Gene Over│Episode2空と血の邂逅 03介入

 もう、駄目だ。
 ここまで何とか頑張ったけれど、これ以上は戦えない。勝機が全く見出せない。
 シェーラゼーヌはロードレッドの艦長席で拳を握り締めた。第五艦隊の船はもう二十隻と残っていなかった。対する敵は、三分の一も減っていない。全く歯が立たなかった。
「ごめんなさい、みんな…私が不甲斐無いばかりに…っ」
 命令を飛ばし続けた声は掠れていた。
 結局、何一つ守れなかった―。
 絶望で誰もが諦めかけたその時、ロードレッドのコンピュータが警報を発した。それは敵の攻撃を示すものではなく、シェーラゼーヌはその意味を理解するまでにしばらく時間を要した。他のクルーも驚いている様子である。
「何が…?」
「この艦の至近距離で、高レベルの空間歪曲が発生しています。注意して下さい。繰り返します。この艦の…」
 シェーラゼーヌは呆然としてコンピュータの声を聞いていた。
「…空間歪曲…?一体何が…?」
「艦長!このままでは時空の歪みに飲み込まれます!」
 航宙士の声で、シェーラゼーヌは我に返った。急いで対応策を考える。
「九十度回頭!歪みを避けてください!」
「了解!」
 ロードレッドは急激に航行角度を変えた。近くにいた敵艦は追ってこなかった。攻撃もしてこなかった。彼らも予想外の空間歪曲から逃げ出すことに必死であったようだ。
「空間歪曲、更に拡大!これは…時空転移です!」
 虹色の空間を切り開いて、たくさんの宇宙船が第五宙域に入り込んできた。その内の一つの艦がゆっくりと銀河同盟軍の艦隊に砲口を向けると、突然砲撃を始めた。
「艦長、転移してきた艦隊の正体が判明しました!ダスローの、第六艦隊です…!」
 エリルドースが興奮した声で告げる。ロードレッドの艦橋では歓声が上がった。シェーラゼーヌは腰が抜けたように艦長席へ座り込んだまま、スクリーンに映された第六艦隊を眺めた。

 第六艦隊所属偵察艦メリーズは、艦長アランの趣味で偵察艦という役割以上の武装を施されていた。先行して第五宙域に入ったメリーズは、全艦隊が時空転移し終える前に敵艦隊の姿が見えたので司令の許可を得ないまま一足先に攻撃を開始した。このため、銀河同盟軍は第六艦隊の時空転移の影響による空間歪曲から回避した後も第五艦隊の残存勢力を攻撃出来ずにいた。アランの判断は正しかった。
「イーゼン中佐!あたくしはまだ指示を出していませんわよ!」
 最後の艦が時空転移を終えた時、メリーズのスクリーンに映されたルイスが突然大きな声でアランへ怒鳴りつけた。艦橋中に音割れせんばかりの声が轟き、アランを始めとするメリーズのクルーは皆思わず両手で耳を押さえる。
「非常時ですよ、非常時!後で始末書でも何でも書きますからとりあえず攻撃させてください!」
 アランはそう言い返すと、ルイスが口を開く前に強制的に通信を切った。
「まったく勝手なことを…あたくしは美しく勝利を飾りたいというのに…」
 旗艦ヒューゼリア艦橋の窓から、ルイスはメリーズを忌々しげに眺めていた。メリーズに触発された他の戦闘艦が敵を目茶苦茶に葬り去っていくのが見える。これでは作戦も何もあったものではない。しかしこうなってしまった以上、今更司令が指示を飛ばすのは意味のないことに思えた。ルイスは踵を返すと艦橋の出口へ向かった。
「し、司令。どちらへ?」
 ヒューゼリア艦長ルーゼル・オセイン中佐が弱々しい声でルイスに尋ねる。ひどく痩せたこの中年艦長は、あくが強く利己主義なルイスの下で胃の痛む日々を送っている苦労人である。そんな彼に、彼女はいつものようにぶっきらぼうな口調で応じた。
「あたくしの出番はもう無いと仰るのでしょう!?後の指揮はあなたに任せますわ!適当に敵を倒しておきなさい!」
 言い切ると、ルイスは本当に艦橋を出て行ってしまった。とはいえ、こんなことは日常茶飯事の艦隊なので、誰も驚くことなく黙々とそれぞれの仕事に戻っている。ルーゼルだけは、呆然と司令の去っていった扉を眺めていた。ダスロー内で平和民主主義を貫くオームス王国の出身である彼は、軍事国家サンビレイ公国出身の上司にいつも振り回されていた。
「艦長、指示を」
 砲撃手が淡々とルーゼルに話しかける。しかしその表情には彼に対する同情の念が含まれていた。ルーゼルは彼の方に振り向くと、溜め息混じりに呟いた。
「先遣の艦に続いて全艦攻撃開始。あと…目の前にいるプロティアの艦隊…第五艦隊か?司令と連絡が取りたい。旗艦と通信を」
「了解」
 また胃薬の量が増えそうだ。ルーゼルは肩を落とした。
 数分後、第五艦隊旗艦ロードレッドとの通信回線が開かれた。通信に応じた女性士官は疲れた顔をしていた。薄紫色の髪が乱れている。ルーゼルはプロティア語が得意な星間通訳を呼び寄せた。ヒューゼリアには五人の星間通訳が搭乗している。全連邦所属惑星の言語を一人で操れる人間はいないので必要に応じて五人の内の一人が呼び出される決まりになっていた。
「私は第六艦隊旗艦ヒューゼリア艦長ルーゼル・オセイン中佐。我々は自己の判断で貴官らを助けに来た。…貴艦隊の司令は男性だったと記憶しているが?」
 話の途中で、ルーゼルはシェーラゼーヌを見ながら首を傾げた。まさか第六艦隊のように司令はどこかで休憩中、という訳ではないだろう。星間通訳によってプロティア語に直された言葉を聴き、シェーラゼーヌが少し寂しそうに答える。
「彼は司令長官代理としてプロティアにいます。私は、旗艦ロードレッド艦長シェーラゼーヌ・コルサ中佐です。救援、痛み入ります」
 シェーラゼーヌが頭を深く下げる。ルーゼルは慌てて顔を上げるよう言った。
「いや、うちの司令の独断で無理矢理押しかけただけなのだ。ダスローの他の艦隊は動かないだろう。我々だけで対処出来ればよいのだが…。見たところ、もう貴艦隊に戦闘は続行不可能のようだ。ここは我々に任せて一時撤退することを勧める」
「しかし…相手は二個艦隊です。あなたたちだけでは…」
 シェーラゼーヌが最後まで言い終える前に、砲撃の光が轟いた。第六艦隊の戦闘艦が敵艦隊を打ち破っていくのが見える。ルーゼルがシェーラゼーヌに微笑した。
「うちは血気盛んな奴が多いのでね。我々は心配ない。早く撤退を」
「わかりました。四光年先にいる第十七、第九艦隊へ救援を要請してあります。彼らが戻ってくるまで、何とか耐えてください。…ご武運を」
 通信が切れる。ルーゼルは自艦隊の動きを見た。今のところ余裕がありそうだ。後方で援護射撃をしている戦闘艦ゴートホーズと通信を繋ぐ。
「ノジリス大佐、第五艦隊の残存勢力が撤退します。彼らの退路を確保してくださいますか?」
「了解しました」
 ルーゼルの声に、艦長のシレーディアが優しく微笑んで優雅に頷いた。

 撤退のため反転したロードレッド以下第五艦隊の前に、敵の戦闘艦が数隻割り込もうとする。
「くっ…主砲発射用意…」
 あまりエネルギーは残されていないが、他の艦だけでも先に逃がさなければ。シェーラゼーヌが砲撃手に命じたその時、横から一筋の光が走り、敵艦を打ち抜いた。
「こちら、第六艦隊所属戦闘艦ゴートホーズ。当艦がお守りします、あなた方は迷わずプロティアを目指して下さい」
 通信を開いたシレーディアはどこか気品の漂う態度でそう言った。星間通訳ほどではないもののダスロー語を解しているエリルドースが、彼女の言葉をシェーラゼーヌに伝える。
「ありがとうございます…。どうかお気をつけて」
 シェーラゼーヌの返事を聞き通信を終える。
 シレーディアは、第五艦隊を追跡する戦闘艦が更に数隻飛翔してくるのを見た。航宙図を見ながら作戦を練る。
「当艦を第五艦隊の航路と垂直になるよう配置して下さい。周囲に航宙機雷を散布。機雷でひるまなければ主砲で威嚇を。第五艦隊が戦闘域から脱するまで、決して退いてはいけません」
 てきぱきとしたシレーディアの指示に、ゴートホーズの艦橋は慌ただしく動いた。彼女の作戦は功を奏し、第五艦隊を追撃しようとゴートホーズ付近へ迫った艦は散布された航宙機雷により損害を負わせられ、そのほとんどが追撃を諦めたように後退した。
 ゴートホーズにより退路が確保されたので、シェーラゼーヌは第五艦隊を手際よく戦闘域から脱出させることに成功した。しかし安心は出来ない。撤退したところで、プロティアは他の敵艦隊により包囲されてしまっており地上に降り立つことが出来ない。しかも第五艦隊の補給艦は全て撃破されてしまったので、エネルギーの補給をすることも出来ない状況だった。戦闘補助の役割をする第九艦隊が戻って来ない限り、第五艦隊は戦うことも逃げることも出来ない。
「ひとまず待機です。第六艦隊を信じましょう」
 シェーラゼーヌは平常心を保ちそう告げると、艦橋のクルーたちを安心させようとした。しかし、一番安心出来ていないのは彼女自身であった。ゼファーが銀河同盟軍によって拘束されたという情報を、地上軍からの緊急通信で得たのである。


 ゼファーは唯一微弱な光の入ってくる曇りガラスを眺めていた。外の様子はわからない。彼は兵士たちに連れられ、この部屋に入れられた。司令部の一室であることはわかるのだが、ここに連れてこられるまでの間、目隠しをされていたので詳しい場所はわからない。狭い部屋だ。家具など一切なく、重い鉄の扉と、その反対側に曇りガラスがあるだけの薄暗い部屋。どこかカビ臭い。あまり使われていない部屋のようだ。こんな、いかにも監禁のために使われるような場所があったとは。
 ゼファーは立ち上がると、曇りガラスに近づいた。彼の手足は縛られていない。この部屋の中だけでなら自由に動くことが出来る。しかしそれは無意味なことで、立ったり座ったり出来るだけでは何の進展もない。曇りガラスの向こうへじっと目を凝らしてみるが、何も見えなかった。
「はあ…」
 溜め息をついて座り込む。ゼファーには今何が起こっているのか全くわからなかった。銀河同盟軍がプロティアを占領しに来たようだが、それでは宇宙にいたプロティアの艦隊は全滅させられてしまったのだろうか。仲間たちは皆死んでしまったのだろうか。だったら、なぜ自分はここにいるのだろう。自分だけ訳の分からないまま生かされるのだろうか。それではまるで生き地獄だ。仲間がいてくれたからこそ、自分の存在意義は保たれていたのだから。
「いっそのこと殺してくれればよかったのに」
 開く気配の無い鉄の扉を睨みつけ、ゼファーはぽつりと呟いたが、ふと家族の顔を思い出して俯く。
 敵の襲撃がどの範囲まで及んでいるのか見当もつかない。軍の施設のみを狙った攻撃か、それとも市民の命も無差別に狙っていくのか。
 たった数日前までは、平和が当たり前だったはずの惑星―。
 母や姉は、実際に宇宙へ出てプロティアの外を知っている。危険に遭ったこともある。
 でも、家族の中で唯一、平和なプロティア以外の世界を知らない妹セフィーリュカは、今どんな気持ちでいるのだろう。
 彼女を、彼女のように危険や戦いを知らずに過ごしている人を守りたかったから、自分は宇宙連邦軍に入った。それなのに、ひどく無力な自分が腹立たしい。
「……父さん…」
 なぜ急に父のことが思い出されるのか。口に出してからゼファーはしばらく自問する。何だろう、この心が空っぽになるような寂しさは。
「(僕は…父さんとは、違う…。同じでは駄目だ…)」
 父と同じであることを周囲から期待される自分。もちろん父と同じように強くありたいと思う。尊敬し、目標としていることに偽りはない。でも、彼のように自分の命を捨ててまでも戦うことが正しいことだとは思えない。残された者の喪失感を、ゼファーはよく知っているから。大切な家族に、同じ思いを繰り返させるようなことは絶対にしたくない。
「(生きて…守り抜く…)」
 士官学校を卒業したとき、人知れず父の墓前で誓ったこと。
 そう、誰も悲しませたくない。
 そのために、まだ諦めたくない。
 負けるわけにはいかない。


「セフィー…セフィー、起きろ」
「…ん……」
 眠っている間に全てが終わればいい、などと思っていたのは平和ボケしている証拠なのだろうか。セフィーリュカはシェータゼーヌに揺り起こされるまで、周囲の状況を理解していなかった。
 漸く目覚めてソファから起き上がると、シェータゼーヌが鞄に荷物を詰め込んでいるのが見えた。
「戦闘地域が拡がっているらしい。避難勧告が出てる」
 そう言って彼が指差した先では、民間の警備会社が取り付けたらしい非常用アラームが鳴っていた。セフィーリュカは慌てて立ち上がる。
「避難…。どこへ避難するんですか?」
「それが問題なんだ…。メルテA-3市街地が避難場所として指定されているが、見た感じ火の海なんだよな…」
 セフィーリュカはそっと窓の外を窺った。確かに市街地の方角は赤く染まっていて、とても近づけそうにない。
 違う場所に目を遣ると、セフィーリュカの家がある方角はまだ静かなように見えた。
「私の家まで行きましょう。…お母さんと姉さんのことも心配です」
「メルテG-7居住区か…。確かにここよりは安全かもしれないな」
 立ち上がった二人の周囲を、てるてる坊主型のムーンが旋回していた。