二人と出会ったのは十年前。
尊敬していた叔父に紹介された。
同じ顔立ちの、どこか儚げな少年少女。
車椅子に腰かけた少年は、折れそうに細い手足がどこか中性めいた印象を与えていた。少女が身に付けた仕立てたばかりの軍学校の制服は、彼女の雰囲気とどこかアンバランスに思えた。
二人は不安と緊張が入り混じった表情で、宇宙連邦軍の制服を纏った自分のことを見ていた。
「この子達が辛い思いをしないよう、助けてあげて欲しい」
自分と同じ軍服を着た叔父はそう言った。
どんな言葉をかければ良いかすらわからないような自分に『助ける』ことなど出来るのか。
二人の不安げな金色の瞳に見つめられて立ち尽くした自分の肩を、叔父が優しく叩いた。
「私は君のことを誰より信頼している。君なら出来るよ…チアースリア」
「…長……艦長!」
視界が広がる。
白い記憶の影がいずこかへ過ぎ去り、自分が存在する世界が現れる。引きずり込まれる。
「…………」
何が起こっているのかまだつかめない。
「…俺、何かマズいことでも言ったかな。ただ呼んだだけなのに…」
見覚えのある赤い髪。そうだ、これは、
「ルッコーラ少尉?」
まるで、クイズの答えを自身なさそうに答えるように、語尾に疑問符を付け、特別偵察艦ザリオット艦長チアースリア・アロラナールは首を傾げた。その場が一瞬静まり返る。
狭い艦橋。あまりに小さい艦なので、艦橋と他の場所の区別すらうやむやになってしまっているが、『操縦室』などと、一介の飛行機のような呼び方はしたくない。
その『艦橋』にいる人数は、チアースリアを合わせて三人。航宙士兼砲撃手のリゼーシュ・ルッコーラ、この艦では紅一点の通信士セラリスティア・アラー。
リゼーシュとセラリスティアは、驚愕と笑いを半分ずつ混ぜたような顔で、まだ呆然としている艦長を見ていた。
「…艦長…大丈夫ですか?」
リゼーシュが心配そうにチアースリアの顔を覗き込む。哀れみを含んだその視線に少しだけ腹が立ったので、チアースリアはリゼーシュを見返すと、彼は怯えたようにひるんでしまった。
尖った形をしているザリオットの艦橋の、一番先端の部分のシートで通信機の調整をしていたセラリスティアが、一人笑っている。頑張って笑いをこらえているらしいが、細かい息遣いは、この狭い艦橋の中ではすぐに周囲に知れてしまう。
「何がおかしい、セラ」
「だ…だって…っ…艦長が、あまりにぼーっとしているから…っ」
そんなつもりはない。きちんと前を見ていた。ザリオットの航行には問題ない、はずである。腹を抱えて笑っていたセラリスティアは、手元のハンカチで涙を拭きながら、チアースリアを見た。できるだけ真剣な表情を作ろうとしたのだろうが、残念ながら失敗してまた腹を抱えて笑いだしてしまった。
「艦長、夢でも見てたんですか?」
尋ねられて、チアースリアは驚いたように彼女を見る。
「そうか、夢か…そうかもしれない…」
夢は記憶から構成されると聞いたことがある。ならば、先程の微かな回想は、もしかしたら白昼夢であったのだろうか。もっとも、この宇宙空間に昼間はないが。
リゼーシュは自分が座っているシートの背もたれに思い切り寄りかかった。気だるそうに何もない天井を見上げる。
「哨戒に出てから今まで、まったく出番なかったからなあ…。つい怠け癖がついちゃうのもわかりますよ」
「別に怠けてなどいない」
そう言ってリゼーシュをもう一度見た。チアースリアの水色の瞳から放たれる光は、細く鋭い。以前、誰かに言われたことがある、そんなに睨むなと。睨んでいるつもりは毛頭ない。しかし、そう勘違いする者は多く、目の前のリゼーシュもそうなのであろう、チアースリアと一定以上の距離をおこうとするのだ。三十路に近い男が、寂しいなどとはさすがに思わないが、いつか改善しなければと気にしたりする時がある。意外と彼は繊細なのである。周りは全然そのことに気づいてはくれないが。
「そんなことより」
自分のことはひとまず棚に上げて、チアースリアはセラリスティアに声をかけた。
「本隊にはいつ追いつける?」
セラリスティアが慣れた手付きで通信機を操作する。
「現在、本隊は一場所に留まっています。場所は…ポイント五五三」
「第七艦隊からの救援要請があった所だな」
リゼーシュが付け足す。つまり、第五艦隊本隊は第七艦隊の元に無事到着し、今頃救助活動が行われているということだろう。
「今の速度を保てば…三十分で本隊と合流できますね」
コンピュータに表示された航路図を見ながら、リゼーシュが目を細めた。
三十分…まだ救助は終わっていないだろう。チアースリアは、先程発見、救出した民間船のことを考えていた。民間船―アスラと言ったか―に乗っている二人の内、男の方は宇宙連邦軍の特殊戦闘員らしいが、女の方は民間人である。ついでで救助したような経緯があるとはいえ、民間人に第七艦隊の悲惨な状況を見せていいものだろうか。
「航路変更。第七艦隊の救助が終了するまで、その半径一光年の円周を回旋する」
「…?了解」
艦長の突然の判断に二人は顔を見合わせた。
普段無愛想な艦長のさりげない優しさには気づいてはくれなかった。
リフィーシュアとデリスガーナーの二人は、ザリオットの下部に取り付けられている貨物運搬用ケーブルに繋がれたアスラの中で時を過ごしていた。
ところどころに攻撃を受けたアスラが繋がれている様は、まるでレッカー車に引きずられる自動車のようである。
「あーあ…修理代、いくらぐらいするのかしら…」
リフィーシュアは何とか生き残ったコンピュータを使い、アスラの損傷箇所を確認していた。デリスガーナーはその横で、しょんぼりと俯いている。
「いいじゃないか、修理する機体があるだけ…俺のジスタは、今頃…」
「宇宙の藻屑ね」
リフィーシュアがあっさりと言い放った言葉は、デリスガーナーへ貫通せんばかりに突き刺さった。どんよりとした重い空気が流れる。
「…何を怒っているんだ?」
重くて押しつぶされそうな沈黙を、デリスガーナーが破る。リフィーシュアは、何かが吹っ切れたように勢いよく振り返ると、彼を睨んだ。
「何を、ですって?あんた、今までの自分の行動を省みてみなさいよ!何を思ったら、あんな所で戦闘なんて始められるわけ!?民間船がたくさんいる航路だってくらい、わかるでしょ?おかげで私、仕事できないのよ!?会社クビにされたら、訴えてやるんだから!」
筋が通っているような、通っていないような。別に軍はきちんと定められた闘技場のような場所で戦っているわけではない。二つの勢力のどの領域で戦闘が起こるかなど、軍人にはわからない。
「…すいません」
明らかにリフィーシュアはデリスガーナーよりも年下である。だがそんな彼女に逆らうことは、敵と戦うよりも恐ろしいことだろうと、デリスガーナーは本能で悟っていた。
それにしても、とやや落ち着きを取り戻した声で彼は続けた。
「敵の小型戦闘艦、めちゃくちゃだったな。民間船の中に紛れてしまえば攻撃してこないと思ったのに、このアスラにも迷わず攻撃してきたもんな」
「速さも物凄かったじゃない。あんなヤワな船なのにあんなスピード出して、中の人は平気なのかしら?」
「中の、人…」
何気なく発せられたリフィーシュアの言葉が引っかかった。デリスガーナーは両腕を組み、考える。
襲ってきたのは本当に同盟軍人だったのだろうか。
あの船に、人間は乗っていなかったのでは。
完全なる自動制御の戦闘艦だった…?
制御していたのは…。
急に黙り込み、考え込んでしまった理由のわからないリフィーシュアは、怪訝そうにデリスガーナーの横顔を見つめていた。
半分以上痴話げんかのようだったこの会話が、二つの艦を連結したことにより生じた特別通信回路に乗せられ、全てザリオットの艦橋に筒抜けだったことを二人が知り、大層恥ずかしい思いをしたのは、第七艦隊が無事救助され、第五艦隊の護衛を受けてプロティアに帰還する時であった。
アランは正直に言うと焦っていた。
デリスガーナーに頼まれていた情報収集の仕事。それは先日シレーディアと彼を引き合わせることで終わったと思っていた。
なのに、今自分の目の前に提示されているこの情報は何だろう。
不審な民間船の発着など、もうどうでもいい。こちらの方がよほど重要である。
『対銀河同盟軍訓練用擬似戦闘艦盗難』
ダスロー第三軍船発着所に保管されていた、銀河同盟軍小型戦闘艦をモデルとする訓練用戦闘艦が、今朝未明、何者かによって盗難されていたことがラルネ司令長官により発表された。これらの戦闘艦が保管されていた格納庫には、強固なセキュリティがかけられており…
普通の人間には到底理解できないこの事象。
しかし、アランはこの謎を知るための鍵の一つを、既に持っている。
間違いない。
これが本当なら。
少年は追っ手をこれらの艦で…。
アランは焦っていた。一刻も早く、伝えなければ。
しかし、彼の焦りをあざ笑うかのように、デリスガーナーの携帯端末に送ったメールは『通信不能』という冷酷な言葉に直されて、何度もアランの携帯端末に戻って来るのであった。
第五艦隊は、無事第七艦隊の救助を終えた。救助できたのは旗艦ルシュアを合わせて二十二隻。ロードレッドを始めとする第五艦隊は、すっかり少なくなってしまった傷だらけの艦隊の護送を開始した。目指すは故郷、プロティアである。
不意に艦橋のガラス扉が開いた。ゼファーが振り返ると、チアースリアが歩いてくるのが見えた。命じられていた民間船の救出をこなし、艦橋へ報告に訪れたらしい。
「お疲れ様、准将…」
続きにまだ何か言いかけたまま、ゼファーは絶句した。チアースリアの後ろを、どこか恥ずかしそうに歩いてくる男女。女の方は見覚えのある濃紫色の長髪である。それは間違えようもなく、ゼファーの姉、リフィーシュアだった。
「姉さんじゃないか。どうしてこんな所に?」
ゼファーが声をかけると、リフィーシュアは肩をびくつかせ、複雑な表情で苦笑した。チアースリアが驚いたように彼女の方に振り返る。
「司令の姉上でしたか」
「え、ええ。まあ…」
リフィーシュアは恥ずかしそうに俯きながら小さく俯いた。
そのやり取りを見ていたシェーラゼーヌが、あらあら、と艦長席で気の抜けた声を出した。
「…というわけ」
事務的な報告を終えたチアースリアが艦橋を去った後、ゼファーはリフィーシュアに、遭難理由を尋ねていた。彼女は恥ずかしそうに、しかしいつものペースを崩さずに一部始終を一気に話した。
「へえ…よく生きてたね」
ゼファーはそう言って彼女とデリスガーナーを慰めた。リフィーシュアはそんな弟の顔をじっと見つめ、やれやれと小さく溜め息をついた。
「あんたみたいに毎日戦場にいるような人間より、危険に遭う確率は低いと思ってたんだけどね…」
「姉さん、相変わらず口だけは達者なんだから…」
二人は同時に笑った。何だかひどく懐かしかった。思えば、数か月ぶりの再会である。懐かしいけれど、久しぶりに再会しても何も変わっていないお互いに、とても安心した。
「姉を助けてくださり、感謝します。第五艦隊の司令を務めている、ゼファー・アーベルンです」
「ダスロー宇宙軍所属、特殊戦闘員のデリスガーナー・レンティスと申します!お会いできて光栄です、アーベルン司令!」
プロティア語は片言だが、どこかを熱さを感じさせる語気で勢いよく敬礼したデリスガーナーに、ゼファーはやや驚いて「はあ…どうも」と威厳の欠片もない返事をした。
「助けたのは私の方でしょ…」
挨拶を交わす二人の後ろで、リフィーシュアはつまらなそうに呟いた。
「(司令はどちらかと言えばカオスさん似だけれど、リフィーシュアさんはシオーダさんによく似ているのね…)」
艦長席からゼファーとリフィーシュアを見比べていたシェーラゼーヌは、十七年前に自分のことを助け出してくれた、彼らの両親のことを思い出していた。
「(素数は『1』以外のもので割れない…)」
セフィーリュカは今日勉強したことを頭の中で繰り返しながら、バスの中からぼーっと窓の外を見ていた。
「(微分は細分化、積分は面積…両者は逆の関係で……あれ?何で逆なんだっけ?)」
この質問は既に五回くらいしている気がする。大抵の言葉は一回で覚えられるというのに、どうして数学に関係するものは頭に入らないのだろう。セフィーリュカは小さく溜め息をついた。
運転手のいない、自動運行型のバス。プロティアでは既に何十年も前から実用段階に入っているこの機械も、他の惑星の人間―悪く言えば辺境惑星からやって来た人間―の目にはひどく珍しいものに映るらしい。後ろの座席で時々歓声をあげる観光客らしき少年達の声を背に、セフィーリュカは下車するためスイッチを押す。緩やかにバスが停止すると、少年達がまた何かプロティアのものではない言語で声をあげた。
「(ダストール語、か…)」
彼らの言葉を心の中で翻訳しながら、セフィーリュカはバスを降りた。
数分歩いて自宅の敷地内に入る。庭に洗濯物が干してあった。セフィーリュカのもの、母のもの、そして数日間だけの滞在となった姉のものが風に揺れている。その風がいつもより少し強い気がして、セフィーリュカは空を見上げながら玄関へ向かった。厚い雲が恒星を隠そうと近づいているように見える。
「上ばかり見ていたら危ないわよ、セフィー」
柔らかい咎めの言葉に慌てて空から視線を離すと、玄関の掃除をしていたシオーダエイルと目が合った。
「…ただいま」
恥ずかしくなって苦笑いしたセフィーリュカに優しく微笑むと、シオーダエイルは掃除道具を持って先に玄関の扉をくぐっていった。どうやら掃除を終えたところだったらしい。
「シェータ君は元気だった?」
勉強道具の入った鞄を床に置き、マットの上で靴の汚れを落とすセフィーリュカにシオーダエイルが尋ねる。
「うん、もう大丈夫だって。心配かけてすみませんって言ってたよ」
セフィーリュカが明るい声で報告するとシオーダエイルはほっとした様子で頷いた。
「そう、良かったわ」
「…シェータさん、重い病気なの?」
カナドーリアが消滅した事件の日、セフィーリュカは彼に勉強を習いに行く約束をしていた。しかし、突然倒れて入院したということだったのでずっと心配していたのだった。
「ん…そうね…ちょっと違うかしら。生まれつき体が弱くてあまり無理は出来ないのよ」
心配そうに空色の瞳を伏せる娘に、シオーダエイルは少し困ったように眉を寄せたがいつものように優しい口調で答えた。
「…そうなんだ」
それ以上追求するのは悪い気がする。セフィーリュカは一応その答えで納得しておくことにした。
プロティアはどういう所ですか?
―常春の観光地です。
食べ物はおいしいですか?
―はい。水も澄んでいてとてもおいしいです。
その水はどうやって作られるのですか?
―人工的に創られたバクテリアが作ってくれます。
食べ物はどうやって作られるのですか?
―遺伝子を組み替えて、丈夫でおいしい食べ物が作られます。
それでは…
人間はどうやって作られるのですか?
シェータゼーヌはテレビのリモコンを取った。乱暴に電源を落とす。最後の質問に答えようとした、どこか誇らしげな子供の顔と、その隣でにこやかに答えを待っているアナウンサーの顔が画面から同時に消える。
子供向けのくだらない番組だ。しかし、彼にはそれを見ることすら苦痛に感じられる。
人間を作る。
プロティアに移り住んで大分経つが、この言葉には未だに違和感が付きまとう。それは自分が『被害者』だからであろうか。それとも、誰もが不思議に思っていながらそれを黙って容認している所為なのだろうか。
そもそも、プロティア人はこのことを不思議に思うのだろうか。
もしそう思わないのなら、ここは何という罪深い星なのだろう。それでも、いやそうであるからこそ、自分とシェーラゼーヌのいるべき場所は、ここしかないのかもしれない。
父の罪を忘れさせてくれる箱庭。この惑星はその役割を果たしてくれているのだ。
ここは決して抜け出せない牢獄なのかもしれない。
静かな室内に、窓を叩く雨音が聞こえてくる―。
雨の音が家の中に伝わってくる。毎日が春の陽気であるプロティアで、こんなに雨が降るのは珍しい。
セフィーリュカは母と二人で、急いで庭に干してあった洗濯物を取り込んだ。室内へ戻り、洗濯物を丁寧に畳んでいる母の傍で外の様子を眺める。
風に巻き上げられて雨が斜め向きに降っている。こんなことはプロティア史上初めてなのではないか。見慣れない嵐に、セフィーリュカはひどく不安な気持ちになる。
「すごい雨だね。家、流れないかな?」
「ふふ、大丈夫よ。セフィーリュカは心配性ね」
母、シオーダエイルは穏やかでいつでも自分のペースを崩さない。これまで一度も、彼女が慌てているところを見たことがない気がする。セフィーリュカは、そんな母を尊敬している。
しかし、自分は決して彼女のようになれない人間であることを、誰よりもよく知っていた。
セフィーリュカは、『父親似』であるから…。
プロティアの豪雨はその後、数日間続いた。
この雨は、少女を楔から解き放つことができるのであろうか。
見えない罪を負ったこの星の住人である彼女を。