Gene Over│Episode2空と血の邂逅 05必然の偶然

 どうして僕はこんなことをしているんだろう。レイトアフォルトと名乗った彼は土管の上に寝転がり、宇宙と同じように黒ずんだプロティアの夜空を見上げている。僕はその横で同じように空を見上げたり、土管の手触りを確かめたりして暇を持て余している。お互いに言葉が通じないから会話もないのに、どうして僕はこの人と一緒にいるんだろう。
 空から地面に視線を移すと、ビル群の間で煙が上がっているのが見える。戦争が行われているのだと誰が見てもわかるのに、僕たちはこんなにも落ち着き払っている。まるでここだけ時が流れていないかのように。
「……ルド」
 突然名前を呼ばれて、一瞬肩が震えた。レイトアフォルトが寝転がったまま弱々しい声で何か言っている。
「存在理由って…何だろうね…」
 徐々に声が小さくなっていく。何を言っているのかはわからないけれど。まさか死んでしまったのではと驚いて顔を覗き込むと、薄く目を瞑って寝息をたてていた。溜め息をついて顔を背ける。
「…呑気な奴…」
 呟いてみて自分で苦笑する。それを言ったら僕だって十分呑気だ。ここにいる自分が馬鹿らしく思えて、何だか心が寒くなる。
「僕の存在理由って何だろう…」
 思ったことを口に出してみた。この言葉が、レイトアフォルトの問いかけた言葉と同じものであるなどと、この時僕には知る由もなかった。
…歩け…。
「!?」
…力を…。
「くっ…」
 久しぶりだ、この声を聞くのは。少しのんびりし過ぎたということなのだろうか。頭に直接語りかけるような声。男か女かはよくわからない。
 よろよろと立ち上がり、土管から降りる。レイトアフォルトの方を振り向いたけれど、起き出してくる様子はなかった。
 僕は声から解放されたかった。そのためには誰かに相談すべきなのかもしれないけど、彼に言葉は通じない。
 それに、いいんだ。
 僕はいつでも独りだったから。
 これからも独りだって、別に寂しくはない。


 夜中のプロティアはあまり知らない。
 襲撃され、廃墟と化そうとしている市街地など、想像したことすらない。
 倒れたビルの瓦礫が見える。
 警備隊や救急隊の車のサイレンが聴こえる。
「……っ…」
 少し離れた場所から爆音が聞こえて、セフィーリュカは思わずムーンを抱きしめた。彼女の意志を汲んでいるのかどうかはわからないが、ムーンは頭上のプロペラの動きを止め、セフィーリュカの腕の中で静かにしている。時折内部から聞こえる機械音が少しだけ気になるが。
「…はあ…はぁ…」
 後ろを振り返ると、シェータゼーヌが立ち止まっていた。鞄を地面に置いて呼吸を整えている。
 平時であれば、ラナ市とメルテの間を無人バスが通っている。だが、今は平時と異なるため、道路は緊急車両のみが往来しており、一般の民間人の避難は徒歩での移動を強要されていた。歩いてくる途中で無人バスが炎上しているのも見た。たとえこの戦闘が終わったとしても、通常通りに公共交通機関が利用出来るようになるにはしばらくかかるだろう。
 ラナ市からメルテG-7居住区へ向かうためには、必ずメルテ市街地の一角を経由しなければならない。最初に攻め込まれたらしいA-3区画は迂回し一番被害の少なそうな区画を選んで歩いているのだが、攻撃によって道は大きくひしゃげ、今まで存在しなかった坂道や谷間が無数に作られて非常に歩きづらくなっていた。
「シェータさん、少し休憩しますか?」
 ちょっとのことでは疲れないような『α型』プロティア人のセフィーリュカでさえ、少し息が切れるほどの疲労を感じ始めているのだから、シェータゼーヌには辛いと思う。セフィーリュカが後戻りして声をかけると、彼は大丈夫、と言って彼女に笑いかけた。
「でも…」
 あまり無理はさせられない、そう判断したセフィーリュカは彼を無理矢理その場に座らせた。
「この先が安全かどうか見てきます。ここで少し待っていて下さい」
 そう言って、セフィーリュカは制止も聞かずに一人で歩き出した。
 一人が不安でないわけはない。もし安全でなかったらその時の対処方法もよくわからない。ムーンを抱いて、セフィーリュカは微かに震える足を叩いた。
 少し歩くと、既に戦闘が終結したらしい箇所に到着した。
 しかし、足を踏み入れるのを一瞬躊躇う。
 ここは自分が知っている場所ではない、改めてそう思った。
 ビルが崩れている。あの瓦礫の下には、一体どれくらいの人間がいるのだろう。救助隊らしい男たちが瓦礫を必死にどけている。あの手際では全てを取り除くのに何日もかかるのではないか。
 道路が裂けている。危うくその隙間に足を入れそうになり、セフィーリュカは驚いて飛び退いた。呼吸が荒くなる。落ちていたら、どこまで落ちていくことになるのだろうか。飛び退いた時、彼女の代わりに落ちていったコンクリートの欠片が地につく音はまだ聞こえてこない。
「……ひどい…」
 セフィーリュカは目に涙を溜め、ムーンを抱きしめた。
 暗がりの中、この先を歩いて進むのは無理があるかもしれない。
 安全そうな別ルートを頭の中で考えながら、シェータゼーヌの元へ引き返そうと歩いていたセフィーリュカは、突然ムーンから音楽が流れた時、驚いて心臓が止まるかと思った。
「♪♪♪」
 一体何の曲なのだろう。とても明るい音楽だ、しかも大音量。こんな廃墟で聞くのは何だか忍びない。
「ちょ、ちょっと、ムーン!静かにして!突然何なの?」
 セフィーリュカは訳も分からずムーンを叩いた。壊れたテレビではないのだからそんなことで直るわけがないのだが。金属のようなプラスチックのような不思議な素材で出来ているムーンは叩かれても彼女を無視して音楽を鳴らし続ける。すると突然、セフィーリュカの髪の毛を一瞬で吸収してしまった口を開いた。
「きゃっ!?」
 セフィーリュカは驚いてムーンを手放した。しかしムーンはプロペラを回して彼女の周囲を旋回するだけで、特に何もしてこない。
「……敵反応有り。マスター、警戒してください」
「きゃあぁっ!?」
 今度はその口から突然言葉を発せられて、セフィーリュカは思わず身を屈めた。幸い周囲には人影はなかったが、もし誰かがいたら、何をふざけているのかと不審がるだろう。人工的な硬い声が空しく繰り返されている。セフィーリュカがムーンの言っている言葉の内容を正確に理解するまでには時間がかかった。
「………て…敵?」
 ムーンはもう何も言わなかった。本当に見えているのか疑わしい黒い目でどこか遠くを見据えたまま全く動かない。
「ムーン、敵って何?何とか言ってよ!もしかして…壊れちゃったの?」
 セフィーリュカはなおもムーンを叩いていたが、不意に後ろから聞こえた音に身を硬くした。後ろで瓦礫が持ち上がる音がする。そしてガラガラと音を立ててそれが地面に落ちていく音。セフィーリュカとムーンは同時に背後に振り返った。とても緩慢とした様子で。
「…!」
 声が出ない。少女に覆いかぶさるように影が出来る。巨大な機械がそこに立っている。戦車のような形。百足のように無数に生えた鉄骨の足。機体のあらゆる所からオイルのようなベタついた液体が流れ出している。市街地に投入された銀河同盟軍の兵器だった。
 ゆっくりと視線を上げると、ひび割れているカメラのようなレーダーと目が合った。そのレーダーがしっかりとセフィーリュカを捉える。
「…ターゲット確認…」
 かすれた男性の声のような不気味な声がセフィーリュカの耳を震わす。その言葉は銀河同盟所属惑星の一つのものだ。彼女は叫び声を上げることも出来ず、その場に立ち尽くした。機械音をたてながら、大きなライフルのような武器が兵器の内部から出現する。
「第五種兵装にて排除可能と判断。…攻撃開始」
 不吉な言葉を吐きながら、機械がセフィーリュカに近づいてくる。覆いかぶさる影が徐々により暗いものになっていく。セフィーリュカは相手の目を見たまま凍りついていた。不意に顔の横に風が生じる。我に返って見遣ると、ムーンが彼女の前に立ちはだかっていた。
「マスターの危険度マックス。攻撃に移ります」
 ムーンは小さな口を開いた。パカッという小気味良い音がする。
 敵の機械がセフィーリュカに急接近し、ライフルを構えようとした時であった。ムーンの口から眩い光が発せられた。ビー玉のように小さな口から吐き出された青い光が急激に膨張して、自分よりも遥かに大きな相手を包み込む。
「!」
 あまりの眩しさにセフィーリュカは反射的に目を瞑った。目を閉じているのに、目を開けた先で何かが光っていることが理解できる。
「敵排除確認。マスター、ご無事ですか?」
 ムーンがセフィーリュカに尋ねたのは数秒後のことであった。彼女がゆっくりと目を開けると、既に見慣れたてるてる坊主が彼女の顔を覗き込んでいた。
 辺りを見回してみる。しかしどこにも、先程までセフィーリュカを殺そうとしていた機械がいない。 埃のような塵が空気に混じっていくのを肌で感じる。
「…あんな機械が…跡形もなく…」
 セフィーリュカは何だか恐ろしくなって、天才科学者の作った小さなてるてる坊主を見つめた。あっという間に物を消し去る力を持った兵器。セフィーリュカにはそれに見覚えがある。今や全世界の人々が知っているであろう、あの兵器と同じような機能がこの小さな機械にあるというのであろうか。もしそうなら、セフィーリュカはとんでもないものを受け取ってしまったということになる。セフィーリュカはこの世のものではないものを見るような目でムーンを見た。そして後ずさる。ムーンはその後を何事もなかったように追ってくる。
「こ…来ないで…」
 セフィーリュカは涙混じりの声で呟いた。恐怖で正確な発音が出来ない。ムーンはそれに気づかないのか、じりじりとセフィーリュカに近寄ってくる。
「セフィー、一体どうしたんだ!?」
 物音に驚いて走ってきたらしいシェータゼーヌが建物に手をついて立っていた。
「来ちゃ駄目!」
 振り返った時だった。突然目の前の地面が大きく歪んだ。今まで平らだった道路に亀裂が走りそこから何かが蠢く。
 そこから出てきたのは先程消え失せてしまった機械と同型と思われる機械の群れだった。百足達がゆらゆらとセフィーリュカの前に立ちふさがる。足がすくんで座り込んだ彼女の前に、先程と同様ムーンが現れた。小さな口を開こうとする。
「駄目っ!もうやめてっ!!」
 セフィーリュカはムーンを引き戻し抱きしめた。口元を必死に押さえる。あんな恐ろしい光はもう見たくない。
「マスター、放してください」
 ムーンが抗議する。しかしセフィーリュカは強く首を横に振り、ムーンをきつく抱きしめて放そうとしなかった。
 機械の群れは真っ直ぐに、無力な少女に狙いを定めている。
「セフィー!」
 シェータゼーヌが叫ぶ。セフィーリュカはきつく目を閉じた。
「……………?」
 殺されるなら、そろそろ衝撃が来てもいい頃だ。しかしそんな様子はまるでない。ムーンが自分の腕の中にある感触もきちんとある。
 セフィーリュカは恐る恐る目を開けた。機械の一つと目が合う。緊張した面持ちでしばらくそれを眺めるが、レーダーが彼女を認識する様子はない。
「あ…あれ?」
 間抜けな声を出して、セフィーリュカは体の力を緩めた。腕からムーンが転がり落ちる。驚いてそれに目を遣ると、ムーンの目が灰色に変色してしまっていた。揺すっても叩いても反応しない。
 足音が聞こえた。軽く、規則的な足音。
 ムーンから、足音の方角へ視線を移す。
 少年がこちらに向かって歩いて来ていた。
 セフィーリュカの空色の髪より少し色の薄い水色の髪。
 それと対照的な、真っ赤な瞳。
 年齢はセフィーリュカと同じくらいか、もしくは年下かもしれない。
 ゆっくりとした足取りで彼はセフィーリュカに近寄ると、何も言わずにそっと手を差し伸べた。恐る恐るその手を取って立ち上がる。その手はとても冷たかった。
「あ…ありがとう…」
 おずおずと礼を言うと少年は少しだけ首を傾げた。無表情のままで。
「…大丈夫…?」
「…え…」
 彼の発した言葉はダスロー語だった。セフィーリュカは、彼が首を傾げた理由を理解した。
「…ダスローの人なの?」
 少年はしばらく驚いたように目を見開いてセフィーリュカを見ていたが、小さく頷いた。
「助けてくれてありがとう。私はセフィーリュカ」
 もう一度ダスロー語で礼を言い直し、セフィーリュカは右手を差し出した。少年は戸惑ったようにその手を見つめていたが、ゆっくりと右手を出した。軽く握手する。
「僕は…ルド」
 一陣の風が吹いた。
 眠る機械に見守られて、少年と少女が今出会った。
 無限とも思える星の静寂を打ち壊すが如く。