Gene Over│Episode2空と血の邂逅 07意義の疑義

 朝陽で温かくなってきた。
 昨夜とは打って変わって、静かな朝を迎えたプロティア。
 廃墟と化した市街地を抜け、セフィーリュカとシェータゼーヌは改めてメルテG-7居住区を目指していた。セフィーリュカの腕の中のムーンは全く動かない。
 人気はないが、しっかりと舗装された道。
 二人の少し後ろをルドが歩いている。何かお礼がしたいから、とセフィーリュカが無理矢理連れてきた。とても無口な少年で、セフィーリュカがダスロー語で何か尋ねても一言二言しか返してくれない。
「ダスローってどんな所なの?」
「…暑い」
「何か好きなものってある?」
「…静かな所」
「私ね、動物が好きなの。ルドは?」
「…あんまり」
 ずっとこの調子である。ひどく人見知りするタイプなのか、それとも嫌われているのではと、セフィーリュカは落ち込み始めていた。

…行くんだ…。

「!」
 ルドが不意に立ち止まる。数歩先でそのことに気づいたセフィーリュカとシェータゼーヌも立ち止まり、彼を振り返った。
「どうしたの?」
「…うるさい…」
「え?」

行け…!
早く…手遅れになる!!

「う…っ」
 突然両手で頭を押さえ、ルドはその場にしゃがみ込んだ。セフィーリュカが慌てて駆け寄り手を差し伸べるが、彼はそれを拒むように彼女を睨んだ。血のように赤い瞳。
「…うるさいんだよ…っ」
「!?」
 自分に向けられた言葉だと思い、セフィーリュカは怯えた目でムーンをきつく抱きしめたが、どうやら違うようだ。ルドはどこか遠くを見ている。そしてまた頭を抱えた。とても苦しそうで、セフィーリュカはシェータゼーヌと共にどうすれば良いのかと顔を見合わせる。
「どうしたんだ?」
 遠くで声が聞こえた。誰かがこちらへ走ってくる。
 山吹色の髪をした男。銀髪の青年。そして幼い少女。駆け寄ってきた三人共、宇宙連邦軍の紋章が入った服を着ている。
「ルドが…突然…」
「『ルド』だって?」
 困惑するセフィーリュカを押しのけて、山吹色の髪の男、デリスガーナーはルドに歩み寄った。水色の髪に赤い瞳。間違いない、自分が捜している少年だ。
「やっと見つけたぜ。手こずらせやがって…」
「来るなっ!」
 少年に触れようとしたデリスガーナーの腕を細い熱線が撃ち抜く。熱線の発生源に視線を転じると、先程まで壊れたようにセフィーリュカの腕の中で停止していたムーンの口が開いていた。灰色になってしまっていた目も、元の黒色に戻っている。そのてるてる坊主はセフィーリュカの腕から抜け出すと、デリスガーナーに近づいてきた。
「…このやろ…っ」
 デリスガーナーはムーンに銃を向けようとしたが、腕の痛みで精確に照準を合わせることは困難だった。ムーンのすぐ近くにいるセフィーリュカに当ててしまうことを恐れ、すぐに引き金から指を外す。ムーンはその隙を狙い、彼に第二射を放とうとした。
「!」
 やられる…!そう思いデリスガーナーが身構えた時、不意に小さな影が彼の前に立ち塞がった。間髪入れず、銃声が轟く。二つに分けて結ばれた黄緑色の髪が揺れた。攻撃の精度に優れるヒュプノスであるフェノンはセフィーリュカに当てることなく、的確にムーンの口内を撃ち抜いていた。カランと乾いた音を立てて、ムーンがその場で無力化される。
「大丈夫、おじちゃん?」
 フェノンが振り返る。デリスガーナーは彼女のエルステン語がわからないながらも頷いた。
「助かったぜ、お譲ちゃん。…いてて」
 デリスガーナーが蹲って腕を押さえる。ムーンに撃ち抜かれた箇所から血が流れ出る。
「大丈夫か?」
 シェータゼーヌが駆け寄り、鞄の中から緊急時のために持ってきた消毒薬と包帯を取り出した。簡単に応急処置を施す。
 セフィーリュカはなぜ急にムーンが動き出し、デリスガーナーに攻撃したのか理解出来ず、地面に転がったムーンを拾い上げて観察してみる。もう完全に沈黙しているようだ。セフィーリュカが顔を上げると、ルドが駆け出したことに気づいた。
「ま、待って!」
 ルドはセフィーリュカの言葉に従ってはくれなかった。セフィーリュカの方を振り返ることなく走っていく。セフィーリュカは彼を追いかけた。
「フィオ…あの赤い目は…」
 デリスガーナーの腕の止血を手伝いながら、フェノンはフィオグニルを見上げた。彼は無言で、ルドが走り去った方を見つめている。
「ここまで来て逃がすわけにはいかない…すまない、俺も追いかけるぜ」
 腕の手当てを受けるのもそこそこに、デリスガーナーもセフィーリュカとルドを追って走り出した。
 セフィーリュカは走った。何とか追いつこうとした。もうどこを走っているのかわからない。それでも、見失う訳にはいかなかった。
 不意にルドが立ち止まる。肩で息をしながらセフィーリュカも止まった。もう、走れない。
「ルド…一体、どうしたの…?」
 息が切れる。言葉を発するのが辛い。そんなセフィーリュカとは対照的にルドは息一つ切らしていなかった。何かに怯えるような表情で、セフィーリュカを見ている。彼の手には銀色の球体が握られていた。
「…うるさい…声が…僕を、狂わせ…」
 何を言いたいのかわからない。セフィーリュカは荒い呼吸を必死に整え、彼の言葉を理解しようとした。
「声?声って?」
「わからない…でも、従わないと…壊される…僕でなくなる…」
 足音が聞こえる。セフィーリュカ以外の者達が二人を追いかけてきたのだ。

時間がない…。
…へ向かえ…。

「…放っておいて…もう…嫌だ…」
 このままでは殺してしまう。
 宝物庫の、あの番兵のように。
 あっけなく。
 引き金を引いて。
 もう嫌だ、誰も殺したくない。
「ルド!!」
 銀色の球体が光を発し始める。光はルドを包み込んだ。負傷した腕を庇いながら走ってきたデリスガーナーが立ち止まる。
「こ、これは…?オーパーツが…」
「何これ!?眩しい!」
「高エネルギー体による時空の歪みを確認」
 フェノンがあまりの眩しさにフィオグニルにしがみついた時、彼は淡々と光の源を観測していた。
「時空の歪み!?惑星内で!?」
「急激な空間圧縮。……エネルギー体消失」
 フィオグニルの声でフェノンが目を開けると、そこにルドの姿はなかった。彼の一番近くにいたセフィーリュカが、急に体の力が抜けたようにその場に座り込む。彼女はルドが消えた場所を呆然と見つめていた。デリスガーナーが彼女に駆け寄る。
「君、怪我はないか?」
「一体…何が…」
 片言のプロティア語にか細い声で答えながらも、セフィーリュカはデリスガーナーを見なかった。フェノンとフィオグニル、シェータゼーヌも彼女の傍に近寄る。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
 あまり聞き慣れないエルステン語を聞いた時、セフィーリュカは漸く顔を上げた。幼い少女、ルドと同じ赤い瞳が自分を見下ろしている。
「うん、大丈夫…ありがとう」
 立ち上がったセフィーリュカが流暢なエルステン語で答えたので、フェノンとデリスガーナーは驚いた顔で空色の瞳を覗き込んでいた。


 ここはどこだろう。
 何だか辺りが騒がしい。
 ゆっくりと目を開ける。
 たくさんの人間たちが立っている。
 武器を持った人間たち。
 どこか引きつった顔で僕を見ている。
 お互いに何か叫んでいるけど、何語だかわからない。
 大きな建物が見える。
 何十階もありそうな、立派な建物だ。
 カチャリという音がする。
 建物から目を逸らすと、僕に銃が向けられていた。

……せ。
…ろせ。
殺せ。

 何も考えられない。
 声が全てだ。
 支配者なのだ。
 抗うことなど、出来はしない。

 少女の顔がよぎる。
 自分を見つめるきれいな空色の瞳。
 思い浮かべた彼女のビジョンが、消える。

 代わりに現れたのは、赤。
 夥しく流れた、血。
 たった今、自分が、殺した、者たちの―。


 部屋の前を見張っていた銀河同盟軍の兵士が重い扉を開け、ゼファーは軟禁されていた部屋から連れ出された。軟禁部屋の曇りガラスの光が徐々に明るくなり、時間感覚がないながらもそれが朝陽であると感じ始めていた時だった。
 連れてこられたのは指令室。ゼファーが銀河同盟軍の手に落ちていなければここから戦況を把握し、仲間達へ指示することが出来たはずだ。その指令室に、銀河同盟軍の兵士が溢れていた。
「……っ」
 壁や床に、乱暴に血を拭き取った痕がある。ここまで歩かされた廊下も同じ状態だった。その意味に気付いたゼファーは、指令室の真ん中に立っている男を睨みつけた。ゼファーを軟禁するよう指示した男だ。彼の後ろには見覚えのある星間通訳の女も控えている。
「誰も殺さないと、約束したはずだ…!」
「大人しくしていれば、の話だ。プロティア地上軍は頭に血がのぼりやすい野蛮な輩が多いようだな」
 ゼファーの言葉を星間通訳が男に伝えると、男はニヤリと不敵な笑みを浮かべてそう答えた。侮蔑の言葉に、ゼファーは拳を握り締めた。
「我が軍の攻撃に敗れ、地上へ帰還して来ようとしているプロティア宇宙軍の艦隊がある。通信を繋げ」
 男の言葉にゼファーは戦慄する。表情には出さず通信機のスイッチを一瞥するがすぐに目を逸らした。男は呆れたように笑い、すっと片手を上げた。背中に激痛が走る。自分をここまで連れてきた兵士が、持っていた銃剣でゼファーの背中を思い切り殴りつけていた。
「…っ!!」
 その場に崩れ落ちそうになるゼファーを、兵士が強引に立ち上がらせる。そしてそのまま彼の体を通信機に打ち付けた。
「早くしろ」
 淡々とした冷酷な声が背後から聞こえる。ゼファーは体を押さえつけられたまま、スイッチに手を伸ばした。この機械は登録された指紋を認証することにより発動する。敵にとって、この通信機を使うためにゼファーが必要だったということらしい。指紋を認識した通信機は、室内の巨大スクリーンを作動させた。そこに映ったのは、驚いて立ちすくむシェーラゼーヌの姿だった。彼女は第五艦隊を率い、ルイスに言われた通りに第二艦隊の斉射の合間をぬってプロティアの上空に入り込んだところだった。
「……司令!?」
 シェーラゼーヌは身を乗り出して、取り押さえられているゼファーに叫んだ。しかしその言葉は、見覚えのない男によりかき消されてしまう。
「私は銀河同盟軍シーセファー支部司令長ロドルス・カケッツ。貴様らの司令長官は見ての通り我々が預かった。解放して欲しくば、即刻全艦隊を停止せよ」
 男の発言を、ロードレッドに乗った星間通訳がシェーラゼーヌに伝えたらしい。彼女は血の気が引いた顔でロドルスと名乗った男を見ていた。敵艦隊の間をくぐり抜け、文字通り全速力で地表を目指しているのだ。もちろん追ってくる敵もいる。今ここで艦隊を止めてしまっては、戦闘能力のない第五艦隊などあっという間に撃破されてしまうだろう。しかし、ここで停止しなければゼファーが殺されてしまう。彼を押さえている兵士の後ろに銃を構えている兵士が見えた。
「副司令!僕のことはいい!艦隊を止めるな!!」
 ゼファーが叫ぶ。自分を押さえている腕を振り払おうともがくが、今度は銃剣で後頭部を殴られた。意識が急激に遠のく。
「…みんな、で…生き残っ…」
「アーベルン司令っ!」
 兵士が手を放すと、ゼファーはその場に倒れこんだ。ロドルスが侮蔑するような視線を彼に向ける。
「命乞いでもすれば少しはおもしろみがあるというものを…。馬鹿な男だ」
「…馬鹿ですって…?」
 シェーラゼーヌの声色が変わる。ロドルスが少し驚いたように若い副司令を見た。憎悪を含んだ金色の瞳が彼を射んばかりに睨み付けていた。
「私たちは絶対に死なない!生き残って、必ず司令を取り戻してみせるわ!」
 勢いよく通信が切れる。ロドルスはゼファーを見下ろした。
「馬鹿な司令の下には馬鹿な部下が集まるものだ。あの女、この状況で一体どうやってお前を助けるというのだろうな…」
 ロドルスは銃を持った兵士を一瞥した。
「…殺せ」
 兵士はためらうことなく、意識を失っているゼファーに銃口を向け、引き金に指を置いた。
「司令長!!」
 突然一人の兵士がなだれ込んで来たのは、ゼファーを撃つほんの数秒前だった。
「何事だ、騒々しい」
 ロドルスが面倒そうに兵士に目を遣る。次の瞬間、その目が大きく見開かれた。入ってきた兵士は血まみれだった。ゼファーを撃とうとしていた兵士も驚いてそちらを見ている。
「敵…襲………ば、化け物…っ」
 意味不明な言葉を遺し、兵士は口から血の塊を吐いて絶命した。通信室内にいた兵士が数名廊下に飛び出す。数秒後、彼らの悲鳴が室内に聞こえてきた。
「な、何が…」
 ロドルスが呻いた。
 廊下から軽い足音が聞こえてくる。
 ゆっくりと部屋に入ってきたのは少年だった。
 全身が血で汚れている。
 たくさんの血を踏みつけたのだろう、靴に赤い液体が染み込んでいる。そして全身と同じく光っている赤い瞳は、不気味にロドルスを見つめていた。その禍々しい瞳にロドルスは戦慄した。
「う、撃て!殺せ!」
 命じられ、室内の兵士は一斉に少年に銃を向けた。しかし、銃は作動しない。引き金が固まったように動かなかった。そして漸く引き金が動いた時、それらはその場で爆散していた。自分の銃により噴出された火炎で、兵士たちは血の塊へと変貌していく。
「………」
 独り残ったロドルスに、少年は歩み寄り始めた。とてもゆっくりと。ロドルスは恐怖で完全に自失していた。とっさに倒れているゼファーを盾にする。
「来るな!こいつを助けに来たのだろう!?それ以上近づいたら殺すぞ!!」
 ロドルスは持っていた銃をゼファーのこめかみに当てた。少年はひるむことなく歩み寄ってくる。
「…無駄だよ」
 ロドルスが聞いた少年の声は、それが最初で最後だった。次の瞬間、彼は突如働いた通信室のセキュリティシステムに体中を撃ち抜かれていた。声を上げる暇もなく絶命する。彼が倒れた衝撃で、意識を失ったままのゼファーも倒れ込むが、彼の体にはかすり傷の一つもない。
 少年、ルドは、自分の方に倒れ掛かったゼファーを抱きとめた。そして自らも力が抜けたようにその場に座り込む。
 赤い色しかない。
 血の臭いしかしない。
「『Luines noa myla ny qkazza wen...』」
 ああ、まただ…。
 自分の意志と無関係に体が動く。言葉を発する。こんな言葉、知らない。
 ルドはゼファーを自分の体に寄りかからせたまま、自分の作り出した惨状を見つめていた。

 誰も殺したくない。

 でも、そんなこと始めから無理だったんだ。

 僕は、殺すためにいるんだ。

 誰かの意志の元に殺すためだけにいるんだ。

 僕の存在意義は、きっとそれだけなんだ。