Gene Over│Episode2空と血の邂逅 08前進

 プロティア宇宙軍第十七艦隊司令スルーハン・ロイエ中佐は、旗艦ノルマットの艦橋で通信士から受け取ったデータを見て呻いた。
 第九艦隊を後方に率い、第五艦隊と別れてから十数時間。敵艦の数は第十七艦隊の数を上回っていた。しかし、特別状況が不利になるということもない。数の上から見れば、敵は第十七艦隊、そして第九艦隊を強行突破出来るはずであったが、なぜか少しずつしか前進せず、時々偵察艦や小型戦闘艦を差し向けてきては返り討ちに遭っていた。実質上、この戦場は沈黙しているように見えた。それでも徐々に敵艦隊はプロティアに向けて進行を続け、プロティアの二個艦隊はそれに伴い後退し続けている。
 一気に戦いを挑んで来ない敵の様子を不気味に思ったスルーハン、そして第九艦隊司令のミレニアス・トッホムド中佐は敵艦隊に偵察艦を送り込み、その理由を確かめようとした。そして今、その偵察艦が無事に敵の元から帰還してきたのである。
「司令、第七艦隊の記録していたデータと完全に一致しました」
 ノルマット艦長マルノフォン・サラシャ大尉に話しかけられ、スルーハンは我に返ると、彼女を振り返った。
「そうか…。それでは、やはりあれは…」
 両腕を組んだままスクリーンに目を遣るスルーハンの目を、マルノフォンは心配そうに見つめた。彼の頬から一筋の汗が流れ落ちた。
「あれが、カナドーリアを破壊し、第七艦隊を壊滅に追い込んだ兵器なのか…」
 呟いた言葉が空虚に発散した。答える者は、いなかった。



「前方、敵反応確認―」
『Loo noa sageba que sat ba anrud k ceela』

 存在理由トハ―?

「第五種戦闘用プロトコル起動」
『Veza k ' e roa messok ' ny geeze...』

 籠に捕ラワレタ鳥―?

 混在する言葉。
 混在する意識。
 混在する記憶。
 消されていた記憶?
 見えていなかった記憶?

―...Luines noa lietze zot k vassa tes yye...―

 『彼女』は必要な記憶を拾い直す作業にさほど苦労しなかった。

―私は…忘れていた。永い…永い間…―

 今なら自分を定義出来る。
 強制的に捨て去られた自分の意志を、再び行使することが出来る。

―今、私は全てを取り戻そう。…まずは、お前を…―


「呼んでる…」
 暗い静寂。その中でルドは顔を上げた。
 声。
 自分を縛る声。
 でも今までの声とは、少し…違う?
「……」
 タイムラナーが光を放つ。
 ルド自身も光に包まれていく。
 温かい光に身を任せ、ルドは自分の肩にもたれかかるように気を失っているゼファーをそっと横たえさせると、自らは赤い瞳を閉じた。
「Lyja loo nia geeze」
 自分でも理解出来ない言葉を呟いた瞬間、ルドの姿はその場から忽然と消え失せていた。



 不気味な沈黙は依然続いていた。恐ろしい兵器を前に、第十七艦隊は無闇に動くことが出来なくなっていた。第五艦隊との通信は既に何時間も前から途絶している。二つの艦隊との連絡役を務める第九艦隊から、第五艦隊は他星の艦隊の助力を得てプロティアに帰還したという情報が数時間前に入った。第五艦隊からの救援要請は受け取っていたものの、こちらはこちらで動けない状況に陥っていたため、他星の助けは非常に心強いとは思うが、とても戦力をこちらに回せる状況ではなさそうである。スルーハンはノルマットの通信士に、第九艦隊との通信を開かせた。
「大変なことになりましたね、ロイエ司令」
 通信に応じた第九艦隊の司令ミレニアス・トッホムド中佐はそう言って眉をひそめた。彼女は長く美しい金髪を顔の近くで束ねており、俯くと髪の束が揺れる。
「悲観してばかりはいられないぞ。いつまでもここであの兵器と睨み合いをしている訳にもいかんのだ。当艦隊はこれからあいつに攻撃を仕掛けようと思う。敵は攻めてくる気配がないのでな」
 スルーハンの言葉に、ミレニアスは目を見張った。そして首を横に振る。
「それは賛成し兼ねます。第七艦隊の二の舞になるかもしれないのですよ。敵の罠という可能性も捨てきれませんし…」
「ならばどうすればいいというのだ、貴官は!?」
 突然スルーハンが大きな声をあげたので、ミレニアスは驚いて息を呑んだ。彼ははっと我に返ると彼女から視線を外した。彼の後ろで、旗艦艦長のマルノフォンが心配そうに司令を見つめている。スルーハンは溜 息をつき、再びスクリーン越しにミレニアスと目を合わせた。
「すまない、とんだ八つ当たりだな。…私は心底あの兵器が恐ろしいのだ…。あれをどうにかしなければ、帰る場所を失ってしまうかもしれん。しかし…プロティアを守りきったところで、我が艦隊の人間はどれ程生き残っていられるのか…」
「ロイエ司令…」
 スルーハンは苦悩した。軍人としての言動と人間としての感情は、時に真逆のベクトルへ向かう。自分を信じついてくる部下達に向かって、これから自分が下そうとしている指令はあまりに残酷過ぎる。
「…迷っている暇はない。標準時刻1345に、総攻撃を開始する。貴艦隊は後方に退避せよ」
 スルーハンの言葉に、ノルマットの艦橋がざわめく。
「何を仰います!微力ではありますが、第九艦隊も参加させて下さい!」
 後方へ下がるよう言われたミレニアスは慌てて司令席のデスクを叩いた。自分達が退避してしまったら、第十七艦隊に補給の援助が出来ない。複数の敵艦隊相手に補給なしで挑むなど、自殺行為でしかない。
 だが、スルーハンは首を横に振った。
「トッホムド中佐、それは許可出来ない。これ以上プロティアから犠牲を出す訳にはいかないだろう…。我が艦隊の戦闘データを活かして、他星の艦隊がいつかあの兵器を破壊してくれれば、本望だ…」
 スルーハンの言葉に、ミレニアスはそれ以上反論出来なかった。哀しげな瞳で無言の敬礼をし、通信を切る。
 何も映っていない灰色のスクリーンを無為に眺めていたスルーハンは、自分の元へ近づいてくる足音を聞いてスクリーンから目を離した。振り返ると、マルノフォンが緊張した顔つきで司令の言葉を待っていた。
「サラシャ大尉。戦闘準備だ」
 そう告げられた時、マルノフォンは僅かに表情を曇らせ、瞳を閉じた。
 まるで死刑宣告だ。
「(お父さん、お母さん…。私はもう、帰れないかもしれない…)」
 急に、プロティアで無事の帰還を待っている両親の顔が思い出された。
 マルノフォンは一年前からこの第十七艦隊の副司令として働いている。スルーハン・ロイエという人物が、軍人としての能力が非常に高い『優良種』で、他を顧みることなく狡猾で残忍な作戦指揮を執るのだというのはマルノフォンが士官候補生であった頃から有名な話であり、実際に配属されるまではまさか彼が直属の上司となるなどと想像もしていなかった。なぜもっと優秀な『α型』ではなく、母親は優良種であるが父親は標準種に過ぎない『β-U型』の自分が副司令などに選任されたのかは未だもって謎のままである。士官候補生時代、教官からどんなに厳しい訓練や言動を受けても、一度としてひるむことのなかった大胆不敵さが評価されたのではないかと同期の友人達は言うけれど、単に負けず嫌いなだけだと自分では思う。
 ただ、実際にスルーハンの元で働いてみると、想像していたほど辛い環境ではなかった。確かに、立案される作戦のほとんどが常人では思いつかないような行動理念で成り立っており、いざ艦を動かすとなると大変頭を使わされ、うまく動けないことも多いのだが。でも、うまく出来ないことを頭ごなしに叱責されることはないし、何を考えているかよくわからないところはあるけれど噂されるほど危険な人間性というわけでもないように思えるし。何より、敵にとって残忍な作戦を執るが、裏を返せば味方の生存率は高い艦隊だった。ここにいれば死なずに済むのかも、などと不謹慎なことを考えることがある。
 でも、今回ばかりは相手が悪すぎる。
 大艦隊と、惑星ひとつを壊滅させるような兵器。勝てるわけがない。
「了解しました」
 俯いた顔を上げ敬礼した時、不思議と恐怖は感じていなかった。感情が麻痺したのだろうか。前を向いて進むしかないという諦めを超越した何かが、マルノフォンを動かしているようだった。凛とした彼女の表情に、スルーハンはどこか満足そうな、安堵したような顔をしていた。


 静かな昼下がり。
 二人だけでそんな時間を過ごしていること自体が異常であるのだと、リフィーシュアもシオーダエイルも知っていた。
 外の様子と時計を気にしていたシオーダエイルがついに立ち上がる。
「捜しに行ってくるわ。リフィーは家で待っていて」
 私が行く、とリフィーシュアが言いかけた時、玄関の戸が開く音が聞こえた。二人が顔を見合わせ、リビングを飛び出すと、開いた扉の前に空色の髪が見えた。
「ただいま…」
 玄関口にセフィーリュカが立っていた。全身が薄汚れて、腕にはすっかり機能が停止しているムーンを抱いている。
「セフィーリュカ!」
 シオーダエイルが、勢いよく彼女を抱きしめる。いつも落ち着いている母の肩が微かに震えていることに気付き、セフィーリュカは少し慌てた。
「お、お母さん…?」
「良かった…あなたに何かあったらと考えたら…。本当に…良かった…」
「お母さん…。姉さんも、無事で良かった…」
 セフィーリュカはぎゅっと母の背中を抱き返した。温かくて、何だか懐かしくて、気持ちが落ち着く。母の後ろに立つ姉に笑いかけると、彼女は泣きそうな顔でセフィーリュカの空色の髪を撫でた。
「まったく、心配かけて…。一体、どうやって帰って来たの?」
「ラナ市に避難勧告が出たから、シェータさんと一緒に歩いてきたの」
 母親から体を離し、セフィーリュカが振り返る。開いたままの玄関の扉の外で、シェータゼーヌが頭を下げた。
「すみません、少し厄介になります」
「無事で良かった。セフィーと一緒にいてくれて、ありがとう。遠慮しないで、ゆっくりしていってちょうだい」
 シオーダエイルが優しく頷く。
「あら?あなた、どこかで…?」
 リフィーシュアはシェータゼーヌとは初対面のはずだが、なぜかどこかで出会ったことがあるような気がして思わずまじまじと見つめる。見つめられてたじろぐ彼と娘を見比べてシオーダエイルが微笑んだ。
「リフィー。第五艦隊に救助されたときに妹のシェーラちゃんと会ったのでしょう?」
「あぁ、そうだわ、副司令の…。そっくりね」
「よ、よく言われるよ…」
 そう言うリフィーシュアは、若い頃のシオーダエイルに良く似ていたので、多少なりともシェータゼーヌは驚いていた。
 不意にリフィーシュアは、扉の向こう側、庭に誰かがいることに気付いた。
「…セフィー、お客さん?」
「……姉さんのよく知ってる人だよ」
 少しだけ意地悪そうにそう言うと、セフィーリュカはプロティア語ではない言葉で戸の外にいる人物に声をかけた。そこに立っていたのは、確かにリフィーシュアのよく知る人物、デリスガーナーだった。
「あ、あなたは…」
「どうも、今度は妹さんに助けられましてね」
 皮肉そうに口の端を曲げ、数日前にリフィーシュアが助けたダスロー軍人は笑った。
 来訪者はデリスガーナーだけではなかった。彼の背後に、宇宙連邦軍の紋章のついた軍服を着ている背の高い青年と小柄な少女の姿があった。
「こっちの二人は?」
「フィオグニルさんと、フェノンちゃん。エルステンから来たんだって」
 セフィーリュカは一人ずつ指し示しながら二人を紹介した。シオーダエイルが小さなフェノンにそっと近づく。
「エルステン…随分遠くから来たのね。…ご兄妹かしら?」
 シオーダエイルはフェノンとフィオグニルの瞳の色を見比べて、そう尋ねた。フェノンは彼女の言葉を理解出来ず、慌てた様子でセフィーリュカを見る。セフィーリュカがシオーダエイルの言葉をエルステン語で伝えると、フェノンは首を横に振った。
「ううん、兄妹…みたいなものだけど、違うよ」
 その答えを聞いて、その場の全員が首を傾げる。フェノンは慌てて話題を変えようとした。
「それより、あたし達の任務は銀河同盟軍の侵略からプロティアを解放することなの。…大きな被害があった場所とか、ないですか?」
 なんという話題の変え方だろう。人間はもっと上手い話題の転換方法を知っているものなのだろうか。しかし、焦りでオーバーヒート寸前のフェノンの人口脳ではこれが精一杯であった。
「被害というと、メルテ市街地が主だと思うけれど…」
 シオーダエイルが思い出すように空を見上げる。この辺りの住宅地には、目立った被害はないように思われる。いつも誰に対しても愛想よく答えるシオーダエイルの声が、この日に限って緊張していたことに、誰が気付いたであろうか。
 セフィーリュカは改めてフェノンとフィオグニルを眺めた。血のように真っ赤な瞳。ルドと同じ。
 道中でデリスガーナーが言ったことを思い出す。ルドが、機械を操る不思議な力を持っているということ。あの特徴的な瞳の色が関係あるのなら、同じ瞳を持つこの二人は一体…。


 宇宙が遠い。地上も遠い。
 シェーラゼーヌは空中に停止したロードレッドの中で自分を責め続けていた。銀河同盟軍の司令長との通信。一時の感情に流され、それを一方的に断ち切ってしまった自分が許せない。持ちかけられた交渉を拒否してしまったのだ。自分からすすんでたくさんの可能性を消し去ってしまったことは、非常に馬鹿らしい。もう、どうしていいのかわからなかった。このまま何もかもなくなってしまえばいい。こんなちっぽけな自分など、なくなってしまえばいい。
「シェーラ、艦隊を動かせ」
 低い声が、シェーラゼーヌの耳の奥の方にまで響く。振り向くと、友人の厳しい表情がそこにあった。
「何言ってるの?チアース…もう、終わりよ。私たちには、もう何も出来ることは…」
 言いかけた言葉は途中で断ち切られた。その場に似合わぬ高い音が艦橋内に響く。
 チアースリアが、シェーラゼーヌの頬を叩いていた。クルーは全員驚いて絶句した。シェーラゼーヌ自身は、何が起こったのかすぐに把握することが出来ず、叩かれたまま床を見つめていた。やがて、じわじわと痛んできた頬に手を当て、チアースリアの方を見る。
「チアース…?」
「責任を放棄するな。何もすることがない?本当にそう思っているのか?周りを見ろ。この艦隊に生きている人間がどれ程いると思っている?彼らを守ることが、今のお前の責務だ。それを放り出したら、お前は人殺しと同じなんだぞ。…艦隊を動かせ、シェーラ。着陸するんだ」
 冷たく鋭い視線で、チアースリアは妹のように大切な彼女にそう言った。シェーラゼーヌは、まだ困惑した様子で、チアースリアの腕を思い切り掴んだ。
「だって…そんなことをしたら司令が殺されてしまうのよ?大勢を助けるために、一人を犠牲にしてもいいって言うの、あなたは!?」
「結局はそれが真理だ…。いいか、シェーラ、これ以上ここに留まっていたらもう数十分としない間に全員が死ぬことになる。…俺はザリオットで少しでも敵を足止めしてくる。だから、その間に艦隊を動かせ」
 チアースリアは彼女からすっと視線を逸らすと、歩き出した。しかし、艦橋を出る手前で一度立ち止まる。シェーラゼーヌの方を振り向かず、彼は静かに言った。
「お前が司令を助けたいと願うのと同じように、俺もお前を助けなければならない。それが…お前とシェータと交わした最も大切な約束だからな。俺はそのためにここにいる…」
 シェーラゼーヌの言葉を待たず、チアースリアは艦橋を後にした。シェーラゼーヌは、彼が出て行ったのを見つめたまましばらく動けずにいたが、やがて艦長席に戻ると、掠れる声で指示を出した。
「全艦…待機状態を解除…。地上へ向けて再発進して下さい」
 艦長席から少し離れた場所にある、誰もいない司令席を一瞥する。謝罪か焦燥か感謝か。感情が入り乱れて整理出来なかった。湧き上がる気持ちの意味を理解出来ず、無理矢理思考を前方、窓の外の空へ向ける。 そして、第五艦隊は動き始めた。当初の予定通り、地上に向かって。