Gene Over│Episode4人間の尊厳 11接触

 他の艦隊と同様、第五艦隊もやはり第一宙域に強制転移させられていた。艦同士を分散させていたことと転移による多少の混乱もあったが、何とか全ての艦の無事を確認でき、また、近くを飛んでいた第六艦隊の艦ともすぐに合流することができた。
 しかし、はぐれてしまった第十七、第九艦隊と合流する前に、第五艦隊にはやるべきことがあった。
「環境スキャンを完了しました。電磁波、放射線など、全て危険値を下回っています」
 オペレーターの声にゼファーは頷き、艦隊全体に向けた通信を繋がせる。
「これより、正体不明船の拿捕を行う。作業者は、対象内に存在すると思われる人命の救助を最優先とすること。戦闘艦は有事に備え、臨戦態勢で待機を」
 全艦から命令受諾の通信が届いたことを確認し、ゼファーは外部を映し出したスクリーンに視線を転じた。作業の準備に取り掛かっていたオペレーターがシェーラゼーヌを振り返る。
「艦長、特殊偵察艦ザリオットと拿捕作業艇の発艦許可を」
「承認します。格納庫からハッチへの移送誘導を開始して下さい」
 艦長席のシェーラゼーヌが答え、オペレーターの操作で旗艦ロードレッドから数隻の小型宇宙船が飛び立っていった。拿捕作業専用の船を率いるように、先頭をザリオットが飛んでいく。
 拿捕する対象の宇宙船は二隻。いずれも、宇宙連邦のデータベースには該当のない船。
 剣のような形をした船は完全に沈黙しているように見えた。そちらは、第五艦隊内の別の戦闘艦から飛び立った作業艇が既に拿捕作業を始めている。
 もう一方の盾のような形をした船からは、超転移の直前に現れたものと同じ緑色の光が靄のように、断続的に放散されていた。ザリオットがその船の横へ停止する。

 がらんとした船内。
 壁を埋め尽くす、絵のような文様は何か意味のあるものなのだろうか?
「ヨハン、読めるか?」
「いえ…私はこのような言語を見たことがありません」
 盾型の宇宙船内でふと立ち止まり、チアースリアは自分の後ろを歩く人物を振り返った。同じ色の髪を持ちチアースリアより少し背の低い星間通訳の青年、ヨハンジーズ・アロラナールは、眼鏡を掛け直すように触りながら壁の文様を睨んでいたが、実の兄の問いかけに対して首を横に振った。ヨハンジーズの更に後ろを歩いているリゼーシュが、つまらなさそうに壁を軽く叩いた。
「古代遺跡って、こういう感じなんすかね?それにしても…どこにも機械設備が見当たらないけど…まさか未知のエイリアンが動かしているとかじゃないよな…」
「少尉、変なこと言わないで下さい。遺跡らしいという意見は興味深いですが…」
「進めばわかる。二人とも、気を抜くなよ」
 チアースリアは文様から視線を外すと、再び廊下を歩きだした。ヨハンジーズとリゼーシュも彼に続く。
 あまり広くはない船内。廊下の終わりが見えてきたようだ。三人の眼前に大きな扉が姿を現す。ここへ辿り着くまでの道のりには一つも扉が存在せず、人に会うこともなかった。どうやらここが唯一の『部屋』であるようだ。
「操舵室…でしょうか」
 扉や周囲の壁に何の表示もないことを確かめ、ヨハンジーズは首を傾げた。チアースリアが指先で扉に触れ、もう片方の手に銃を構える。彼はヨハンジーズを自分の後方へ立たせ、リゼーシュには自分と同じように武器を構えて待機するよう首で指示した。
「乗組員がいる可能性は高いだろう。…作戦内容を確認する。相手に言葉が通じるようなら、まずはヨハンに交渉を任せる。言葉が通じない、あるいは交渉決裂の場合は、俺と少尉で無力化し強制連行する。いいな?」
 リゼーシュとヨハンジーズが頷く。チアースリアは扉に触れた手に僅か力を込めた。重々しい見た目の割には驚くほど軽い力で扉が開いていく。
 扉を開け放っても、内部から人間が出てきたり、突然攻撃されたりすることはなかった。チアースリアが室内を見渡しひとまず危険がないことを確認すると、三人は恐る恐る室内へ足を踏み入れた。天井の高いドーム状をした部屋。どこか古代の教会や祭壇を彷彿とさせる厳かな室内。
「…待て」
 周囲を警戒しながら先頭を歩いていたチアースリアが不意に立ち止まり、後方の二人に足を止めるよう制する。
 彼の視線の先に、一人の青年がいた。
 ボサボサの青い髪をした、二十歳前後の青年が床に座り込んでいる。深い森の木々のような緑色の瞳は虚空を見つめており、三人が室内へ立ち入ったことにまるで気付いていない様子である。
「…あれ?あの時の…?」
 ぴくりとも動かない青年の不気味さにどうしたものかと思考を巡らしていたチアースリアの横で、リゼーシュが困惑した声を発した。プロティアでゼファーを助けにアーベルン家を訪ねた際、ゼファーや彼の妹と会話を交わしていた青年ではないか。
「少尉、この男を知っているのか?」
「た、多分…。確か、シレホサスレン人って…」
「本当ですか。では、手はず通りまず私が交渉を」
 困惑する二人の前にヨハンジーズが進み出る。彼は座り込んだ青年にゆっくりと歩み寄ると、青年の横に膝をついた。難解な言語なのであまり流暢には話せないが、シレホサスレン語で話しかける。
「我々はプロティア宇宙軍の者です。私は星間通訳のアロラナール。私の言葉は通じていますか?」
 ヨハンジーズが声を掛けても、青年はしばらくぼーっと虚空を見つめるだけで何の反応も示さなかった。しかし数秒後、怯えるように肩を震わせ、緑色の瞳を見開くと、両手で自分の頭を抱えるような素振りを見せた。
「……僕、は…」
 呟かれた一人称がシレホサスレン語であることに安心しながら、ヨハンジーズは彼に続けてかけるべき言葉を脳内で必死に探した。そんな彼の思考を断ち切るように、青年は突然振り返ると声を上げた。
「僕を殺してくれ!友人も、神も、裏切った僕は、けっして許されない!だから…!」
「お、落ち着いて!話を…」
 急に自らを殺して欲しいなどと言われたことに、恐怖に似た戸惑いを感じながら、ヨハンジーズは青年の肩を掴み落ち着かせようとした。だが、青年は抵抗して腕を横に振り払う。衝撃でヨハンジーズの眼鏡が弾かれてカツンと床へ転がった。
「ヨハン!」
 シレホサスレン語で交わされた会話の内容は全く理解出来なかったが、チアースリアとリゼーシュはヨハンジーズの交渉が失敗したのだと判断して駆け出した。リゼーシュが素早く青年とヨハンジーズを引き離す。よろめくように立ち上がった青年に駆け寄ったチアースリアは手にした銃を捨て、右の拳で青年のみぞおちを殴った。青年は抵抗する暇もなく気を失い、ぐったりとチアースリアの胸に抱きとめられた。
「大丈夫か、ヨハン?」
「はい…兄上、少尉、お役に立てず申し訳ありません」
 床に落ちた眼鏡を拾い上げたヨハンジーズは、小さな声で二人に謝った。抵抗されたときに爪を当てられたようで、彼の頬には薄い引っかき傷が出来ている。リゼーシュはチアースリアが投げ捨てた銃を拾いながら、無力化された青年の顔を覗き込んだ。
「なんか、切羽詰まった感じだったけど…?」
「かなり混乱していたようで、殺してくれ、と突然言われました。状態が落ち着いてから、話を聞く必要がありそうです」
 不意に、部屋全体が傾くような衝撃が走った。
「船の拿捕作業が完了する頃だな。彼の他には内部に人間はいないようだ。帰投するぞ」
 チアースリアは青年を自分の肩へ担ぎ、歩き出した。

 盾型の宇宙船で乗組員とトラブルがあったようだが、何とか無事に事態を収束出来たようだ。もう一方の宇宙船からも、乗組員と見られる青年が一人発見され、操舵室らしい部屋で血まみれになって倒れているのを保護した。かなりの重傷を負っており虫の息だということだが、救護艦で治療を始めていると先ほど報告があった。
「拿捕した二隻は、予定通り巡洋艦イオニスへ運搬されました。一隻から放出されていた光ですが、作業終了時には消えたそうです」
 オペレーターがゼファーへの報告を終える。ゼファーは彼を下がらせると、盾型の宇宙船から運び出されたという青年のことを考えた。セフィーリュカを宇宙へ誘った青年と同一人物であるとリゼーシュから聞いたが、それではセフィーリュカ達は今どこでどうしているのだろう。
「…司令、アーベルン司令」
 思い詰めた表情で俯いていたゼファーに、シェーラゼーヌが控えめに声を掛ける。彼女の声で我に返ったゼファーは、はっとして顔を上げた。
「ごめん、何?」
「第六艦隊のラルネ司令から通信です。あの…私が伝言を引き受けたほうがよろしいですか?」
「いや、大丈夫。…今は考え込んでいる場合じゃないな」
 シェーラゼーヌの心配そうな声に、ゼファーは無理矢理明るい声で答えた。通信スクリーンに目を遣ると、ルイスが桃色の髪を指先でくるくるといじっていた。枝毛を探しているようだ。
「お待たせして申し訳ありません、ラルネ司令」
「十数秒くらいでしたらお待ち出来ますわ、あたくし、心が広いんですの。まずは、正体不明船の拿捕、御苦労さまですわね」
 髪をいじる手を休め、本気か冗談か嫌味にも似たことを口にしたルイスはゼファーと目を合わせた。
「それで、これからのことですけれど…」
「はい。予定とはかなり異なりますが、第一宙域には辿り着けました。我々第五艦隊は、今後第六艦隊の指揮下に入ります」
 約束通り、ゼファーはルイスに指揮権を譲ることを申し出て、背筋を伸ばしスクリーン越しに敬礼した。ルイスが小さく頷く。
「了解しましたわ。まあ、先の戦闘でだいぶ艦数も減っていらっしゃるようですし、身元もわからない船のお荷物も積んで頂きましたので、第五艦隊にはあまり負担にならないようなサポートをお願い出来ればと思っておりますのよ」
「お気遣い、ありがとうございます」
「まずは、第十七艦隊と第九艦隊を探すことにしましょう。同じようにあの転移に巻き込まれたのでしょうから、第一宙域にいますわよね?」
「そう思います。無事だと良いのですが…」
 無事を祈る人物が多すぎて堪らないな、とゼファーは心の中で思った。


 旅行用の民間船ではないアロースティルのキャビンは、決して広いとは言えなかった。ただ、リフィーシュアの愛機アスラのそれよりは少しだけ広いらしい。セフィーリュカとリフィーシュアは、隣り合ったベッドで休んでいた。
「……」
 寝返りを打ったセフィーリュカは、薄く目を開けた。ベッド横の強化ガラス越しに、暗い宇宙が見える。プロティアの自宅から見上げる夜空とは異なり、全てを包み込み、飲み込み、どこか不安な気持ちにさせるような色をしていた。
「…姉さん」
 なぜだろう、姉を呼んでいた。返事はないだろうと思っていたが、背後で寝返りを打つ衣擦れの音を聞いた。
「ごめん…起こしちゃった?」
「ううん、目が冴えちゃって」
 慌てて小声で謝る妹に、リフィーシュアは少しゆっくりと答えた。完全に眠っていたわけではないようだが、多少まどろんでいたところだったのかもしれない。
「アスラのベッドと違うから…何となく寛げないわね」
「ふふ、姉さん、枕が変わると眠れないもんね」
「あら、そういう人って結構いるのよ?どこでも適応出来るあんたがうらやましいわ」
 くすくすと笑い声を上げるセフィーリュカの背中越しに、リフィーシュアが呆れたように溜め息をついた。少し休んで回復したものの、彼女にはしばらく倦怠感があった。しかし、セフィーリュカにとって超転移の身体的影響は皆無であったようである。
「…でも、宇宙って、ちょっと怖い…」
 セフィーリュカはしばらく笑っていたが、ふと窓の向こうに広がる宇宙を見遣ると、無意識にぎゅっと手のひらを握り締めていた。
「そう…。私は寧ろ落ち着くわ。嫌なこと、全部吸い込んで…忘れさせてくれるから」
 リフィーシュアはそう言って目を伏せた。セフィーリュカは、自宅で兄を介抱している際に彼女が言っていたことを思い出していた。父の死を知ったときのことを彼女の心へ刻みつけた、故郷の景色。晴れ渡る空。
「……お父さんのこと、思い出すから…姉さんはプロティアを離れたの?」
 つい口をついて出た言葉。口にしてから、セフィーリュカははっと息を飲んだ。
 五つ年の離れた姉が、幼い頃から宇宙船のことを好きだったのは知っている。航宙士になるのが夢だったことも。でも、十七歳で航宙士免許を取得した後すぐに就職を決め早々に家を出ていってしまったことが、セフィーリュカは妹ながらに寂しかった。遠くへ引っ越したわけではないけれど、一度見送ったら数か月、多忙な時期は半年くらい帰ってこない。姉は、家に残る自分や母のことをないがしろにしているのではないかと怒りを覚えたことすらあった。でも、その理由が、実はセフィーリュカの想像していたこととまるで違っていたとしたら、知らず知らずの内に自分は姉をひどく傷つけていたのではないだろうか―。
 しばらく、姉からの返事はなかった。頭の中で気持ちを整理しているのだろうか。やがてリフィーシュアは口を開いた。
「…多分、そうなんでしょうね。意識したことはないわ、でも……」
 指摘されて初めて気付くトラウマ。努めて明るく答えようとしたのだが、声が震えた。忙しさに紛れて忘れよう、抑圧しようとしていた気持ちに無理矢理向き合っている。
 宇宙へ旅立つとき、妹はいつも宇宙港まで見送りに来てくれた。いつも寂しそうな顔で見上げてくるから、後ろ髪を引かれる思いで、なるべく彼女の顔を見ないように操縦桿を握った。
 逃げているように思われていただろうか。半分以上は真実かもしれない。
「私は、情けないわね。情けなくて、弱虫…」
「そんなこと…!」
 リフィーシュアの小さな呟きに、セフィーリュカはベッドから起き上がって首を横に振った。大きな声を出したセフィーリュカに少し驚いたように、リフィーシュアも体を起こす。唇を噛みしめた妹の瞳は潤んでいた。
「…ごめんなさい、姉さん。私…姉さんのこと、何も知らなかった…」
 父に似た自分の姿すら、姉を傷つけていたのではないだろうか。不安になったセフィーリュカは、姉の顔を直視出来なかった。そんな彼女に、リフィーシュアは困ったように微笑む。
「…セフィーが謝ることなんて、何もないでしょ。だから、ほら…泣かないの」
 セフィーリュカのベッドへ移動し、リフィーシュアは彼女の肩を叩いた。優しい手に触れられ、涙を拭ったセフィーリュカは漸く姉を見上げる。いつも通りの、母に良く似た、でも母と違って少しだけ気の強そうな瞳が覗き込んでいた。
「あんたは優しいけど、自分を責め過ぎるのは悪い癖よ。私もゼファーも、なんだかんだ言って好き勝手にしているだけなんだからね」
「兄さんが宇宙で働いているのも、姉さんと同じ理由?」
 セフィーリュカが尋ねると、リフィーシュアは少し考え込んで首を傾げた。
「…どうかしら。そういう話ってしたことないわね。親の後を継ぐのが当然だから、なんて、さらっと言いそうな気はするけど」
「…うん、言いそうだね」
 真面目な顔で話す兄の顔を容易に想像出来る。
 セフィーリュカは窓の外の宇宙に視線を移した。全て終わってプロティアへ帰ったら、兄に直接聞いてみよう。ニーセイムに助けられて、漸く自分の存在を肯定出来るようになってきたのだ。少しずつ周りに目を向けて、姉や兄の背負うものを分かち合うことが出来たら良いと思う―。


「うまくいかないものだな」
 男は余裕を感じさせる低い声で―内心苛立ちを含んでいたとしても―呟いた。対峙する女は恐怖で震えそうな肩を抑え、必死に平静を装う。
「事象の要因は不明です。途中まで…プロティアまでは、システムを掌握出来ていたと確認出来るのですが」
「過程は関係ない。結果が全てだと、お前はまだ理解出来ないのか?」
「…申し訳ございません」
 語気を強めた男に、女は震える声で謝罪すると深く頭を下げた。男はつまらなそうに彼女から目を逸らし、デスク上の端末に触れる。
「まもなく第二艦隊が帰還するか。…こちらは予定通りのようだな」
「はい。現在のところ、システム異常は見られないようです」
 端末を見つめる男に、女はゆっくりと視線を戻して報告した。
「二度目の失敗は許されんぞ。…今回の作戦はエルステンの未来がかかっているのだ」
 男、アルソレイ・リオナシル・フォイエグストは、冷たい瞳で女を睨みつけた。
 自転しない人工惑星、エルステン。第一級民の都市には、薄暗く弱い衛星の光が、いつもと変わらず注いでいた。