Gene Over│Episode3宇宙へ 02再会

 傷ついた宇宙船の群れがプロティアの地上へと帰っていく。
 燃料が足らず、飛び立った宇宙港への帰還は叶わなかった。首都メルテからかなり離れた、宇宙軍の辺境基地の一角へ不時着する。
 壊滅の程度で言えば、先の第七艦隊と大差ないようにさえ思える。生き残った全ての艦がプロティアの地表に降り立ったのをモニターで確認し、シェーラゼーヌは安堵の息をついた。近くに敵影はない。地上まで追撃してはこなかったようだ。
「何とか、戻って来られたみたいですね…」
 通信士のエリルドースが呟く。どちらかと言えば楽観的な人柄で知られる彼も今回ばかりは肝が冷えたらしい。額にうっすらと汗をかいている。
「まだ安心は出来ません。司令の…アーベルン司令長官代理の無事を確認しなければ」
 シェーラゼーヌはそう言って宙を仰ぎ見た。もしかしたら自分の判断は間違っていたのかもしれない。第五艦隊が地上に降りたことで、司令部にいた何百、何千という命が失われたのではないだろうか。その中には、ゼファーも含まれていたのではないだろうか。もしそうだとしたら、自分はどうすればいいのか。気を強く持たねばと自らを奮い立たせるが、シェーラゼーヌは今にも倒れそうな程、精神的に疲弊していた。
「あいつのことなら心配いりませんよ」
 場違いの明るい声に驚いて、シェーラゼーヌは振り返った。特殊偵察艦ザリオットの航宙士リゼーシュである。彼は敵艦との戦闘記録を報告するために、チアースリアの使いとして旗艦の艦橋に訪れていたのだった。軍学校時代からゼファーの友人だという青年は、自信有り気に両手を腰に当て笑っていた。
「ゼファーは頼りなげに見えるところもあるけど、俺達を放っておいて死ぬなんて無責任なことはしないっすよ」
「少尉…。そうですね、私達が信じなくては、いけませんよね」
 リゼーシュの笑顔を見て、シェーラゼーヌも薄く微笑んだ。底抜けの明るさが武器であるこの青年を見ていると、こちらまで心配事が吹き飛んでしまうような気がしてくるから不思議だ。
「で、俺達はこれからどうするべきですかね?」
「あのような状況で仕方がありませんでしたが、きちんとした宇宙港に降りられなかったことが悔やまれますね。ここでは補給も満足に出来ませんよ」
 窓の外を見遣ったエリルドースが肩を落とす。ここは確かに宇宙軍の施設ではあるが、メルテにある設備とは雲泥の差がある。最低限の燃料を補給する程度しか望めないだろう。シェーラゼーヌも同じことを考えているらしい。端末に表示された全艦の情報を拾い上げ、難しい表情をしていた。
「すぐに戦線へ復帰することは難しそうですね…。他の艦隊の方達には申し訳ないですけど」
 しかし、のんびりしている時間はない。とにかく何か行動を起こさなくては。シェーラゼーヌは一度大きく深呼吸して気持ちを切り替えると、エリルドースに告げた。
「全艦に打電して下さい。『使用可能な小型艦の発進準備を。負傷者を搭乗させ、首都メルテに向かう。作戦指揮はコルサ中佐が執り、一時司令長官代理の任を降りる。アロラナール准将を臨時司令に任命し、残存部隊の戦線復帰準備、他艦隊との連絡役として留まることを命じる』」
 忠実に通信文を送り終えたエリルドースが、困惑した表情でシェーラゼーヌを振り返る。後ろで聞いていたリゼーシュも固まって立ち尽くした。
「臨時司令、って…?」
「この艦隊の中で一番階級が高いのは彼ですよ?」
「いえ、そういうことではなく…」
 驚きを隠せずに慌てるエリルドースをよそに、シェーラゼーヌは意地悪そうに笑って惚けた。そこへ、チアースリアが勢いよく艦橋に駆け込んでくる。
「一体どういうことだ、シェーラ!?」
 いつも冷静な彼も、この時ばかりは落ち着いていられなかったらしい。しかしシェーラゼーヌはいたって平静を保ち、微笑みを絶やさなかった。
「聞いた通りの意味よ、チアース。後のことはあなたに一任するわ。補給物資云々の手続きは私がメルテで責任を持って行いますから、その間の艦隊運営をよろしくお願いします」
「分隊の方を俺に任せれば良いだろう、お前がわざわざメルテまで出向く必要は…」
「司令代理命令ですよ。ザリオットを借りますね。さ、行きましょう少尉」
 チアースリアの言葉を遮り、シェーラゼーヌはリゼーシュの袖口を引っ張って艦橋を出て行った。艦橋内の他のクルー達も、呆然と彼女達が出て行った場所を見つめている。
「彼女、相当疲れが溜まっているようですね…」
 エリルドースは不安そうに臨時司令を見上げた。しかし、それには答えずチアースリアは自分の右手を凝視していた。
「叩いたことを、そんなに怒っているのだろうか…」
 誰よりも繊細な心を持つチアースリアは今更ながら、大切な友人に手を上げてしまった自分を悔やんだ。

「失礼しますね、セラさん」
 ロードレッドとは比べ物にならないような狭い艦橋に踏み入ったシェーラゼーヌは、慣れぬ計器の操作をして発進準備を急いでいたセラリスティアに声をかけた。彼女はいつも通りの明るい笑みで振り返る。
「あ、副司令…じゃなかった司令代理…でもない…えぇと、中佐!ようこそ!」
「落ち着けよっ」
 結局、今はどんな役職なのか?動揺している通信士に、リゼーシュが勢い良くツッコミを入れる。
「私が悪いんです。突然押しかけたりしてごめんなさい」
 急に発進命令を受けた挙句、艦長まで変わってしまったのだ、混乱するのも無理はない。シェーラゼーヌは二人に謝り、深く頭を下げた。リゼーシュが頭を掻く。
「や、中佐に頭下げられても…それより教えてくださいよ、どうして准将を臨時司令に?」
 階級が高いということには納得出来るが、リゼーシュには艦橋を去る間際に彼女がチアースリアに向けた爽やかな笑顔の理由が気になっていた。頭を上げたシェーラゼーヌは、首を傾げる航宙士ににっこりと笑いかけた。
「ちょっとした仕返しですよ」
 事情を知らないリゼーシュとセラリスティアは、二人が顔を見合わせ、新艦長に向けて、はあ、と曖昧な返事をすることしか出来なかった。


 きっかり三分三十五秒後、フィオグニルはフェノンの元に駆けつけていた。薄暗い軍司令部の曲がりくねった廊下も迷うことなく、フィオグニルにはすぐにフェノンとゼファーを見つけることが出来た。肩を押さえて蹲るゼファーを背に担ぐと、彼とフェノンは暗い司令部の建物を脱出した。敷地を出ようとしたところで、フェノンとフィオグニルの後を追ってきたリフィーシュア、デリスガーナーの二人と再会した。
「やっと追いついた…」
 疲れてへたり込んだリフィーシュアにフェノンが手を差し伸べる。礼を言って何とか立ち上がったリフィーシュアは、ふとフィオグニルが背に担いでいる人物を見て声を上げた。
「……ゼファー!?」
 聞き覚えのある姉の声に、ゼファーが目を開ける。
「ね…姉さん…?」
「あんた、生きてたのね!?私てっきり…」
「…勝手に、殺さな、いでよ…」
 答える声が弱々しい。肩の傷が痛むのか、不意にゼファーは目をかたく瞑った。デリスガーナーが傷を見て小さく呻く。
「銃で撃ち抜かれたのか…?弾は残っていないようだが」
「意識を、保つために…自分、で…」
「ゼファー、しゃべらないで!すぐ病院に…」
「いや…病院には、行かない…」
 ゼファーがリフィーシュアの言葉を遮る。リフィーシュアは困惑して弟を見つめた。建物内から出て来た一行を見て、警備隊も駆けつけてきていた。
「ど、どうして?」
「艦隊、が…危ない……副司令が…艦隊を…途中、で…止めて、しまったら…」
 うわごとのように呟いて、ゼファーは気を失った。リフィーシュアは訳がわからず、デリスガーナーを仰ぎ見た。
「軍のことはよくわからないわ。どうすればいいのよ?」
 デリスガーナーは両腕を組んだ姿勢のまま考え込んだが、アーベルン家に戻ろう、とリフィーシュアに切り出した。
「応急処置なら俺にも出来る。プロティア軍の状況は知らんが、彼の意思は尊重した方がいいだろう」
 デリスガーナーは救助要請をしようとしている警備隊へ振り返り、自分達の身元を説明するとゼファーを連れて行くことを了承させた。
 リフィーシュアは渋々承諾し、涼しい顔でゼファーを担いでいるフィオグニルに、家まで担いで行ってくれるよう頼んだ。言葉はわからなくとも伝わったらしい。彼は小さく頷くと、そのまま先頭を歩き出した。


 第二艦隊の観測艇が、第五艦隊所属全艦のプロティア着陸を確認して一時間が経過しようとしている。クリスベルナはプロティアに向けての攻撃を停止した。周囲の敵艦はほとんど駆逐出来たようだ。旗艦トルヘインのスクリーンに映るプロティアの青い空を見下した彼は、つまらなそうに舌打ちした。
「気に入らんな。プロティアの者を助けるなど…」
 ぶつぶつと呟き、彼は指揮杖を手の中で遊ばせていたが、ふと思い出したかのように通信士に声をかけた。
「ディレンはどうした?まだ戻らないのか?」
「はっ。セクトーシ少佐から連絡もありません」
 はきはきとした通信士の返事に、クリスベルナはうんざりしたように頷いた。
「別に第三級民の指揮する艦などどうなっても知らん。…ダースジアと通信を」
「了解」
 急に話を転換させた司令は、通信スクリーンに相手の顔が映し出されるのを待った。十秒としない内に、ダースジア艦長ログフィスト・ヘラー少将が敬礼をした格好で映される。クリスベルナは指揮杖を真っ直ぐ彼に向けると高らかに告げた。
「プロティアに放した『人形』達を回収せよ。これ以上プロティアを助けてやる義理などないからな」
 人形とはヒュプノスのことである。人間と同じ姿や心を持ち合わせているとしても、クリスベルナにとってはただの機械兵器でしかない。多くのエルステン人、特に『第一級民』にとっては、セレクトジーンによって生まれたプロティア人も同じことであった。ログフィストも彼と同じ価値観を共有している。何に疑問を持つこともなく、彼は司令の言葉に頷いた。ただ、小さく心のどこかで舌打ちする。人形達もこの呪われた惑星に置き去りに出来ればなお良いのにと。
「了解しました。人型兵器ヒュプノスの回収を開始します」
 『人形』ではなく『ヒュプノス』という正確な表現を用いたのは公的な理由でしかない。彼らを人間と同じように認めることは、自らの価値を否定することだと思うから。