Gene Over│Episode3宇宙へ 03戸惑い

「……」
 セフィーリュカは、自室のベッドに横たわったまま目を覚まさない兄の顔を見下ろした。兄の生死を確かめるため家を飛び出していった姉達は、痛々しい姿の彼を連れ帰ってきた。命に別条はない怪我だとデリスガーナーは慰めてくれたが、どうしても心配で、兄が目を覚ますまでの間、セフィーリュカは彼の傍を離れようとしなかった。
「兄さん…」
 答えてくれる訳ではないが、セフィーリュカはゼファーに声をかけた。ふと、先程母から聞いた話を思い出す。
「…兄さんは、知ってたの?…お父さんのこと…」
 開け放たれた窓の外から優しい風が吹き込んでくる。セフィーリュカの髪が、静かにその風に委ねられてさらさらと靡いた。風にはぐらかされてしまったようだと感じつつ、彼女は小さくため息をついた。


「帰還命令?」
 フェノンは驚いて相棒を見上げた。無表情な相棒が通信機を睨んだまま頷く。フェノンは自分の通信機を見ていない。先程フィオグニルと連絡を取り合った後、また電源を切ってしまった。フィオグニルも特にそのことを注意しない。
 二体はアーベルン家の庭に立っていた。これからの行動方針を決めようと思って外に出たのだ。ちょうどそこへ、ダースジアからの通信が入った。
「第二艦隊の攻撃が終了したようだ」
「…あたし達、何もしてないよ?」
「人間を一人助けた」
「……」
 淡々とした口調の中にある人間的な要素を、フェノンはフィオグニルから感じ取っていた。本人は自分の発言の重要性に気づかないのか、相変わらず無表情であったが。フェノンはそんな彼の顔を見て微笑んだ。
「そだね。人間達を殺すことより、そのことを報告する方が博士も喜んでくれそうだしね」
 フェノンはそう言いながら、自分の創造主のことを考えた。彼女に命を与えた人。彼女に世界を見せた人。今頃どうしているのだろう。研究所で研究を続けているのだろうか。ヒュプノスの未来を考えてくれているのだろうか。何だか恋しい。これは兵器である自分にとって、余計な感情なのかもしれない。けれど、そんなものを自分に与えたのは博士、コアルティンスである。意味がないこととは思いたくない。きっとこのプログラムには何か意味が込められているに違いないのだ。

 庭で何やら話し込んでいるエルステン人を、デリスガーナーはリビングの窓から一瞥した。
「何の話をしてるのかねぇ」
「エルステン人の考えてることなんて、私にわかりっこないわよ」
 リフィーシュアがデリスガーナーを睨む。突然睨まれて、彼は慌てた。
「そんな睨まなくたっていいだろ?どうしたんだよ?」
「何でもないわ。…少し嫌なことを思い出しただけ」
「嫌なこと…?」
「……私、ゼファーを見てくる」
 デリスガーナーの問いには答えず、リフィーシュアは部屋を出て行った。デリスガーナーとシェータゼーヌは顔を見合わせ、首を傾げた。
「一体どうしたんだ?」
「さあ…?」
 事態の掴めない二人をよそに、シオーダエイルだけが哀しそうに娘の出て行った戸を見つめていた。
「ところで、彼をここに連れて帰ってきて良かったのか?」
 シェータゼーヌが不意に天井を見上げる。ゼファーのことを言っているのだ。デリスガーナーは頭を掻き、首を捻った。
「そうなんだよな…。あの時は慌ててたからとっさに判断しちまったが、指揮機能が止まっていたにせよ司令部のトップを勝手に連れ出してきたわけだもんな…」
「自分の家に帰したんだから、別に誘拐にはならないだろう?」
「民間人のあんたにはわからんだろうが、軍には色々と規定ってのがあるんだよ」
「そうか、面倒なんだな…」
 シェータゼーヌは溜め息をついて俯き、続いて「あ」と短く声をあげた。
「どうした?」
「シェーラと連絡がつけば…」
「シェーラって……第五艦隊副司令のコルサ中佐?あぁ、あんた兄貴なんだっけか?」
「ああ。彼がここにいることを伝えておけば、誘拐罪とやらも何とかなるかもしれないぞ」
「それは良い考えだが、どうやって連絡とるんだ?相手は宇宙にいるんだぜ?」
 デリスガーナーは空を仰いで呆れそうになったが、先程自分が遠いダスローの地にいる人間と会話をしたという事実を思い出して、自分の通信機を見た。シェータゼーヌが頷く。
「…わかったよ、あんたのおかげでこの通信機がパワーアップ出来たんだもんな…。これも軍規に触れることだが、こいつを私用回線に繋げてくれて構わん」
 差し出された通信機を受け取りながら、シェータゼーヌは首を傾げた。
「そのくらいの軍規は知ってる。任務中に私用回線なんか繋がないさ。第五艦隊の旗艦に直接かけるんだよ」
「…は?…そんなものの通信コード、知ってるのか?」
 意味がわからず目を丸くするデリスガーナーをよそに、シェータゼーヌは目を瞑って何かを思い出そうとしているようだった。数秒後、通信機のキーボードに触れる。
「…諸事情あってな。俺は妹と記憶を共有することが出来るんだよ」
 原理はわからない。シェーラゼーヌが造られ、プロティアへ移住してしばらく経ったときお互いに気付いた能力である。意識を集中し、共有する記憶―二人は『箱』と呼んでいる―から必要な情報を取り出すことが出来る。同じ時間、同じ場所に存在するパラレルな存在だから出来ることだろうけれど説明は出来ない、とプロティアの研究者も首をひねっている。ただ、必要がなければ二人がこの能力を使うことはない。別々の人生を歩む互いのプライバシーに干渉することはしない主義である。 二人の秘密について知らないデリスガーナーは、信じられないといった表情で目の前の青年を見ていた。
「さすがプロティア人だな。色々な奴がいる…」
「…俺はカナドーリア人だよ」
 デリスガーナーの方に振り向くと、シェータゼーヌはそう言って哀しげに笑った。デリスガーナーはばつが悪そうに顔を背けると小さく、すまない、と謝った。


 キィ、と小さな音を立てて開いた戸の向こうに、姉が立っていた。
「姉さん?」
 リフィーシュアは無理矢理作った笑顔で妹に笑いかけた。
「セフィーがそろそろ疲れたんじゃないかなってね」
「私は平気だよ」
 気丈に答える妹の肩を叩くと、リフィーシュアはゼファーの枕元にそっと腰掛けた。
「…さんざん心配させて。早く起きなさいよ、この馬鹿」
 ゼファーの頬を指先でつつきながら、リフィーシュアは呟いた。セフィーリュカは苦笑してそれを見ている。ゼファーが目を覚ます気配がないので、リフィーシュアは指を離すと、拳を握り締めた。
「父さんが死んだって聞いたのも…こんな日だった」
「……え?」
 一瞬姉が何を言ったのか理解出来ず、セフィーリュカは数秒後に漸く聞き返した。
「あんたは覚えてない、か。私はよく覚えてるわ。今日みたいに、嫌になるくらい空が晴れ渡ってて、優しい風が吹いてた」
 プロティアにとっては日常的な天候に思える。しかし姉の目にはどこか特別なもののように映るらしい。セフィーリュカは自然と視線を窓の向こうに移した。リフィーシュアは立ち上がると、窓際に歩き出した。カーテンの横で少しだけ俯く。セフィーリュカは少し悩んだ後、姉を見据えると彼女に問いかけた。
「お母さんも、お父さんのこと言ってた…どうして?」
 妹の方にゆっくりとエメラルド色の瞳を向け、リフィーシュアは目を伏せた。
「母さんが?…そっか」
「……」
「あの人達に…エルステン人に会ったから…」
「え?」
 リフィーシュアは窓の方に振り返ると空を仰いだ。太陽の光が眩しくて、思わず目を細める。
「姉さんも…エルステンの人が憎い?」
「憎いわ。あの星が父さんを奪ったんだもの」
「でも…殺したのはあの人達じゃないよ」
「そんなこと…わかってるわよ…わかってるけど…」
 セフィーリュカは背を向けている姉の肩が小刻みに震えていることに気づき、自然と姉から兄に視線を転じていた。
「さっき…あの人達がゼファーを運んできた時も…すごく恐かった」
「恐かった?」
「ゼファーが、あの子に、フェノンちゃんに殺されたのかと思ったの…。あの子…銃を持って飛び出していったから。エルステン人の考えることなんてわからないもの…ゼファーを助けに走って行ったなんて、わからないもの…」
 彼女達がこの家を飛び出した時、セフィーリュカは気を失っていた。その間の経緯はよくわからない。ただ、自分が役立たずだったということだけはわかった。自分がその時通訳として姉達と二人のエルステン人の間を取り持てていたなら、姉がこんなに苦しい思いをする必要はなかったのではないか。そう思うと、強い罪悪感にかられる。
「ごめんなさい…私…」
 リフィーシュアにはなぜ妹がか細い声で自分に詫びているのかがわからなかった。彼女は窓を離れてセフィーリュカに近づくと、空色の頭を優しく小突いた。
「なんでセフィーが謝るのよ?…悪いのは私だわ。ごめん、変なこと言って。大丈夫よ、私はもうあの二人が悪い人達じゃないってわかったから」
 不意に風が室内へ吹き抜けた。窓の外から、数枚の花びらが入り込んでくる。その中の一枚がそっとゼファーの頬を撫でた。彼は、小さく呻くとゆっくりと目を開けた。
「兄さん!?」
「ゼファー!?」
 姉妹の声が重なる。見覚えのある顔に突然迫られて、ゼファーは目を丸くしてしばらく呆然としていた。
「…姉さん……セフィー…?」
 ゆっくりと、思い出すように呟く。何だかとても長い夢を見ていたような気がする。二人の姿が、家族がひどく懐かしい。その理由にやがて思い当たり、ゼファーは慌てて体を起こした。
「司令部は?艦隊はどうなっ…痛…っ…」
 途中で突然言葉を切るとゼファーは左肩を押さえた。セフィーリュカが慌てて兄に寄り添う。その隣でリフィーシュアが呆れたようにため息をついた。
「大丈夫、兄さん?」
「突然起き上がっちゃ駄目でしょ、まったくもう…」
 ゼファーは頷くと、苦笑しながらゆっくりと顔を上げた。
「大丈夫…。それより、あれからどうなったんだ?」
「あれからも何も、私達は司令部で一体何が起きたのかも知らないんだけど?」
 リフィーシュアがゼファーの顔を覗き込む。彼は俯くと、一瞬言葉を紡ぐのを躊躇った。指令室で目を覚ました時に広がっていた血の海と、その臭いが脳裏に甦る。
「僕は、自分の艦隊と通信するように言われて…副司令…と話して、彼女が艦隊を止めないようにと……その後は…思い出せない。気づいたら、同盟軍の兵士達が全滅していたんだ…」
 細い記憶の糸を慎重に何度辿っても同じ記憶しか甦らなかった。頭を抱えるゼファーをよそに、セフィーリュカとリフィーシュアは顔を見合わせて首を捻った。
「そんな状況で…何であんたは生きてるのよ?」
 単刀直入な姉の言葉にやや傷つきながらも、ゼファーはその問いの正当性に気づいた。
「…何でなんだろう?」
 情けない程に空しい一言が、またしても吹き込んだ優しい風に乗せられた。