Gene Over│Episode3宇宙へ 07手段

 見覚えのない部屋の硬い床の上で、シオーダエイルは目を覚ました。身動きが上手く出来ない。両手を後ろに回されてしっかりと手枷をはめられている。周囲を見回し、窓の向こうに闇が広がっていることに気付いて、八年ぶりに見る宇宙の姿に一瞬視線が釘付けになる。
「目が覚めたか」
 扉が開いて、その向こうから一組の男女が入ってきた。二人の赤い瞳を見て、シオーダエイルは自分が人でないものに連行されているということを思い出した。
「教えて…あなた達は一体何なの…?」
 シオーダエイルがゆっくりとエルステン語で尋ねてきたので、ヒュプノス達は多少なりとも驚いたようだ。女性型ヒュプノスがシオーダエイルの横に膝を立てる。
「…エルステン語を…?」
「エルステンで仕事をしていたことがありますから、ゆっくり話してくれれば少しだけわかります。…教えて、私をどうする気なの?今更、どうしてEDFの人間を必要とするの?」
「……フィオグニルからプログラムの内容は知らされていないし、私の中のファイル内からも何も検索出来ない。だから…私にはフィオグニルがこれから何をしようとしているのか、わからない。でも、この船は…エルステンに向かっているようだ…」
 女性型ヒュプノスは、シオーダエイルを気遣ってか、ゆっくりとわかりやすく言葉を紡いだ。彼女の表情が一瞬憂いを含んだような気がして、シオーダエイルは首を傾げた。
「私達はプロティア人を助けに来たはずだったのに、どうしてこんなことになったのか、わからない。…あなたには、申し訳ないと思っている…」
 ヒュプノスはそう言って頭を下げた。真っ直ぐな黒い長髪が床に付く。
「やめろよ、エル」
 黙ってやり取りを見ていた男性型のヒュプノスが、女性型ヒュプノスの肩を乱暴に掴むと無理矢理顔を上げさせた。痛覚があるのか、女性型ヒュプノスの顔が僅かに痛みに歪む。シオーダエイルは彼女の肩に目を遣り、驚いた。彼女の腕を構成していた人工皮膚がめくれ、その下に繊維のようなものが走っているのが見える。
「…何て力なの……」
 思わずプロティア語で呻いたシオーダエイルを、男性型ヒュプノスは睨み付けた。
「俺達がプロティアにいたのは決して俺達の意志じゃない。俺は人間を助けたいなどと、微塵も思わない。だから、あんたがどうなろうと…フィオグニルが何をしようと俺の知ったことではない」
 早口でそう告げると、男性型ヒュプノスは部屋を出て行った。
「ドーラン…」
 エルと呼ばれた女性型ヒュプノスはドーランが去っていった方をしばらく見ていた。そしてシオーダエイルに向き直ると再び頭を下げた。
「ドーランをどうか許してやって欲しい。感情制御機能に不具合が生じているんだ…」
「私は大丈夫。…あなた達は皆が皆悪い訳ではなさそうね。あなたは信用できそうだわ。傷を見せて。痛いでしょう?」
 シオーダエイルは傷の様子を診ようとして、自分の手が枷によって動かないことを思い出した。覗き込むだけに留める。ヒュプノスは剥がれかかった皮膚を手で押さえて元に戻そうとした。
「心配いらない、一般的活動に支障はないから」
「そう。…あの子、フェノンちゃんは大丈夫かしら…」
「フェノンだって!?」
 突然ヒュプノスが叫んだので、シオーダエイルは驚いて何度も瞬きした。
「あなたはフェノンに会ったのか?」
「ええ。フィオグニルさんと一緒に家にいたわ。でも彼があんな状態になった時、右胸を撃たれて…物凄い血が…皆が手当てしてあげていてくれればいいのだけど」
「右胸…それなら平気だ。……良かった…」
 彼女は呟くと、その場に座り込んだ。安堵の表情を浮かべている。
「フィオグニルが、フェノンを排除したとか言っていたからずっと不安だったんだ。…もう、私はあの型の仲間を失いたくない…」
「?」
 色々と事情がありそうだ。しかしシオーダエイルはそれを追求しようとはしなかった。ただ、目の前のこの兵器がひどく人間的に見え、ふと人間とは一体何なのかなどと考えていた。
「…名前を聞いてないわ。教えてくれる?」
 シオーダエイルが突然そう尋ねると、ヒュプノスは目を見開いてしばらく呆然としていた。名を問われるということがないのだろう。
「No.4女性型…個体認識名は…エルナート」
「よろしくエルナート。私はシオーダエイルよ」
「シオーダエイル…」
 エルナートは相手の名前を反復した。記憶演算装置にインプットしたようだ。
 三体のヒュプノスによって奪われた連邦軍戦闘艦ゴートホーズは、シオーダエイルを乗せて一路エルステンを目指していた。


 アーベルン家を離れたシレーディアは、デリスガーナー、アランを伴いゴートホーズとメリーズの着陸地点に引き返した。
「これは…」
 アランが指揮する偵察艦メリーズは、着陸した時と同じ場所に存在していた。しかしその隣に停泊していたはずの戦闘艦ゴートホーズは、景色から切り取られてしまったかのように存在を消していた。両艦のクルー達が入り混じって右往左往している。
「艦長!」
 聞き覚えのある声にアランが振り向くと、中年のいかつい男が走ってきた。彼は全速力で走ってきながらも息一つ切らした様子なくアランとシレーディアに敬礼した。
「フェア少将、これは一体どういうことだ?何があったんだ?」
 アランが尋ねる。階級から言えばカーディ・ノスト・フェア少将はアランよりも身分が上であるが、連邦軍の中では個人の階級よりも艦隊内での役職によって身分の差を表す。メリーズの白兵部隊長であるカーディに対してアランは艦長であるのでアランの方が上司にあたるのである。カーディは敬礼を解くと、報告を始めた。
「はっ。お二人がここを離れられて一時間が経過した時、急襲を受けました。賊は見事な速さでゴートホーズの艦橋を無力化し、クルーを全員降ろさせた後すぐに離陸しました。メリーズのレーダーで調査したところ、第四宙域への時空転移を確認しました」
 報告を終えると彼は律儀にもう一度敬礼した。ゴートホーズがあった場所を呆然と見ていたシレーディアが、心配そうな顔でカーディの方に向き直る。
「負傷した方はいらっしゃいますか…?」
「ゴートホーズの白兵部隊が抵抗を試み数名が負傷しましたが、死者はいません。あまりの手際の良さに我々メリーズのクルーは何も出来ませんでした…申し訳ありません」
「いえ、皆さんが無事で安心致しました」
 シレーディアが安堵の息をつく。
「それで…さっきから明言を避けてるようだけど、少将、賊の数は?」
 いつも報告は正確にすることで定評があるカーディであったので、アランはそのことが気になって思わず尋ねた。カーディはしばらく気まずそうに沈黙していたが、観念したのか口を開いた。
「四人です」
「…………」
 アランとシレーディア、更には後ろで聞いていたデリスガーナーまでも絶句してしまった。何かの冗談だろうと思った。しかしカーディが冗談を言うような男でないということをアランは知っている。彼は馬鹿正直に続けた。
「正確には…三人です。一人は守られるように後ろへ立っていただけで…彼女は民間人のように見えました。他の三人は、人間とは思えない戦闘力と機動力でした」
「それにしたってなあ…」
 アランは頭を掻いた。ルイスに何と報告すればいいだろう。四人、いやたった三人に、数百人が乗る戦闘艦を占拠されるなどと聞いたことがない。よほど訓練をつんだ部隊だとでもいうのか。銀河同盟軍にそんな勢力があるのだとしたら、宇宙連邦など敵ではない。できれば誤報であって欲しい話である。しかし証人がここにいる以上、現実として受け止めなければならない。
「その賊ってのは、エルステン人じゃなかったか?」
 デリスガーナーが突然尋ねたので全員が驚いて彼を見た。カーディはそこまで知らなかったらしく、急いで調べに走った。
「どうしてわかるんです?」
「言ったろ、俺達も襲われたって。話の内容からしてそんなことできる人間がいる訳ない。でも奴なら…人型兵器だっていう奴らならそれが可能かもしれない」
 デリスガーナーが説明しているとカーディが戻ってきた。
「星間通訳に確認したところ、確かに賊はエルステン語で会話をしていたということです」
「やっぱりな。じゃあ、これはただの戦闘艦強奪事件じゃないぜ、誘拐だ」
 デリスガーナーはきっぱりとそう断言した。アランとシレーディアが息を呑む。カーディはよくわかっていないようで怪訝そうな顔をしていた。シレーディアが哀しそうに俯く。
「何とかしなければ…。ゴートホーズがそんなことのために使われるなんて耐えられません」
 アランとデリスガーナーが頷く。シオーダエイルに何かあってはいけない。デリスガーナーは、父を失い、そのことを未だに背負い込み続けるリフィーシュアの涙を思い出した。これ以上彼女に辛い思いをさせたくはない。


「母さんを助けに行くって言っても…」
 リフィーシュアはセフィーリュカを見た。
「どうやって宇宙に行くのよ?アスラが壊れてなければ乗せていけるけど…」
「民間船はないの?」
 フェノンの問いにリフィーシュアは首を振った。
「プロティア襲撃の報道があってから、ここを離れようとする民間人が殺到し続けているのよ。とてもじゃないけど手に入らないわ」
「軍艦に密航しますか?」
 シェーラゼーヌが発言するが、ゼファーが慌てて彼女を制した。
「艦隊の副司令が言う台詞じゃないよ…まあ、僕もそう考えなかったとは言えないけど」
「ではお互い様ではありませんか、司令」
 皆が色々と意見を出し合う中、セフィーリュカはふと庭の向こうに見覚えのある顔を見つけた。青いボサボサ頭の青年。
「ちょっとごめんなさい」
 一言そう言うと、不思議そうに自分を見る皆の視線を無視して、フィオグニルが破壊した窓から家の外に駆け出した。
 セフィーリュカの顔を見ると青年、レイトアフォルトは眠そうな瞳で微笑んだ。
「自転車屋さんで、この辺に住んでるって教えてもらったから」
 あまり聞き慣れないシレホサスレンの言葉。それでも彼のゆったりとした口調はとても聞き取りやすい。セフィーリュカは彼が既に自転車を引きずっていないことに気付いた。ようやく返したらしい。
「もうすぐ、帰れるんだ。だから最後にお礼を言いに来たんだよ。この星で話が出来たのは君だけだったから」
「帰れるって…シレホサスレン行きの民間船なんて…」
 それに、そんなお金も持っていないのでは?セフィーリュカが首を傾げると、レイトアフォルトは笑顔を空に向けた。
「迎えに来るんだよ、僕の『船』が。…僕にはわかる」
 何て掴みどころのない男だろう。確信を持っているらしいが、根拠はなさそうだ。それでも彼は信じている。思わず一緒になって空を見上げてしまう。自分も信じてしまいそうになる。
「君も宇宙に行きたいの?」
 不意にレイトアフォルトはセフィーリュカの方を見た。彼女は心の中を読まれたような奇妙な気分になって彼を見返した。
「宇宙は人を選ぶんだよ。生きるも死ぬも、全部宇宙が決めちゃうんだ。それに抗うために…僕はいる。普遍を変えるために。…君は僕を信じられる?平和な箱庭を捨ててまで真理を見たいと思う?」
 何を言っているのかわからない。言動の意味がわからない。彼は多分自分と違う世界を見ている。もっと遠くを見ている。
「…私、は…」
 声が震える。思わず逸らした視線。レイトアフォルトの顔を真っ直ぐに見られない。
「助けたい人がいます。そのためなら…どんなことだってしたい。危険かもしれなくても…ここを離れなければならない…そのための手段をくれるなら、私はあなたを…信じます」
 漸く彼の顔を見ることが出来た。彼の笑顔は崩れない。普遍であるかのように。ずっとそこに存在し続けるように。
「それなら僕は喜んで君に手段を与えるよ…トルターテゼムアルセイト(アルセイトの御名において)」
「?」
 レイトアフォルトの最後の言葉は、セフィーリュカにも正しい意味が理解出来ないものであった。シレホサスレン独特の言い回しなのだろうか。
「セフィー、一体どうしたんだ?」
 なかなか戻って来ない妹のことが心配になったのか、ゼファーが庭に出てきてセフィーリュカに声をかけた。彼女と対峙しているレイトアフォルトを見てやや警戒する。
「…この人は?」
「前に少し話したでしょ?シレホサスレンの…」
 ゼファーが頷く。見知らぬ人間ではあるが、危険ではないと判断したらしい。
「宇宙に…連れていってもらえるかもしれないの」
「え?」
 セフィーリュカの言葉にゼファーは首を傾げた。
「君達には知る権利がある。いや、知って欲しい。だから…一緒に宇宙へ行こう」
 レイトアフォルトが淡々と告げる。ゼファーはセフィーリュカに通訳をしてもらい、その内容に戸惑った。
「知って欲しいって…何を?」
「……E-ユニット」
「!!」
 レイトアフォルトの一言に、二人は凍りついた。母が去り際に呟いた言葉。母の誘拐について唯一のキーワード。なぜそれを彼が知っているのか。
「なぜあなたがそれを…E-ユニットって何なんですか?知って欲しいのなら、教えて下さい!」
 セフィーリュカが詰め寄る。レイトアフォルトは落ち着いた様子で彼女を見ていた。
「全ての答えはエルステンにある。僕らはそこに行かなければならない。真実を知るために…」
 レイトアフォルトはくるりと後ろを向くと、そのまま歩き出した。去っていく背中を、兄妹は呆然と見つめていることしか出来なかった。
「彼は一体…何者なんだ…」
 ゼファーが呟く。セフィーリュカにも全く想像がつかなかった。彼女は、レイトアフォルトが去っていた方向を見つめている兄の服の袖をそっと引いた。ゼファーが振り返ると、セフィーリュカはどこか意を決したように彼を見上げていた。
「…私、行こうと思う」
「な…駄目だ、危ないよ」
 ゼファーは妹の肩を掴み、首を横に振った。セフィーリュカは俯いたが、すぐに顔を上げる。
「でも…このままじゃ何も出来ない。他の手段を探してたら、お母さんに追いつけなくなっちゃう。だから私は、レイトさんを信じてみる」
「………」
 ゼファーは彼女を宥めるための言葉を探した。しかし何も思いつかない。やがて彼は観念したようにため息をついた。
「…わかった。これ以上あれこれ口出ししない約束だからね」
「兄さん…」
 ゼファーは、掴んだセフィーリュカの肩を優しく撫でた。そこへ、シェーラゼーヌが駆けてくる。
「司令、お話し中すみません」
「いや…どうしたの?」
「第五艦隊の再編成作業が始まっている頃です。私はこのままロードレッドへ戻り、司令代理として宇宙での戦闘に復帰します」
「…代理はもう必要ないさ。今更一人で、機能していない軍司令部へ戻っても意味がない、僕も一緒に行くよ」
 ゼファーは真っ直ぐに副官を見据えた。
「しかし、怪我の治療も十分では…」
「大丈夫。…戦っている皆を地上で待っているだけなのはとても辛いって、痛いほどにわかったんだ」
 これ以上、何もわからない状況で皆の無事を祈っているだけでいるのは耐えられない。セフィーリュカと同じような我がままを言っているな、とゼファーは心の中で苦笑した。やはり兄妹だから、そういう頑固なところは似ているのかもしれない。
「わかりました。司令の復帰、歓迎致します」
 シェーラゼーヌが観念したように頷く。ゼファーは隣のセフィーリュカを少し寂しげに見た。
「僕が母さんを追いかけるのは、少し遅れるかもね。まずはプロティアを守ってからだ」
「兄さん、シェーラさん…気をつけて」
「ありがとう、セフィーさん。お兄さんは、必ず守りますから」
 心配そうに見上げたセフィーリュカに、シェーラゼーヌはシェータゼーヌと似た優しい笑みを返した。

 ザリオットのエンジンが点火する。周囲に熱がこもり、草花が左右に大きく揺れる。居住区の真ん中でまた騒がせてしまうことを心の中で謝罪しながら、シェーラゼーヌはタラップに足をかける。
「シェーラ」
 振り返ると、シェータゼーヌがやや俯いて立っていた。自分と同じ菫色の髪が風になびいている。
「『箱』、勝手に覗いた。…ごめん」
 二人にしかわからない言葉。記憶の『箱』。申し訳なさそうに呟く彼に、シェーラゼーヌは首を横に振った。
「必要な情報だったのだもの。大丈夫、私は全然気にしてない」
 彼がチアースリアに情報提供をしてくれたおかげで、こうして仲間と再会し、改めて旅立つことが出来るのだ。感謝こそすれ、恨めしく思うことなどなかった。
 シェーラゼーヌがザリオットへ乗り込み、ゼファーも後を続く。一度だけ、姉と妹を振り返った。
「姉さん、セフィー、気をつけて」
「それはこっちの台詞だけど…まあ、そうね、気をつけるわ」
「ありがとう、兄さん」
 セフィーリュカが手を前に差し出す。リフィーシュアとゼファーは、順にそっと妹の手に触れ、三人は互いの顔を見合わせ頷いた。