムーンを伴ってキャビンへと向かった。小さくノックしてからドアを開けると、その部屋は昨夜セフィーリュカが寝泊りしたキャビンと同じつくりで向きだけ対称だった。質素だが機能的な作りの二つ並んだベッド。その廊下側にシェータゼーヌは横になっていた。目は覚めていたようで、室内に入ってきたセフィーリュカに気付くとゆっくり首を動かして彼女を見た。
「セフィー…ここは?」
 どうやら近くの天窓から外を眺めていたらしい。宇宙港の灰色の防音壁と、時折過ぎ行く整備士や管制官の姿が見えた。
「ハインです。宇宙船を直すために入港したんです」
「そうか…」
 シェータゼーヌが身体を起こそうとしたのでセフィーリュカは慌てて制した。
「まだ寝てなくちゃだめですよ!」
「もう平気だよ。ごめんな、急に倒れたりして…足手まといにならないって言ったのにな」
「あれは普通の時空転移じゃなかったって姉さんも言ってました…」
 全てに絶望しかけたあの闇の深さを思い出して、セフィーリュカは身震いした。今こうして無事に惑星内にいられることがまだ信じられない。
「本当に、大丈夫ですか?痛かったり気持ち悪かったりしないですか?」
「ああ。あの博士のくれた薬が効いたみたいだ」
 起き上がったシェータゼーヌは、確かに倒れたときよりも顔色が良くなっているように思えた。セフィーリュカは安心してほっと息をついた。
「レイトさんは…無事なんでしょうか?」
 恐ろしかった転移のことを思い起こしたときに、セフィーリュカはふと自分を導いた青年のことを思い出した。ディールティーンと共に戦場へ向かったとニーセイムは言っていたが、そのこととあの闇とは何か関係があるのだろうか。
「あの緑色の光に包まれたものが全部転移したのだとすれば、もしかしたら彼もこの宙域のどこかにいるのかもしれないな」
 シェータゼーヌの語る内容で彼の生死について触れられていなかったのはセフィーリュカへの思いやりだろうか。彼女もレイトアフォルトが死んだとは思いたくなかった。

「どこへ行くの?」
 現代的な宇宙港の西に広がるいかにも古典的な砂漠を歩き始めて数十分、漸くフェノンがコアルティンスに質問した。汗ひとつかかない彼女の横で彼は上着を日よけ代わりに頭からかぶり、宇宙港のフロントで購入したミネラルウォーターで時々水分補給をしながら無言で歩いていたが、フェノンの問いに立ち止まった。片手には小さな花束が握られている。
「お墓参りだよ。この砂漠には、ヒュプノスの初代開発者チアキ・ルーズフトス博士のお墓があるんだ」
「……ふうん」
 死んだ人間はもう何も言わないのに、そこを訪問して一体何の意味があるのだろう。フェノンにとっては、墓参りという人間の行動は奇怪以外の何物でもなかった。
 小さなオアシスを過ぎ、砂でできた丘を越えた所で、二人は歩みを止めた。目の前に簡単な木の柵に囲まれた墓石が雑然と並んでいるのが見えた。初めて見る墓地というものにフェノンは何かを感じたのか、怯えるようにコアルティンスのズボンにしがみついた。彼は彼女を引っ張るようにして歩きながら、ゆっくりと歩を進めた。
「…確かこの辺り…」
 最後にここに来たのは二年以上前だったろうか。とりあえずその頃よりここの墓石の数は増えているように思う。全く区画整理されていないので時々迷いながらも、コアルティンスは記憶を頼りに師の墓を探した。フェノンには、全て同じ石の塊に見える。石に名前が彫ってあるようだが、ほとんど判別出来ないほど風化しているものが多い。
「ここだよ、フェノン」
 コアルティンスの声がしたので、フェノンは駆け寄った。彼の目の前にある墓石はやはり風化が進みつつあるようで、かろうじて墓碑銘が読み取れる程度である。コアルティンスは膝をつくと、花束をそっと墓石の前に置いた。
「先生…なかなかお墓参りに来られなくて、すみません」
 膝をついたまま俯き目を瞑ったコアルティンスは、墓石に声を掛けた。
 声を掛けても『絶対に』その声が届かないことを、彼は知っている。
 この墓の下に、師の肉体は眠っていないのだから。
 八年前のあの日、エルステンが銀河同盟軍の急襲を受けたあの事件の日、師は騒動に巻き込まれて死亡した。
 彼女に養われ共に暮らしていたコアルティンスは偶然エルステン政府に保護されて無事だったが、当時十一歳の少年だった彼に、師がどのようにして亡くなったのか詳細を教える者はいなかった。遺体の損傷が激しいからと、出身惑星の宗教的な意義で墓は建てるがそこに遺体を埋葬することはないと説明された。故郷を捨てるような形でエルステンでのヒュプノス研究に没頭していた師が、果たして出身惑星ハインに墓が建つことを良しとするのだろうかと、子供心に感じたのを覚えている。
「(僕は、第七研究所にいられなくなってしまいました。先生が作り上げてきたものを引き継いで何とかやってきたのに…不甲斐ないです。でも、先生…僕には、あなたの目指していた『答え』がまるで見えない。あなたはヒュプノスを、何のために…)」
 所長を解任されたことは、まだフェノンに伝えていない。コアルティンスは口に出さず、心の中で師チアキに報告した。心の中で師への思いを伝え終わると、コアルティンスは徐に立ち上がりズボンについた乾いた砂を振り払った。背後で静かに佇んでいるフェノンを振り返る。
「戻ろうか。さ、フェノンも一緒にお辞儀して」
肩を叩かれ、フェノンは訳も分からず墓石に向かって頭を下げた。じりじりと照りつける光が、背中に降り注いでいた。