Gene Over│Episode3宇宙へ 08移送

 子供の頃を思い出す。
 画用紙に世界を描いた。
 黒いクレヨンは必ず一番始めになくなってしまう。
 そのことが異質だなんて知らなかった。
 ディールティーンにとって、世界とは、自分の周りにあるものとは、宇宙だけだった。
「空とは…本当はこういう色のものを言うんだな…」
 水色の清々しさを目にし、思っていたことを口に出して言ってみる。誰も聞いている者などいない。この大きな剣状の宇宙船を機動するのに、彼以外の人間は必要ない。申し訳程度に設置された艦橋らしき空間の中心に、彼は一人佇んでいた。ただ立っているだけではない。彼の全身には様々なコードやプラグが刺さっている。ディールティーンの思考通りにロズベルは動く。自分の体が大きくなったようなものだ、ディールティーンはロズベルに対してそんな考えを抱いている。
 大気圏を抜けたロズベルは、悠々とプロティアの空を舞った。


 ザリオットが飛び立った後には、優しい風の音だけが残った。
 セフィーリュカは風の音を聴きながら、兄が飛び立っていった空をしばらく眺めていた。
「急に静かになっちゃったわね…」
 横に立つ姉が、ぽつりと呟いた。うん、と返事をして、セフィーリュカは空から目を逸らし、リフィーシュアを見た。
「姉さん…。姉さんも、一緒に来てくれる?」
 リフィーシュアは呆気にとられた顔で妹を見た。
「何よ、私がセフィー一人で行かせると思ってたわけ?嫌だって言ったってついていくわ。他人の操縦する宇宙船っていうのはちょっと癪だけどね」
 プロの航宙士としては、自分で操縦する船を調達出来るのがベストだと思っていたが、そうもいかないようだ。
「その前に、割れたガラスの目張りをしちゃいましょ。雨が入り込んだら大変…」
「!?…何かくる!」
「えっ?」
 リフィーシュアが家の方へ振り向いたとき、空を見上げていたフェノンが突然何かに反応した。腰に差した銃へ反射的に片手を回す。
 黒い影が空を横切った。次の瞬間、すぐ近くで轟音が響く。音がビリビリと大地を伝わった。
「なっ…!?」
 リフィーシュアは身体が震えるのを必死に抑えた。昨晩の悪夢のような光景が脳裡をよぎる。あの時と同じ、黒い宇宙船が飛来している。
「司令ってば…まさか全部倒さずに帰っちゃったの!?」
 フェノンは宇宙船の機体に銀河同盟軍の紋章を認めると、第二艦隊からの帰還命令を思い出していた。戦闘艦による一斉攻撃は既に終了しているが、殲滅を終えたためではなく別のタイミングであったらしいと悟る。
「伏せろ!」
 シェータゼーヌがセフィーリュカとリフィーシュアの肩を抱いてしゃがませる。また近くで爆発音がした。数百メートルもない場所で火の手が上がる。
 フェノンも三人の元へ駆け寄った。銃を抜いて身構える。戦艦相手にヒュプノス一体で立ち向かえるはずもない。でも、この場で戦えるのは自分しかいない。
 爆発音と地響きが徐々に近づいてくる。火の手もアーベルン家のすぐ近くまで迫って来ていた。
「(嫌…嫌だよ……お母さん…っ…!)」
 セフィーリュカは宇宙船の影で暗くなった空を、火の手が上がり赤く染まった地表を見た。
 ふと、青いボサボサ頭が目に入る。
「(レイトさん…!?)」
 眠そうな緑色の瞳が、真っ直ぐにセフィーリュカを見ていた。
「Fia sa bulenatz ou wig sowa―」
  『僕達は籠に囚われた鳥―』
 レイトアフォルトはセフィーリュカから目を逸らし、空を見遣ると、祈るように言葉を紡ぎ両手を広げた。その時、至近距離で爆音が轟いた。セフィーリュカはリフィーシュアとシェータゼーヌにしがみつくと、恐怖で目を瞑った。

「……」
 何かがおかしい。風を感じない。確かに屋外にいたはずなのに、肌が何か別の空気を感じ取っている。爆撃の音も、木々を燃やす臭いもしない。
 セフィーリュカがゆっくりと目を開けると、赤い瞳と目が合った。フェノンが顔を覗き込んでいる。
「…大丈夫?」
「う、うん。…ここは?」
 セフィーリュカは周囲を見回した。不思議な模様がたくさん描かれた場所。基本学校で習った古代の遺跡のような所だ。皆も不思議に感じたらしい。セフィーリュカを守るように抱きしめていたリフィーシュアとシェータゼーヌも、呆然と壁画のような景色を眺めている。
「予定と違ったなあ…でも、しょうがないか。考えてみればあれをここに動かせる人間なんて他にいないんだもんね…」
 惚けた声に、セフィーリュカは慌てて振り返った。レイトアフォルトが腕を組み、頬を掻いていた。
「ま、いいか。行き先は同じだしね」
「レイトさん…ここがどこなのか、あなたは知ってるんですか?」
 セフィーリュカが恐る恐る尋ねると、レイトアフォルトはにこりと微笑んだ。
「もちろん。だって僕が招待したんだから。安心して、ここは船の中だよ。生体転送機能が付いてるんだ」
「生体転送…」
 聞き慣れない言葉を反芻する。先ほど彼が唱えていた呪文のような言葉と関係があるのだろうか。セフィーリュカは他の三人にも通訳してそう伝えた。リフィーシュアは驚いたようである。
「生体転送?宇宙空間ならまだしも、地上では確立されてない技術じゃない!そんなものが実用化されてるなんて…シレホサスレンって意外と進んだ星だったのね」
 彼女の言葉を伝えると、レイトアフォルトは淋しそうに笑った。
「褒め言葉として、受け取っておくよ」
 艦橋に案内すると言って、レイトアフォルトは歩き出した。セフィーリュカ達は彼に続いて遺跡のような船内を歩き始めた。
 通路を歩く限り、部屋のようなものは一つもない。戸がないのだ。ただ幾何学的な模様がびっしりと壁面を覆っている。
「何だか気味が悪いな…」
 模様を見ながら、シェータゼーヌは言い知れぬ異様さを感じていた。セフィーリュカは心配そうに彼を見上げる。
「ごめんなさい、シェータさんまで巻き込んでしまって…」
「何言ってるんだよ。寧ろ、あの場から助けてもらったようなものだ。…せいぜい足手まといにならないように、ついて行くさ」
 彼はそう言って、セフィーリュカに笑いかけた。
「着いたよ」
 先頭を歩いていたレイトアフォルトが立ち止まる。その前には、今この瞬間に現れたのかと思うほどに、初めての扉が立ちはだかっていた。これにも模様が描かれている。レイトアフォルトがそれに触れると、模様の一部から青い光が生じ、徐々にそれは扉全体を包み込んだ。次の瞬間、そこに扉など始めから存在しなかったかのように消え失せる。目の前には大きな部屋が広がっていた。
「ど、どうなってるの…」
 すっかり混乱したのか、フェノンは通路を歩きながらセフィーリュカの上着の裾を掴んで離れようとしない。
 レイトアフォルトは消えた扉の先に躊躇なく進んでいってしまう。残された四人はお互いに顔を見合わせると同時に頷き、彼の後を追った。
 艦橋の中にはこれといった機器があるわけでもないのにやたらコードが張り巡らされていた。それらを踏まないように進んでいくと、やがてコードが収束している一点に辿り着くことが出来た。セフィーリュカはゆっくりとその先に視線を向けた。
「…きゃあぁっ!!」
 セフィーリュカが突然叫んだので彼女に寄り添っていたフェノンは驚いて更に力強くセフィーリュカにしがみついた。
「何、何どうしたのセフィーお姉ちゃん!?」
 二人の叫び声を聞き、後ろを歩いていたリフィーシュアとシェータゼーヌが慌てて追ってくる。セフィーリュカは震える指で前方を指し示した。淋しそうな笑顔を向けているレイトアフォルトの横、集約された配線の先にいたのは、彼と年齢的に大差ない一人の若者だった。四方八方から集まるコードが彼の服まで貫いて全身を覆っている。あまりにも普通の人間とはかけ離れているその様にセフィーリュカを始め誰も声を出すことすら出来なかった。
「…随分失礼な客人を迎えてしまったようだ」
 不意に怒気を含んだ声がした。声の主は配線の中心にいる若者である。
「そう言わないでよ、ディール」
 レイトアフォルトは懐かしそうに唯一無二の友の名を呼んだ。
「レイト…まさかこんなに遠くまで来ていたとはな。一時は大騒ぎになったんだぞ」
「あははは、ごめんごめん。ちょっと一人になりたくてさー」
「その気持ちもわからないではないが…勝手な行動は慎め」
 レイトアフォルトは呆然と突っ立っているセフィーリュカ達の方を見た。
「ごめん、驚かせちゃったね。紹介するよ、僕の友達ディールティーン・サルドだ」
「え、あ、あの…」
 生きているんですか、と言おうとした時ディールティーンがセフィーリュカの方に振り返った。配線は彼の身体の一部のように、彼の動きに合わせて動く。姿は異様であったが、その構造も、表情も、確かに一人の人間だった。意思の強そうな灰色の瞳がセフィーリュカを捉える。
「どんな奴を連れてきたかと思えば…ガキじゃないか」
「ガ、ガキって…初対面の人間に対してそれはないんじゃないですか!?」
 とっさにセフィーリュカがシレホサスレン語で流暢に話し始めたので、ディールティーンは少なからず驚いたようである。レイトアフォルトが笑い出した。
「プロティア人がシレホサスレン語を…?」
「やっぱり君も驚いたね。すごいでしょ、彼女、僕の恩人なんだよ」
 ディールティーンは信じられないといった表情でセフィーリュカを見ていたが、気まずそうに小さな声で詫びを入れた。
「馬鹿にしてすまなかったな。それと…レイトを助けてくれたことに感謝を」
「い、いえ…こちらこそ、船に乗せていただいてありがとうございます」
 思わず声を荒げてしまったことにセフィーリュカも気まずさを感じて深く頭を下げた。ディールティーンが首を傾げる。
「レイト、なぜプロティア人など乗せた?突然ロズベルの転送装置に干渉されたときは流石に焦ったぞ?」
「緊急事態だったから、許してよ。人捜しにエルステンまで行きたいっていうから乗せたんだ。てっきりシエスタが来るものだと思ってたから、内密にする予定だったんだけど…」
「シエスタ?何を言っているんだお前は。お前がいないからシエスタが動かなくて困っているというのに」
「そうなんだよねえ。すっかり忘れてたよ」
「…まったく…」
「そういうわけだから、人助けと思って皆をエルステンまで乗せていってよ」
「無理だ」
 レイトアフォルトの頼みをディールティーンはあっさりと拒否した。理由を尋ねられて、ため息をつく。
「お前な…一体何のために俺がこのロズベルに乗ってると思っている?」
「…まさか…」
「『アレ』が既に動き出している。早く対応しなければ連邦の艦隊がまた潰されるぞ。更に悪ければプロティアが消し飛ぶ」
「プロティアが!?」
 話の内容の半分以上は意味がわからなかったが、最後の部分でセフィーリュカが反応した。ディールティーンが軽く舌打ちする。
「そうならないために俺はこいつを迎えに来たんだ。だから…君達をすぐにエルステンに連れて行ってやることは出来ない」
 レイトアフォルトも珍しく真剣な顔で何か考え込んでいる。彼はセフィーリュカに向き直ると、ごめん、と謝った。
「真実を知ることはそう簡単じゃないってことだね。でも、こっちの件を出来るだけ早く片付けちゃうから、少しだけ付き合ってくれるかな?」
 セフィーリュカには訳がわからなかったが、プロティアが危険であるのを放っておくことは出来ない。頷いて了承の意を示す。ディールティーンは彼女の表情を横目で確認すると、レイトアフォルトに確認した。
「では、ひとまず矯正院(ケルセイ)に帰還する。そこで一旦四人を降ろしたら、お前はシエスタの起動をするんだ。いいな、レイト?」
「うん、わかった」
 目を瞑ったディールティーンが右手を前方に差し出す。配線が腕から垂れ下がり、一本一本が熱を帯び始める。
「座標修正完了、航宙機関異常なし、環境機関異常なし、擬似重力場発生準備完了、周囲障害物なし…」
 姉が後ろから促すので、セフィーリュカはこれらディールティーンが呟く言葉を一つずつ通訳した。リフィーシュアはディールティーンを凝視している。
「嘘でしょ?機器が一つもないのに…それって、彼は船のメインコンピュータと完全にリンクしているってこと?」
「…ロズベル、発進」
 静かな声が艦橋に響く。しかし、宇宙船起動時の独特の振動がまるで感じられない。
「…発進に失敗したのか?」
 幼い頃に乗った旧式の宇宙連邦軍艦、それが起動したときの衝撃を覚えていたシェータゼーヌが思わず尋ねる。
「ううん、もう宇宙だよ」
 あっさりと否定したレイトアフォルトが、艦橋に唯一付いたモニターを指差す。そこには確かに暗闇が広がっていた。
「どういうこと…こんな宇宙船がこの世にあるなんて…」
「まあ、ディールとロズベルの相性がいいからだよね」
「そうだな、お前とシエスタは時々仲違いするから乗り心地が良いとは言えないな」
 そう言って二人は笑う。
「宇宙船を生き物みたいに思ってるんだね」
 フェノンは何だか嬉しそうである。造られた命である彼女は、同じ様な存在に共感を持ってくれる人間に好意を持っている。自分を造ってくれたコアルティンスがそうであるから。レイトアフォルトは笑顔で、彼女の発言に小さく首を振った。
「みたい、じゃなくて生き物だよ。ロズベルも、シエスタも…」
 そう語るレイトアフォルトの瞳が、不意に哀しそうに遠くを見た。その瞳の意味は、この場ではディールティーンにしか理解することが出来ない。