Gene Over│Episode4人間の尊厳 04知ろうとすること

 第十七艦隊がプロティアから遠く離れた場所で銀河同盟軍の大艦隊に圧勝した頃、ゼファーは第五艦隊司令としての職務に復帰していた。臨時で司令業務を行っていたチアースリアと無事再会を果たし、旗艦ロードレッドを始めとする間に合わせの修理を終えた艦と共に宇宙へと旅立った。途中、第二艦隊が駆逐し損ねた敵の残存艦と単発的な戦闘を行ったが、いずれも大きな脅威とはならなかった。戦闘により多少時間を使ったが、宇宙へ出たそんな第五艦隊を迎えてくれたのはダスローの第六艦隊である。
 第六艦隊の旗艦ヒューゼリアとの通信が可能になったという報告を受けたゼファーは、早速通信回線を開かせた。スクリーンに映し出されたのは、何だか不機嫌そうに艦橋を歩き回るルイスとその周りでおろおろしているルーゼルの姿だった。
「何かあったのでしょうか?」
「…さあ」
 ロードレッドに格納庫へ停泊したザリオットの中で休んでいるシェーラゼーヌの代理として、チアースリアが一時的に第五艦隊副司令兼ロードレッド艦長を務めている。彼は映し出された二人を見て呟いた。ゼファーは横で首を傾げるだけである。
 やがて二人はロードレッドと通信中であることを自艦の通信士に教えられたらしい。ルーゼルが慌てて頭を下げた。
「はっ…あなたがアーベルン司令ですか。ご無事で何より。…申し訳ありません、こちらは何やら立て込んでいまして…」
 ルーゼルはそう語りながらどこからともなく取り出したハンカチで額の汗を拭いた。
「何かあったのですか?」
 ゼファーが尋ねると、ルーゼルはそっとルイスの様子を覗った後でこそこそと答えた。
「じ、実は…ダスローの司令長官が…エルステン人に誘拐されまして」
 わざわざ内緒話をしたことに腹を立てたのか、ルイスがつかつかと歩み寄りルーゼルを指揮杖で殴りつけた。彼は殴られた部分をさすりながら画面上から消えていった。ルイスはさも機嫌が悪いといった表情でゼファー、そしてチアースリアを見た。突然の荒々しい行動に、二人は呆気にとられる。
「うちの艦隊のイーゼン中佐から聞きましてよ。アーベルン司令はお母様を誘拐されたそうですわね。それは大変お気の毒と思っておりましたのに、まさか自分の父親まで同じように誘拐されるとは…」
「お察しします…」
 俯いて唇を噛みしめたルイスに、ゼファーは優しく言葉をかけた。しかし、彼女はゼファーの方に向き直るとものすごい剣幕で怒り始めた。
「司令長官が誘拐されるなどと!子供ではあるまいし自分の父親ながら恥ずかしいですわ!少しでも抵抗したのならまだ救いようがあるというものを、報告によれば長官室には物を荒らした形跡すらないとか!一体何を考えているんですの!?」
「……いえ、僕に言われましても…」
 とにかく!とルイスが更に通信スクリーンに近づいてきたので、ゼファーとチアースリアは思わず一歩引いていた。
「あたくし、このままでは恥ずかしくてダスローに帰れませんわ!何としても父を連れ戻さなくては!同じ境遇ということで、もちろんアーベルン司令も協力して下さいますわね!?」
「ええっ!?」
 隣でチアースリアが疲労感漂う表情でルイスを見ている。これ以上の厄介ごとを持ち込むなと、瞳が暗に語っていた。ゼファーもプロティアの守備のことを考え断ろうとしたのだが、ルイスは聞く耳を持たなかった。
「プロティアが安全であると確認されるまではここにいますわよ、軍部からダスロー政府への圧力に使えますもの。父を連れ戻すのは、その後で構いませんの。それに、既にあたくし達第六艦隊は、ダスロー宇宙軍に属さない独立艦隊のような働きをしておりますわ。プロティア宇宙軍は人手が足りないのでしょう?結局ダスローには戻れないのですから臨時にアーベルン司令の指揮下に入ってもいいですわ。プロティアの艦隊と同じように煮るなり焼くなりお好きなように扱っていただいて結構ですわよ」
 この意見には第五艦隊よりも第六艦隊の人間が驚いたようである。ルイスの後ろでルーゼルが冷や汗を流しながら胃を押さえた。いつもルイスのいかなる命令にも忠実に従うようなシレーディアでさえも、艦橋の後ろの方で額を押さえている。ルイスはそんな部下達の態度を顧みない。おおらかで気前のよい、ダスロー人を代表するような女性だとゼファーは思ったが、さすがに自分より上の階級の人間が指揮する艦隊を指揮下に入れることに抵抗を覚えた。ちらりと横のチアースリアを見る。ゼファーは大佐だが、彼は准将であり、ルイスの階級に少しだけ近づく。彼はゼファーの視線に気付くとそっと耳打ちした。
「猫の手でも借りたい状況なのは確かです。交換条件という形ではありますが、これを利用すればある意味堂々とエルステンに行けるかもしれない」
「…第六艦隊と共謀してエルステンに進軍する、と?」
 ゼファーの問いにチアースリアは意地悪そうに笑っただけだった。彼はゼファーからシオーダエイル誘拐の話を聞いた時から、エルステンに攻め込むことも悪くはないのではと思っていた。エルステン人がプロティア人を嫌うように、チアースリア自身はエルステンに対し好ましい感情は持っていない。ゼファーは別にエルステンを嫌っている訳ではなかったが、艦隊の増員というのは非常に魅力的に思う。ただ、自分で指揮することへの不安が残った。
「ではこうしましょう」
 ゼファーはルイスが少し落ち着いたのを見て、申し出に対する返答をした。
「連合艦隊を組みましょう。プロティアの安全が保障されるまでは一応こちらの指揮下に入ってもらいますが、細かい行動はそちらの自由になさって結構です。ラルネ司令長官達の救助については、逆に指揮権を全てラルネ司令に譲渡しますので第五艦隊へ指示をお願いします。ただ、こちらにもある程度の自由を与えて下さると助かります。…どうでしょうか?」
 ルイスは注意深くゼファーの発言を聞いていた。しばらく沈黙が訪れる。彼女はやがて口元を上げると頷いた。
「いいですわ、その条件を呑みましょう。では、今この瞬間からあなたに第六艦隊の指揮権を差し上げます。よろしくお願いしますわ、アーベルン司令」
 ルイスはそう言ってしっかりと敬礼すると通信回線を切った。ゼファーは大きく伸びをして、チアースリアに笑いかけた。
「これで、僕達は第六艦隊という強い味方を得られたね」
「そしてこの連合体制にはもっと重要な意味もあるのですね」
 チアースリアは両腕を組み、感心したように頷いた。
「第六艦隊が、ラルネ司令長官の捜索という目的を果たす前に連合艦隊から離脱する確率は低い。そして、いざ捜索を始めた際、仮にエルステンを攻めることとなっても、指揮権は完全に第六艦隊にあるため、たとえ過失を問われたとしてもダスロー政府、いや軍部か、に責任転嫁することが出来る。結果としてプロティアには何の不利益もない、と」
「自由を許されたってことは、いざという時、艦隊にとって不利なことから逃げられるしね。…我ながらせこい方法だとは思ったけど…それしか思いつかなかったんだ」
 ゼファーはそう言って恥ずかしそうに頬を掻いた。
 その頃、通信を切ったルイスは、暗くなったスクリーンを少し悔しそうに眺めていたが、くるりと振り向くと呆気にとられて突っ立っていたルーゼルの頬を指揮杖でペチペチと軽く叩いた。彼は依然ぼけっとした顔でルイスを見ている。
「…すみません、私にはそのような条件を出される意味がわからなかったのですが。自由を許される連合艦隊など聞いたことが…」
「物事を決まった形だけで考えるなんて年を取った証拠ですわよ、オセイン中佐。……さすがはかの有名なアーベルン大将の息子さんですわ。このあたくしが出し抜かれるなんて…」
「は、はあ…」
 ルーゼルはまだわかっていないようだが、別に良いのだと思う。ゼファーからの提案の裏に隠された危険性について種明かししてしまえば、彼はきっと連合艦隊の形成を猛反対してくるだろう。ルイスはそんなことするつもりはない。ゼファーは、ルイスが抱く父親への思いに正々堂々とぶつかってくれたのだ。その恩に報いない訳にはいかないだろう。我がままな発言を繰り返しながらも、意外と恩義を大切にするルイスなのだった。


「…それはどういうことです?」
 コアルティンスはケルセイの一室で、エルステン政府からの通信を受けていた。目の前のスクリーンに映っているのはスーツを着た中年の男である。男、エルステン行政委員の一員トーレアム・リオカルフ・ヨーゼフは、戸惑うコアルティンスとは反対に至って冷静であった。
「言葉通りの意味だよ、フォルシモ君。もう一度言おうか…本日付けで、君の第七研究所所長の任を解く」
「そんな突然…納得できません!説明を…」
「君の『人形』がしたことを思えば、この程度の処置は痛くも痒くもないだろうに」
「何の話です!?」
「アビーゼス私兵団配備の人型戦闘兵器ヒュプノスNo.5ロイゼン、No.8ヴェーズがダスロー宇宙軍の司令長官を誘拐、一路エルステンを目指している。この事件がダスロー政府に露呈し、エルステンは現在他の惑星から糾弾を受け始めている」
「…ロイゼンとヴェーズが…?」
「この事件の処置はエルステン軍部に一任された。ラルネ長官の無事を確認し次第、二体を処理する。君の名と共に、研究所から固体認識名を削除しておくよう伝えよう」
 最後の言葉を嫌味たっぷりに言い放つと、トーレアムはコアルティンスを冷たく見下して通信を切った。コアルティンスは暗くなってしまったスクリーンを呆然と見つめることしか出来なかった。
「…ルーズフトス博士…あなたは……何のためにヒュプノスを…」
 師が築き上げたもの、そこに仕組まれた目的。何もかもわからない。
 罪滅ぼしのための努力は、結局罪しか生まないというのか―。


 ケルセイとの睨み合いを続けていた第九艦隊は、第十七艦隊が戦闘を終えたという報告を受け、彼らとの通信を回復した段階でケルセイへの警戒や牽制を解いた。
「あの兵器は…どうなったのですか?」
 敵の大艦隊と対峙し、旗艦ノルマットを筆頭にほとんど無傷で勝利を収めたというスルーハンの手腕に、ミレニアスは畏怖に似た感情を抱きながら尋ねていた。彼の後ろに控えるマルノフォンのどこか疲れた表情が、戦闘の苛烈さを物語っているように思える。当のスルーハンは疲れを感じさせない、力強い瞳で通信機越しにミレニアスを見ていた。
「前触れなく突然、動き始めてな。しかし、こちらを攻撃してはこなかった。…理由は不明だが、銀河同盟軍の制御下から離れたようだ。敵の混乱に乗じて艦隊の殲滅を優先したが、あの兵器が脅威であることは変わりない。…トッホムド中佐、他の艦隊はどうなっている?」
 ミレニアスは通信スクリーンから司令席の端末へと視線を移した。
「先ほど、アーベルン司令長官代理が第五艦隊司令として復帰したと通信文が届きました。第五艦隊は第六艦隊を指揮下におき、プロティア周辺の敵を掃討後、こちらに向かうそうです」
「第六艦隊を指揮下においただと?あの小僧、一体何をやらかしたのだ…?」
 小僧、というのはゼファーのことである。第六艦隊がプロティアの援護にやって来ていることを知ったときから、その艦隊司令がダスローの艦隊一の曲者であることをスルーハンは秘かに懸念していた。他惑星の軍部との交流経験が浅いゼファーが、果たして彼らと連携を取れるのだろうかと考えていたのだが、杞憂であったようだ。自分達は今後のことを考えることに集中しつつ、援軍の到着を待っていれば良いだろう。
「敵がどう動いてくるのか、まるで予想出来ないが…ひとまず補給が必要だな。出来るだけ迅速に補給物資を提供してもらいたい」
「了解しました。漸く私達の出番ですね。周囲の索敵も引き受けますから、第十七艦隊は少しお休み下さい」
 スルーハンの申し出に、ミレニアスはそう言って柔らかく微笑んだ。