Gene Over│Episode2空と血の邂逅 01開戦

 最近家に帰れない。ゼファーはこの日四十二回目の溜め息をついた。
 宇宙軍司令部の指令室内を何人もの兵士が巡回している。彼らは宇宙軍ではなく地上軍の兵士である。プロティア宇宙軍人は最低限の人員を残して宇宙空間での哨戒へ向かい、地上にはほとんど残っていない。
 危険は宇宙からやって来るのであって、地上に位置する司令部の警備をここまで強めることに何の意味があるのかはよくわからない。おそらく宇宙軍と地上軍では根本の考え方が異なるのだろう。近くにいた兵士と不意に目が合って、ゼファーは四十三回目の溜め息をついた。

 数日前、ゼファーは少年に刺されて重傷を負ったシーリスを見舞っていた。迅速な手当てがなされたため命に別条はなかったのだが、完治には相当な時間がかかるらしい。何より、彼女が受けた心の傷は深かった。
 今年三十四歳になるシーリスはベテランの軍人としてプロティア宇宙軍を率いる女性である。いつでもはきはきしており、部下への指示も的確、そしてどんな人間でさえも従わせることのできる、一種のカリスマ的存在であった。
 しかし、そんな彼女が今回味わった敗退は、決して小さなものではなかった。副司令を始め多くの仲間たちを失ってしまった。そして、部下の家族である少年により命を狙われた。これらは彼女の心を傷つけるに足る事象であり、彼女がそれらに打ち勝つことは容易ではなかった。
 病室で、シーリスは覇気のない声でゼファーに言った。
「皆のために、戦っていると思っていた。でも、それは思い上がりでしかなくて、私は所詮、誰も守れないちっぽけな人間だった…」
 強く、頼もしく自分たちを導いてきた彼女の言葉とは思えなかった。
 戦争は民衆を不幸にするという。そんなことはわかっている。でも、戦うことでしか守れないものも存在するのだと思う。それがきっと、人間の本質なのだ。
 プロティアが敵の侵攻の対象になったことを告げると、彼女は驚いたように少し目を見開いたがすぐに眉をひそめて、そう、と元気のない声で呟いた。そして、彼女はゼファーに言った。
「勝手過ぎるということはわかっている。でも、それでも…。アーベルン大佐。…あなたに、私の代理としてプロティア宇宙軍をまとめて欲しいの」
 ゼファーは一瞬、その言葉が何を意味するのかわからず、呆然と司令長官を見つめていた。驚いて何も言えずにいた彼に、シーリスは穏やかに語る。
「…あなたは艦隊司令の中では最年少だけれど、階級は一番上よ。それに、あなたなら宇宙軍の仲間達とだけでなく、地上軍との連携も上手くとってくれると、私は信じている」
 過大評価し過ぎだと、ゼファーは心の中で思った。階級が上がったのは、年齢の割に戦場へ出た回数が多く、偶然その場面に合った戦略や戦術を、部下達が実行してくれたからに過ぎないと思う。もちろん、失敗のないよう綿密に行動するようにしている。でも、次も成功するとは限らない。いつもそんな不安を抱き、すくんでしまいそうになる。
「……」
 俯いたゼファーの腕に、シーリスがそっと触れた。
「『優良種』を両親に持つ『α型』なのだから、才能は証明されているはずよ。…自分に自信を持ちなさい」
「!」
 ゼファーは触れられた腕を振り払いそうになり、慌てて堪える。
 『優良種』―。
 人類として環境適応力を高めるため、との名目で宇宙暦二一八〇年から二一八七年の期間、特殊な遺伝子操作により生まれた者達。体細胞の老化を遅延させる遺伝子(ジーン)を与えられ、また、頭脳、体力、空間認識力などそれぞれ社会に必要とされる能力を極限まで高めた遺伝子を与えられた彼らは、現在のプロティアを行政、軍事など多方面で牽引する立場として、その他『標準種』と区別されている。
 ゼファーはそんな『優良種』の子供世代、自分と同じ『α型』であるシーリスをどこか怯えるような目で見た。
「(僕は…父さんや母さんとは違う…)」
 両親と同じ道へ進み、二人の軌跡を知って、自分がいかに二人に劣っているかを知った。
 戦略の天才と称された父のように、味方を誰一人犠牲にしない作戦など実行出来たことがない。
 白兵戦の天才と称された母のように、単身で敵の大隊を制圧出来るほどの技術も勇気もない。
 二人の遺伝子を引き継いでいても、自分の能力は中途半端だと思う。努力で二人を超えられるようになるには、果たしてあと何年かかるのだろう。
「(完璧を目指す必要はないのよ…あなたにしかない良さが、たくさんあるのだから…)」
 拳を握り締めて押し黙った若い部下に、シーリスは過去の自分を見ているような気がしていた。彼女にも、彼のように悩んだ時期があった。だが、彼女は知らぬ間に両親の呪縛を吹っ切っていた。目の前の真面目な青年も、いつか自分の気持ちに決着をつけられるだろうか。そうなって欲しい。そのために手助け出来ることがあれば、人生の先輩として協力を惜しまないつもりだ。
「…わかりました。ご命令、謹んでお受け致します」
 返事までに時間を要したものの、拳の力を緩め一度深呼吸したゼファーは、シーリスの目を見てはっきりと頷いた。父と同じ空色の髪が揺れ、母と同じエメラルド色の瞳には強い覚悟の色が宿っていた。

 指令室のスクリーンにはプロティア宇宙軍の艦隊の動きがリアルタイムで表示されている。各艦の位置、状況、進路予測などが細かく把握出来るようになっており、サブスクリーンには士官のシフト表まで表示されている。ゼファーは第五艦隊の司令としてこういった情報の活用には慣れているものの、第五艦隊以外の艦隊の情報も随時把握して全艦隊を指揮するということまでは不慣れだった。
 彼の不安な気持ちを余所に、通信機の音が鳴り響いた。地上軍所属の通信士がゼファーを振り返る。
「アーベルン司令長官代理、第十七艦隊旗艦ノルマットより通信です」
「繋いで」
 ゼファーが手で合図すると通信用スクリーンが展開し、金髪にところどころ黒いメッシュの入った風変わりな髪をした男性士官が映し出された。
「アーベルン、第十七艦隊は全艦、大気圏からの離脱を完了した」
 第十七艦隊司令スルーハン・ロイエ中佐は低い声で淡々と報告した。彼はゼファーの両親と同じ『優良種』であり、他の優良種と同じく老化遅滞遺伝子を持っている。四十七歳になったとのことだが、外見は三十代前半を保って見えた。
「わかりました。第五、第九艦隊はまだ発進準備中です。二艦隊分の到着予定座標を送りますので、航宙の妨げにならない位置へ移動して頂けますか?」
「了解だ。付近の警戒もしておく」
「お願いします。気をつけて下さい、ロイエ司令」
 少し緊張した声で指示を出したゼファーに、スルーハンは冷静な声で答え、通信を切った。閉じたスクリーンを見たまま、ゼファーは思案する。
「(年齢や遺伝素養を考えれば、ロイエ司令が、プロティア宇宙軍を率いるのが自然だと思うけど…)」
 彼はずば抜けた空間認知力を持つ優良種だという。攻撃に移るために効率的な航路を瞬時に計算して敵の懐へ急襲し、相手を混乱させた上で完膚なきまでに叩き潰す戦法が得意らしい。彼の元で訓練されている味方の艦も、時々無謀な作戦展開についていけなくなることもあるとか…。
「(…無理、かもね…)」
 仮にそんな彼の指揮下に入ったとして、自分が指揮通りに動ける自信はなかった。
「(だから、僕が指名されたのかな)」
 ゼファーはとりあえずそう納得することにした。ここまできて、自分の立場に悩んでいる暇もない。
 再び通信機が音を発した。通信スクリーンを開くと第五艦隊旗艦ロードレッドの艦橋の様子が映され、艦長のシェーラゼーヌがゼファーに敬礼した。
「第五艦隊所属全艦、発進準備が整いました」
「わかった。第五艦隊、全艦発進」
「了解しました」
 短いやり取り。通信を切る前にゼファーは彼女を呼び止めていた。
「気をつけて。きっとみんなで帰って来るんだ」
「…はい。ありがとうございます、アーベルン司令」
 いつもと同じ笑顔。どこか儚げだった。


 レイトアフォルトと再会して言葉を交わしてから、何だか頭が混乱して、どうしていいかわからない。彼に問いかけられたこと。それに答えることは、セフィーリュカにはまだ出来そうにない。
 何だかんだと言っておきながら、銀河同盟軍はプロティアになかなか攻めてこない。それはもちろん喜ばしいことであるのだが、いつ来るかと恐怖の日々を過ごすのもそろそろ嫌気がさしてきた。自宅でじっと試験の勉強をしていたセフィーリュカだったが、それも手につかなくなり、結局家を出た。今日はシェータゼーヌの所へ行く日だ。時間は少し早いけれど、バスを使わずに散歩でもしながら気分を紛らそう。
 母と姉は市街地へ出かけている。セフィーリュカは家の鍵をしっかりと閉めると、ゆっくりとした調子で歩き出した。
 いつもは通らない道を歩く。
 幼い頃から探検は好きだった。
 周りの景色を眺めながら歩くには、プロティアは最高の惑星であるといえる。年間を通して花がいつでも咲いている。虫も飛んでいて、生命に溢れている。たとえそれが人為的に造られたものであったとしても、人為的に造られた人間を取り囲む環境としては十分なのだろう。レイトアフォルトとの会話の影響だろうか、そんなことを考えながら、セフィーリュカは草の生い茂る小道を歩いていた。
 この道に入ってから十分ぐらい経っただろうか。
 ドオォォーーンッ!
 突然の轟音と共に、前方から物凄い風が舞い上がった。風に押され、セフィーリュカは短い叫び声をあげるとその場に尻餅をついた。
「いたた…。な、何…?」
 まさか、銀河同盟軍の襲撃だろうか。セフィーリュカはしばらくそのまま座り込んでいたが、その後は何も起こらない。空を見上げてみても、いつもと変わらない色で、平和が崩された様子はない。
「一体、今のは…?」
 呟いた、その時だった。突然横の茂みがガサガサと音をたてた。ビクリと体を震わせ振り返ってみると、茂みの中から白衣を着た女性が姿を現した。ウェーブがかった長い金髪に青い瞳。左目の横の泣きぼくろ。女性のセフィーリュカでも思わず見とれてしまうほど、美しい女性だった。
「どうしてこうなるのかしら、この私が設計したのよ〜?もっと大きく爆発するはずなのにぃ…」
 とても気の抜けた話し方だ。女性は、セフィーリュカのことが目に入っていないのか、茂みの中から出てきて爆発音のした方に歩いていった。不意に道端に屈み込むと、何かの破片を拾い上げる。
「三ミリ四方に爆散かぁ…。ん?これ何かに使えるかも?」
 意味不明なことを呟きながら、破片を持ってまた歩いて来る。その途中で漸く、道にへたり込んでいるセフィーリュカに気付いた。
「あらぁ?あなた、どうしてそんな所に座ってるの〜?お洋服が汚れちゃうわよぉ」
 そう言って、ゆっくりとした足取りでセフィーリュカに近づき、彼女を立ち上がらせる。セフィーリュカは何が何だかわからないままとりあえず礼を言ったが、すぐに我に返った。
「あの…今の、爆発は?」
 女性がうっとりしたような表情で手元の破片を見つめる。
「さっきのぉ?これよ、こ・れ。天才ラノム博士による大発明、『超の二乗小型爆弾』の欠片!」
 ババーン!という効果音が背後から聞こえるようである。女性はセフィーリュカにも見えるよう、破片を自分の手のひらに乗せた。どうやら彼女の名前はラノムというらしい。それにしても、超の二乗というのはどれ程の数なのだろう。セフィーリュカは彼女のペースについていけず、首を傾げた。とりあえず尻餅をついた時に汚れたスカートをはたく。
「あら、もしかしてケガでもしちゃったー?」
 ラノムがやや申し訳なさそうな顔でセフィーリュカの顔を覗き込む。
「い、いえ…その、大丈夫です」
 ぎこちなく答えたセフィーリュカの肩をラノムが突然掴んだ。じっと、セフィーリュカの瞳を見つめている。
「もしかしてぇ、ゼファー君の妹さん?」
「え?」
 兄にこんな変な知り合いがいたのだろうか。セフィーリュカは少し不安になった。ラノムが肩を離してくれないので、仕方なく頷く。すると彼女はとても嬉しそうな顔で微笑んだ。
「やっぱりそうでしょぉ。似てるもの〜。可愛いわねぇ、お名前は何ていうのぉ?」
 セフィーリュカは先の読めない彼女の言葉に圧倒され、ただただ従うしかなかった。
「セ…セフィーリュカです…」
「セフィーちゃんね?私はラノム・セクレア・フォルシモっていうのぉ。たまに宇宙軍の艦隊に乗せてもらってる科学者よぉ」
 相変わらず気の抜けたような声でラノムは自己紹介した。確かに、その名前は兄から聞いたことがある気がする。機械の発明に優れた天才科学者で、宇宙船や兵器開発の権威だと。そして、相当『変わり者』だということも聞いた気がする。
「折角会えたんだから、何かお近づきの印でも…。うーん、何かあったかしらぁ、どうしましょう?」
 ラノムはしばらく周囲をきょろきょろと見回していたが、やがて手を合わせ、ごそごそと白衣のポケットを探り始めた。
「そうだわ、これはどうかしらぁ」
 ラノムはそう言って、ポケットの中から何かを取り出した。それは、全長二十pくらいの真っ白な人形のように見えた。その姿はまるで、
「てるてる坊主?」
 と、セフィーリュカが思わず尋ねるほど、それに模してあった。しかし、てるてる坊主というものは頭の部分に糸がついているものであるはずだが、この人形の頭にはその代わりに小さなプロペラが付いていた。
「可愛いでしょ?でも、この見た目に騙されちゃいけないのよ〜?」
 ラノムは突然手を伸ばすと、セフィーリュカの空色の髪の毛を一本抜き取った。
「痛っ!」
「サンプル採取成功〜!」
 ラノムは楽しげに口笛を吹き、セフィーリュカの見ている前で、その髪の毛を人形の前に近づけた。すると、人形の口の部分が音もなく開き、セフィーリュカの髪を一瞬で吸い取ってしまった。そして何事もなかったかのように口を閉じる。
「た、食べちゃった…」
 呆然とするセフィーリュカを後目に、ラノムはどこからともなく携帯端末を取り出すと、カタカタと素早くいくつかのキーを入力した。
「ここをこうして…できた!」
 彼女が端末の操作を終えて人形を宙へ放り出すと、人形はプロペラを回し、自分でその場に浮き上がった。そして真っ直ぐにセフィーリュカの顔を目指して突進する。
「きゃあっ!?」
 顔へ衝突すると思い、とっさに両手で人形を阻もうとしたが、いっこうに衝撃が伝わってこない。恐る恐る目を開けると、人形はセフィーリュカの目の前でピタリと静止していた。
「え…?」
 驚いて固まっていると、ラノムが嬉しそうに両手を広げた。
「よかった、成功ね〜!その子は名付けて『衛人AIムーン』!遺伝子登録した人に何か危険が迫った時に助けてくれちゃうすぐれものよ〜!」
 セフィーリュカはそっとムーンに手を差し伸べた。てるてる坊主の形をしたそれは、ゆっくりと彼女の手の中に収まった。林檎一個くらいの重さが、彼女の手に伝わってくる。
「わあ、可愛い」
 セフィーリュカが感動してムーンを見つめていると、ラノムが微笑みかけた。
「初成功記念とお詫びってことで、その子セフィーちゃんにあげるわ〜。可愛がってあげてねぇ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
 初成功という言葉がどうも気になったが、セフィーリュカはこの時初めてこの科学者を尊敬の眼差しで見つめた。
 ラノムは実験の片付けをするからと言って、茂みの中へ戻っていった。セフィーリュカは彼女に礼を言うと、また歩き始めた。彼女の周りを、ムーンがくるくると旋回する。

「何だ、そのてるてる坊主?」
 いつもより少し遅い到着のセフィーリュカを迎え入れたとき、シェータゼーヌはムーンを指差してそう言った。セフィーリュカは、ラノムに会ったことと、彼女にこのムーンをもらったことを彼に告げた。シェータゼーヌは驚いた顔でムーンのボディをつついた。
「フォルシモ…ああ、妹から聞いたことがある。変人で有名な科学者だろ?本当にそうなのか?」
「え、ええ…まあ」
 セフィーリュカは正直な感想を述べた。雰囲気が独特すぎて、ついていけないところは確かにある。そんな点は少しだけレイトアフォルトに似ているかもしれない。
 最近は変わった人とよく出会う、とセフィーリュカは心の中で苦笑した。


 彼は誰だろう?
 自分と同じ青い髪。いや、彼の髪の色の方が濃いかもしれない。
 公園の片隅。土管の上に座って空を見上げている。僕も自然と同じ場所を見上げる。
きれいな水色。僕の髪の色はむしろこちらに近い。
「何をしているの?」
 驚いて下を向くと、彼は僕を見ていた。
 何を言っているのだろう。僕には彼の話している言葉がわからない。きっと僕の言葉も向こうは理解してくれないだろう。じっと押し黙る。
「どうしてここにいるの?君は何のためにここにいるの?」
 何を言っているのか全くわからない。一体どこの星の人間なのだろう。銀河同盟所属の惑星だったらどうしよう。僕は肩から下げた鞄の中に入っているタイムラナーを指先で触った。
「……ルド…」
 とりあえず名乗ってみる。彼は少し驚いたような顔をしていたけれど、やがて微笑んで僕の赤い瞳を見た。何だかとても眠そうな緑色の瞳。
「レイトアフォルト。よろしく、ルド」
 彼はそう言って僕に右手を差し出した。とりあえず悪い人ではないようだ。僕は彼の手を右手でしっかりと握り返した。


 司令不在で第五艦隊が宇宙に出るのは初めてだ。シェーラゼーヌはロードレッドの艦橋でぼんやりと窓の外を見遣った。漆黒の闇に、先遣していた第十七艦隊の艦の灯りが僅かに輝いて見えた。
 プロティア宇宙軍に常駐する艦隊は全部で五つある。その中でも主力艦隊と評される第七艦隊が戦闘不能に陥ってしまった今、プロティアを守るために活動できる艦隊は四つしかない。更にその内の第九艦隊は戦闘補助艦隊のため、実動戦闘艦隊程の攻撃力は期待できない。そして残る三つの内、第三艦隊は現在辺境宙域である宇宙連邦第四宙域での特殊任務を遂行中でありプロティアからの通信波が届かないため、プロティアに呼び戻すことが出来ない。よって、実質上動けるのはシェーラゼーヌが副司令を務める第五艦隊と、スルーハン・ロイエ中佐の率いる第十七艦隊だけだった。
 第五艦隊と第十七艦隊は、宇宙に出てプロティアの周囲を警戒しながら哨戒することとなった。銀河同盟軍が迫ってきた時には、この二つの実動戦闘艦隊で応戦することになっている。カナドーリアを破壊したあの兵器を持ちだされた場合、たとえ二つ艦隊があろうとも全く意味なくプロティアを壊されてしまうだろう。しかしたとえそうであっても、皆プロティアを守りたかった。何もしないで死を迎えることには耐えられなかった。
 ゼファーも一緒に宇宙へ出ることを望んでいた。しかし、シェーラゼーヌは反対した。もしかしたら、他の惑星から援軍が来てくれるかもしれない。その時にはゼファーが彼らをプロティアの司令長官代理としてまとめあげなければならないのだ。第五艦隊や第十七艦隊と共に犠牲となるようなことがあってはならない。シェーラゼーヌはそう言ってゼファーを説得した。彼は納得していない様子であったが、最後にはわかった、と小さく呟いた。こうして、シェーラゼーヌを臨時の代表者とする第五艦隊は、宇宙に飛び立ったのである。臨時とは言え、第五艦隊における現場の最高指揮官であることに変わりはない。通信可能域を離れてしまえば地上にいるゼファーに頼らず、自分で考えて行動しなければならない。
 静かなものであった。エリルドースが受信した通信文が、本当は嘘であったのではないかと思うほどである。もしそうならどんなに良いか。シェーラゼーヌは艦長席に頬杖をついて、柔らかくカールされた自分の髪先をいじった。不意に背後から足音が迫ってくる。
「随分と暇そうだな、シェーラ」
 背の高い将校。チアースリアだった。彼はシェーラゼーヌより五つ年上で、彼女とシェータゼーヌにとって『兄』のような存在である。振り向いて、いつも通りの無愛想な顔に笑いかける。
「このまま何も起こらなければいいのにね」
「…そうだな」
 彼女の笑顔が哀愁を帯びていたので、チアースリアは一瞬言葉に詰まった。
 特殊な出自ゆえにプロティア政府から厳しい監視を受けている、カナドーリア出身の兄妹。その片割れである彼女が政府の命令で宇宙連邦軍に入ることになり、叔父から彼女のサポートをするよう依頼されたことを、まだ昨日のことのように覚えている。
 チアースリアはアロラナール家の長男として、軍人になることが生まれた時から決定されていた。立派に軍人として働く父や叔父の姿を誇りに思っていたし、自分も彼らと同じ道を歩むことに疑問を抱くこともなかった。
 ただ、全く家族をかえりみることなく軍務へ打ち込んでいた父が戦死したとき、よくわからなくなった。母も自分も弟も、もちろん父の死を悲しんだ。しかし、チアースリアはそんな父との思い出が何一つないことに気付いて途方に暮れた。戸籍上は家族であっても、アロラナール家にとって家族の絆というものはひどく希薄なものであると気付いてしまった。
 自分の命などそれこそ宇宙の塵のようなもの。名誉のために戦へ出ること、家名を守ることに果たして何の意味があるのか。今まで考えもしなかったことが頭を渦巻いて、彼はしばらく荒れていた。自らを犠牲にし兼ねない危険な任務を積極的に引き受け、他人から見れば死を求めているようにすら見えただろう。
 叔父からコルサ兄妹を紹介されたのは、そんな時だった。
 経緯は異なるが、自分と同じように軍人になることを他者から強要されたシェーラゼーヌは、自分とは違ってひどく怯えているように見えた。でも、彼女は決してそのことを口に出さなかった。口に出す権利は与えられなかったのだろう。ただ、今のような哀しげな瞳で、気丈に笑っていた。
 そして、シェータゼーヌは、傍にいられない自分の代わりに彼女を守って欲しいと、チアースリアに嘆願した。華奢で弱々しい体ながら、その瞳から強い意思を感じた。
 チアースリアは二人に出会い、初めて本当に大切だと思えるもの、自分が守るべきものを見つけた気がしていた。もしかしたら、叔父は無茶な生き方をする自分を窘める意味で二人と引き合わせたのかもしれない。そんな叔父は、八年前にエルステンで起こった銀河同盟軍との戦いで戦死した。
「怖いか?」
 シェーラゼーヌの悲しげな笑顔を見ながら、チアースリアは尋ねた。突然問われた彼女は驚いた顔で彼を見つめていたが、やがて彼から視線を外すと窓の外を見た。青く光るプロティアが見えた。
「怖いけど…何だか誇らしい気もするわ。私に価値を与えてくれた、あの星のために死ねるのなら…」
「戦う前から負けることを考えているのか?」
「だって…」
 シェーラゼーヌは言いかけて、口をつぐんだ。出発前にゼファーに言われたことを思い出す。
―きっとみんなで帰ってくるんだ―
 彼は真剣にそう言った。彼は決して諦めていなかった。
 シェーラゼーヌは口の端をあげて、チアースリアに笑って見せた。そこに憂いは含まれていない。
「そうね…まだ諦めるのは早いわよね」

 戦闘補助艦隊である第九艦隊も宇宙港を発進し、三つの艦隊が全て宇宙に揃った。本格的な哨戒任務が開始されて数時間後、ロードレッドの通信機が音を発する。エリルドースがシェーラゼーヌの方に振り返った。
「艦長、第九艦隊のコロリアルから通信です」
「スクリーンに出して下さい」
 先述の通り、現在プロティア周辺を哨戒しているのは第五艦隊と第十七艦隊である。しかし、それではあまりに数が足りなかった。そこで第九艦隊司令ミレニアス・トッホムド中佐から、第九艦隊一索敵力に優れる巡察艦コロリアルも、哨戒へ加えて欲しいと提案があった。そういう理由で、コロリアルは第九艦隊の他の艦とは独立して、プロティアを周回しているのだ。第九艦隊の本隊はプロティアの大気圏ギリギリの場所で一箇所に集まって待機している。
 ロードレッド艦橋の巨大スクリーンにコロリアル艦長セトファーゼ・シニリア大佐の顔が映される。
「何かあったのですか?」
 シェーラゼーヌが緊張した声で尋ねると、セトファーゼはゆっくりと頷いた。
「プロティアから五光年離れた位置で、時空砲による空間歪曲が観測された。解析の結果、銀河同盟軍の艦隊らしい」
 セトファーゼは寡黙な男である。必要以上のことは何一つ話さず、表情の変化にも乏しいのでまるで機械のように無機質に感じられることがある。彼の報告にシェーラゼーヌは眉をひそめた。
「五光年…少し遠すぎますね」
「全ての艦をそこに送り込んで敵艦を駆逐するのでは危険かもしれん。プロティアの守りが極端に薄くなる」
「少数を送って返り討ちにされるのも痛いですね。相手が大艦隊かもしれませんし」
 シェーラゼーヌは黙り込んだ。必死に考える。司令なら、ゼファーならどう考えるだろう。親譲りの優れた作戦立案力を持ち、何よりも仲間を大切にしている彼ならば。
「…こうしましょう。第十七艦隊と第九艦隊が、その敵艦隊を迎え撃ってください。プロティアは、私たち第五艦隊が守ります」
 セトファーゼは目を瞑って彼女の提案を黙って聞き、しばらく考えていた。
「しかし、もしプロティアに他の敵艦隊の襲撃があれば、総艦数の最も少ない第五艦隊だけではもたないかもしれんぞ」
 セトファーゼは厳しい目でシェーラゼーヌを見た。決定打に欠ける作戦だと感じていた。見るからに人の良さそうで、年若いこの女性には、第五艦隊の司令代理は荷が重いのではないかと、セトファーゼはやや呆れている。しかしシェーラゼーヌは彼の視線に屈せず、セトファーゼを見返した。自分より年下のゼファーでも司令職を立派にこなしているのだ。シェーラゼーヌも、なめられる訳にはいかない。そのためには実力で示さねば。
「第九艦隊が補給線を出来る限り伸ばし、危険があればすぐに撤退できるようにしてはいかがでしょう。補給線の一番後ろは機動性に優れたコロリアルに務めて頂ければ心強いです。プロティアに何か危険が迫ったら、すぐに救援を要請します。第五艦隊だけでプロティアが守れるなどと、思い上がったことは言っていません」
 そう言ってシェーラゼーヌは強い意志を秘めた金色の瞳でセトファーゼを見据えた。
「(一応、数手先まで読んだ上での発言か。少々、彼女を見くびり過ぎたようだ)」
 セトファーゼは観念したように、口の端を少しだけあげた。表情の乏しい彼のそんな顔を、シェーラゼーヌは初めて見る。
「了解した。早速行動に移る。お互いの善戦を願うよ、コルサ中佐」
 セトファーゼが通信を切る。その瞬間、シェーラゼーヌは気が抜けたように艦長席に手をついた。深い溜め息をもらす。
「ああ…緊張した…」
 動悸がする。寿命が何年か縮まったような気さえする。そんな彼女を、ロードレッド艦橋のクルーは皆、苦笑交じりで見つめていた。

「今回は出番ありますかね、この船」
 リゼーシュは操縦桿の動きを確かめながらそう言って艦長を見た。チアースリアはセラリスティアと共に各種計器のチェックをしている。
「ない方がいいですよ、少尉。プロティアに敵が近づいて欲しくありませんから」
 燃料量を表すメーターを読みながら、セラリスティアが言う。リゼーシュはつまらなそうに操縦桿を倒した。
「そりゃあそうだけどさ。このザリオットはまだ実戦で使われてない新品だぜ?砲撃手の俺としては、この主砲をドカンと一発やりたいんだよ」
 そう言って、リゼーシュはまだビニールを剥がしてから誰も触っていない主砲発射レバーに触れた。
「確かに、このまま使う機会がないまま破壊されるのはもったいないな…」
 チアースリアが珍しくリゼーシュに同調したので、セラリスティアとリゼーシュは驚いてお互いの顔を見合わせた。
 通信機の音がした。セラリスティアが計器を離れて通信士席へ戻る。ロードレッドの艦橋からだった。通信を開くとエリルドースがスクリーン越しにこちらへ手を振っていた。
「エリル主任?どうしたんですか?」
「各艦の通信システムのチェックだよ、セラ。…よし、問題なさそうだな」
「音声、画像ともに良好です。お疲れ様です、主任」
 セラリスティアが明るい声で応答すると、エリルドースは苦笑した。
「そちらこそ。通信機以外のメンテナンスは慣れないだろうに、お疲れ様だね」
 ザリオットのクルーは、知らない内に三人になってしまっていた。機械技師がもう一人いたのだが、プロティアの危険を知り、故郷を捨ててどこか別の星へ亡命してしまったらしい。ただでさえ人員の足りない第五艦隊は、ザリオットに代理の人間を補充出来なかった。発進前のメンテナンスをする者がいなくなってしまったため、艦長も含めた三人のクルー達で仲良く艦橋の整備をしているのだった。
「弱小艦隊は辛いねぇ…」
 リゼーシュは皮肉のこもった口調で呟いた。

 事態が急変したのは、第十七、第九両艦隊がプロティアを離れ、四光年離れた場所にいると通信で知った後であった。第五艦隊が散布させておいた小型偵察機の一つからロードレッドへ、ひとつの報告があった。通信機でその通信を受信したエリルドースが慌てて立ち上がる。
「艦長、大変です!ポイント五一一に大質量体の時空転移を確認!全速力でプロティアを目指しています!」
 ついに来た。シェーラゼーヌは自分でも驚く程の冷静さでそう思った。
「敵の数は?」
「………四個艦隊です!」
 エリルドースの声が艦橋に響く。誰もその声に応えられない。何ということだ。銀河同盟軍は、大兵力で全力を持ってプロティアを破壊しようとしているのだ。てっきりあの新兵器を使うためにせいぜい二個艦隊程度が攻め込んでくるのだと思っていた。それは、完全な思い込みであったのだ。シェーラゼーヌは呆然と果てしない宇宙を見遣った。
「そんな…二つの艦隊を呼び戻しても…とても勝ち目がない…」
 しかも、呼び戻した艦隊と共になんとか勝ったとしても、五光年先にはまた別の敵がいるのである。とてもそこまでもたない。
 それでも、戦わなくてはならない。
 大切な場所を、大事な人達を守るために。
 シェーラゼーヌは立ち上がった。
「第十七、第九両艦隊に救援を要請後、全艦、敵方面へ回頭!戦闘準備を開始してください!」

 敵は始め四個艦隊全てが集まって動いていた。まるで一つの大艦隊のように。何百もの戦闘艦に睨まれた、総艦数が百にも満たない小さな第五艦隊がより小さなものに思える。シェーラゼーヌは勇気を振り絞り、声を上げた。
「戦闘開始!」
 ロードレッドの主砲が光を発する。敵艦隊からも無数の光が飛んでくる。数十分で第五艦隊の艦はかなりの傷を受けていた。しかし、敵の数に比べれば、かなり善戦している方だ。なぜこんなに被害が少ないのか。理由はすぐにわかった。

 ザリオットはリゼーシュの念願通り、戦闘に駆り出されていた。漆黒の宇宙を駆け抜ける。新型のザリオットは第五艦隊に配備されたどの艦よりも速く動ける。その速さを活かして、敵を陽動する役目を負っていた。
「やばいっすよ、艦長!このままじゃプロティアが取り囲まれる!」
 リゼーシュが叫ぶ。叫びながらも砲撃の手を緩めず、目の前に現れた敵の小型戦闘機を撃ち落とす。チアースリアは舌打ちした。
「敵の狙いは、これか…っ!」
 第五艦隊の直接の敵は二個艦隊だった。残りの艦隊は戦火を避けつつ、ゆっくりと移動してプロティアを取り囲んでいた。大気圏のように薄く、広く。もし連邦軍が敵艦隊を攻撃すれば、その攻撃がプロティアの大地に影響するかもしれない。プロティアという惑星自体が、とても巨大な人質だった。連邦軍の考えは一度ならず、二度も裏切られた。あの通信文は罠だったのだ。敵の本当の目的はプロティアを破壊することではなく、プロティアを占領することだったのだ。
 広がって展開した敵艦隊の数が徐々に減っていく。銀河同盟軍の船が史上初めてプロティアに降り立っていくのだ。