Gene Over│Episode2空と血の邂逅 06矛盾

 地表というものに降り立つのは初めてだ。
 研究所の床はもう何度も踏んだけれど。
 人型兵器であるヒュプノスのほとんどの個体は、自らが所属しているはずのエルステンの地さえ踏むことを許されない。
 今、どうして私たちは、全く知らないこの地に立っているのだろう。
 …そうか。
 ここは私たちの墓場なのだ。
 人でないものを葬り去る墓場なのだ―。

「何ぶつぶつ言ってんの?」
 目を開ける。視力のある左目を。誰もいない。視線を下げると黄緑色の頭が見えた。自分と同じ赤い瞳が強い光を放っている。
「早く行こうよ、フィオ」
 フェノンはフィオグニルを急かした。袖を握り締めて一生懸命引っ張っている。フィオグニルは表情を変えず頷いて見せた。同じ足取りで歩き始める。足元に生えた草が風に揺られている。薄暗いが、遠くに微かな光源を知覚出来る。これが『夜明け』というものか。
 未だ続いている第二艦隊戦闘艦の一斉砲撃により敵の攻撃をほとんど受けないまま、驚く程すんなりとダースジアはプロティアへの侵入を許された。ヒュプノスたちは何千メートルも上空からプロティアの大地へ降下した。彼らに恐怖はない。その程度の高さであれば十分に対応出来るボディを持っている。ただ、最も人間に近い感情システムを持つフェノンは怯えてしばらくフィオグニルにしがみついてはいたが。
 地上に降り立つと、暗い空の向こうに第二艦隊の主砲の光が見えた。もし駆逐艦であったらあの光が地上まで侵してしまうかもしれなかったが、それより少し弱い戦闘艦の主砲はここにまでは届かないようだ。
 着地した場所は廃墟だった。おそらく真夜中に襲撃された所なのだろう。道路が分断されていて動きにくい。ヒュプノスたちはそれぞれの敵を求めて歩き始めた。
 フェノンとフィオグニルは爆撃により傷ついた地面を見ていた。そこは自然の豊かな地とはかけ離れた、荒れ地だった。立ち並んだビルから煙が立ち上り、人間達は忙しそうにその間を走り回ったり、怪我で座り込んだりしている。
 一体何をしていいのかわからず、フェノンは隣のフィオグニルを見上げた。観測用のレーダーが露出した彼の右目は、今は黒い眼帯により隠されている。人間たちを不用意に驚かせないためである。彼は目の前の景色を見たまま、動かなかった。右目のレーダーがキイィィ…と何かを観測しているように音をたてている。
「周囲に火器、兵器の反応見られず、敵影、なし。救助を必要としている人間の数、計測不能。よって私には判断不可能。フェノン、指示を」
 突然そう言われ、フェノンは困ったように俯いた。
「そ、そんなこと言われても…あたしだって何をしたらいいのか…」
 フェノンは自分の腕をもう片方の手で握り締めた。自分たちは戦闘用に作られた人型兵器。人を殺すために作られたといっても過言ではない自分たちが傷ついた人間たちに出来ることなどないはずだ。こんな矛盾した状態があるだろうか。
 しかし、フェノンはフィオグニルの腕を引き、ゆっくりと歩き始めた。コアルティンスの顔を思い出していた。これは人間に近づくための試練かもしれない。ヒュプノス一の人間的思考力を持つフェノンは、そう考えることにした。やるべきことを求め、二体は歩き始める。

 フェノンとフィオグニルは、市街地を歩いていた。自動車の壊れた物が道路の真ん中で炎上していたり、割れたガラスが飛び散っていたり。戦闘が行われた悲惨な状態が広がっている。
 人通りはまばらだが、すれ違う人々は誰もみな埃にまみれ、宇宙連邦軍の紋章をつけた服を着ている二体を見て、顔をしかめていた。そのことに気づいたフェノンは、怯えるようにフィオグニルの後ろに隠れながら歩く。第七研究所でも、第二艦隊の中でさえ、今まであんな表情で自分を見る人間とは会ったことがなかった。彼らの表情を、彼女は徐々に理解していく。
「あの人たちは、戦争してるあたしたちが憎いんだ。普通に暮らしてるあの人たちには、敵も味方も関係ないんだよ、きっと」
 フェノンは人口脳で考えたことを、素直にフィオグニルに語った。彼は表情一つ崩さずフェノンを見たが、首を横に振った。
「フェノンの思考は高度すぎて私には理解不能」
「そっか…」
 少し寂しい気がした。色々な感情を持っていることはとても素晴らしいことだ。自分は恵まれているのだ。そのことはわかる。しかし、それを仲間たちに伝えることは辛い。彼らにないものを自分だけ持っているということで、逆に疎外感があるとも言える。
 ふと、フィオグニルが首を横に向けた。眼帯の下の機器が音を発する。フェノンも自然とそちらの方角を見遣った。
「武装した人間一名を確認。敵か味方かは不明」
 報告するフィオグニルの横で、フェノンはポケットの中の銃を取り出した。彼女の小さな手にもすっぽりとはまる小型銃である。観測用個体であるフィオグニルを守るように彼の前に立つと、肩幅程に足を広げてその人間を待ち受ける。
 瓦礫の向こうから男性が歩いて来た。動きやすそうな軽装にマントのような上着を羽織っており、腿のあたりに差したホルダーに銃を入れている。山吹色の髪を持った青年だ。フィオグニルが彼の姿を捉えた瞬間、フェノンの肩に手を置き、彼女へ銃をしまうよう言った。
「宇宙連邦軍人だ」
 フェノンが近づいてくる男を見ると、確かに彼の服には自分たちと同じ模様の紋章が刻まれていた。向こうもこちらを味方と判断したらしい。ゆったりとした足取りで歩いて来る。そして気安く片手を挙げて笑った。
「こんな所でお仲間に会うとはな。君みたいに可愛いお譲ちゃんが武器を持つことを容認している艦隊は一体どこだい?」
 フェノンもフィオグニルも押し黙ってしまった。息が止まったように声が出せない。
 二体共、男の言っていることがわからなかった。エルステンの研究所でエルステンの人間たちに囲まれ、エルステン人ではない人間と交流したことはない。他の惑星の言語など聞いたことが無い。ヒュプノスの中には、たくさんの言語をプログラミングされている個体もいるらしいが、二人はそういう仕様ではなく、エルステンの言語しかプログラミングされていない。四回も時空転移を繰り返さなければならないほど遠いプロティアの言語を、誰が余計なメモリを使用してまでわざわざ入力するであろうか。ましてや、フェノンたちはヒュプノス史上初めて惑星の地に足をつけたのである。
「あたしたち、プロティア語わからないの」
 フェノンはとりあえず男にそう言ってみた。もしかしたら相手はエルステン語を知っているかもしれない。しかしその期待は裏切られた。男は困ったように両腕を組んでいる。
「どこの言葉だ?初めて聞くぜ…」
 彼が呟いた言葉も全然わからない。フェノンは何だかもどかしくなって、突然自分を指差した。
「フェノン!」
 自分の名前であると必死に伝える。続けて隣に立っている相棒を指差した。
「フィオグニル!」
 どうやら男はフェノンの言いたいことをわかってくれたようだ。納得したようにうんうんと頷くと、彼女を真似て自分を指差した。
「デリスガーナー。…ダスロー」
 名前の後に、彼は自分の出身惑星の名前も告げた。フェノンははっとして彼の顔を見つめる。
 てっきりプロティア人だと思っていた。なぜ第六宙域の軍人がこんなところにいるのだろう。色々と考えたかったが、フェノンはとりあえずもう一度自分を指差した。
「エルステン」
 デリスガーナーは驚いたようだ。エルステン?と一度聞き返してきた。フェノンが頷くと彼はフェノンの頭を優しく撫でてくれた。
「随分遠くから来たんだな。お母さんが心配してるだろう?」
 やはり何を言っているのかわからなかった。フェノンは首を傾げたまま、素直に頭を撫でられていた。


 いつもと同じ夜明けを、これほど愛しく感じるとは思わなかった。
 昨日の夕方に侵攻してきた銀河同盟軍は、今のところメルテの居住区まで戦線を拡げる様子を見せていない。
 それでも、一晩中続いた爆音と振動で家具が倒れたり窓枠がずれたりと多少の被害はあった。母と二人でリビングに寄り添って一晩を過ごしたが、リフィーシュアはほとんど眠ることが出来なかった。
「あいつがしゃきっとしないから、こんなことになってるんじゃないかしら…!」
 リビングの倒れた本棚を立て直し、床に散らばった本を起こしながら、リフィーシュアは弟のことを考えていた。
「そんなこと言ったら可哀想よ。ゼファーだってきっと大変な思いをしているのだろうし」
 シオーダエイルが寂しい笑顔でリフィーシュアをたしなめる。彼女は娘に背を向け、窓の外を見遣った。息子は果たして無事なのだろうか。通信設備が未だに復旧していないらしく、市民にはプロティアが現在どのような状況であるのか全く情報が入って来ない。
 リフィーシュアは納得出来ない様子で手近な本を荒々しく掴むと、力強いエメラルド色の瞳で母親を見た。
「大体、ゼファーに司令長官代理の辞令が来たこと自体おかしいのよ!…父さんも母さんも優秀な軍人だったかもしれないけど…だからって、ゼファーも優秀なんだって決め付けることないじゃない…!」
 優しくてちょっと気弱なところのある弟の顔を思い浮かべる。確かにアーベルン家の子供達の中では父と母の遺伝子をちょうど半分くらい受け継いだバランスの良い『α型』で、両親の歩んだ道を嫌い軍属の航宙士になることを断固として拒否した姉リフィーシュアと違い、両親と同じ道を素直に、冷静に選んだ彼は色々な意味で模範生なのだろうとは思う。
 でも、遺伝素養が全てを決定して良いわけがない。そんなものに人生が、運命が左右されるのはこの広い宇宙でもプロティア人だけだろう。
 シオーダエイルが何も言い返せずにいると、リフィーシュアは部屋を出て行ってしまった。バタンと音を立てて戸が閉まる。
「…リフィー…」
 しばらくして顔を上げると、壁のコルク板にかかった家族写真が目に入った。今は亡き夫が、シオーダエイルに優しく笑いかけている。
「……カオス。こんな時、あなたなら…あの子にどんな言葉をかけてあげるの…」
 返事が望めないことはわかっている。でも、口にせずにはいられなかった。



 夢を見た。
 昔の夢。
 追憶。
 ここのところ忘れていたのに。
 どうして今更、あの頃を思い出さなくてはならないのだろう。
 辛いことしかなかった。
 いや、辛いと感じることも出来なかった。
 途方もない闇。
 その中で、僕は僕自身を壊そうとしていた。
 何度も握ったナイフ。
 結局、自分を壊すことは出来なかった。
 臆病だったんだ。
 何も出来ないくせに、存在理由なんてないくせに。
 今もわからない。
 こうして生きている僕に、理由はあるのかな?
 誰かに定義してもらいたい。
 僕独りでは、とても定義づけ出来ないから。

 目が覚めると空が見えた。
 あの子のことを思い出す。
 同じようにあやふやな自己の存在を恐れる少女のことを。
 頬が濡れている。
 指を当てると、涙だった。
 涙の痕を風が撫でる。
 少年は歩めただろうか。
 血の色の瞳のあの少年は。

 そろそろ帰りたい。
 ちょっとした反抗だったのに。
 僕の居場所は一つしかないのかもしれない。
 全ては一つに収束する…。



 第五艦隊を戦線から離脱させた第六艦隊は、敵の二個艦隊を相手に善戦していた。プロティアを覆っている他の二つの艦隊はあえてこちらまで攻撃してくる気配がなく、更に思わぬところで援軍が現れた。
 その時、第六艦隊旗艦ヒューゼリアは瞬間的な危機的状況を迎えていた。油断していた訳ではないのだが、混乱を極めた敵艦隊の不規則な動きに逆に対応出来ず、不意に背後をとられたことに気づかなかったのだ。艦長のルーゼルは急いで艦の向きを変えるよう指示したが、少し間に合わなかった。敵の攻撃の直撃を受けると誰もが予想したが、突然目の前に小さな艦が紛れ込み、敵艦を葬ってみせた。その艦は、第二艦隊の駆逐艦だった。
 呆然とその駆逐艦を眺めるルーゼルに、通信を求める声がした。スクリーンに映し出されたのは、褐色の肌をした女性士官である。
「こちら、第二艦隊所属駆逐艦ディレン。貴艦隊を援助に来ました。プロティアを囲んでいる残存敵勢力は本隊が応戦中です」
 まるで機械のように、リオは冷静な声を出した。エルステン語を理解出来る星間通訳がその場におらず、ルーゼル以下ヒューゼリアのクルーたちは彼女の言葉の内容を知るまで少しの時間を必要とした。リオは途中で特に怒り出すわけでもなく彼らの返答を待ち、冷たい瞳のまま無表情でヒューゼリアの艦橋の様子を見ていた。時折、自艦のクルーに攻撃指示を出しているようであったが、その声も非常に冷静で淡々としている。
「まさかエルステンから応援が来るとは…恩に着る」
 エルステン人は他の惑星の人間、特にプロティア人を嫌っているはずだ。こうして援助に来てくれたという事実に、ルーゼルは困惑していた。リオはにこりと笑いもせず、通信を切った。そのままディレンは駆逐艦ならではの素早さで敵陣に突っ込んでいく。ヒューゼリアはその姿をしばらく何もせずに見守っていた。
「やはり、他の星の人間も黙っていないではないの」
 聞き慣れた声にルーゼルが慌てて振り返ると、ルイスが立っていた。高飛車な司令はバスローブを着て腰に手を当てている。あっけに取られてルーゼルが彼女を見ているとさわやかな石鹸の香りがした。怒って部屋を飛び出した後、自室で風呂に入っていたというのであろうか。この艦は現在も死闘の最中であるというのに、一体彼女はどういう神経をしているのだろうか。ルーゼルはしくしくと胃が痛んで溜め息をついた。
「司令、どういうことです?」
 ルーゼルのその言葉には二つの意味があった。一つは先程のルイスの発言について。もう一つは不在中の彼女の行動について。しかし、ルイスは後者の問いを完全に無視した。
「お父様は、プロティアを助けに行けばダスローも狙われると仰って艦隊を出してくれませんでしたの。でも、あのエルステンまでやって来るんですのよ?お父様の考えは保守的すぎた訳ですわね」
 そう言って、さも自分が正しかったと言わんばかりにふんぞり返る。
「しかし、まだ油断は出来ません。これからこちらへ戻ってくる第十七、第九艦隊の背後には、別の敵艦隊が迫っているのです。味方の数に比例して、敵の数も増えるということなんですよ」
 眉を八の字に寄せ、沈痛な面持ちでルーゼルが呟く。ルイスはまだ腰に手を当てている。心配性の副司令に苛立ちを感じているようである。
「何を恐れることがあるといいますの?あたくしの第六艦隊が負けるはずありませんわ!少しくらい敵が増えたところで、全く問題ありませんわよ!」
 高笑いが響く。
 別にあんたは何もしてないだろ。ヒューゼリアに乗っていた全員が、そう思ったとか。
「ぼけっとしている暇はありませんわ!全速前進!」
 高らかな指示に、航宙士は渋々従った。
 色々な意味で目茶苦茶な旗艦に第五艦隊のロードレッドから通信が入ったのはそれから数十分後だった。
「突然申し訳ありませ…」
 言いかけて、シェーラゼーヌは一瞬固まった。通信相手の女性は恐らく第六艦隊の司令だろう。なぜバスローブなど着ているのだろうか。ルイスは彼女の視線の意味に全く気づく様子もなく、両腕を組んで言葉の続きを待っている。
「何ですの?」
 シェーラゼーヌは一度咳払いをすると、すぐに真面目な表情に戻った。
「失礼しました。…ご承知の通り、私たち第五艦隊は戦闘不能に陥ってしまいました。もうエネルギーが尽きてしまうので、最後の力でプロティア上空の包囲網を突破して地上へ帰還し、艦隊を再編成した後、戦線に復帰しようと思うのですが」
 ルイスは彼女の提案に少し考え、頷いた。
「わかりましたわ。応援にきた第二艦隊が敵の包囲網を崩し始めていますの。その間をくぐってお行きなさい」
 第二艦隊と聞いて、シェーラゼーヌは少し驚いたようだった。金色の瞳が見開かれる。
「エルステンの…?わかりました、そう致します」
 通信が切れると、ルイスはしばらく何も映っていない灰色のスクリーンを眺めていたが、不意に何か思い出したようにルーゼルを振り返った。
「オセイン中佐…。第五艦隊の司令は男性ではなかったかしら?」
「実は…」
 ルーゼルはルイスに、ゼファーはプロティアにいるということ、そして現在その身を銀河同盟軍に拘束されていることを説明した。ルイスはそれを聞き終えると、困りましたわね、と漏らした。
「まだ彼が生きているとしたら…人質として使われるかもしれませんわよ。それは大問題ですわ。何とかして救出しないと…」
「司令…」
 どんなに我がままで高飛車でも、仲間の命のことはきちんと考えているようだ。ルーゼルは感心してルイスを見た。
「人質を取られて立ち往生…そんな戦い方、美しくありませんもの」
「…あぁ…」
 前言撤回。ルーゼルは頭を抱えた。