Gene Over│Episode4人間の尊厳 03優良種

 プロティア所属の宇宙連邦軍第十七艦隊から、ロズベルとシエスタの元に通信文が届けられた。
 宇宙船同士の緊急文書交換に使われる言語は、この広い宇宙でも一つだけである。宇宙連邦の人間も、銀河同盟の人間も、もしくはそれらに属していない人間も、皆宇宙に出るためにはこの表記専用言語を勉強しなければならない。この言葉は遠い昔、人類発祥の地とされる太陽系惑星の公用語で、既に現代ではそれを会話のために使用する人間はほとんどいない古代の言語であるものの、表記文字として全宇宙船OSに搭載されているなど、現代人の生活にも密接に関係している言語である。
「………」
 ロズベルを駆るディールティーンは機体と直接リンクしている。そのため通信機という物は必要なく、連邦軍から送られてきたその文章を自分の頭の中で処理した。
「通信文読んだ?」
 丁度読み終わったところで、レイトアフォルトの間の抜けた声が頭の中に響いたのでディールティーンは不機嫌そうに返事をした。
「返信するまでもない、無視して進むぞ。我々は立ち止まってなどいられないのだから」
「そうだよね」
 明るい声で応じたレイトアフォルトはシエスタの速度を上げた。
「…今日のシエスタは機嫌が良さそうだな」
 普段は必要なこと以外話そうとしないディールティーンが珍しく話を持ちかける。レイトアフォルトは嬉しそうにシエスタの艦橋の天井を見上げた。
「僕がしばらくケルセイを離れてたから寂しかったんだって。僕がいないと活躍出来ないからストレス溜まってたんじゃないの?」
 明るい口調でそう話す親友に、ディールティーンは素直に賛同出来なかった。自分にはそのようにロズベルと『語る』能力はない。きっと感覚的なものなのだろうが、レイトアフォルトは初めてシエスタと『交信』した時からその『心』をしっかりと掴むことが出来ているようだ。
 ディールティーンにはその力がなかったから、適応するべく無理矢理身体を改造された。そのことが苦痛であった日々を思い出すと、何の苦もなくオーパーツと心を通わせるこの友をつい恨んでしまいそうになる。
「(他人は、俺のこの歪んだ姿を奇異の目で見るが…俺から見ればレイトの方がよほど化け物じみている…)」
 友情を壊したくない。たった一人の友人だから。
 しかし、他人から、自分から逃げるためにディールティーンはいくらでも友を心の中で侮辱出来るのだった。
 自分が弱いことを彼は知っている。恥だとも思っている。それでも彼は他の方法を知らない。
「…ディール?」
 それともレイトアフォルトは気付いているのだろうか。唯一の友情を分かち合ったディールティーンの嫉妬を。
「ディール、どうしたの?そろそろだよ」
「あ、ああ…」
 誰も信じることは出来ない。ただ一人の友人さえ信じられないのに、神など信じられるものか―。
 小さな二隻の船が辿りついた領域は、まるで地獄を模式化したような所だった。レイトアフォルトは戦い、散っていく軍艦を見て眉を顰め、ディールティーンはいつもと変わらぬ冷たい視線を送った。
「宇宙連邦軍が優勢だな。所属惑星の人間として喜ぶべきなのか?」
「僕らはどちらにも属さない。…そうでしょ、ディール」
 普段のレイトアフォルトからは考えられないような冷たい口調で、ディールティーンの問いは遮られた。彼は拳を握り締めて宇宙連邦軍の船を睨んでいる。
「戦争が正当な外交だとか言ってる奴等にこの様を見せてやりたいよ。偉い人間がどんなに偽善ぶったって結局死んでいくのは弱い人間なんだ…」
「お前は軍が憎いと言っていたな。…俺は別にそこまで連邦軍を批判しようとは思わないが……何か理由があるのか?」
 前々から聞こうと思っていた。何もこんな戦場で聞くことではないのかもしれない、しかしどうしても気になった。いつも穏やかなレイトアフォルトがここまで憎悪を表すに値する理由を。
「知りたいなら…僕と一緒にエルステンに来て欲しい。あの星の軍部が僕の家族に何をしたのかを…僕自身も確かめたいんだ」
「あの少女も関係あるのか?」
 ディールティーンはレイトアフォルトがケルセイに連れて来た少女、セフィーリュカのことを思い出した。
「彼女…いや、彼女の遺伝子が真実まで導いてくれる…」
 レイトアフォルトはボロボロに破壊された艦から漆黒の宇宙へ視線を転じた。
「アーベルン大将の遺伝子を色濃く受け継いでいる彼女なら、きっと…」
「……選択された遺伝子(セレクトジーン)か。生まれついた性質、それが人によって選ばれ、造られた生命とは果たして何なのだろうな」
「少なくとも僕には人間に見えるよ。『人間』の定義領域を狭くしてしまったらディール、君だって人間じゃなくなる」
「………」
「もしかしたら僕も…」
「レイト、もう止めよう。今するべき会話じゃない」
 ディールティーンは無理矢理会話を中断させると、ロズベルを加速させてシエスタを追い越した。レイトアフォルトはモニター越しにロズベルをしばらく見送っていた。


 銀河同盟軍艦隊の艦は、既に十隻と残ってはいなかった。
 ほぼ無傷の宇宙連邦軍第十七艦隊は絶対的な勝利を収めたが、決して晴れやかな気分にはなれない。
 最後の一隻を自らが搭乗する旗艦ノルマットの主砲で撃破し終えたスルーハンは、隣で青ざめ、肩を抱いて震えているマルノフォンを一瞥した。
「……こんな…酷い…」
 スルーハンの視線に気付いた彼女は、まるで化け物でも見るかのような目で彼を見て、彼から一歩分離れた。スルーハンは妙に落ち着いた表情で航宙士に指示を与えた。
「……戦場を離脱する。第九艦隊との通信可能域へ針路をとれ」
「了解しました…」
 航宙士はそう答えたものの、しばらく指示通りに動くことが出来なかった。
 スルーハンは突然踵を返すと、艦橋を出て行った。マルノフォンは彼を呼び止めなかった。止めることは出来なかった。

「……」
 ノルマットに用意された自室へと向かう自動移動床の上でスルーハンは自分の右手を見た。微かに震えている。
 別に殺戮者になりたい訳じゃない。
 相手の命を奪うことを軽視している訳じゃない。
 なのに―。
 どうして自分はこんな容易に敵を葬り去ることが出来るのだろう。
 自分を形作る何かがそれを要求する。そしてそれこそが自分の生きている意味。意味など生まれる前から決まっていた。
―優良種は優秀で当たり前だ―
―優良種としてその命をプロティアのために…―
―敵を殺せ―
―お前の遺伝子がコードするものは…―
―……人殺し―
「大丈夫〜?顔色悪いですよ〜?」
「!」
 我に返ったスルーハンは、自分が移動床の手摺にもたれかかっていることに気付いた。その横で彼の顔を覗き込んでいたのは金髪の美しい女性科学者である。
「…フォルシモ研究員…」
 漸く搾り出した声で彼女の名を呼ぶ。プロティアでおそらく最も有名であろう一族の名を。にこりと微笑んだラノムはスルーハンを優しく立ち上がらせた。
「戦闘が終わって、自分のお部屋までお帰りになるところねぇ?気分がよろしくないのでしたら送っていきましょうか〜?」
「いや、結構だ」
 肩に触れたラノムの細く長い指を、スルーハンは乱暴に振り払った。一番会いたくない人間に会ってしまった。自分のような存在を作った元凶であるフォルシモ家の人間になど―。
「ロイエ中佐、プロティアに帰ったらきちんと健康診断を受けてくださいね〜。見た目は若くても、もうお年なんですからねぇ〜」
「うるさい。放っておいてくれ」
 辛辣な彼女の言葉に鋭く返答するとスルーハンは彼女に背を向けた。歩き出そうとしたが、踏みとどまる。
「私達は、プロティア人は…束縛されているのか?」
 なぜ彼女にそんなことを尋ねたのかはわからない。一連の戦闘が終わって頭が疲れているのだろう。ラノムは何も答えなかった。スルーハンは微かに震える自分の手のひらを見つめた。
「最近わからなくなるんだ、なぜ戦えるのか。元来の私は臆病で、情けなくて…今でも戦闘の前後は身体が震えるのを抑えるのに必死なほどだ。それなのに…なぜ私は勝つことが出来る?他人の命を、あっさりと奪うことが出来る?これが…私の奥底に眠るあくまで造り物の遺伝子、その形質によるものならば…私はそんなものいらない…」
「あなたに必要なくても、宇宙には必要なの〜」
 間延びした声が背中に突き刺さる。スルーハンは思わず振り返り、ラノムを睨みつけた。美しい女性科学者はその柔らかな表情を崩さない。
「全体にとっての科学、か。フォルシモ家のその姿勢にどれだけの人間が不満を持っているのか、一度考えてみることだ」
 スルーハンは彼女へ冷たく言い放つと歩き出した。
 遠ざかっていく彼を見送りながら、ラノムは呟く。
「『優良種』や『特別種』は、時代に必要とされた存在。どんなに人が死のうが破壊が続こうが、間違いなんかじゃないわ」
 美しい緑色の瞳が残酷な光を放つ。その表情はいつもの印象をまるで壊してしまうほどに真剣で鋭利だった。
「正しい遺伝子による管理…それがこの宇宙を秩序立てていくのだから…」


 最後の時空転移を終えたゴートホーズは、真っ直ぐにエルステンを目指していた。航路計算も航宙も、全てフィオグニルが行っている。
「フィオグニルには、私達が知っている以上に膨大な量のプログラムが組み込まれているのだろうか?」
 索敵個体としての任務を最優先にするエルナートは両目を軽く閉じ、体内コンピュータの探知レーダーの感度を最高にしたまま、隣で所在なげにしているドーランに尋ねた。彼は適当な席へ腰掛けて、つまらなそうに宇宙空間を見つめている。
「知るかよ。そもそもフィオが今回のプロティア遠征に出てたことすら俺には不思議でしょうがないんだ。…社会不適合個体のくせに」
 ドーランの発言にエルナートは薄く目を開けた。差別的だと指摘してやろうと思ったが、人間的な言い方をする、と睨まれるのは疎ましいので止めた。
「フィオグニルが最後に調整作業を受けたのは、プロティア遠征の一ヶ月前だったな。フォルシモ博士が何か新しいプログラムを入れたのかも…」
「それはないだろう」
 思案するエルナートの言葉を、ドーランはぶっきらぼうに遮る。
「あのフォルシモ博士がフェノンまで攻撃するように仕掛けるプログラムなんか仕組むはずないだろう。きっとそのプログラムは元々あったんだ。それが何かの弾みで起動した…」
「ルーズフトス博士が仕組んだプログラムだと言うのか?一体何のために…」
「今になっては、もう誰にもわからないさ。ルーズフトス博士はもう何年も前に死んだんだから」