Gene Over│Episode2空と血の邂逅 04作戦

 真夜中の警備には少なからず隙が生じることを彼は知っている。
「(予想通り…)」
 音もなく近づく。
「………むっ…むぐぐ…」
 背後から突然口元に布を当てられた兵士が抵抗しようと数秒もがき、すぐにその場に崩れ落ちた。
「悪いな。ちょっとばかし眠っててくれよ」
 即効性の睡眠薬が付着した布を兵士の口元から離してやると、デリスガーナーは彼の腰にぶらさがっているホルダーから銃を抜き取った。兵士の体はそのまま木の根元にまで引きずっていき、ただ居眠りしているだけに見えるようカモフラージュした。まあ、潜入しに来たわけではないから通告されても別に怖くはないが。
「…少しくらいは、状況を把握しておいた方がいいか…」
 デリスガーナーは呟くと銃を握り直し、そのまま音を立てないようにプロティア宇宙軍司令部の建物に近づいた。壁に背をつけて一度大きく深呼吸する。壁の向こう側を見遣るとたくさんの兵士が立っていた。彼らの軍服の腕の部分に描いてある紋章は自分のそれとは異なり、鷲をかたどった銀河同盟軍の紋章である。デリスガーナーは軽く舌打ちした。
 手元の携帯端末の画面に出ている『圏外』の文字が空しい。気づかれないように壁から離れ、立ち去った。
 この場所へは、武器を調達するためだけに立ち寄った。このまま、激しい戦闘が行われているらしい地域へ向かい、少しでも銀河同盟軍の侵略に抗えれば良いと思っている。
 デリスガーナーは走りながら、市街地の方角でプロティア地上軍と銀河同盟宇宙軍の抗争がまだ続いていることを遠目に確認した。


 エルステン宇宙軍の第二艦隊は、プロティアの裏側に時空転移していた。ここで言う裏側というのは、苛烈な戦闘の最中にある第六艦隊とそれに守られている第五艦隊や、四光年先から敵の追行を受けつつプロティアに戻ろうとしている第十七、第九艦隊などから見て、という意味である。
 司令のクリスベルナは、プロティアを層のように包んでいる敵艦隊を見て鼻で笑った。青い瞳が冷たく光る。
「あのような下賤な惑星を取り囲むとは、随分と暇なのだな、銀河同盟軍というのは」
 誰も笑わなかった。第二艦隊旗艦トルヘインの艦橋はどこか重い空気が流れ、クルー同士での必要以上の会話もない。
 クリスベルナ・リオンザ・チーヌズベル。ゼファーと同い年のこの金髪碧眼の青年はエルステンに生まれた者として、その中でも特に優れているとされる第一級民(リオン)としての誇りを持って生きてきた。そのために尊大な態度で周囲に接するということは当たり前だと思い、生きてきた。自分が頭を下げる必要のある人間はこの世に数人しかいない、本気でそう思っている。
「一掃する。駆逐艦、前へ」
 まるでゴミ掃除でもするかのような軽い口調でクリスベルナは言い放った。艦橋内にざわめきが生じる。それでも彼に睨まれた通信士が慌てて駆逐艦に向けて通信文を送った。すると十秒もしない内に、通信を求める声が通信士から上がった。
「何だ?繋げ」
 クリスベルナが面倒そうに応じる。スクリーンに映されたのは浅黒い肌で茶色の髪の女性士官だった。さも嫌そうにクリスベルナが目を細める。
「何の用だ、セクトーシ?」
 第二艦隊所属駆逐艦ディレン艦長リオ・イル・セクトーシ少佐は、クリスベルナの態度などまるで気にしない様子でしっかりと彼を見据えた。感情を表に出さず、常に冷静沈着である彼女はゆっくりと口を開いた。
「司令、駆逐艦が攻撃してはプロティアの大地を傷つけてしまいます。お考え直しを」
 『鬼司令』と名高いクリスベルナにこれ程の冷静さを持って発言出来る人間は珍しい。彼と同じように誰かが彼女に『氷の乙女』とあだ名を付けたという程である。
「貴様…第三級民(イル)の分際でこの私に逆らうというのか!?」
「戦場では第一級民(リオン)も第三級民(イル)も関係ありません」
 興奮した様子で自分を罵倒するクリスベルナを見ながら、リオはなお冷静に言った。その冷静な口調は『氷の乙女』にふさわしい。トルヘイン、ディレンの両方のクルーたちが二人のやり取りを心配そうに見つめている。
「駆逐艦を使うのは反対です。もう一度言います、お考え直しください」
 通信が切れた。クリスベルナが一方的に回線を切ったのだ。彼は拳を震わせていた。
「臆病者が!あのような星の一箇所や二箇所壊れることがそれ程までに怖いというのか!もういい、あいつらには頼まん!全戦闘艦並びに偵察艦、前へ!」
 指示を出しながら、クリスベルナは目の前の星の裏側で戦闘が行われていることをスクリーンで確認した。邪魔者を追い払うように駆逐艦をそちらへ向かわせる。
「全艦、主砲発射用意!」
 数秒後、第二艦隊からの光弾が、プロティアを取り囲む敵艦隊に降り注いだ。

 フェノンは自室の窓から第二艦隊の猛攻を眺めていた。彼女の乗っているダースジアも戦闘艦なので攻撃に参加しており、網膜を焼くほどの量子砲の光が多数飛び出していく。
「あんなことしたらプロティアが壊れちゃうかもしれないじゃないっ!何考えてるのよ、うちの司令はっ!」
 ベッドの上で一人騒ぎ立てる。艦長に抗議に行こうかと立ち上がりかけて、途中で動きを止める。一搭乗員の、しかもヒュプノスである彼女の声など、艦長は聞いてくれないだろう。艦長、ログフィストはヒュプノスに対する態度が冷たい。それは彼が第一級民だからであろうか。
「…………」
 フェノンは堪え切れず立ち上がった。門前払いでも何でもいい。とにかく自分の気持ちを伝えたい。フェノンは部屋を勢いよく飛び出した。
 ドンッ
「!」
 飛び出して早々、衝撃で部屋に押し戻されて尻もちをついた。誰かにぶつかったらしい。フェノンは文句を言おうと相手の顔を見た瞬間、怒りの言葉を飲み込んだ。
「…フィオ…」
 銀髪の髪に赤い瞳。それは紛れも無くフェノンの仲間の一人、ヒュプノスNo.34男性型フィオグニルだった。彼はゆっくりとフェノンの方に振り返ると、表情を変えず彼女に手を差し出した。フェノンは彼の手を取って立ち上がると小さな声で、ありがとう、と言った。
 ふと見上げて、彼の目を見る。左目は、フェノンと同じきれいな赤色。しかし右目のそれはどす黒く変色している。フィオグニルは環境観測用に造られたヒュプノスである。人工脳の半分以上に観測機器が埋め込まれており、それは人間でいうところの視神経を伝って右目部分にまで伸びている。機器の一部分が外面に露出しているので、彼の右目は死んだ人間のように瞳孔が開かれ、常に機器が作動する音が聞こえてくるのだ。その姿は人間に模してあるヒュプノスとしては異様なので、研究者たちは彼のことを『社会不適合個体』と呼び、蔑んでいる。
「すまない。急に飛び出して来たので、対応出来なかった」
 フェノンを立ち上がらせると、フィオグニルが謝った。その声は人工のものと思えない程肉声に近い。フェノンはその声を聞くことが辛かった。不適合というレッテルを貼られてしまっても、彼は人間らしい感情を持っているのだ。もちろんフェノン程ではないが、ドーランやエルナートよりも高度な人間の感情を理解出来るように造られているらしい。だから自分が失敗作だと笑われたり、馬鹿にされたりしていることを、彼は理解しているはずである。それでも、フィオグニルがそのことで怒ったり悲しんだりしている姿を見た仲間はいない。
「あ、あたしがぶつかったのに、何でフィオが謝るの?」
 フェノンは自分より遥かに背の高い彼を見上げた。彼は困ったような顔で首を傾げている。
「…すまない…」
「だからぁ…」
 言いかけて、フェノンは溜め息をついた。自分が部屋を出たいきさつを思い出し、自室から廊下へ出て歩き始める。
「どこへ行くんだ?」
 廊下を真っ直ぐに歩き出したフェノンを、フィオグニルが呼び止める。フェノンは彼の方へ振り返ると、口の前で指を一本立てた。
「艦橋だよ。艦長に言って、プロティアに向けて攻撃するのを止めてもらうの。ドーランとかエルとかには言わないでよ、フィオ。絶対怒られるから」
「計測結果。艦長の怒りを買い、謹慎を命じられる確率97.3%」
 フィオグニルの観測機器が小さな音を上げて計算した。残りの2.7%は一体どのような事態が予測されるのか、フェノンは気になったが、彼の語った観測結果を聞き流してまた歩き出した。
「別にいいもん。そんなことわかってるもん」
「待て、フェノン」
「?今度は何?」
 フィオグニルがまたしても彼女を呼び止めた。うんざりしつつもフェノンが振り向くと、彼の観測機器がまた何か計算しているようだ。
「エネルギー反応停止。ダースジアが砲撃を中止した」
 歩き出そうと出していた足が空中を泳ぐ。フェノンは危うく転びそうになりながらも、何とかバランスを整えた。
「えぇ?」
 声が裏返った。
 その時、艦内放送を知らせる音が廊下に響いた。フェノンとフィオグニルは自然とスピーカーの方に視線を移していた。
「艦内で待機中のヒュプノスに告ぐ。至急艦橋に出頭せよ」
 ブツッというくぐもった音がして、スピーカーの音が途切れた。軍規では艦内放送というものは二回繰り返すものだが、ダースジアにおいてヒュプノスに連絡する場合は、一度しか用件を言わない。絶対差別だ、とここに搭乗してからというものずっとフェノンは思い続けている。いつかこのことも艦長に抗議してみなくては。
 ぶつぶつと、ログフィストに対する恨みの言葉を呟いているフェノンをフィオグニルが追い越した。首だけ彼女に振り返る。
「行こうフェノン」
「わかってるよ!」
 フェノンは走ってフィオグニルに追いついた。真っ直ぐに艦橋を目指す。

 艦橋に集った十三体の人型兵器たちは、艦長であるログフィストを真っ直ぐに見据え、指示を待った。
「司令からお前たちへ命令書が届いた」
 ログフィストが一枚の紙をヒュプノスたちに見せる。フェノンは背が低いため、ログフィストの肩の位置で差し出された文面を読むことは出来なかった。
「待機中のヒュプノス十三に告ぐ。プロティアに降下し、自己の判断に基づいて同星に潜伏中の敵兵を駆逐せよ」
 低い声でログフィストは文面を読み上げた。フェノンは身を硬くした。
「十五分後、0145にダースジアは大気圏内へ突入する。高度二千より降下後、作戦開始とする。以上だ、作戦準備を開始せよ。解散!」
 十三体のヒュプノスは一斉に敬礼した。同時に回れ右をして、艦橋を後にする。
「なんかすごいことになっちゃったね、フィオ」
 部屋に戻ってクローゼットから武器を引きずり出さなくては。その途中でフェノンはフィオグニルに話しかけた。彼は小さく頷く。
「私には観測機能はあるが戦闘機能はほとんどない。何をすればいいというのだろう」
 それは一大事ではないか。フェノンは赤い瞳を見開いた。しかし彼女はすぐにフィオグニルへ笑いかけて見せる。
「じゃ、一緒に行こうよ。あたしがフィオを守ってあげるからさ!」
 フィオグニルはしばらくフェノンの笑顔を見つめていたが、やがて機器の音と共に薄く微笑んだ。
「生還確率…32.6%から61.9%に上昇」
「何言ってんの。100%だよ」
フェノンは無邪気に相棒の背中を叩いた。