Gene Over│Episode4人間の尊厳 06共鳴

 プロティアの安全は保障された。
 第五、第六連合艦隊は互いの偵察艦のデータ解析を終えてそう決断を下し、第十七艦隊と第九艦隊を援護するため当該宙域を移動し始めていた。
「突然申し訳ありません」
 ロードレッドに設けられた司令専用の個室。ゼファーはそこで密かにルイスと通信を交わしていた。彼女もヒューゼリアの司令室にいるようである。彼女の後ろに人影が見えたが、どうやら星間通訳らしい。ゼファーの言葉をルイスに伝えている。
「構いませんことよ。艦の移動が済むまで、どうせあたくし達は暇なのですもの」
 ルイスはそう言って、デスクの上に置いてあったらしい紅茶のカップに口をつけた。
「それで、あたくし個人にお話があるということは…誘拐の件ですの?」
 優雅にカップを置くと、ルイスはレモン色の瞳をゼファーに向けた。ゼファーは緊張した面持ちで小さく頷いた。
「母とラルネ司令長官を誘拐した犯人が、共にエルステンの人型兵器であるとしたら…なぜ二人が標的にされたのかを考える必要があると思うんです。情けない話ですが、僕は母が軍にいた時にどんな任務を負っていたのかを知りません。もし何かご存じであれば、教えて欲しいんです」
 ゼファーの要請に対して、ルイスは軽く腕を組むとゆっくりと思い出すような仕草をした。
「…あたくしも詳しくは教えてもらえなかったのですけれど…父は今の役職に就く前、複数の人種で構成された特殊部隊にいたと言っておりましたわ。エルステンの宇宙軍により発案された部隊で、確か…EDFとか」
「EDF…母がさらわれた時、犯人がその名を口にしていました。ということは、やはり彼らはそのEDFに所属していた人間を連行している可能性が高いですね。一体…何のために?EDFはどんなことをしていたんでしょうか…」
「…わかりませんわ。以前、父が話してくれたのは、そういう部隊があったということと…」
「…何です?」
 ルイスが続きを言うことを躊躇っているように見えたので、ゼファーはそれを促した。彼女はさりげなくゼファーから視線を外す。
「八年前…銀河同盟軍がエルステンを急襲した時、応戦するため前線へ出た部隊員のほとんどが亡くなってしまったということだけでしたわ…」
「…その中に、父が含まれているんですね…」
 ゼファーはふと八年前の記憶がフラッシュバックしてくるのを感じた。
 当時十二歳だった彼は姉に連れられ、嫌がる妹の手を引いて軍船発着所でボロボロに破壊された軍艦を見た。エルステンからプロティアまでよく飛んでこれたものだと、隣で祖父が呻いた声を今でも覚えている。救助隊が次々と運び出したストレッチャーの上の人間で生きているものはほんの僅かであるように思われた。最後の方に救助隊の肩を借りてそれでも自力で歩いて軍艦を降りてきた母シオーダエイルは血の付着した髪に構わず、空虚な瞳で虚空を見ていた。
 父の遺体が故郷へ帰ってくることはなかった。母は父と一緒に戦っていたらしいが、父の最期を子供達へ話すことはなかった。ゼファーも、傷ついた母に尋ねることなど出来なかった。
 八年前、どのような事が起きたのかは知らない。
 しかし、ゼファーの心にはその惨劇の『後』が刻み込まれていた。
「……」
 眉を顰めて黙り込んでしまったゼファーを、ルイスは心配そうに見つめた。
 彼女の父親ネイティは比較的大きな怪我もなく無事に帰ってきた。ルイスにとって八年前の事件というのは、自身が士官学校で忙しく立ち回っていたことも手伝ってかあまり重要な事件ではなかったように思う。しかし、目の前のゼファーにとっては親を奪う、幼い心を深く傷つけるには十分過ぎる出来事であったのであろう。
「…繰り返してはなりませんわね」
 何か言ってあげなくては。そう思っていた時、ルイスの口をついてそんな言葉が出た。ゼファーが顔を上げる。
「事件の質は違えど、あたくし達は何としても父達を救わねばなりませんわ。もう…退役した親を危険にさらしたくはないでしょう?」
 ルイスの言葉は優しかった。ゼファーは頷く。
「そうですね。…そのためには何よりもまず情報が必要です。何とかして情報を集めなければ…」


「あれだね」
 やや緊張を含んだ声がケーブルから伝わってくる。ディールティーンはそんな相棒にそっけない返事をして、自らの精神をロズベルのモニターと強く結合させた。
 今や宇宙の塵となった多くの銀河同盟軍の軍艦の間に、それは不気味に漂っていた。そんなに大きくはないが、鉛色をした球体はその得体の知れなさから多大なプレッシャーを周囲に与えていた。
「敵情報スキャン中…取得情報なし」
 ディールティーンの非人間的な報告に、レイトアフォルトは僅かに眉を寄せた。
「ロズベルに正体がわからないの?そんなこと今まで…」
「お前もシエスタに聞いてみろ」
 思考する前に、ディールティーンの苛立った声がスピーカーから響く。レイトアフォルトは肩をすくめ、シエスタとの交信をはかった。
「……ダメだ。シエスタにもわからないって」
「この二機は今まで相当数の軍艦や兵器に対応してきた。それが、今回は何の情報とも合致しないとなると…」
「あの兵器も、ロズベルやシエスタと同じ…過文明器(オーパーツ)…?」
 レイトアフォルトの重々しい言葉に、ディールティーンは息を呑んだ。二人はケルセイの院長ユグルによって、兵器の『破壊』を命じられてきた。この場に来るまではそのつもりでいた。これ以上罪もない惑星を消滅させるわけにはいかないから。
 しかし、そこには兵器が無人であるということが大きな前提として横たわっていたのだ。
 宇宙連邦も銀河連邦も等しく追い求める存在、オーパーツ。あまりに難解なその構造に多くの謎が残されている、まさに神の遺物と呼ぶに相応しいであろうこの物体において、現在少ないながらも知られている事実の一つに、オーパーツは生命体、特にヒトの意志によって制御されるものが多いということがある。自らこれらを制御する存在であるレイトアフォルトもディールティーンも、そのことが一瞬脳裏をかすめた。
 不意にロズベルが前進を始めたので、レイトアフォルトは思わず呼び止めていた。
「ディール…!」
「甘えは許されんぞ、レイト。やらなければ、こちらがやられるのだ。あれに乗っている相手もそれは覚悟しているのだろう…」
 未だその場を動けずにいるシエスタを置いて、ロズベルは兵器に接近した。カナドーリアを消滅させたあの青い光の発生は見られない。
「起動しているようには見えないな。敵であるはずの宇宙連邦の艦隊を攻撃しなかったようだが…起動者(ドライバー)の制御能力が未発達なのだろうか?」
 不気味なほどの静寂を守っている兵器を前に、ディールティーンは呟いた。
「レイト、いつまでそこにいるんだ?急いで任務を終わらせ、エルステンへ行かなければならないのではなかったのか?」
「それは…そうだけど…」
 背後から明らかに躊躇った様子の声が聞こえてくる。ディールティーンは困惑した。
 シエスタには敵対象を攻撃する力はほとんどない。実際に攻撃をするのはロズベルである。しかし、ロズベルはシエスタの支援がなければ戦うことは出来ない。シエスタはロズベルに対して、そして周囲の宇宙環境に対して『盾』として作用する。ロズベルが必要以上のエネルギーを発した時、それは深く宇宙を飲み込み宙域の一つや二つ、軽く吹き飛ばすことが出来るという。そのように強大な力を抑えるためにシエスタの協力が必要なのである。
「………」
 自分が協力しなければ友人の命が危険にさらされる。レイトアフォルトは漸くシエスタを動かした。彼には友人が敵と称される他者を殺す様を見ていることしか出来ない。それでも、多くの同じ時間を過ごした者の死よりも、名も知らぬ者の死の方がレイトアフォルトにとってはいくらか軽い。そう無理矢理自分を納得させる。
「システム稼働率100%に上昇…シエスタ、完全防御壁展開開始。完了まで、5、4、3…」
 レイトアフォルトがカウントダウンを始める。シエスタが淡い緑色の光を放ち始め、それが静かに周囲の空間を包んでいく。
 自身も光に覆われる中、ディールティーンは目の前の兵器がシエスタに呼応するように青白く光るのを見た。
「共鳴しているのか…?やはりあれは、オーパーツ…」

 恐い。
 恐い…。
 なぜそう感じるのかわからない。でも、ルドはただ漠然とした恐怖に襲われていた。
 ふと、目の前に四角いスクリーンが展開される。漆黒の宇宙空間に、剣と盾を模したような物体が映し出される。盾の形をしたものから緑色の光が溢れていた。
―この反応…オーパーツ…?…二体、対なるもの…シレホサスレンの奴らか―
 自ら創造主と名乗った『声』はルドにそう呟きかけた。
「僕はどうなるの…。恐いよ…ここから、出してよ…」
 弱々しくルドが懇願する。声、チアキはそんな彼を冷ややかに笑った。
―お前達に感情を組み込んだことを、少しだけ後悔するよ…何を恐れる必要がある、No.44?プロティアでお前は同盟軍の一個師団を壊滅させたのだろう。同じようにしてやればいい…―
「嫌だ!殺したくない…!どうしてそんなことをしなければならないの!?」
―それがお前の存在理由だからさ―
「え…?」
―お前は兵器としてこの私に造られた。大人しく言うことを聞いていればそれでいいんだよ―
「兵器…僕が…?」
 ルドは身震いして自分の体を抱きしめた。自分の『記憶』が始まった、ダスローでの生活。厳しくも暖かかった育ての親や兄弟姉妹。その全てが思い出される。人間と共に歩んできた時間。その中ではルドも人間だった。人間である、はずだった。機械を操る力も、不思議な声が聞こえることも、人間の中に埋もれている状態であればルドが人間であることを否定するための材料にはならなかった。しかし今、それが否定された。いとも簡単に。名前も知らなかった『親』によって。
「だったらどうして…どうして僕はダスローにいたの?あそこでは兵器としての役割なんてなかった。誰も教えてくれなかった…自分のことなんて、知らなかった…」
―タイムラナーのためさ―
「!!」
 銀色の球体に視線を向ける。ダスローで大切に安置されていたオーパーツ。門番を殺すまでして自分が奪い去った―。
―私はお前を探していた。私自身こんな兵器へ取り込まれ、自我を取り戻すことに随分な時間を食ってしまったが…その間にお前がそんなことのために使われていたとは…。『あの男』、一体何を考えているのか―
 彼女の言葉の半分も、ルドには理解出来なかった。タイムラナーを奪わせたのは、もしかするとチアキではないのだろうか。
―…シンクロ域だね。このような形でΩシステムの実動データを取ることになるとは…―
 周囲に張り巡らされた機械が動き出したのを感じ、ルドは鳥肌が立った。内部がモーターの回る風とエネルギーによる熱で満たされる。
「待って、何が起きるの…!?僕は嫌だ!もう誰も、殺したくないよ!止めて!お願い、止めてよ!!」
 チアキの声はもう聞こえなかった。兵器を起動するための触媒として、ただ道具のように使われたルドは、孤独な球体の中心部で叫び続けることしか出来なかった。

「な…っ!?」
 標的に全く動きが見られないのでやや躊躇いがちにロズベルを近づけたその時、目の前の兵器が急に光を発した。ディールティーンは少なからず驚き、ロズベルの砲門に仕掛けられた安全装置を全て解除した。剣状を呈したロズベルの表面に無数の砲門が現れる。
「突然動き出した!?レイト!すぐに攻撃に移る、援護しろ!」
 レイトアフォルトから返事はなかった。
「レイト?どうしたんだ!答えろ!」
 ディールティーンは何度も相棒の名前を呼んだ。しかし何の返答も得られない。
「…悲しい…」
 水面を小さく揺らすようなか細い声で、レイトアフォルトが呟く。ディールティーンは漸く返ってきた声に眉を顰めた。
「何を言ってる?」
「…そう、か…悲しいんだね………」
 シエスタを通して過敏なほどに周囲の様子を知覚しているレイトアフォルトは、兵器の中で叫び続けるルドの声を聞いていた。プロティアで出会い、名前の伝達しか意志の疎通が出来ないまま別れた二人は今、漆黒の宇宙で、互いの存在意義を固着させるために対峙した。レイトアフォルトは完全にルドの『ヒトでないもの』の波長に呑まれつつあった。
「レイト!しっかりしろ!くそっ…あの兵器の所為か!?」
 ディールティーンは舌打ちし、再びロズベルを兵器に接近させた。十分とは言えないが、シエスタによる対空間用防御壁は既に展開されている。この状態ならばロズベルが力を発揮することが出来る。
「すぐに終わらせてやる…!」
 砲門を開く。ディールティーンはロズベルに対して全神経を集中させた。赤い閃光が轟き、ロズベルの表面全てから放たれたそれはそれぞれ乱雑な軌道を描きながらも敵兵器を正確に目指した。瞬間、標的となった球体が血の様な赤に染められた。
「…やったか?」
 ディールティーンは目を凝らした。攻撃することに全ての同調(シンクロ)率をかけたので、索敵としての視覚器は同時に使えない。いささか原始的であるが、自分の目で敵の状態を見極めなければならない。この不便さはレイトアフォルトとシエスタにはわかるまい。
 必死に目を凝らしたが、それはやはりレーダーには遠く及ばなかった。敵から反撃の光が飛んできたのを、ロズベルは数瞬遅く警報によって警告してきた。
「…!」
 直撃の瞬間、ディールティーンは頭の回路をシールドに切り替えたので大破は免れたようだ。だが、体組織のほとんどをロズベルと直接リンクしている彼にとって、ロズベルが攻撃を受けたことは相当の衝撃を意味した。
「うああぁ…っ!」
 全身に痛みが走る。結線によって直接リンクしている彼にとって、もう少しロズベルとの同調率が低ければこんなに苦痛を強いられることはないのだろう。しかし、今ここでシンクロ率を下げ、周囲の状況から隔絶されるようなことがあれば、それこそ死への直結を意味するだろう。仕方なくディールティーンは最低限の動力元以外の回路を自分の体から直接切り離した。荒々しくコードを抜き取ったため、その箇所からは止め処なくシンクロの媒体としての血液が流れ始める。
「早めに、決着をつけたい…ところだな…。あれを破壊出来るか…俺が倒れるか…」
 一度深呼吸をして、ディールティーンはしっかりと前を見据えた。自らが攻撃した兵器はなおも目前に立ち塞がっているが、その一部から煙が見えた。先程の攻撃が全く効いていなかったわけではなさそうだ。
「それなら…攻撃を続けるまでだ…!」
 ディールティーンの灰色の瞳が力強い光を帯びた。

「一体何が起きているの…。恐い…もう、嫌だ…」
―まだ恐がっているのかい?本当に情けないね。安心しな、これは練習だ。きちんとオーパーツを制御出来るかどうかの単なる実験なのさ。お前が本来扱うべきオーパーツは、こんな殺戮のためのものではなく…―
 チアキの言葉は、ロズベルからの攻撃によって遮られた。床が揺れ、球体のタイムラナーがころころと揺れる。
―小癪な…邪魔しおって…!―
 その時、ルドにはチアキの殺気がすぐ近いものに感じられた。ドライバーとしてルドは兵器とリンクしている。それと同じように、チアキ自身も何らかの形で兵器に対するリンクを張っているらしい。
―きちんと稼動しているのが一機だけと侮り過ぎたようだね。いいだろう…全力で葬ってやる…―
「!…や、やめて!!」

 声が聞こえた気がして、ディールティーンは一瞬動きを止めた。
「な、何だ…?」
 ロズベルの聴覚を司るケーブルは切断してしまってある。人間一人の聴力で宇宙空間を隔てた音など拾えるはずがないのだが。
「違う…これは、ただの声では…」
 意識が混濁してきたのは出血の所為だけではないだろう。確かに声に似た波長がディールティーンの、いやロズベルの中枢を侵しつつある。
「ハッキング…?そんな、馬鹿な…!俺とロズベルのリンクが…切れ…」
 突如、身を裂くような衝撃がディールティーンを襲った。敵からの攻撃ではない。それはロズベルからの拒絶信号だった。
「ぐっ…なぜだ、ロズベル…!?」
 リンクを立ち直らせようと、ディールティーンは何度も再起動を試みるが、ロズベルは彼からの全ての信号を拒絶した。
「そんな、まさか…暴走だと…?」
 ディールティーンは自分の意志と関係なく砲門を開けたロズベルの中で、呆然と見ていることしか出来なかった。
 暴走を始めたロズベルは、敵を見定めぬまま、無差別に攻撃を開始した。強力な赤の閃光は、弱まりつつあったシエスタの防御壁をも突き抜け、遠く宙域中を駆け巡った。