Gene Over│Episode1蒼き星と少女 12連動

 臨時休暇をもらった。
 プロティアが危険だと判明した今、自分だけ休んでいる訳にはいかないと思うのだが。しかし、年下の司令はシェーラゼーヌに笑いかけながら命令だよ、と言った。どうやら彼は、先日彼女に報告書を任せて帰ってしまったことを気にしているらしい。
 一日だけの休み。数か月ぶりに、『兄』の元でゆっくりしようか。
 シェータゼーヌは仕事中だった。殺風景な部屋で、デスクに向かっている。
 彼は一応、宇宙連邦発展開発局所属の数学者という肩書きを持ってはいるが、虚弱体質のため特別に在宅勤務が認められている。学会などへの参加を除けば、郵送されてくる仕事を自宅でこなす日々である。
「これは何の式なの?」
 シェーラゼーヌはデスクの上の用紙に書いてあるおびただしい数の数式を覗き込んだ。彼と同じ遺伝子を持つ自分も、同じように勉強すれば理解出来るようになるのかもしれないが、全然内容がわからなかった。
「通信機が宇宙で作動する時の電波の速さと位置座標の関数だ。宙域を越えた通信機の使用領域拡大のための研究だとさ」
 説明しながらも、シェータゼーヌはペンを動かしている。用紙が数式で全て埋まってしまったので、新しい用紙をデスクの引き出しから取り出す。
 自分が軍人として物を壊したり、人の命を奪っている間に、彼は宇宙連邦市民がより便利に暮らせるように研究をしている。
 外見はまったくと言っていい程同じであるのに、知らない内に二人の生き方はまるで違ってしまったものだと、シェーラゼーヌは心の中で苦笑した。いつか、戦いが終わって軍人としての自分の存在が必要なくなることがあるのであれば、彼を手伝って暮らせれば良いのに。
 そのためには、まずこのプロティアを危険から守らなければ。第二の故郷も破壊されるようなことは、絶対に防がなければいけない。
「………」
 思い詰めた顔でデスクの上に並ぶ数式を撫でる『妹』に気付き、シェータゼーヌはペンを止めた。突然振り返り、同じ色の瞳で見つめてくる『兄』にシェーラゼーヌは戸惑う。
「な、何?」
「シェーラ。…これから忙しくなるんだろうけど、無理するなよ」
「…え…」
 彼は、彼女が周囲に気を遣って無理をしがちなことを知っていた。体質的に丈夫だからと過信しているから尚更なのだと思う。シェーラゼーヌは気恥ずかしそうに俯いて溜息をついた。
「シェータに心配されるようじゃ、私も終わりね…」
「なんだよ、心配しがいのない奴だな」
 不満げなシェータゼーヌに背を向けて、シェーラゼーヌは大きく両腕を伸ばし深呼吸をした。
「…ありがとう」
 聞こえるか聞こえないかというくらいの声で呟く。
 どんなに絶望的な戦いだって、戦い抜いて見せる。
 そして、守ってみせる。
 そのために生み出されたのだと、ここにいるのだと信じたい。


 さて、これからどうしようか。
 どうやらこのプロティアは危険らしい。
 何とか危険は回避したいが、探し物―と捜し人―は全然見つからないし、非常時だとかいって船は手に入らないし。もう踏んだり蹴ったりだ。
 ダスロー軍でちょっとは名の知れた特殊戦闘員であるこの俺が、こんな失態を繰り返すなんてな。まったく、ついてないぜ。


 かつてデリスガーナーが極秘指令を受けたこの場所、司令長官室。その日、いつも静かなその部屋に、ある士官が押しかけていた。
 司令長官、ネイティ・デア・ラルネ大将は太い眉を八の字に曲げ、目を瞑ったまま僅かに生えた顎鬚を撫でた。
「聞いておられるんですか、司令長官!?」
 ネイティのデスクを叩く音が室内に響く。オレンジ頭の士官、アランがネイティを真っ直ぐに見つめていた。ネイティはゆっくりと目を開けると、若い中佐を見た。
「君の気持ちは良くわかるが、中佐…」
「わかっておられるのなら、なぜプロティアに援軍を送ろうとなさらないのですか!」
 ネイティが話し終わる前に、アランは割り込んだ。そしてもう一度デスクを叩く。
「一個艦隊でなくてもいい!私一人を派遣するのでも構いません!」
「落ち着かんか、中佐!君が先輩にあたるレンティス少佐を案じる気持ちはわかる。しかし、彼一人を救い出すためにダスローから兵を送ってみろ!プロティアの次はダスローが狙われるかもしれん!君は母星を危険に晒してよいと言うのか!?」
 ネイティは声を荒げた。アランが少し萎縮する。しかし、その目はしっかりと司令長官を睨みつけていた。
「少佐が捜査している事件…連邦の第一級機密が絡んでいるそうですね、長官」
「!」
 ネイティの顔が青ざめる。非難するような鋭い瞳が、アランを見据えた。
「なぜ…君が、それを…」
 アランはその視線に屈しなかった。ネイティは勢いよく立ち上がり、デスクの向こうからアランの方へ回りこむと、彼の襟首を掴んだ。
「答えろ、誰からそのことを聞いた?答えようによっては、少佐と共に免職処分にするぞ!」
 アランは答えず、ネイティから視線を逸らした。襟首にかかる力が強くなる。苦しさにアランが少し顔をしかめた時、戸の開く音がした。
「あまり興奮なさると血圧が上がりましてよ、お父様」
 ネイティが手の力を緩める。アランは掴まれていた首元をさすると、声のした方を見た。司令長官室に連なっている隣の部屋から室内に入ってきたのは、桃色の髪の女性士官だった。
「ルイス…」
 ネイティは一人娘の名を呼んだ。耳元で編まれた二本の髪の束を邪魔そうに後ろへ払うと、ネイティの一人娘、ルイス・ファーゼスト・ラルネ少将はアランを見た。彼女は宇宙連邦軍実動戦闘第六艦隊の司令であり、アランにとって直属の上司である。
「イーゼン中佐は情報収集力に優れた方。お父様の隠し事など、彼に見破られて当然ですわ」
 突然現れた娘に敵に回られて、ネイティは少し寂しそうに口の端を歪めたが、すぐに司令長官としての顔に戻ると、アランの方に向き直った。
「私が彼にそのような事件の捜査を命じたとして、だ。君はそれに対して私に何を望むというのだ?」
「少佐がプロティアにいるという事象から考えますに、彼はそこで機密に関する手がかりを見つけたということでしょう。もしかしたらすでに任務を全うしているかもしれません。しかし、それを持ち帰れない状況にあるとしたら、長官もお困りになるのではありませんか?」
 デリスガーナーは通信で、自分の船を失ったと言っていた。そして、プロティアで船を調達すると。しかし、本当にそんなことが可能であるだろうか。プロティア人の中には、危険が迫ったために惑星外へ逃げ出そうとする者も多いだろう。そのために宇宙船は非常に貴重な存在になる。そんな中で、ダスロー人である彼が果たして無事に宇宙船を手に入れることができるだろうか。ネイティが、低く唸る。
「しかし…私が独断で命令を出したとなっては…政府に糾弾されるだろう…そうかと言って政府に相談しても、おそらく当てにならぬ…」
 アランは保身的な司令長官に腹が立っていた。ダスロー政府がなんだ。今は連邦が協力し合ってプロティアをカナドーリアの二の舞にさせないよう守るべきではないのか。そう怒鳴ろうとした時、二人のやり取りを聞いていたルイスがカツカツと軍靴を響かせて父に詰め寄った。
 パチンッ
 一瞬何が起こったのか、アランにはわからなかった。次の瞬間目に入ったのは、父にビンタを食らわせた娘の姿と、呆然と頬をさする父親の姿だった。ルイスが涙を溜めた目で父を見つめる。
「お父様…あたくし、見損ないましたわ!もっと部下のことを考えて下さっていると思ったのに!…もうお父様には頼りません!このあたくしが第六艦隊を率いて、プロティアを救ってまいりますわ!行きますわよ、イーゼン中佐!」
 そう言うと、ルイスはアランの手を引っ張り、司令長官室を出た。彫刻のあしらわれた扉を乱暴に閉める。
 アランを無理矢理引きずり、ルイスは司令部の庭へ出た。強い日差しが二人に降り注ぐ。ルイスはアランのことを睨みつけた。
「少しは頭を冷やしなさいな!あの部屋に、政府の設置した監視カメラがあるということ、お忘れですの!?」
 どこか苛立ったようなルイスの言葉を聞いて、アランは今出てきた司令部の建物を振り返る。
 ノジリス王国が首都国家となったこの年、ダスロー政府は軍の権力拡大を防ぐため、軍の重役を事細かに見張っているのだ。クーデターの可能性も考慮した上で、宇宙軍の司令長官は一番注意して監視しなければならない相手である。彼の部屋には厳重に監視カメラが設置され、彼の発する命令が政府の意向に沿うものであるかを、いつも監視しているのである。もしあの場でアランがネイティに出撃要請を受諾させていたら、すぐにでも政府のエージェントが押しかけ、アランとネイティを逮捕しただろう。しかし、ルイスが父親の意見を無視して勝手に出撃するという形であれば、ルイスには反逆罪をかけられるかもしれないが、ネイティとアランの身は守られるのである。つまり、ルイスは父と部下を守るために、一芝居打ったということなのだろう。
「司令…俺…」
 自らの犠牲をかえりみず自分を守ってくれた上司を、アランは尊敬の眼差しで見つめた。
 そうだ、頭に血が上ってしまっていたら、何も考えられないし、得られるものもない。ここは一つ冷静に、デリスガーナーを救出する方法を考え直さねば。
 そう反省したアランにルイスがかけた一言は、彼の思考を一瞬停止させた。
「それでは、早速出発いたしましょうか、プロティアへ」
「…………は?」
 数テンポ遅れてアランが首を傾げる。ルイスは呆れたように彼の顎を掴むと、それを自分に引き寄せた。
「何をぼけっとしていますの?さきほど申し上げたでしょう?あたくしたち第六艦隊が、プロティアに向かうんですのよ!」
 …あれは芝居ではなかったのか?アランは未だ働かない頭で、上司を見つめた。
「だって…そんなことしたら…ダスローも狙われて…」
「何を言っているんですの?」
 ルイスはアランから手を離すと、両腕を組んでその場にふんぞり返った。
「プロティアで敵を全滅させればいいんですのよ!あたくしの行動が正しいと証明されれば、政府も文句は言えませんわ!」
 ルイスの高笑いが周囲に響く。アランは、かける言葉もなく、その場に呆然と立ち尽くした。
 その後、休暇の中止を言い渡され、急遽召集された第六艦隊はその日の夜の内に、軍船発着所管制官の制止を振り切り、プロティアへ向けて旅立っていた。
「結果オーライ…なのか?」
 偵察艦メリーズの艦長席でだらしなく頬杖をつきながら、アランは暗い宇宙を見据えた。


 第六艦隊がダスローを出発するのと時を同じくして、第一宙域主星エルステンの第二艦隊も行動を開始していた。
 若干二十歳の司令クリスベルナ・リオンザ・チーヌズベル准将は機嫌が悪かった。透き通るような白い肌が、僅かに紅潮している。
 司令長官から命じられた、プロティア軍の補助任務。それは、プライドの高い彼にとってはこの上ない侮辱に思えた。
 人間が人工的に造られることが容認されている惑星。クリスベルナはプロティアが嫌いだった。人間は生を受けた場所、境遇、そして方法によって人間としての確固たる地位を得ることが出来る。宇宙連邦内でプロティアと並ぶ科学力を持つ人工惑星エルステンにおいて、この考えはごく自然なものだ。そしてクリスベルナはこの考えを絶対で崇高なものであると思っている。
 人間は宇宙を支配するものだ。自然の摂理に従って増殖する種ほど強い。人間が人間であるための条件、それは小細工としか呼べないような、人為的な遺伝子改変などなく生み出されること。適応できなければ淘汰されるだけで、淘汰されずに生き残った者が真の人類である。
 このことは、高度な感情システムを埋め込んだ人型兵器ヒュプノスに対する侮蔑の思想でもあった。人によって作られたものは所詮『もの』であって、ヒトではない。『感情』システムなどという言葉を当てはめることでさえ、ひどい嫌悪を抱く。
「第二艦隊、出動」
 クリスベルナは、静かに、僅かに怒りを含んだような抑揚のない声で艦隊に命じた。旗艦トルヘインを先頭に、第二艦隊はゆっくりと空を昇っていった。

 プロティア。この艦はそこに向かっているらしい。
 エルステン以外の星をあたしは知らない。
 プロティアは果たしてあたしを受け入れてくれるだろうか。
 人間ではないあたしたちを。
 フェノンはダースジアの自室で、窓の向こうの広大な宇宙を見つめていた。