Gene Over│Episode1蒼き星と少女 10侵攻

 こんな時に、まったくあの馬鹿はどこに行ったのだろう。
 迫る脅威を、正しく理解しているのだろうか。
 そろそろこちらも準備し始めなければならない。あんなもの相手にどうすればいいかなんてまるで見当がつかないが。
 でも迷っている暇なんてない。
 どんなに不利な状況でも、我々は立ち向かわなければならないのだ。それが我々の使命なのだから。


 声が聞こえる。何日ぶりだろう。嬉しくなんかない。僕を狂わせた原因なのだから。僕はまだ宇宙船の中にいる。そろそろ燃料が尽きてきた。でも、このままずっとここにいるのもいいかもしれない。果てしない宇宙に飲み込まれて、このまま消えていくのも悪くない。
 でも、『声』はそう思ってはいないようだ。消えてはいけない、とさっきからうるさい。そんなの僕の勝手じゃないか。『声』は僕じゃない。意識は僕のものなんだから、僕の好きにさせてくれればいいのに。
 心の中ではそう思っている。でも、ああ…まただ。体が勝手に動く。離していた操縦桿を握らせられる。僕はもうどこにも行きたくないのに。
 青い、とても青い星だ。どこなのだろう。ダスローじゃないのはわかるけれど、こんな所、僕は知らない。声は、どこに僕を導いていくのだろう。
 隣でタイムラナーが光を弱める。さっき突然光りだしたんだ。何が起きているのかわからない。
 僕の意識を感知したコンピュータが、スクリーンにその星のデータを映してくれた。体は動かないけれど、目は見える、知覚できる。
 宇宙連邦第五宙域主星…プロティア…。


 集団葬儀がそろそろ始まっている頃だ。早朝、兄は忙しそうに家を出て行った。これが終われば休めるかな、と欠伸をしながらぼやいていたけれど。毎日早起きのセフィーリュカはそんな兄を見送ることができたが、姉はまだ寝ていた。実を言うと、もうすぐ十時になるという今になっても彼女は寝ている。ここ数日間で色々あったから疲れたのだろうということにして、セフィーリュカもシオーダエイルも彼女を寝かせておいている。
 テレビを点けると、集団葬儀が行われている会場が生放送されていた。女子アナウンサーが神妙な顔で会場を歩き回っている。参列者は会場となった広場で、その真ん中に置かれた大きな石碑の周りに花を添えている。あの石碑には、戦死した者たちの名前が刻まれていることを、セフィーリュカは知っていた。

 ゼファーが軍に入ってから、この葬式は最も大規模なものだった。父が死んだ時でさえこんなに大々的なものではなかった気がする。戦局が穏やかでない証拠である。
これからも自分はこんな葬式に参列しなければならないのだろうか。
 遠くから雷鳴が聞こえる。最近プロティアの天候は悪い。今朝、テレビでもそのことについて触れていた。湿った風が頬を撫でる。気分の良いものではない。雨は、全てを流してくれるのだろうか。
 声にならない嗚咽がゼファーを包んでいる。
 空の棺すらなく、大きな石碑に名を連ねるだけの勇者たちを、参列者が涙で送る。
 先のカナドーリア会戦で失ったものはあまりに多すぎた。半数以上の艦、それらに搭乗していた人間たち、そして惑星一つ。ゼファーの知り合いもたくさん死んだ。今こうして彼らを送り出している自分の存在が、ひどく不思議なものに思えてくる。
 気分も、思考も、暗黒へ引きずられようとしていたその時、厳かな鐘の音で我に返った。ゼファーは、無言で石碑に向かい、敬礼した。

 第七艦隊の司令であるシーリスは、カナドーリア会戦において打撲程度の怪我で生還した。彼女も無論、この日の葬儀に参列していた。プロティア行政議会を代表して議長が追悼の言葉を述べたその後で、シーリスも昨日の夜必死に考えた言葉を遺族へ伝えた。何を話しても伝わらないかもしれない。自分を含め、遺された者達はまだその心に大きな蓋をしてしまっているだろうから。それでも、話し終えるまでなんとか涙をこらえた。
 彼女が、演説のために用意された小さな壇上から降りると、一人の少年が立っていた。十二、三歳であろうか。泣いてはいないが、目が酷く腫れている。きっととても大切な人を亡くしたのだろう。大きな花束を抱えていた。
 青年士官がシーリスの元にやって来る。彼は少年を見遣ると、シーリスに耳打ちした。
「会戦で父親と勇敢に戦ってくれた司令長官に、是非花を贈呈したいと言っておるのです。受け取ってやって頂けますか?」
 シーリスは頷くと、一人で少年に歩み寄った。少年も同時に彼女に向かって歩き始める。お互いに握手できるぐらいの距離まで近づいたとき、少年は立ち止まった。顔を下に向けたまま、花束を差し出す。シーリスは少し屈んでゆっくりと手を差し出し、それを受け取った。
「ごめんね…」
 受け取る時、シーリスはか細い声で少年に謝った。目頭が熱くなる。涙が零れ落ちる前に少年の元を去ろう、そう思い、屈んでいた体を元に戻そうとした、その時だった。
 ドスッ
 何かが食い込む鈍い音。シーリスは受け取った花束を取り落とした。小さな白い花たちが、赤く染まっていく。少年は、シーリスの右胸に手を当てていた。その手に握られているのは、小さな果物ナイフ。
 誰かが悲鳴を上げた。それに驚いたように、少年は刺したナイフを引き抜いた。鮮やかな血がシーリスの胸から溢れる。彼女はその場に崩れ落ちた。

 敬礼していた手を下ろした時、ゼファーは悲鳴を聞いた。たくさんの人々が逃げ始める。訳が分からず、彼は逃げる人々と反対方向に走った。シェーラゼーヌが青ざめた顔でゼファーに駆け寄って来る。
「タタラ司令長官が…少年に刺されて…!」
 震える声でそう伝えたシェーラゼーヌをその場に待機させ、ゼファーは彼女が走ってきた方へ走り出した。
 参列者がほとんど逃げ出してしまった壇上前で、ゼファーは立ち止まった。部下に囲まれたシーリスが、胸から血を流して倒れている。血が止まらないのだろうか、顔がどんどん蒼白になっていくのが、遠目で見てもわかった。
 そこから数メートル離れた場所で、一人の少年が兵士に取り押さえられていた。手には、血の付いたナイフを握っている。少年は、取り押さえられてもなお、兵士の手を振りほどこうともがいて、シーリスに叫び声を上げている。
「あんたの所為だ!あんたの所為で、父さんは死んだんだ!あんたの所為で、カナドーリアは壊れたんだよ!許せない…死んで償え!」
 兵士が、司令長官への罵倒に耐え切れなくなったのか、少年に拳を振り上げる。やめろ、と叫ぼうとして、ゼファーは言葉を飲み込んでしまった。殴られた少年が、ぐったりと兵士に倒れ掛かる。丁度そこへ、救急車が到着した。
 けたたましいサイレンを鳴らしながら走っていく救急車を眺めていると、シェーラゼーヌがゼファーの肩に触れた。まるでそのことに気づかなかったかのように、ゼファーは彼女の手が離れてから徐に振り返った。
「司令長官…大丈夫でしょうか…」
 シェーラゼーヌは今までシーリスが倒れていた場所に目を遣った。水溜りのように血が残っている。少年は、兵士に抱きかかえられてどこかへ連れて行かれた。警察で事情聴取でもされるのだろうか。聴取することなどない。彼は父の仇を取ろうとしたのだ。それ以外の何物でもない。その復讐が、敵である銀河同盟軍にではなく、味方である宇宙連邦軍に向けられただけ。純粋で残酷な感情を、ゼファーは思い知った。
 雨が落ちてくる。ゼファーも、シェーラゼーヌも、自分が濡れていることなど構わず、その場に立ち尽くした。
 血痕が、雨で滲んで、徐々に薄くなっていく。


 司令長官殺害未遂事件の報は、瞬く間にプロティア中に広まった。テレビで集団葬儀の生中継を見ていた人も多かったので、その事件の様子はテレビでそのまま生放送された形となる。セフィーリュカも、その時テレビを見ていた一人である。
 騒ぎ立てるアナウンサーの声を不審がったシオーダエイルがキッチンからやって来て、セフィーリュカと一緒にテレビを凝視した。
「なんて…酷い…」
 好奇心からか、報道魂なのか、詳しくはわからないが、カメラマンが刺された司令長官の姿を一瞬映した。シオーダエイルはその瞬間慌ててセフィーリュカの顔を片手で覆い、自分はその映像を見て低く呟いた。顔から手を遠ざけられたセフィーリュカはしばらくそのままの姿勢で呆然としていた。
 最近はこんなことばかりだ。カナドーリアの一件から、何かがおかしい。以前はこんなはずではなかったのに。
 これが、戦争なのだろうか。宇宙で行われることが主流となった戦争。実際に殺しあっている姿を知らない民間人である自分たちは、こういう形で被害を受けていくのだろうか。


 もう何度目かの、公園で迎える遅い朝。目をこすって、最近機嫌の悪いお天道様を見上げる。なんだか今日は、気分が落ち着かない。少し肌寒さを感じて、一張羅の上着を羽織った。自転車にまたがり、市街地へ向かう。
 市街地の電気屋の店先。そこに置いてある大きなテレビが、物凄い剣幕で叫び声を上げていた。自転車から降りて、集まった人々の間からそれを覗き込む。何を言っているのかわからないが、どうやら誰かが刺されたらしい。しかも葬式の途中に。なんて物騒な所なんだ、プロティアという惑星は。
 でも、とレイトアフォルトは空を見上げた。雨が数滴顔に落ちてくる。
「これだけで済めば…いいんだけどね…」
 何気なく呟いた一言。
 それが、これから起こることへの呪われた予言になるなどとは、この時誰にも知る余地はなかった。


 同日の正午、第五艦隊旗艦ロードレッドは、整備のために第四軍船発着所の格納庫内にあった。たくさんの整備士たちが動力炉や砲門、計器類などを整備している。
 そんな中で、通信士のエリルドースは艦橋にいた。計器類を整備している整備士が、通信機の前から動こうとしない彼を不思議そうに眺めている。エリルドースにはそんな視線は全く気にならなかった。
 彼の夢は、新星を発見することである。
 幼少からたくさんの星を眺めることが大好きだった彼はいつか自分が未発見の新星を見つけて、それに名前を付ける、という偉大な夢を持っているのである。ちなみに、名前はもう決めてある。自分の苗字『カナティア』である。心なしかプロティアに似ていて何だかかっこいい、そう彼は一人で思い込んでいる。
 この日から実質の休暇であるというのに、彼によるいつものこの行為は続いていた。通信機の前にじっと座り、どこからか放たれた電波が流れ込んでこないか探すのである。彼の目指す『カナティア星』には、知的生命体も存在している、というのが理想である。
 余談であるが、彼のこの執念が艦隊の役に立つこともあるのだ。微弱な電波すら逃がさないとばかりに、どんな時でも気を抜かず、通信機と睨み合いをしている彼は、しばしば敵艦隊の弱弱しい信号さえも探知することができるのだった。そのため、第五艦隊は他の艦隊に比べ、奇襲を受ける数が極端に少ない。更に、敵を見つけることだけが能ではなく、救難信号を出している味方も、彼はいち早く見つけることができるのだ。第七艦隊のもの、更にアスラの救援信号まで受信し、誰よりも早く第五艦隊がこれらを救助することが出来たという裏には、彼のこんな地道な努力が隠されていたのだった。
「はあ、今日も収穫なしかな…」
 通信士席に座り続けて早六時間。そろそろ腹も減ってきた。少し休憩しようと思い、通信機の電源をスタンバイ状態にしようとした時だった。エリルドースは、通信機がごく僅かな電波を受け取っていることに気づいた。
「…も、もしかして?」
 未開惑星からのメッセージかもしれないと、急いで解析に取り掛かる。しかし、その途中で彼は不意に手を止めた。画面の端に映された波形。これは、銀河同盟軍の通信機特有のものだ。
「!」
 エリルドースは画面中央を見て凍りついた。そこに表された通信文は、銀河同盟軍艦同士のやり取りを示すものである。そこに書いてあったのは…。

      惑星カナドーリア破壊完了。
           次目標を惑星プロティアに設定す。