Gene Over│Episode1蒼き星と少女 11邂逅

 その日、フェノンはエルナートに呼ばれた。
 ダースジアには、ヒュプノス用の個室が各々用意されている。兵器であっても、そういう部分だけは人間と同じ扱いなのだ。そうは言っても、ヒュプノスは人間でいう心臓と頭の位置にそれぞれアダムとイブ―これらは遠い昔の神話に出てくる人間の名前らしい―という中枢組織を持っており、それが壊されない限り半永久的に活動できるので、食事を摂らなくても動けるし、睡眠をとる必要もない。要は、部屋を与えられたからといって、それを何かの目的のために使うということは何もないのである。 最近ダースジアに搭乗することになり、自分の部屋というものを初めて与えられたフェノンは、使い方が分からず困っていた。
「エルはどうやって部屋を使ってるのかな?」
 フェノンはエルナートの部屋の前で呟いた。扉の横のインターホンを押す。フェノンは背が小さいので少し背伸びが必要である。
「まったく、どうして博士はあたしをこんなに小さく造ったのかな?」
 エルナートが出てくるまで、フェノンはそんな独り言を言っていた。初期型のヒュプノスにそんな機能はないが、コアルティンスによって造られたフェノンには、妙に人間的な機能がある。
「…」
 エルナートが無言で扉を開けた。そしてフェノンがそこにいることを確認すると扉を開けたままさっさと部屋の奥に引っ込んでしまった。中に入れということだろう。フェノンは、お邪魔します、と小さく言って部屋の中に入った。
 エルナートが自分のことをどう思っているのかは、フェノンにはわからない。好いてはくれていないことは間違いないのだが。艦長に頼まれた雑用などを一緒にやりながらも、彼女はフェノンに話しかけてくれない。初めて会った時に自分とフィーノを重ね合わせてしまったことは理解しているけれど、フェノンはフィーノではないのだ。なんとか仲良くなれないかと、ずっと考えていた。だから、今日エルナートが部屋に呼んでくれたのは嬉しかった。
 部屋の内装はフェノンのそれとまったく同じだった。突き当たりの大きな窓。申し訳程度に置かれたクローゼット。そしてあまり意味のないベッド。女性型のエルナートはもう少し部屋をアレンジしているのかと期待していたフェノンは、殺風景な室内を見て肩を落とした。
「そこに座っていろ」
 エルナートがベッドを指差す。フェノンは素直にそれに従った。ベッドにちょこんと腰掛けると、エルナートはクローゼットの中から何かを探しているようだった。
「…あった」
 小さく呟くと、エルナートはフェノンの隣に座った。手には一本の黒いゴムが握られている。髪を束ねるもののようだ。
「?」
 フェノンはそれを見て首を傾げた。
「お前がフィーノと違うことはよくわかっている。それでも…」
 エルナートが小声で言う。フェノンはゴムを見つめた。
「それ…フィーノの?」
 フェノンがゴムを指差すと、エルナートはゆっくりと頷いた。
「あの事件の後、研究員がフィーノを解体するため運ぼうとした時、気づかれないように取ったんだ。それからこうやってずっと持ってた。…なぜそうしたのかは、わからないけど」
 不意に、エルナートはゴムを口に運んだ。それを二本に食い千切る。そして、肩につくほどの長さしかないフェノンの髪を、二本に分け始めた。
「お前には迷惑かもしれない。でも、お前がこれを付けていてくれたら…私は吹っ切れるかもしれない、あの事件を…」
 そう言いながら、丁寧にフェノンの髪を結んでいく。フェノンは嫌だとは言わなかった。されるがままに、髪を結われる。
 髪を縛ると、フェノンは更に幼く見えた。エルナートは無言で彼女の髪から手を離す。フェノンは自身の変化が嬉しかったのか、にっこりと微笑んでエルナートを見た。
「わかった。ずっと付けてる。だから、エル…仲良くしてくれる?」
 柔らかい表情で笑うフェノンに、エルナートも自分の表現力で出来る限りの笑顔を作って見せた。
「…ありがとう」


 プロティアが銀河同盟軍に攻められるらしい。
 折角やって来たのに。
 ここに着いてから、あの声はまた聞こえなくなってしまった。聞こえなくなったということは、僕が『声』の思い通りに行動しているということだ。決して気分は良くないが、今は『声』に従うしかない。僕には何も決められないから。言われたままに動くというのは、驚くほど楽なものだ。
 僕は機械を操れるけれど、この力を自主的に使ったことは一度もない。
 僕は操られているんだ。


 人間ってなんだろう?
 プロティアが攻撃されると聞いてから、ずっと考えている。
 セフィーリュカは公園のベンチに座っていた。幼い頃から、自然の風が感じられる所が好きだ。街中は慌てふためいた人々で溢れている。最近、本当に賑やかである。もっと良いことで賑やかならいいのだけど。
 セフィーリュカは空を見上げた。気持ちがもやもやする時はいつもそうする。父のことを思い出せるから。なんだか安心する。
 やっといつもの空の色が戻ってきた。第七艦隊の集団葬儀が済み、プロティア襲撃の可能性を大々的にメディアが報道した翌日から、それまでの大雨が嘘のような快晴が続いている。
 雨の音はうるさくなくなったけれど、今度は人間たちが騒ぎ始めた。なまじカナドーリアのことを知っているだけに、自分が消え失せるという瞬間を迎えるのが、どうしようもなく怖いのだろう。自分の家を売り払って他の惑星に逃げ出した人もいるらしい。 もちろんセフィーリュカも死ぬのは怖い。まだ星間通訳になれていないし、他にやりたいこともたくさんある。しかし、このプロティアを離れたいとは思わなかった。自分が生まれた場所だから。父が残してくれた場所だから。
 カラカラ…
 遠くから何かを転がす音が近付いてくる。この音は、自転車?そういえば、しばらく前に変な青年に会った気がする。その時、確か自転車を…。
「こんなとこで空なんか見上げてて、首痛くならない?」
 聞き覚えのある声だ。空から目を逸らすと、ボサボサの青い髪が見えた。レイトアフォルト。去り際に名乗った、あの不思議なシレホサスレン人が目の前に立っていた。あの時セフィーリュカの名前で借りた自転車をまだ引きずっている。セフィーリュカの記憶では、返却期限は過ぎているはずである。
「…まだプロティアにいたんですか?」
 まさか本当にまた会うとは思わなかった。驚いた顔のセフィーリュカに対して、レイトアフォルトは先日と同じ眠そうな顔で微笑んでいる。
「そこに住んでたんだ」
 そう言って彼が指差したのは、公園内で子供が遊ぶ長い土管だった。石で出来ているので、この上なく固そうで寝辛そうだ。
 呆れた顔でセフィーリュカが土管を見つめていると、レイトアフォルトは自転車をベンチに立て掛け、ベンチに座っている彼女の隣へ腰掛けた。
「やっぱりまた会ったね。もう少し後になると思ってたんだけど」
 セフィーリュカは首を傾げた。もう少し後、とはどういう意味だろう。レイトアフォルトはそれ以上何も言わず、先程までセフィーリュカが見上げていた空を見た。
「初めて会った時も思ったけど、君の髪と目の色ってあの空と同じだね。空からあの色を取ってきて貼り付けたみたい」
 外見からは想像できない程詩的な表現をする男である。面と向かって突然そんなことを言われたので、セフィーリュカは何だか恥ずかしくなって俯いた。
「父と同じなんです…髪も目も…」
 なぜそんなことを言ったのかは自分にもわからない。発言してから、セフィーリュカは慌てて顔を上げた。
 きっとおかしな娘だと思われただろう。突然父の話をするなど。
 しかし、彼女の予想に反して、レイトアフォルトは真剣な、どこか悲しそうな表情でセフィーリュカを見ていた。
「…選ばれた遺伝子(セレクトジーン)…」
 息が止まるかと思った。彼によってぽつりと呟かれた言葉にひどい悪寒を感じ、セフィーリュカは自分の肩を抱いた。
 プロティア人の誰もが知っているその言葉。
 この星ではごく当たり前の行為。
 連邦の中でも特に科学力の進んだこの星が選んだ生殖方法。
 それでも、忘れてしまいたかった。意識したくなかった。
 自分の存在が『奇跡』だと思っていたかったから。
「……」
 セフィーリュカは唇を噛み締めた。涙が零れるのをこらえるように、顔を上げた。レイトアフォルトと目が合う。
「プロティア人をどう思いますか?ちゃんとした人間に、見えますか?」
 小さい頃から言われ続けてきた。父にそっくりだと。その言葉は決してお世辞などではない。本当によく似ているのだ。
 他の惑星では、子供は母親の腹から生まれるらしい。子供が出来るかどうかは確率的な問題であるという。そして、その形質は両親のものを半分ずつ受け継いでいると。 プロティアは、他の惑星とは違う。子供を望んだ親は、望んだ子供を授かることが出来る。
 試験管ベビー。
 父親の遺伝子と母親の遺伝子。お互いに伝えたいと思う遺伝子をそれぞれ選び、それを特殊な機械にかける。そうして出来た細胞を何ヶ月も培養して、赤子の形を成した時、両親はその子を自分の子として引き取るのだ。セフィーリュカも、姉と兄も、この方法でこの世に誕生した。セフィーリュカを最初に抱いたのは祖父だった。彼女が生まれた時、両親は仕事で宇宙にいた。子供の誕生は、奇跡などではなかった。必然だった。それを誰も不思議だと思わない。
 セフィーリュカは父に似ていた。父は自分の髪と瞳の色を彼女に引き継がせた。セフィーリュカは考えていた。自分は父の『身代わり』ではないのか、父を映す鏡なのではないかと。もしそうなら、人によって望み通りに造られた自分は、機械と同じではないのか。他の星の人と違う自分のことを、きちんとした人間だと思えない。
 ふと気付くと、レイトアフォルトがベンチから立ち上がっていた。セフィーリュカに背を向け、ボサボサの髪を風になびかせている。雨上がりの風は、まだほのかに湿っていた。
 彼は不意に振り返ると、セフィーリュカをじっと見つめた。深い、深い森のような緑色の瞳。
「君は…何を以ってヒトをヒトと定めるの?」
 一瞬風が止んだ。
 彼の声は周りの全てを止めてしまったような気がする。
 セフィーリュカは何も言えず、黙ってしばらく彼を見つめていた。眠そうな目が、妙に憂いを秘めているように見える。
 彼は自転車に跨った。あの時と同じように、ペダルを踏み込む。しかし今回は、去り際にセフィーリュカを振り返らなかった。セフィーリュカも、何も言わなかった。呼び止める言葉が見つからなかった。