Gene Over│Episode3宇宙へ 01過去

 空が見える。
 晴れ渡った空。
 そこを横切って飛んでいく宇宙船。
 セフィーリュカは知っている、そこに父が乗っていることを。
 銀色の機体が徐々に風化していく。
 晴れていた空はやがて赤く、黒く変色していく。
 その中を飛んでいた宇宙船も、赤く染められ、ゆっくりと動きを止める。
 全てが漆黒に包まれたとき、改めて現れたのは空色の髪の青年。振り返った瞳は髪とは異なるエメラルド色。それはよく見知った兄の姿。しかし、全身は赤く、赤く染められて…。
「きゃああっ!!」
 悪夢から逃れるように、セフィーリュカは飛び起きた。全身汗をかいてびしょ濡れになっている。鼓動も、呼吸も速い。
「セフィーリュカ!?」
 額の汗を拭い呼吸を整えていると、シオーダエイルが部屋の戸を開けて入ってきた。ベッドの横で心配そうに娘の顔を覗き込む。
「どうしたの?怖い夢でも見た?」
 優しい母の声に、セフィーリュカは頷いた。
「お父さん…兄さんも……みんな、宇宙で…赤く…血が……」
 話しながら夢の内容、そして失神する前にテレビで見た軍司令部の映像が脳裏にフィードバックしてきて、文章が明確にならない。声もひどく震えている。シオーダエイルはそんな彼女の体をそっと抱きとめた。優しい温もりが、セフィーリュカを徐々に安心させる。
「大丈夫よ、落ち着いて。お母さんが傍にいるわ。何も怖いことなんてない…」
「…うん…」
 セフィーリュカは、ふと母が入ってきた戸を見た。
「お母さん、皆はどうしてるの?」
 皆というのは、リフィーシュアやシェータゼーヌ、そしてセフィーリュカが連れて来た三人の軍人のことである。シオーダエイルは少し悲しげに俯いた。
「…リフィーとレンティスさん、フィオグニルさんが軍司令部に向かったわ…ゼファーを助けに、あの…エルステン人の女の子、フェノンちゃんが…ここを飛び出して…」
「兄さんを?」
 セフィーリュカは、慌ててベッドから立ち上がった。そしてそのまま部屋を出て行こうとする。
「どこへ行くの?」
「私も行く。皆、お互いに言葉が通じてないんだよ?私にも出来ることがきっとあるはずだから…」
「駄目よ!行かせないわ!」
 セフィーリュカの言葉は、シオーダエイルの珍しく大きな声でかき消された。戸の手前まで来ていたセフィーリュカは、驚いてそこで立ち止まり母を振り返った。
「お母さん…?」
 母が今にも泣きそうな表情でセフィーリュカを見ていた。母のこんな顔は初めて見る。シオーダエイルはセフィーリュカが部屋を出て行かないとわかると、辛そうに俯いた。
「セフィーには…まだ話したことがないわね…」
「?」
 俯いて目を伏せていたシオーダエイルは、何かを決意したかのように顔を上げ、セフィーリュカの空色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「お父さんが、どこで死んだのかを」
「えっ…?」
 不思議な沈黙が訪れる。セフィーリュカは、何も言えず、その場から動けず、母の悲痛そうな顔をただただ見つめ、続く言葉を待った。彼女はなかなか続きを話そうとはしなかったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「お父さんは、エルステンで、エルステン人に殺されたの…」
 セフィーリュカは目を見開いた。頭の中が一瞬真っ白になる。手足の冷たさがなぜか急激に感じられる。
「……え…だって、エルステンは…プロティアと同じ、宇宙連邦の…」
 唇が乾いて上手く話せない。
「あの時、私達は銀河同盟軍とも戦っていた。でも…私とお父さんが、本当に戦っていたのは…あの星の…」
 シオーダエイルはそう言うと、不意にこめかみを押さえて目を瞑った。
「お母さん?」
 駆け寄ろうとする娘に首を横に振ると、シオーダエイルはどこか虚ろに床を見た。
 ぼんやりと、記憶を辿る。
 そう、エルステンで、自分達は味方だった者達に追われていた。
 裏切り者と判断された。
 ―理由は?
「(…これ以上は…思い出せない)」
 セフィーリュカは、辛そうな母に何を言えばいいのかわからず立ち尽くしていた。
「フェノンちゃん達には…何の関係もないこと…。でも、それでも私は…心のどこかで、エルステン人を許すことが出来ていない…。カオスを奪った…あの星の人間は…!」
 涙声で、シオーダエイルは娘にそう告げた。いつも穏やかな母からは想像もつかない程の呪いの言葉に聞こえる。誰も恨んだことなどないような清純な母親像を、あっけなく壊されたような気がして、セフィーリュカは目前の母が別の世界の人間にさえ思えた。
 結局、セフィーリュカは姉達を追いかけることが出来なかった。今にも壊れてしまいそうな母を、残して行くことなど出来なかった。


 フェノンは一人、軍司令部の敷地に立っていた。奇妙な静けさが周囲の空気を重苦しいものに変えている。
 他のヒュプノスがやって来ている気配もない。ここには既に味方の生存者も、敵も存在しないということなのだろうか。それとも、他の地域での戦闘が激しいのだろうか。
「……」
 一歩ずつ、フェノンは歩き出した。右手に握った銃のマガジンがきちんと装填されていることを無意識の内に確かめる。
 建物のすぐ前まで来ると、警備隊らしい男達が緊張した面持ちで立っているのが見えた。建物周辺に転がる無数の死体を片づけているようだが、建物の内部へ入る様子は見受けられない。
「…宇宙軍?君、所属は…」
 フェノンの姿を捉えた警備隊の一人が彼女を呼び止める。中枢組織で今後の行動演算中だったフェノンは、無視して建物に向かって歩き続けた。
「待て、内部の安全はまだ確認出来ていない!地上軍の応援が来るまで、勝手なことは…!」
 何かを必死に叫んでいるが、フェノンの人工脳は不要な言葉であるとその声を完全にシャットアウトしていた。やがて、走って彼を振り切る。
 この先にどんなことが待っているのかわからない。フェノンは観測用ではないから。どんな敵に遭遇するのかわからない。フェノンは索敵用ではないから。どんな価値観を持って進めばいいのかわからない。フェノンは人間ではないから。

 一方その頃、リフィーシュア、デリスガーナー、フィオグニルの三人はフェノンを追って走っていた。
「ハア、ハア…まったく、あの子どういう足の速さしてるのよっ!?」
 家を出た時間は大して変わらないのに、一向にフェノンに追いつく様子がないので、リフィーシュアは息を切らしながら不平を言った。特殊戦闘員であり、一般人より遥かに体力はあるであろうデリスガーナーも、この遠距離走に疲労を隠せないようである。ただ一人、フィオグニルだけは息も切らさず、汗すら流さないで平然と先頭を走っている。
「エルステン軍人ってのは、鍛え方が違うんじゃない!?」
 一番後ろからリフィーシュアが叫ぶ。デリスガーナーはその言葉にがくりと肩を落とした。
「め、面目ない…」
 彼らの目指す軍司令部は、まだ遥かに先である。

 目眩を感じて、ゼファーは片手を壁に付け、もう一方の手で持っていた銃―敵の死体から奪ったもの―を落とし、頭を押さえた。そのままゆっくりと膝を折り、座り込む。
「…痛ぅ…」
 割れるような頭痛が襲ってくる。やはり打ち所が悪かったのか。目の前が霞んで見える。脳震盪を起こしているのかもしれない。いつも見慣れていたはずの司令部から外へ出るのに手間取っているのも、歩みの遅さや暗さのせいだけではなく、頭がおかしくなってしまったからなのか。このまま気を失えたら、どんなに楽だろう。そしてそのまま死んでしまえたなら。ゼファーは大きく首を振り、頭によぎった考えを打ち消した。それでも頭痛は治らない。
「確かめなければ、ならないんだ…、何が起きたのか…。そして、皆のところに、帰るん、だ…」
 ゼファーは呟きながら銃を拾い上げ、その銃口をしっかりと自分のもう一方の肩に当てた。そしてゆっくりと引き金を引く。乾いた発砲音と、自分の血が噴出す音。
「…っ!」
 呻きながら、自分で撃ち抜いた肩を押さえる。ひどい痛みだが、幸い弾丸は貫通したようだ。壊疽は免れそうである。ふらふらとした足取りで立ち上がり、ゼファーはまた歩き出した。肩は痛むが頭痛はどこかへ吹き飛んでしまった。意識がはっきりしてくる。

「今の…銃声?」
 フェノンは、すっかり電気系統が壊れてしまい、薄明かりしかないような軍司令部の廊下を歩いている途中で、自分の足音以外の音を聞いた気がして立ち止まった。その後は、何の音も聞こえてこない。
「……」
 右手の銃をしっかりと握り直し、フェノンは音のした方向へ歩いた。しばらく歩いたところで、彼女は自分以外の足音が聞こえてきていることに気づいた。とても遅く、重い足音。生存者だろうか。フェノンは両手で銃を構え、一歩ずつ慎重に歩き出した。なるべく足音を立てないよう歩いてはいたが、やがて大分近づいていたと思っていた足音が突如止まった。
「誰か…いるのか…?」
 男の声だ。フェノンは銃を構えたまま、声のした方向を凝視しつつ前進した。
「Luines noa phenone. Loo noa vazea?」
  『あたしはフェノン。あなたは誰?』
 まだ顔は見えないが、フェノンは尋ねてみた。次の瞬間、前方で銃を構える音が聞こえたので、フェノンが身構えると、先程の男の声がした。
「Weea dee la tooma…? Dee vieda Naterwoa?」
  『何語だ…?同盟軍人か?』
 フェノンは戦慄した。相手の言っている内容がわからない。相変わらず、他星の人間が他星の言葉で話すという当たり前の現象が彼女にとってはひどく異質なことであり、慣れることが出来ない。
「Loo noa liatza ve!? Luines noa loo zot fig harle!!」
  『あなた、何人!?あたし、あなたの言葉、わからないよ!!』
 すっかり混乱してしまい、フェノンはエルステン語で叫んだ。すると、不意に銃声が轟き、彼女の頬を弾丸がかすめた。
「Ee fe dee dieshelvei viez… you wilta vieda ena kifatz?」
  『何を言っているかわからない…敵と見なしていいな?』
 男が、やや圧力がかった声でフェノンに話しかける。しかしフェノンは何も答えられず立ち尽くしていた。足音が近づいてくる。先程の発砲で弾がフェノンの頬に当たったことで、相手に自分の位置を悟られてしまったのだろう。自分はなんて愚かなのだろうと思う。特別な瞬発力を持つフェノンにとって、弾丸を回避することなどわけないことだ。それなのに、そうすることが出来なかった。人工脳に搭載された戦闘アルゴリズムが正常に機能していないのだろうか。もしそうならフィオグニルに浴びせてしまった暴言は自分にも当てはまるものである。初めての敗北に、自分がとても小さく、情けなく思えてきた。そんなフェノンの失意とは裏腹に、男は歩み寄ってくる。それでも、何とか男の顔が判別出来る程に接近された瞬間、彼女はぴったりと彼の胸に向けて照準を合わせていた。もちろん相手の銃口も、一寸の狂いもなくフェノンの小さな頭に向けられている。
「…chaf…?」
  『…子供…?』
 男が何か呟く。すぐに襲ってくる様子はない。フェノンはその間に、暗闇に漸く慣れてきた目で相手を観察した。片手で銃を構えている。もう一方の手はだらりと横に垂れていて、よく見ると肩から血が溢れていた。たくさん血の付いた軍服は連邦軍のものである。心の中で微かな安堵感を抱きながら、フェノンは相手の顔を見上げた。整った顔立ちの若者。エメラルド色の瞳はやや戸惑ったようにフェノンを見下ろしている。そして、太陽の下で映えるであろう空色の髪。
「え…」
 瞬間、フェノンは世界が変わることに気づいた。耳鳴りがする。
 炎の上がる室内。そこに立っているのは、目の前にいるはずの青年ではない。蜃気楼のように視界が歪んでしまっていて目の前の人物像がつかめない。ただ、相手は自分に向けて銃を向けているように見えた。しかし、一向に攻撃してこない。
「……君は…」
 相手が何故か銃を下ろす。自分に向けて一言二言、話しかけているようであるが、何を言っているのかわからなかった。
「もう、嫌…こんなこと…」
 何も思考していないはずなのに、言葉が口をついて出た。気づけば自分も銃を向けている。その手はひどく震えていた。手の中の銃が見覚えのないものであることに気づくまでに、数秒の間があった。
 この世界にフェノンの意識は存在しなかった。劇でも見ているように、彼女の思考は無意味なものだった。人間が見る『夢』というのは、このようなものだろうか。
「私は…殺したくなんか…」
 確かに自分の声なのに、口調が少し違う。
「(フィーノ…?)」
 ふとフェノンは自分の前駆体のことを思い出していた。
 これはフィーノの記憶なのだろうか。そんなはずはない。製造した時に前駆体の記憶は消去したと、コアルティンスは言っていた。彼の言葉はいつも真実。それに、嘘をつく理由も見つからない。
 そんなことを考えている間に、自分の指が引き金を引く感触を得て、フェノンは凍りついた。
「(だめ…!フィーノ!!)」
 フェノンの声は届かず、見覚えのない銃から放たれる青い光。ああ、これはレーザーガンだったのだ。妙に冷静に思考する中、撃たれた相手は胸に手を当ててよろめいた。鮮血が溢れ出す。
 血の臭いがリアルに再現される。これは確かに以前経験したはずの記憶。記憶は消去されていない。深層意識の海で、確かに漂流している。自分はフィーノの延長だったのだ。
「…いやああぁーっ!!」
 フィーノの悲痛な叫びで、フェノンは世界の崩壊を感じた。白昼夢が、悪夢が終わる。もうこんな記憶見たくない。過去の自分の傷を直視出来ない。しかし、フェノンは崩壊する世界の中で、フィーノが撃った相手の顔を見た。見覚えのある空色の髪。そして哀しそうな同色の瞳。自分がプロティアで会った少女と同じ形質の男。
「…セフィーお姉ちゃんの…」
 呟いて、フェノンは初めて自分が元の薄暗い建物の中にいることに気づいた。意識が急速に取り戻されていく。目の前にはきちんと先程の青年が立っていた。ただ、驚いたように目を見開いて。
「セフィー…だって?」
 心の中で呟いただけのつもりだったのに、声になって漏れていたらしい。青年は、セフィーリュカの兄ゼファーは、フェノンの頭に向けていた銃をゆっくりと下ろした。それを見てフェノンも銃を腰のホルダーにしまう。
「君はセフィーを、妹を知っているのか?」
 プロティア語で紡がれる言葉に、フェノンはただ首を傾げることしか出来ない。共通語は、お互いが知っている少女の名だけである。
「…くっ…」
 ゼファーが急に肩を押さえて蹲る。取り落とされた銃が床を転がった。フェノンは驚いて彼の隣に膝をついた。間近で見ると傷のひどさがよくわかる。血がとめどなく流れているのである。いつから出血しているのだろう。時間によっては、失血死してしまうかもしれない。
「どうしよう…あたしの力じゃ運べないし…。ドーランがいてくれれば」
 フェノンはダースジアを降りてから一度も顔を見ていない仲間のことを思い起こし、同時に利き腕とは逆の腕に感じる重みに気づいた。
「あ、そうだ!通信機!!」
 他のヒュプノスならばきっと何の苦もなく気づくことに、フェノンはまだ気づけない。それは彼女の絶対的な実戦経験の少なさであろう。フェノンは慣れぬ手つきで通信機の電源を入れた。電源が入っていない時点で、彼女の未熟さが思い切り露呈していると言える。マイクのボタンを押しながら、彼女は必死に呼びかけた。
「こちら、No.51フェノン。軍司令部で生存者を一人見つけたの!誰でもいい、至急搬送を手伝って!」
 返事はすぐにあった。スピーカーの音量を調節して、待ち受けていると、その声は先程喧嘩別れした相棒の声だった。
「こちらNo.34フィオグニル。応援要請了解。三分三十五秒後にそちらに到着可能。待機していてくれ。通信終了」
 通信機からそれ以上言葉はなかった。他のヒュプノス達は別の領域で任務を遂行中なのだろう。皆、敵をたくさん殺しているのだろうか。フィーノのように、無抵抗な人間達も躊躇なく殺しているのだろうか。飛び散る血を想像して、フェノンは俯いた。
 でも、そうだとしたら、この戦いが終わった後、自分達はどうなってしまうのだろう。壊されて、捨てられるのだろうか。どんなに感情を持って人間に近づいたところで、結局戦争の道具でしかないのだろうか。
 そんなのは嫌だ。納得出来ない。フィーノが壊すためのものであったなら、フェノンは救うために在りたいと思った。そのためには、まずこの青年を救わなければならない。彼を思う人々に、彼の帰りを待っている人々に、フェノンは会ったのだから。


 軍隊のような装備だが、宇宙連邦の正式な軍属ではない。辺境の宙域に存在する惑星シレホサスレンに存在する不思議な機関、『矯正院(ケルセイ)』に招かれた、エルステン宙域第七研究所所長にしてヒュプノス開発局長のコアルティンス・フォルシモはケルセイを形作っている球状の要塞の中枢と呼ばれる場所にいた。突然シレホサスレンの機関から名指しで召集された時は何事かと思ったが、今ならなぜ自分がここにいるのか、いなければならないのかがはっきりとわかる。
 しかし、突きつけられた事実は必ずしも喜ばしいことではない。自分が求められていることは理解出来たが、だからといって自分に出来ることなど何も無い気がしていた。
 遡ること数時間前―。
「これが、我々が独自に入手した、あの兵器の実動データです」
 柔らかい口調ながらも淡々と、ケルセイの専属星間通訳ニーセイム・ハルグメラは手元の端末を操作した。夥しい数の数字が羅列しているのをコアルティンスは眺める。しかし、そんな彼が突然その両手を机に叩きつけ立ち上がったので、ニーセイムは驚いて一瞬肩を震わせた。
「フォルシモ博士、どうかなさいましたか?」
「これは…この理論構成は…」
 声が震えているのが自分でもわかる。コアルティンスは、かつて自分の師であった人物を思い起こしていた。ヒュプノス開発の祖であり、何十年かかっても追いつくことは難しいであろう才女。
「ルーズフトス博士…?」
 あり得ない。コアルティンスは一人、思考を巡らす。
 チアキ・ルーズフトス博士は他人に自分の理論を応用する術を決して与えようとしなかったし、その使用を絶対に許さなかった。そのため、幼少時より彼女の元で学んでいた弟子であるコアルティンスは彼女からヒュプノス製造の基礎理論のみを教えられ、応用理論は自力で考え出すしかなく、フェノン一体を造るのに相当の年月を費やすことになったのである。自負するわけではないが、コアルティンスはチアキの門下で一番優秀である。そんな彼であっても、惑星を一つ滅ぼすような兵器は作れないし、作る気もない。こんなものを作ることが出来るのは、チアキ本人しかいないのだ。
「でも…」
 冷や汗が頬を伝わる。奇妙な胸騒ぎが若い博士を襲う。
「そんなこと…だって、博士は…!」
 既に死んでいるのだから。

 チアキ・ルーズフトスという人物は、気難しい雰囲気を纏った、機械工学専門の科学者だった。
 物心ついた頃から科学者として彼女から教育を受けていたコアルティンスは、最後まで彼女がどういう人物であるのか明確に知ることは出来なかった。
 チアキは、コアルティンスのことを嫌っているのだと思っていた。誰に対しても厳しかったような気はするが、特に彼に対しては接し方が穏やかでなかったように思う。コアルティンスは結構負けん気の強い質であったので、一度だけ、何故そのように振舞うのかと彼女に直接聞いてみたことがある。彼女は彼を嘲り笑って告げた。
「別に理由はないよ。強いて言うなら、プロティア人で、フォルシモの男系だからかね」
 コアルティンスはその言葉について三日三晩悩んだ。始めは、エルステン人がプロティア人のことをよく思っていないということを知っていたのでその所為だろうと考えていた。しかし、チアキの故郷はエルステンではなく、第一宙域所属惑星ハインであるということを人から聞いてからは、何故彼女がそのような発言をしたのかが、余計にわからなくなった。
 しかし、成長したコアルティンスは漸く彼女の言葉の意味を理解してしまったように思う。
 Gene(遺伝子) Over(超越)。
 師が口癖のように何度も説いた言葉。
 遺伝子超越とは文字通りの意味を持つ。
 ヒトは、全ての生物は個体の遺伝子の多様性によって進化し、生を紡いでいく。遺伝子は混ざり合い、自然の摂理に符合しつつより新しく、有利な変異を続けていく。この理論により、子は親よりもより環境適応に有利であり、また、親を超越する何かを必ず持っているという考えが生まれた。
 コアルティンスはプロティア人である。セレクトジーンにより優秀な遺伝子を選択され、生まれてきた。
 だが、その中でも『フォルシモ家』は特殊だ。フォルシモ家のセレクトジーンには『優良種』も『標準種』も関係ない。『特別種』と呼ばれる。
 フォルシモ家は何代も続く科学者の家系であり、数十代は『天才』と呼ばれる人物を輩出している。何故そのようなことが可能なのか。
 フォルシモ家に元々天才は一人だった。
 エミーレンス・フォルシモ。
 二百二十年前、現在の時空転移システムを提唱した、宇宙では誰もが認める天才科学者。彼はフォルシモ家において、『父』と呼ばれる存在である。これは比喩ではない。文字通り、フォルシモ家の人間全ては彼の子供である。
 エミーレンスは、生前から皆に認められた天才だった。彼の両親は科学者などとは全く縁のない職業であったのだが、彼はプロティア人にしては珍しい突然変異を起こした人間である。彼は若くして亡くなったが、彼の死を惜しんだ親族は彼の遺伝子を厳重に保管した。当時遺伝子研究の発達において先頭を行っていたプロティア政府は、彼をフォルシモ一族の『父』と定め、その血を絶やすことを禁じた。それからというもの、フォルシモ家は誰もが共通した父を持つ、全員が異母兄弟という関係を持つ奇妙な家族集団として発達して久しい。
 コアルティンスの父親も、もちろん始祖エミーレンスである。百年以上前に亡くなった父と会ったことは当然ない。そしてコアルティンスは、母親にも数回しか会ったことがない。彼女のことは、プロティアで、やはり科学者として生きているということと、三歳しか年が違わないというくらいの情報しか持たない。先述の通り、物心ついた時にはチアキが傍にいた。といっても、彼女が母親代わりという訳でもなかった。コアルティンスは両親という存在を始めから知らなかった。そのことが不幸なことであるのかどうかも、彼には理解出来なかった。ただ、自分は少しだけ特殊な人間であるという程度の認識しか、彼にはなかった。
 異質な家族形態。
 遺伝子交配の多様性を無視した人口の増加。
 プロティア人が他星、特にエルステン人から奇異に見られ、距離を置かれてしまう最大の原因がここにある。
 何代も同じ父親を持つ家族。遺伝子の多様性を生むためには、母親の遺伝子の多様性が重要視される。しかし、コアルティンスに見られるように、フォルシモ家の『母親』はまた、一族の『娘』である。
 近親相姦。
 近親相姦は思わぬ遺伝病を発現する可能性も考えられ、長い歴史の中で忌み嫌われてきた。しかし、プロティアの遺伝子技術はこの弊害も見事に打ち破った。つまり、セレクトジーンの技術により、個人の身体及び全体の社会に害を及ぼす遺伝子を排除することで、健康で健全な人間を作り上げることが、いつしかこの星における暗黙の了解となっていったのである。これには近親相姦の考えなど必要ない。不適当な遺伝子が出来上がれば、それを取り除けばいいし、失敗すれば作り直せばいい。 だが、父と同じ遺伝子、そしてやはり同じ父から生み出された娘との交配であれば、生まれて来た子供が能力的に親を超えることは出来ないのではないか。親に比べて子は新しい環境に適応し、相応の進化を遂げていく、そんな自然の摂理が、『特別種』であるフォルシモ家には見出せないのではないか。
「お前は遺伝子超越を起こせない。自明だね」
 師は、コアルティンスにそう言っていた。可能性を、最初から認めてもらえなかった。侮蔑とまではいかないが、哀れなものを見るような目で見られていたことを覚えている。
 だが、プロティアにおける人間の価値はそうやって定義づけられている。
 遠い昔からではない。
 歴史のほんの数頁。
 人類が生命をどこか信じられなくなってから。
 自分達を、世界を知りすぎてしまってから。