Gene Over│Episode4人間の尊厳 02自分との戦い

 何かが迫ってくる―?
 漠然とした恐怖を肌で感じる。
 だからと言って自分に出来ることがあるだろうか。
「………」
 ゆっくりと目を開ける。自己というものを確かに持っていたはずなのに、今ではそれがぼやけてしまっている気がする。なぜなのだろう。
 過文明器(オーパーツ)―。
 タイムラナーはどこだろう?
 首だけ動かして捜し求める。別に自分の物ではないけれど、きちんと保管しておかないと叱られる。
 叱られる…?
 一体、誰に叱られるんだっけ?
 …僕は?
 動悸がする。痙攣する赤い瞳。双方のそれが漸くタイムラナーに向けられる。安置されるように、棚の上にあった。掴み取ろうと手を伸ばすと何かに阻まれた。
「…?」
 伸ばした左手を見る。何かが巻きついている。これは何かの配線だろうか。自分の体が植物のツタと一緒に成長したかのように、ぴたりと張り付いてはがれない。
「………」
 左手をがくりと落とし、タイムラナーを求めるのを諦めた。辺りは不気味な程静かだ。このまま何もせずにいられるのなら足掻くことはないだろう。もう、何もかも面倒なんだ。
「でも…」
 と、独り言がつい口をついた。
「どうして僕はこんな所にいるんだろう…」
 ルドは天井を見上げた。周囲に興味がないので今まで気付かなかったが、どうやら彼は何か箱のようなものに入れられているようだ。そう思うと息苦しさまではいかずとも不思議と閉塞感を感じる。そして、左手だけではなく四肢に配線が張り巡らされていることに気付いた。痛みを感じる程巻きついている訳ではないが目的がわからないので疎ましいだけだ。

―目が覚めたか―

「!?」
 突然、頭の中に『声』を感じてルドは戦慄した。自分がダスローを出たときの『声』とは異なる『声』。プロティアの軍施設でゼファーを助けた後から聞こえるようになった『声』。すぐ隣にいるような錯覚を覚える程、よく聞こえる。
「……ど、どうして…」
 ルドは声がすることよりも別のことに驚きを隠せなかった。これまで声が聞こえても特に気にしなかったこと。しかし今更ながらそれはとても重要なことに思えた。
 『声』の主は、ダスロー語ではない言葉で話しかけてきている。
 そして、自分はその意味を正確に理解出来ている―。
 ノジリス王家に引き取られてから、ルドは何の疑問も持たずに他人とダスロー語でコミュニケーションを取っていた。たった二年間ではあったが、ダスローでの生活がルドの一生分だった、はずである。
「僕が…引き取られる前の…?」
 二年より前の記憶をルドは持ち合わせていなかった。記憶喪失であった彼をノジリス王は分家の養子扱いにしたのだ。自分が他星の言葉を自然に理解出来るという事実はその失われた記憶と何か関係があるのだろうか。
「…あなたは、僕のことを知っているの?」
 自然と、『声』と同じ言語が口をついて出た。今ではダスロー語よりも流暢に話せるような気さえする。頭の中で思考するだけでよいのかもしれなかったが、ルドは言葉を口にし、初めて『声』との直接的な対話を試みた。
―漸く、素直に聞き入れられるようになったね―
 よく聞いてみると、『声』の主は女性であるようだ。しわがれ具合から年配であるように思える。
「あなたは誰?ここはどこ?」
―他人に尋ねる前に自分で考えたらどうなんだい、未熟者が。まあいい、ようやくまともに会話出来るようになったんだ、それを喜ばないといけないね―
 『声』はそう語ると次の言葉まで少しだけ間を空けた。ルドは突然説教をされていることに少々腹を立てたが、何も言わなかった。

―私の名前はチアキ・ルーズフトス。お前達の創造主だよ、No.44―

 彼女の言葉を、ルドはすぐに理解することが出来なかった。


 第十七艦隊旗艦ノルマットの艦橋に、突如警告音が鳴り響いた。いや、ノルマットだけではない。艦隊に属する全ての艦、更には敵艦隊の宇宙船にも、異常事態を告げる音は鳴り響いていた。
「一体何なんだ。何が起きたのだ!?」
 やかましい警告音に顔をしかめながら、スルーハンはいらただしげに艦長のマルノフォンを見た。彼女は複数のモニターを睨みしばらく情報を整理すると、スルーハンの方へ振り返り現在の状態について語った。
「基底状態にあった例の兵器が突如励起したと、科学技術班から連絡がありました。励起による膨大な量の放射線の影響で各艦の安全システムが反応した模様です…」
「それで敵も慌てているという訳か?励起させたのは自分達だろうに、馬鹿らしい!」
 スルーハンは怒りに任せて敵を罵倒し、彼らのことを鼻で笑った。こんな状況で笑う余裕があるのかと、マルノフォンは安心すればいいのか呆れればいいのか複雑な心境である。この危うさが第十七艦隊司令の持ち味ではあるのだが、部下としては苦労が絶えない。スルーハンは司令席を立つと、片方の手を腰に当て、もう一方を思い切り横へ振った。
「全艦回頭!」
「か、回頭ですか?停止ではなく?」
 司令の命令は絶対であることは重々承知しているのだが、この時ばかりはスルーハンの命令間違いではないのかと、ノルマットの航宙士は思わず聞き返した。それに対しスルーハンははっきりと言い放つ。
「回頭!あの兵器の前で停止することは自殺行為だ。敵艦隊が態勢を崩している今が好機。各個撃破する!」
 命令を理解した航宙士は急いでノルマットを最も近くにいる敵の補給艦に向けた。方向転換の角度が急であったため、艦内に衝撃が起こる。マルノフォンは遠心力で飛ばされないよう、艦橋の計器にしがみついた。近くに立っているスルーハンを見ると、彼は指揮杖を床に突き立てて自分の体を支えながらもしっかりと艦の外側の様子をスクリーンで確認していた。回頭を完了した後の艦隊の動きを思案しているのだろう。きっと今の彼には周囲の音など聞こえていない。マルノフォンは彼からどんな指示が出されても対処出来るよう、艦内状況の把握に全力を傾けた。
「(この方といると退屈はしないけれど、心休まる暇もないわ…)」
 彼の作戦内容は状況に応じて本当に多種多様である。時に鋭利な心理戦を展開してみたかと思えば今度は直情的な猛将ぶりを発揮してみたりする。敵を駆逐するために必要とされるあらゆるパターンを、生まれながらに遺伝子へ刻み込まれているとでもいうのだろうか―。

「あいつらしいと言うか、らしくないと言うか…」
 ノルマットが回頭を始めた時、真っ先にそれへ倣うことに成功した第十七艦隊所属強襲艦ヴォデラの艦長カーライン・アングセル少将は、目の前で敵の補給艦が宇宙の塵になっていく様を眺めて眉を顰めた。同じ優良種であり、基本学校時代からの幼馴染でもあるスルーハンのことを考える。物思いにふけっていた彼の肩を、ヴォデラ副艦長のフェネミス・ナルセチア少佐がやや乱暴に叩いた。
「そんなことを言っている場合ですか!さっさと移動しましょう、艦長!止まっていたらあの兵器に撃ち落されます!」
「おいおい少佐。カナドーリアが吹き飛んだ映像は見ただろう?あの兵器に当たったら何も残りゃしないよ。撃ち落されるっていう表現もこの宇宙においちゃ無意味だなぁ…」
「さらりと恐ろしいこと言ってないで行きますよ!全くもう…どうしてウチの艦隊の偉い人って変な人ばっかりなのかしら…」
 フェネミスが悲観的になった時、またしても艦内の警告音が鳴り響いた。
「今度は何だ?」
 カーラインはゆっくりと艦長席に腰を下ろすと夕食のメニューでも聞くかのような気軽さで尋ねた。フェネミスはその態度にいらついて拳を握り締める。
「これだから『優良種』というのは…!」
 その言葉にカーラインは素早く反応した。フェネミスの手首をぐいと引くと、彼女の耳元で囁く。
「こんな公的な場所で言っていい台詞じゃないね、少佐。俺はまだ気にしない質だからいいが、ロイエ司令の前でそんなこと言ってみろ。…無事じゃすまんぞ」
 平時と異なり威圧的で真面目な話し方に、フェネミスは驚いて全身を引きつらせた。
「は、はい…申し訳ありません。失言でした…」
「……」
 カーラインが手を離すと、フェネミスは怯えたように彼を見ながら手首をさすった。カーラインは既に彼女には目もくれず、いずこか虚空を見つめている。
「(『優良種』と『標準種』…それぞれを別視する時代が訪れたということなのか…)」
 年齢にしては若々しい姿をした艦長は、苦々しげに天井を仰いだ。
 そんな彼の方を向くことが出来ぬまま、フェネミスは唇を噛みしめる。
 相手は『優良種』。両親がともに『標準種』である『γ型』のフェネミスには、カーラインに逆らうことなど出来ない。完全実力組織の宇宙連邦軍において遺伝素養による能力の優劣は反映されないと、公には言われている。しかし、フェネミスはそれを素直に信じることが出来なかった。
 彼女は士官学校時代から宇宙船に搭載される航宙システムや人工知能に興味を持ち、士官という立場でありながら技術者としての能力も買われ、このヴォデラ副艦長という任を負っている。生来勤勉であり、陰で血のにじむような努力をして現在があるのだが、努力をすればするほど、『γ型』の自分がどんなに努力を重ねても、それぞれの分野で高い能力を持つ『優良種』やその子供達に追いつけないことを痛感せざるを得なかった。
「(この世は理不尽でしかない。生まれも、環境も、自分の人生も、何もかも最初から決定されている―)」

「…ヴォデラか?」
 スルーハンと航宙士にのみ軌道が予測不可能であるはずのノルマットの後をついてきて共に攻撃を仕掛けている艦の存在に気づき、スルーハンが呟いた。隣でマルノフォンが頷く。
「この軌道についてきているのか。…さすがカーラインだな」
「『先見』の遺伝子(ジーン)ですか?すごいですよね」
 マルノフォンは何気なく端末を操作してカーラインのパーソナルデータを検索していた。経験に基づき物事の先を見据え、まるで未来予測をしたかのように行動をうつすことの出来る能力が、彼に備わった特質である。名前の横にしっかりと記録された『優良種』の文字にスルーハンは眉を顰める。
「優良種は優秀で当たり前だ」
「え?」
 冷たい物言いに、マルノフォンは思わずスルーハンの横顔を覗き込む。彼女の視線に気づいた彼は困ったように微笑した。
「私達はそう言われ続けて育ってきた。なぜかな、急に思い出したよ」
「司令…」
 いつも何を考えているのか分かりづらいスルーハンの表情がひどく寂しそうに見えて、マルノフォンは更に彼のことがわからなくなってしまった。
 二人の間に虚しい空白が続いたのは、ほんの短い時間だった。不意に通信士が振り向いて告げる。
「司令、敵戦闘艦の一般通信を傍受することに成功しました」
「何?」
 戦闘中、しかもこの混戦の中で暗号すら用いず一般通信を使うなど敵は何を考えているのか。スルーハンは通信士の横へ歩いていくと彼からヘッドホンを借り受けた。雑音は多いがその間にはっきりと人の声が聞こえる。その声に耳を澄ませた。横に星間通訳を控えさせる。
「繰り返し報告します。Z-001制御不能!エラーの原因は依然不明ですが、何者かがシステムを乗っ取っているようです…!」
「Z-001…あの兵器のことか?」
「おそらく…」
 通信士にヘッドホンを返すと、スルーハンは艦橋の一番上に戻った。
「敵が混乱している理由はわかったな」
 外部の様子がわかるスクリーンを睨み付ける。今や敵の手をも離れたらしい兵器が不気味に青い光を帯びていた。ただ、その標的が宇宙連邦軍に向けられるのかどうかはわからない。
「脅威は変わらんが、敵が組織力をなくした今、これを放っておくことはできん。…第七艦隊の弔い合戦だ」
 ノルマットは徐々に減速を始めた。味方の動きにすら翻弄されていた第十七艦隊の艦艇が漸く旗艦の元へ集結する。スルーハンは全艦に、敵に対し大蹂躙戦を開始することを告げた。再びそれぞれの意志で動き出した艦艇は、すっかり混乱している銀河同盟軍の艦隊を着実に破壊しにかかった。まるで容赦のない猛攻撃であった。
「後世、宇宙連邦軍はひどい言われようなのだろうな」
 スルーハンは、あまりに容赦ない猛攻に眉を顰めたマルノフォンに自虐的な笑みを見せる。その声に思わず肩を震わせた彼女は司令の言葉に頷くまで相当の時間を要した。
「(これでは、虐殺だわ…)」
 心の中ではそう思っていても、彼女はそれを口に出せる程の勇気を持っていなかった。またしても味方の艦砲により大破した敵艦の映し出されたスクリーンから、つい視線を反らす。
「……?」
 ふと視線を移した先にあったのは艦長席に配備された小型レーダーだった。微かに反応が見られる。マルノフォンはすぐにスルーハンに報告した。
「微弱な反応です…二隻の宇宙船…?」
「二隻だと?民間船が迷い込んだのか?この宙域は危険だ。時空転移するように伝えろ」
「は、はいっ」
 マルノフォンはすぐに通信文を作りそれを送信した。その間にも、二隻は戦場に接近して来ている。