Gene Over│Episode3宇宙へ 04因子

「こっちは片付いた。エル、次はどこだ?」
 返り血でまみれた上着を邪魔そうに脱ぎ捨てると、ドーランは死体によって築かれた小さな山の向こう側に立っているエルナートを見た。彼女の黒く長い髪も、人間達の返り血で不気味な赤色に変色している。
「これで最後だドーラン。もう敵の反応は見られない。それに…帰還命令だ」
 淡々とした声がドーランの耳に届く。しかし、言葉は届けても彼女の心は彼に向けられていなかった。死体の山から赤い視線を離さない。
「ドーラン…変わったな」
「戦闘アルゴニズムに調整は加えられていない」
「…前は、こんなに残酷な殺し方しなかった…」
 エルナートはゆっくりとドーランに視線を移した。自分と同じ赤い瞳が、射るようにこちらに向けられている。
「『残酷』?人間じみた言葉を使うようになったんだな、エルは」
 人間という言葉に憎しみを込め、ドーランはエルナートを睨んだ。あの日から、フィーノが壊れた七年前のあの日から、彼は徐々に変わっていった。人間になれるかもしれない、そうすればこの束縛から逃れられるかもしれない。彼は期待していた。しかし、フィーノの死―厳密には死とは言わないが―は彼をこんなにも変えてしまった。人間への憧れを口にしなくなった。寧ろ…人間の感情でいうところの『憎悪』を持つようになった。研究者達は感情システムの異常だと警鐘を鳴らす。でも、異端者を排除するためのデリートシステムはもう存在しない。
 フィーノの死を見たのは、ヒュプノスの中でドーランだけだ。エルナートには、あの時ドーランが何を見たのか、何を聞いたのか知らない。ヒュプノス達の間で神聖化すらされつつある、彼女の死とは一体何を表しているのだろうか。いつか、エルナートにもわかる時がくるのだろうか。
 そして…壊れるのだろうか。
 壊される日が…来るのだろうか。
 帰還を促す通信機の着信音だけが、空しく鳴り続けている。


 お世話になった人達に黙って艦隊に帰る訳にもいかない。そう判断したから歩き出したのに、フェノンはその途中で立ち止まっていた。自分より歩幅の大きいフィオグニルが彼女を追い越しかけて、ゆっくりと止まる。フェノンは小さな声で、相棒の名前を呼んだ。表情なく振り返った彼を見上げる。
「…フィオは…フィーノのこと、どれくらい知ってる?」
 ゼファーと対峙した時に感じたフィーノとしての意識。それは紛れも無くフェノン自身の記録で、それでいてフェノン自身の記憶ではない。曖昧な気持ちを隠し持ったままダースジアに帰ろうかとも思ったけれど、やはり気になる。どんなことでもいい。フィーノというヒュプノスについて、知りたい。
「…………」
 フィオグニルはフェノンを見下ろしたまま押し黙っていた。その瞳に感情の動きは見られない。考え込んでいるのだろうか。彼の人工脳の計算能力を超えるほど難解な質問をしたつもりはないのだが。
「…フィーノ……No.2……デリート…システム…破壊者(フィーノ)」
 呟くフィオグニルはどこか虚空を見遣り、フェノンのことを見ていなかった。異質さを感じ取り、フェノンは彼の手に触れる。優しく叩いても、彼はフェノンを見ようとしない。
「フィオ?フィオグニル?…ねえ、どうしたの?」
 袖口を必死に引っ張り、何とか自分を気づかせようとするが、フィオグニルはそんなフェノンの努力を意に介さなかった。
「どうしちゃったの?フィオ!ねえってば!?」
「プログラムΩ470始動…」
 フェノンが怒気を含んだ叫び声を上げたのと、フィオグニルが淡々とした口調で呟いたのはほとんど同時だった。フェノンが聞き返す間もなく、フィオグニルは腕を大きく振り上げ彼女の小さな体を思い切り突き飛ばしていた。
「きゃああっ!」
 受身を取る暇も与えられず、フェノンは近くにあった庭木の幹に叩きつけられていた。一瞬視界が白くなる。人工脳の核と言える組織、ヒュプノスの命の源の一つであるアダムが少し衝撃を受けたようだ。しかし、仮にも戦闘兵器であるのでそんなにやわに出来ている訳ではない。フェノンのアダム内で急速に計算が行われた。窮地に対して迅速に応じる処理能力は、フィオグニルより新しい型であるフェノンの方が優れている。フェノンはすぐに立ち上がると銃を片手に、アーベルン家の庭から出て行こうとする相棒を追いかけた。
「止まって!」
 我ながら緊張感に欠ける言い方だ。ドーランやエルナートならそれなりに説得力のある言葉になるのだろうが、フェノンは外見も行動も言動さえも子供らしく作られているのだ、この時ばかりはフェノンも大好きな博士を恨めしく思った。そんな彼女の言葉を無視して、フィオグニルは歩を進めてしまう。
「止まってってば!お願い!止まらないと撃つよ!?」
 言葉に耳を貸す様子がないので、フェノンはトリガーに力を込めた。しかし、その力が一定以上強まらないことに気づき愕然とする。
「…何でっ…力が入らないの…?」
 口にしてみてすぐ、その理由に気づいた。
 デリートシステム。
 フィーノだけが持っていた、ヒュプノス破壊のための力。人間に逆らうヒュプノスへの抑制力。具体的にどういうものであるかフェノンは知らないが、そのプログラムを持たないヒュプノスには、絶対に他のヒュプノスが破壊出来ないようになっている。
 昔のフィーノにはあって、今のフェノンにはない力…。
 フェノンは唇を噛み締めた。何が起こっているのかすらわからない。でも、今のフィオグニルは『危険』だ。危険感知プログラムがものすごい勢いで身体を奮い立たせようとしているのを感じる。
 窓ガラスに手をかけようとするフィオグニルを、フェノンは追いかけた。

 通信機の発する呼び出し音を聞きながら、デリスガーナーは緊張していた。自分の行動が軍規に逆らっていないということを、先程から何度も頭の中で確認している。
 プツッという小さな音に続いて、「こちら宇宙連邦実動戦闘第五艦隊旗艦ロードレッド」という堅苦しくて長ったらしく名乗る男の声が聞こえた。
「あなたの通信コードは正規のものではありません。もしかける先を間違えたのなら…」
 誰がわざわざ軍隊なんかと間違えて通信するものか、と言いかけて、シェータゼーヌは一度咳払いした。
「正規のコードでないことは承知していますが、どうしても連絡を取らなければならなかったんです。シェーラゼーヌ・コルサはそちらにいますか?」
 ロードレッドの通信士は「はあ?」と間の抜けた声を出した。
「な…あなたは誰なんですか?」
「彼女の兄です」
「ちょ…そんな、いきなり言われたって…」
 言われてみれば、声が似ているだろうか?通信士はすっかり混乱したようだ。ガタンという耳障りな音がする。通信用のマイクがついたヘッドホンを机の上にでも置いたのだろう。しばらく誰の声も聞こえなくなった。
「おいおい、大丈夫なのかよ…」
 デリスガーナーが若干怯えたような声を出す。シェータゼーヌはそれに答えず、何も言わない通信機を見つめた。キッチンで食器を洗っていたシオーダエイルもいつの間にか戻ってきてソファに座り、通信機を眺めていた。
 不意に通信機からガタンガタンという音が聞こえてきた。向こうで誰かがヘッドホンをつけたらしい。
「…シェータなのか?」
 もしかしたらシェーラゼーヌかもしれないと少し期待していたので、シェータゼーヌはその低い男性の声を聞いた時それが誰の声なのかすぐに判断出来なかった。しかし、自分のことを知っている軍人などそうそういるものではない。
「チアース?」
 しばらく会っていないので自信はなかったが、勇気を出して兄のように慕っている友人の名前を呼んでみる。
「どうしたんだ、突然?何でお前がここの通信コードを知って…」
「チアース、シェーラはそこにいないのか?」
 珍しく焦っているチアースリアの言葉を遮り、シェータゼーヌは尋ねた。
「シェーラは俺に臨時司令を押し付けてメルテに向かった。ここにはいない。急ぎの用事なら伝言を聞くが…」
 そう語るチアースリアはどこか苛立たしげだった。シェーラゼーヌと何かあったのだろうか。共有した記憶を探ればわかるかもしれないが、わざわざ詮索するような問題ではないだろう。
「シェーラがいないなら、チアースで構わない。ゼファー君…アーベルン司令が見つかったと伝えたかったんだよ」
 シェータゼーヌの言葉に、チアースリアは少なからず驚いたようだ。
「それは本当か!?今どこに…」
「怪我をして、自宅で休んでいる。俺もアーベルン家にいるんだ」
 チアースリアはしばらく黙っていたが、やがて「わかった」としっかりした口調で答えた。
「生きていてくれただけで…安心した。貴重な情報をありがとう、シェータ。シェーラにも伝えよう」
「ああ、頼む…」
 シェータゼーヌが言いかけた時、突如何かが割れる音が響いた。驚いてその場にいた三人が同じ方向を見る。
 そこにはばらばらに砕け散った窓ガラスと、その真ん中に佇む赤い瞳の青年が立っていた。
「フィオグニル…?」
 無表情な青年に向かってデリスガーナーが声をかける。しかしその声はフィオグニルに聞こえていないようだ。突然家の窓ガラスを割られ、シオーダエイルは戸惑った顔でフィオグニルを見つめた。当のフィオグニルの瞳には、おそらく誰の姿も映ってはいない。
「逃げて!」
 甲高い叫びが三人の耳に入る。フェノンが必死の形相でフィオグニルに掴みかかっていた。しかし、小さな虫を追い払うかのように、彼はフェノンを振り払っていた。小さな叫び声を上げ、フェノンは草の上に放り出される。しかし、先程と同じようにはいかず、きちんと地面に着地することに成功した。
「シェータ!どうしたんだ!?今の音は!?」
 チアースリアの声が通信機から聞こえる。シェータゼーヌは、フィオグニルから目を離さないようにしながら通信機に向かって叫んだ。
「よくわからないけど…エルステン人に襲われてる!俺たちの知らないところで何かが起こって…」
 そこまで言った時、シェータゼーヌの横を光の筋が通り過ぎた。いつの間にかフィオグニルの手に握られていた銃から煙が上がっている。ゆっくりと視線を転じると、通信機が粉々に壊れていた。
「な、何だって言うんだよ?どうしちまったんだ?」
 デリスガーナーが困惑した様子で身構えている。その右手は銃が入った腰のホルダーにぴったりと付けられている。
「敵対反応感知。目標の捕捉のために第七種交戦状態を要すると判断」
 フィオグニルが淡々と口にする恐ろしい内容を、ただ一人フェノンだけが理解した。
「交戦って、フィオ…何考えてるの!?目標の捕捉?そんな任務、あたし達に与えられてないでしょ!?」
 体勢を立て直したフェノンに、フィオグニルは無情にも銃を向けた。先述のようにフィオグニルはフェノンを撃つことは出来ないはずだ。あくまでこれは牽制のためである。しかし、フェノンにはそんなことを考える余裕がなかった。
「No.51…お前はこのプログラムを受けていない。よって、敵対象として認識する」
 フィオグニルの言葉に、フェノンは絶句した。彼の言っていることの意味がまず理解出来なかった。しかしそれにも増して、彼が自分のことを製造番号で呼ぶということが信じられなかった。
 フィオグニルの銃が火を噴いた。弾丸がフェノンの右胸に命中する。フェノンは信じられないといった表情で、その場に崩れ落ちた。
 そんなこと、出来るはずない。
 対ヒュプノス攻撃回避行動は、全ヒュプノス共通の基礎プログラムのはずなのに―。
「フィ…オ……」
 フェノンは地面に流れ出ていく自分の人工血液を眺めていた。自己を形作っている核である頭部のアダムと左胸のイブを壊されない限り、ヒュプノスに『死』は訪れない。しかし、フェノンには痛覚が与えられていた。撃たれた右胸の痛みが全身までも支配して、彼女の意識は急速に遠のきつつあった。
 悪い夢であって欲しい。
 あたしだって夢を見るんだ。
 フィーノの記憶を辿った時もそうだった。
 あたしは、苦しくて、痛くて、哀しい夢しか見られない。
 多分、そうやって…造られている―。

 倒れたフェノンが動かなくなるのを、他の三人は呆然と見ていることしか出来なかった。一人として、指一本動かすことが出来ずにいた。
 フィオグニルは倒れたフェノンを無感動に見つめていたが、やがて徐に三人の方へ向き直った。すっかり構えを解いてしまっているデリスガーナーに向かって、すっと銃を向ける。
「任務の邪魔をするならば容赦はしない。降伏することを勧める」
 淡々と紡がれるエルステン語に全員が戦慄した。意味が理解出来ず、デリスガーナーは再びホルダーの銃に手を遣った。フィオグニルが引き金に力を込める。
「第三種戦闘態勢…」
「二人共、伏せて!」
 フィオグニルが引き金を引ききる前に、シオーダエイルは戸棚に隠してあった護身用の銃を手に取ると、慣れた手つきでセーフティーを解除し、三発発砲していた。その間僅かコンマ数秒。当てるつもりは毛頭なかった。相手がひるんでくれればよかった。しかし、シオーダエイルの撃った弾の一つはフィオグニルの右目を覆っていた眼帯に命中した。パラリと音をたてて眼帯が床に落ちる。
「!?」
 眼帯の下に隠されていたものを見て、誰もが驚きを隠せなかった。赤い、瞳の形をした機械。瞳孔を模したものがキイィと不気味な音をたてて拡大したり縮小したりしている。
「な…何だ…あれは……?」
 シェータゼーヌを無理矢理床に伏せさせ、自らは勢いよく立ち上がったデリスガーナーが、漸く抜いた銃をフィオグニルに向け、動揺しながらも呟く。眼帯を撃ち抜いたシオーダエイルも驚き、すぐさまその声に答えることは出来なかった。しかし、銃を握る彼女の手は少しも震えていない。現役の軍人だったあの頃と同じ、鋭い視線で冷静に相手を捉えている。
「…人間じゃないのね…。……あなた達のような存在に、私は出会ったことがある…」
 なぜだろう、急に鮮明な記憶がフラッシュバックしてくる。今まであれほど思い出そうとしても思い出せなかったのに。
「八年前、エルステンで…そう…あなたと同じ、血のような赤い瞳の…」
 言葉の途中で、シオーダエイルははっとフェノンに視線を移した。
 目の前で夫が撃たれたとき、引き金を引いた者の顔をシオーダエイルはあの時、確かに目にした。赤い瞳。どこか辛そうな表情でレーザーガンを構えたその女性は、黄緑色の長い髪を黒いゴムで一つに束ねていて―。
 鳥肌が立った。どうして今まで思い出せなかったのだろう。あの子は、フェノンは、あの時の女性に似ている。いや、同じと言ってもいい。年齢は、もっと上だったように思うけれど。
 フェノンが、夫を殺した…?
 シオーダエイルは銃を取り落としていた。乾いた音がカーペットに吸い込まれた時、フィオグニルは躊躇うことなく銃口をデリスガーナーに向け直していた。
 しかし、その引き金が引かれることはなかった。
「どうしたの、お母さん!?」
 勢いよく開いた戸の向こうに立っていたのは、銃声を聞いて走ってきたセフィーリュカだった。その後ろに、リフィーシュアと彼女に肩を借りて歩くゼファーの姿もある。シオーダエイルは我に返り、子供達に向かって叫んだ。
「来ては駄目!逃げなさい!!」
 急いで銃を拾おうとしたシオーダエイルは、その途中でフィオグニルが銃口を向ける先を変えたことに敏感に反応して引きつった顔で動きを止めた。
「…お、お母さん…」
 セフィーリュカの額に、ぴたりと銃口が向けられている。銃を突きつけている本人は、無情な視線をデリスガーナーに投げかけた。彼は舌打ちすると、手に持っていた銃をフィオグニルの足元に放り投げた。カツンという音をたてて銃が床に転がり落ちる。
 不気味な沈黙の後、フィオグニルがセフィーリュカに「通訳を」と一言だけ言った。セフィーリュカは銃を突きつけられた恐怖と突然の申し出に驚いて、しばらく黙っていたが、やがてぎこちなく頷いた。
「私の任務は八年前に存在した宇宙連邦軍混成部隊EDF生存メンバーの確保と連行。シオーダエイル・アーベルン元准将、私と来てもらおう」
 娘の通訳によって伝えられた要求にシオーダエイルは息を呑んだ。
「なぜ…あなたがEDFのことを…」
「説明する必要はない。もし拒否すれば、娘の命はない」
 そう言いながら、フィオグニルは銃を握り直した。セフィーリュカが短く叫び声を上げる。
「やめて!…わかりました、従います。…従うから…皆には危害を加えないと約束してちょうだい…」
「わかった、約束する」
 シオーダエイルがゆっくりと歩き出したので、フィオグニルはその動きに合わせるようにセフィーリュカから銃を離した。腰が抜けたようにその場に座り込んだ彼女は泣きそうな顔で母親を見た。
「お母さん…っ…」
「ごめんね、セフィー。恐い思いをさせて…」
 いつものように優しく微笑むと、シオーダエイルはセフィーリュカを抱き寄せた。
「リフィー、ゼファーも。少し出かけるわね。大丈夫、心配しないで。すぐに帰ってくるから」
 数秒後、名残惜しそうに徐に身体を離すと、彼女はしっかりとフィオグニルに向き直った。彼は小さく頷くと自分で割った窓ガラスに近づいた。シオーダエイルもそれに従う。
「何なのよ、これ…どうして母さんが連れていかれなきゃならないのよ!?」
 リフィーシュアが去っていこうとする母の背に呼びかける。シオーダエイルは彼女の方には振り返らず、小さな声で呟いた。
「E-ユニット……」
「?」
 聞き返す間もなく、シオーダエイルは歩いて行った。誰もそこから動けなかった。何も言えなかった。ただ、妙に優しい風だけが全員の頬を撫でていた。
「…う……」
 これ程の静寂がなかったら、誰も幼い彼女の呻き声など聞こえなかったに違いない。庭の方で、フェノンはゆっくりと目を開けていた。徐々に胸の痛みが引いてきている。身体を起こす。
 最初に反応したのはデリスガーナーだった。放り投げた銃を拾うと、それを構えたまま庭に飛び出していく。思わず銃を向けてから、デリスガーナーはフェノンの傷がとても起き上がっていいようなものではないことに気がついた。右胸からの出血で、身に着けた白い軍服が真っ赤に染まっている。
「だ、大丈夫なのか、おい!?」
 結局デリスガーナーはもう一度銃を手放さざるを得なかった。背を丸めて座り込んでいるフェノンの背中にそっと片手を添える。すると、フェノンは青白い顔で笑った。
「大丈夫だよ、おじちゃん。あたしの血液はただのオプションだから」
 デリスガーナーの声に驚いて皆が集まってくる。セフィーリュカは首を傾げながらフェノンの言葉をプロティア語に翻訳した。
「血液がオプションって…何言ってるの、あなたは?」
 リフィーシュアが訝しげに眉を顰める。シェータゼーヌが冷静に問う。
「人間じゃない…ってことなんだろ?」
 セフィーリュカによってエルステン語に翻訳されたものを聞いて、フェノンは頷いた。先程のフィオグニルとシオーダエイルの会話は意識の遠くで聞こえてきていた。フィオグニルの眼部に埋め込まれた観測機器は人目に曝されてしまった。もう隠しても遅い。今更自分達が人間だなどと嘘をつくことは出来ない。
「あたしはエルステン所属備品人型戦闘兵器ヒュプノスNo.51女性型フェノン。プロティアに降り立ったのは銀河同盟軍を掃討しに来たから…だったはずなんだけど……」
 そこまで言って、フェノンは言葉を濁した。リフィーシュアが彼女の横に膝を立てて座る。
「どうして母さんがさらわれなきゃならなかったの?教えなさいよ」
「知らないの…」
「は?」
「あたし、何も知らないの。どうしてフィオがあんなことしたのか…プログラムがどうとか言ってた…。フィオはあたしより旧型だから、あたしの知らない何かが、昔からフィオに組み込まれてたのかもしれない」
 自分のことを製造番号で呼ぶフィオグニル。そんな態度はもちろん初めてだったが、寧ろ彼の基本的な感情プログラムが別のものに置換されてしまったような、そんな印象を受けた。しかし、真相はわからない。あれが本来のNo.34フィオグニルの姿なのかもしれない。今までの彼は、カモフラージュの人格だった?そんなトリックを仕掛けたのは一体誰?コアルティンスではないはずだ。わからないことだらけで、何から考えればいいのかすらわからない。
「…フェノンちゃんは敵じゃないよね?」
 セフィーリュカに真剣な目で覗き込まれ、フェノンは数瞬後彼女に頷いて見せた。
「大丈夫…だと思う。フィオも、あたしには『プログラム』がないって言っていたし」
「だったら…お母さんを助けるのを、手伝ってくれる?」
「セフィー?」
 リフィーシュアが驚いて妹を見る。彼女の空色の瞳は、力強い決意を秘めていた。
「あんた、母さんを助けに行くつもり?あんな危険な相手から助けるなんて無茶よ」
「そうだよ、セフィー。僕が母さんの捜索をする。だからお前はその報告を待っているんだ」
 姉に続いて兄もセフィーリュカにそう言った。セフィーリュカは二人にそっと視線を移すと、首を横に振った。
「もう、嫌なの…!私はいつも待ってるだけ。待って、待ち続けて、気づくと何かを失ってるの。お父さんが死んだって聞いた時も、兄さんが怪我して帰ってきた時も、今お母さんがさらわれたのも、私の知らないところで、私はどんどん失ってく…そんなの、もう耐えられないよ!だから、私は動かなきゃならないの。行動しないと、きっとまた何かを失くしちゃう…そんなの…嫌…!」
 セフィーリュカの目から涙がこぼれる。非力な自分へ向けた感情、そしてそんな自分を捨て去りたいという強い希望が彼女の中で入り混じった。
「セフィー…」
 俯いて鼻をすする妹の前にゼファーは膝をついた。そっと彼女の頬の涙を拭き取る。
「わかったよ。セフィーを独りぼっちにしたりしない。一緒に母さんを助けよう。でも、これだけは約束して欲しい…絶対に無理をしちゃ駄目だ。約束を守ってくれるなら、僕も、姉さんも、もう何も言わないよ」
「あんたは意外と頑固だからね。駄目って言ったって何か行動しちゃうんでしょ?まったく、そんなところまで父さんそっくりなんだから…」
 呆れたようにため息をついて、リフィーシュアもゼファーの横に膝をついた。セフィーリュカの頭を優しく撫でる。セフィーリュカが鼻をすすりながら顔をゆっくりと上げると、二人の暖かい笑顔が涙で微妙に霞みながら目に映った。
「兄さん、姉さん…」
「ま、実際問題、君がいてくれないとここの全員円滑なコミュニケーションすら取れない訳だしな」
「…この状況で、揚げ足を取るようなこと言うなよ…」
 一同を見渡しながらおどけた調子で話すデリスガーナーに、シェータゼーヌは頭を抱えて鋭く突っ込みを入れた。
「で?具体的にどうするの?母さんがどこへ連れて行かれたのかなんて、ここにいる誰も知らないわよ」
 立ち上がったリフィーシュアが一同を見回す。
「お母さん、歩き出す直前に何か言っていたよね。確か…E-ユニット、とか何か…」
 袖口で涙を拭い去り、セフィーリュカが呟く。誰一人としてそのキーワードに結びつくものが思い当たらなかった。
「どういう意味なのかな?名前からすると、何かの装置みたいだけど…」
「それに、EDFとやらのメンバーを連行しているってフィオグニル、言ってたよな。それも一体何のことなのか…。リフィーシュア、アーベルン准将がそういうメンバーだったことについて何か知らないのか」
 デリスガーナーの問いに、リフィーシュアは一度ゼファーと顔を合わせ、力なく首を振った。
「母さん、軍人だった時のことあまり話してくれなかったから…どんなことをしていたのか、よく知らないのよ」
「そうか…」
 何をしていいのかわからない。解決の糸口がまるで見出せないまま、一同はプロティアの春の風に曝されるだけだった。


「フィオグニル…?」
 ドーランが作った死体の山。その向こう側に平然と立つ二つの人影をスキャンして、エルナートはその一方が味方であることを認めた。フィオグニルの後ろから控えめについて来ている女性が誰なのかはわからない。
「お前はフェノンと一緒に行動していたはずではないのか?その人間は一体…」
「No.4、No.7、プログラムΩ470が始動した」
 淡々とした声が荒地に響く。エルナートとドーランはフィオグニルの言葉が理解出来ず、その場に固まっていた。
「何の話だ、フィオグニル?」
 ドーランが前に漸く進み出ると、フィオグニルは彼に向けて冷たい微笑を見せた。