Gene Over│Episode1蒼き星と少女 09帰還

 プロティア首都メルテの東に位置する第四軍船発着所は大勢の人で溢れていた。
 カナドーリア会戦において惨敗し、半数以上の艦を失った第七艦隊と、その救助に向かった第五艦隊が母星に無事帰還したのである。
 セフィーリュカは、母と共に発着所に訪れていた。一時的に雨は止んだものの、吹いてくる風は今まで感じたことがない程の湿り気を含んでいる。
 傷ついた戦艦が滑走路に並んでいる。第七艦隊旗艦ルシュアの灰色の機体が未だ煙を吐き続けているのを、セフィーリュカはガラス越しにじっと見つめていた。所々、金属が剥がれ落ち、艦名も解読し難い。旗艦のそんな姿が、戦闘のすさまじさを物語っていた。
 娘の隣で哀しげにルシュアを眺めていたシオーダエイルが、ふと視線を逸らした。振り返ると、人混みの中から見知った顔が現れる。薄茶の髪をした中肉中背の中年男性がこちらに向かって歩いてくる。
「トレース」
 シオーダエイルはかつての仲間の名を呼んだ。セフィーリュカがそれに気づいて母と同じ方に振り返る。トレースと呼ばれた男は人の良さそうな笑みでシオーダエイル、そしてセフィーリュカを見た。
「久しぶりだな、シオーダ。セフィーリュカちゃん?初めまして。息子から話は聞いてる」
 セフィーリュカはすぐには言葉の意味を理解できず、立ち尽くしていた。ぎこちない会釈をした後で母が、シェータ君のお父さんよ、と耳打ちした。そういえば、父親同士が友人なのだとシェータゼーヌに言われたことがある。目の前にいる男性とシェータゼーヌは全然似ていないな、と思ったが、シェータゼーヌはカナドーリアからの移民であり、トレースは彼にとって育ての父親なのだから当然だと思い直す。
「ノービスさんは一緒ではないの?」
 ノービスというのはトレースの妻の名前である。メルテの外れでパン屋を営んでいるらしいが、セフィーリュカは会ったことがなかった。
「店が忙しくて手が離せないんだそうだ。でもシェーラのことが心配だから見て来いって。俺は使い走りってわけだ」
 そう言ってトレースは自虐的な笑みを浮かべた。その目がどこか遠くを見ているような気がして、セフィーリュカは首を傾げた。
「第五艦隊は助けに行っただけだろう?戦闘に巻き込まれた訳じゃないんだから、心配することもないだろうにな」
「でも、私たちも同じようなものよ。一緒に行きましょう」
 シオーダエイルはそう言って、セフィーリュカを促した。トレースも後をついてくる。
 普段発着所の時刻表を示している巨大スクリーンが、この日は特別に第五、第七両艦隊の消息名簿としてはたらいていた。
 名簿の前にはたくさんの人が押し掛けていた。夫、妻、子、孫の名前を発見し、安堵の息をつく者、泣き崩れる者、様々な人間の感情が交錯している。三人は巨大スクリーンの無数に表示された文字列の中から、自分達の家族の名を捜すため、無言で歩き始めた。
 セフィーリュカは母と共に、アルファベット順に並べられた文字列の中で兄の名前に最も近い場所を探し求め、人の波をかき分けた。
 Z・・・
 Zep・・・
 Zeph・・・
 突然母が立ち止まった。
 後ろから文字を見ながら歩いていたセフィーリュカは、母が立ち止まったことに気付けず、彼女の背中にぶつかった。
「お母さん?」
「あったわよ、セフィーリュカ」
 シオーダエイルは娘にわかるように真っ直ぐ文字列のある場所を指し示した。数秒後、セフィーリュカは兄の名前を確認した。無事を示す青文字で書かれていることに二人は安堵する。
 シオーダエイルは少し後戻りして、名簿を見上げた。目を細めて名簿を見上げているトレースの隣に立つと、シオーダエイルは青文字で書かれた名簿を指差した。
「安心して、トレース。シェーラちゃんも無事だわ」
「ああ…すまんな」
 シオーダエイルに礼を言って名簿から目を逸らしたトレースは、ふとセフィーリュカと目が合った。目が合う、というよりやはりどこか遠くを見ているようで、セフィーリュカは違和感を覚えた。そんな違和感を表情に出してしまっただろうか、トレースが苦笑する。
「視力が低くてね。あんな細かい文字は判別出来ないのさ」
「あ、ご、ごめんなさい…」
 セフィーリュカが慌てて謝ると、トレースは人の良い笑顔のまま首を横に振った。トレースは、昔は軍属の通信士としてセフィーリュカの父や母と同じ艦で働いていたが、戦闘中の事故で網膜を損傷し、視力低下のため若くして退職したのだと教えてくれた。
「この距離をハッキリ見えない通信士なんて役に立たないからクビになったんだよ。俺は使えない『標準種』だしな」
 『標準種』という言葉に、セフィーリュカは胸の奥でチクリと何かを感じた。シオーダエイルは呆れた顔でトレースを見ている。
「もう、トレース。遺伝素養は関係ないわ。…それに、ノービスさんと一緒にパン作りをしている今の方が、軍にいた頃より幸せでしょう?」
「はは、まあな」
 シオーダエイルの言葉に、トレースは照れ笑いを浮かべた。
 三人は人の波をなんとか掻き分けながら発着所の外に出た。
 セフィーリュカは空を見上げた。その空は今、彼女の髪、そして瞳の色とは異なる。白茶けた空に、雲が集まり始めていた。
「これは、もう一降りきそうだな」
 そう言ってトレースも、ぼやける視界で空を見上げていた。


 その晩、インターホンの音に反応して玄関に向かい、戸を開けたセフィーリュカは呆然とした。今日プロティアに帰還してきたゼファーが微かに笑ってただいま、と言う。別にそれは驚くことではない。しかし、その後ろで苦笑いを浮かべている、
「…姉さん?」
 リフィーシュアは観念したように肩を落として、ただいま、と元気なく言った。

 シオーダエイルは三人分の食事しか作っていなかったので、困ったわね、とあまり困っていなさそうな声で呟いた。そしてふと手を合わせると、もう一人分の皿を取り出し、既に三人前に作ってある料理を、無理矢理四人分に取り分けた。
「少しぐらい少なくても…わからないわよね」
 悪戯好きの子供のように笑って呟きつつ、彼女は居間で談笑している子供たちの声に耳を傾けた。
 リフィーシュアは、自分が家に帰ってきた理由を渋々と妹に話した。ダスローに向かっている途中で戦闘に巻き込まれたこと。特殊戦闘員を助け、助けられたこと。時空転移先で第五艦隊に助けてもらったこと。セフィーリュカにはそれらの話をすぐには信じられなかった。姉が戦闘に巻き込まれたなど。宇宙は随分と物騒なようだ。
「無事でよかったね、姉さん。でも、仕事はいいの?」
「連絡したら、しばらく休みをもらえたわ。ま、アスラが壊れちゃってるから、どっちにしろどこへも行けないけど」
 良心的な会社で安心したわ、とリフィーシュアは笑った。ゼファーが呆れたように姉を見る。
「僕たちが救難信号に気づかなかったらどうするつもりだったのさ。あのポイントは、普段哨戒でも通らない所だったんだよ?」
「そんなこと言ったって、アスラが適当に転移した場所だもの。私たちにどうにかできる問題ではないじゃない」
 助かってしまった今となってはそんなことを考えるのはナンセンスだ、とでも言わんばかりにリフィーシュアは軽く鼻を鳴らした。ゼファーがやれやれと肩をすくめる。
「それでその特殊、何とかって人はどうしたの?」
 セフィーリュカが、ふと姉が話したデリスガーナーのことを尋ねる。リフィーシュアは発着所で別れた彼のことを思い出した。助けてくれたお礼に、一晩の宿に家を貸してもいいと言ったら、物凄い勢いで断られた。あの時の彼の顔ときたら。リフィーシュアは思い出して危うく笑いかけた。
「なんか、よくわからないけど任務を続けなくちゃいけないって言ってたわ。自分の船も壊されちゃってるのに、これから一体どうするのかしらね?」
 三人が考え始めて黙ってしまった時、タイミングを見計らったようにシオーダエイルが料理を盛り付けた皿をキッチンから運んできた。
 外では、再び降り始めた雨に庭の木々が濡れていた。


 ここは常春の観光地ではなかっただろうか。こんな避暑地に遊びに来られるほど裕福でも、暇でもないが、初めて訪れたこの場所の印象は、人から見聞きしていたものと全く異なっていた。
 時間帯的にもほとんどが店仕舞いしてしまっている商店街の軒先で雨宿りをしながら、デリスガーナーは携帯端末を手に取った。
 ピピッ…
 ピピッ…
 ピッ
「アラン?」
 デリスガーナーが端末に向かって話しかける。応えが返ってくるまでに一瞬の間があった。
「…佐?レンティス少佐!?」
 アランは驚いた様子であった。
「生きてた…ですね?良かっ…心配してた……すよ!今どこにい…んです?」
 ノイズが混じってよく聞き取れない。宙域を超えた惑星間で通信するという技術はまだ実用化されていない。惑星の重要施設等であればクリアな音質で通信が出来るのかもしれないが。特殊戦闘員であるデリスガーナーへ特別に配布されている通信機は一般のものより性能が良いそうだが、完璧な通信が可能だとはとても言えなかった。
「プロティアにいる!心配をかけてすまない!」
 大声で言ったからといって自分の声がきちんと届くわけではない。しかし、こういう時はなぜか声が大きくなってしまうものだ。ダスロー語で叫んでいる不審な男を見たら、プロティア人はどう思うだろう。幸い周りに人気はなく、雨足は更に激しくなってきている。
「なん…そんなとこ…?そうだ!ダス……から訓連用……闘艦が盗まれた……す!…佐が探し…いる少年、追っ手…それで…」
「ああ、襲われたよ!ジスタがやられた!プロティアの民間船に助けられたんだ!しょうがないからここで船を調達する!」
「ジス…が?わかり…した。少佐…無事だという…と、ノジ…ス大佐……伝えてお……す!。くれぐ…もお気…つけて!」
 通信が途絶える。手元の端末を見ると、圏外と表示された。
 さて、これからどうしようか。命があるだけマシだが、事件解決の糸口は見えなくなってしまった。
「とりあえず…この雨、早く止まないもんかな…」


 今日の夜はいつもより長い気がする。
 夜は好きだからどんなに長くても構わないけど。
 なぜかって?たくさん寝られるじゃないか。
 さて、雨の音でも聞きながらゆっくり寝ようかな。
 この星って本当にいい所だね。雨が降ってもあんまり寒くならないしさ。おかげでこんな公園で寝起きしてても風邪ひかないや。
 ディールにも教えてあげたいけど、携帯端末を忘れてきちゃったからなぁ。あいつはどうせこんな所で寝るの嫌がるだろうけど。
 そういえば、この自転車の返却期限っていつなのかな?ちゃんと返さないと、あの子に迷惑かけちゃうよね?
 セフィーリュカ・アーベルンか。住所聞いとけば良かったな。教えてくれないか、警戒してたもんね。
 ま、そのうちまた会えるだろうから、もうしばらくここでゆっくりしていよう。
 こんなにのんびりしていられるなんて、久しぶりだもんね…。


 明日は第七艦隊の集団葬儀が執り行われる。プロティアにいる他艦隊の司令及び副司令も、参列することになっている。第五艦隊副司令であるシェーラゼーヌも、もちろん参列することになっていた。
 この役職は自分で望んだものではなく、宇宙連邦軍、そしてプロティア政府によって与えられたものである。辞めたくなったら辞められるというものではない。軍の仕事には慣れたし、第五艦隊で居心地の悪さは感じないので、普段はこの役職であることを嫌だとは思わない。でも、こういう時ばかりは少しだけ泣き言の一つも言いたくなる。
 報告書を作り終えることが出来ず、家には帰れなかった。一緒に残ると言ってくれたゼファーを、無理矢理帰してしまったせいもあるかもしれない。ご家族が待っていてくれているのだろうからと気を遣ったけれど。
 自分にだって家族はあるはずなのに。たとえ血の繋がりはなくても。
 シェータゼーヌはどうしているだろう。彼が大学を卒業したときから、育ての親に迷惑をかけまいと家を出て二人で暮らし始めたけれど、自分は宇宙での任務が多いから結局彼を独りにしてしまっている。自分がいない間に体調を崩したりしていなかっただろうか―。
 このまま軍司令部で一夜を明かしてしまおう。でも、ここには喪服がない。朝起きたら、やはり一度帰らなければ。