Gene Over│Episode1蒼き星と少女 04出会い

 空を見上げる。いつもと変わらぬ空がそこにある。自分の髪、そして瞳と同じ色の空が。
 セフィーリュカは、緩やかに流れる川の傍の堤防に寝転がり、空を見上げていた。乗ってきた自転車は、堤防の上に止めてある。
 きれいな空だ。雲の流れも遅く、時間の流れも妙に遅く感じる。
 いつか、この空も無くなってしまうのだろうか。
 カナドーリアは、文字通り一瞬で消え失せてしまったらしい。連邦軍から提供された映像が、テレビを点けるとどの局でも繰り返し放送されている。セフィーリュカはその残忍な映像に耐えられなくなり、家を飛び出した。街頭でもその映像は流れていた。
 セフィーリュカは自転車をどこまでもこいだ。目には見えない、心の奥底へ燻ぶる恐怖から逃げるために。そして、息を切らして漸くたどり着いたのが、この場所。
 宇宙連邦軍の軍人だった両親が軍務の合間に帰ってきたとき、子供たち三人をよく連れてきてくれたのがこの河原だった。幼いセフィーリュカは父に肩車をしてもらって一緒に空を見上げた。父は誇らしそうに、自分の髪や瞳と同じ鮮やかさを持つ空を指差した。
―あの空の更に向こうにあるのが、宇宙。お父さんとお母さんは、そこからいつでもセフィーリュカのことを見ているんだよ―
 父がいなくなってしまった今でもセフィーリュカはその言葉を信じている。宇宙に旅立つ者たちは、地上で待つ人々のために飛翔し、いつでも見守っている…。
 カタン
「?」
 背後で奇妙な物音を聞き、セフィーリュカは堤防の上を振り向いた。彼女の目に映ったのは、自分の自転車。そして、その自転車にまたがっている一人の若者だった。
「な…っ」
 セフィーリュカは慌てて立ち上がった。白いワンピースに堤防の草が絡みつく。若者はセフィーリュカに気づかないのか、ペダルに足を掛けかけている。
「ど、泥棒!」
 セフィーリュカが叫ぶ。すると、泥棒と呼ばれた張本人が、きょろきょろと辺りを見回している。
「あなたです、あなた!私の自転車を勝手に持っていかないで!」
 セフィーリュカはまくしたてながら、若者に駆け寄った。若者は困ったような顔でセフィーリュカを見ている。ボサボサの青い髪が、河原の風に遊ばれていた。淡い緑色の瞳は、なんだかとても眠そうである。黒いTシャツにズボン、そして腰には上着を適当に結び付けるというラフな格好と顔を見る限り、年齢はセフィーリュカの兄、ゼファーと同じくらいだろうか。
「何か言ったらどうですか?もしかして、新手の変質者?警察に通報しますよっ」
 すっかり興奮して怒鳴り続けるセフィーリュカを、眠そうな顔に少し驚きを含んだ表情で見ていた若者が、不意に口を開いた。
「あ、あのう…僕、プロティア語わからないんだけど…」
「?」
 次の文句を言おうと勢い込んだセフィーリュカは口ごもった。
 セフィーリュカの喋っているプロティア語がわからないという若者の言葉は、全宇宙連邦所属惑星の言語を操ることができるセフィーリュカにはすぐにわかった。この言葉は、
「…シレホサスレン語?」
 セフィーリュカが、三歳の時に習得した言語で尋ねると、若者は目を見開いた。
「僕の言っていること…分かるの…?」
「はい、分かりますよ」
 セフィーリュカがあっさりとシレホサスレン語で返事すると、若者は自転車から手を離し、祈るように自分の両手を組んだ。
「良かった〜。やっと言葉が通じる人に会えたよ〜。実はシレホサスレンから一人で来てみたんだけど、着いてから星間通訳を連れてくるのを忘れたことに気づいて…」
 若者は、言葉が通じる人間に会えたことが余程嬉しかったのか、一気にまくしたてた。目には涙すら浮かべている。自信ありげに言語を操っているセフィーリュカだったが、シレホサスレン人と実際に会話をするのは初めてだった。それほど、シレホサスレンという惑星はプロティアから離れている。観光客の中にも、なかなかこの星の住人はいないだろう。プロティアとはかけ離れた価値観を持つ、などと基本学校で習った気がする。
「は、はあ。それは、大変でしたね…」
 セフィーリュカは一歩後ずさって苦笑した。
 観光地であるプロティアには色々な惑星から観光客が訪れるが、大抵はそれぞれの惑星で星間通訳を雇い伴って来る。それがこの宇宙での暗黙の了解であり、マナーでもあるはずである。目の前の若者は、それを知らなかったのだろうか。若者は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「どうでもいいですけど…私の自転車をどうしようっていうんですか?」
 セフィーリュカは思い出したように若者に尋ねた。例え言葉が通じないとはいえ、泥棒は犯罪である。若者はふと正気に返り、そうだ、と手をポンと鳴らした。
「いやあ、持ち主がいないみたいだから、捨てられて可哀相だなと思って…」
 若者はそう言ってボサボサの頭をかいた。彼の言い分を分析すると、堤防に寝転がっていたセフィーリュカの姿が彼には見えなかったと、そう言いたいらしい。
「シレホサスレンの外って初めてで。通訳がいないから公共の乗り物もわからないし、地理も全然わからないから適当に歩いてたんだけど、さすがに疲れてね〜。そうしたら、こんな所に自転車が!って訳」
 どういう訳だ。セフィーリュカは呆れて何も言えなかった。一体この男、何のためにプロティアに来たのだろう。関わり合いにならないほうが良かったかもしれない。
 とは言っても、このままここを逃げ出して、その隙に自転車を奪われてはたまらない。母に買ってもらった大切なものなのだから。
 セフィーリュカは彼に自分の後へついてくるように言った。
「え?」
「自転車を貸してくれる場所があるんです。そこまで案内しますから、私の自転車、返してください」

 河原から約十分、自転車を押すセフィーリュカと眠そうな若者は黙々と歩いた。メルテ市街地の外れへ到着すると、大勢の観光客がそこにある土産物屋や宿泊施設に出入りする姿が見られた。
 カナドーリアが跡形もなく消えても、宇宙船で二回も時空転移をしないと辿り着けないような別の宙域に位置するプロティアには、今のところ大きな影響はないようである。観光客の中にはもしかしたらカナドーリア人がいるかもしれないが、故郷を失ったその人たちがこれからどうするのか、セフィーリュカには想像もつかなかった。そういえば、セフィーリュカに勉強を教えてくれているシェータゼーヌはカナドーリアの生まれなのだと、母が言っていた気がする。戦争の影響でプロティアへ移住したのだと。
 セフィーリュカは自転車を押して、人々に溢れた雑踏を慣れた調子で進んでいく。その後ろから、若者はしばしば人にぶつかり、その度に丁寧に謝りながら―但し言葉が通じないので余計に変な目で見られながら―雑踏を下手に切り開いていた。
「ここです。ちょっと待っていてください」
 セフィーリュカはある店の前で自分の自転車を止めると、それを店先に立てかけてひとり中に入っていった。そして、店主と一言二言言葉を交わすと、一台の自転車を転がして若者の元へ戻ってきた。転がしてきたそれを、彼に引き渡す。
「お金は?」
「安いから、代わりに払っておきました。…あまりお金持ってなさそうですし」
 姉に似て少し毒舌なところがある、という自覚はないが、思ったことは正直に口にしてしまうところがあるセフィーリュカであった。若者は気にした様子もなく眠そうに微笑した。手持ちがないのは図星だったのだろう。
「セフィーリュカ・アーベルンという名前で借りてあります。返す時はその名前を言って下さい」
 シレホサスレン語でそう説明し終えてから、セフィーリュカは少しだけ後悔した。まだ目の前の若者が善良な人間であるかどうかの判断がついていないのだ。見た目だけで言えば明らかに怪しげな若者に対して名前を教えるのはまずかったのではないか。
 しかし、それは彼女の取り越し苦労であったようである。若者は、ぺこりと深くお辞儀をすると、その自転車にまたがり、自転車の先端を今来た方向へ向けた。
「助かったよ。本当にありがとう、セフィーリュカ。…アーベルン、か…もしかしたらまた会えるかもしれないね。僕はレイト。レイトアフォルト・ザラ・シナン。それじゃ、またね」
 若者は、一部謎の言葉を残し、そして律儀に自己紹介までして、ペダルを踏み込んだ。雑踏を避けて颯爽と走り去っていく青いボサボサ頭を、セフィーリュカは不思議そうに首を傾げながら見送った。


「体は大丈夫?」
 黄昏時の病室。窓から差し込む橙色の光と、室内の蛍光灯の白い光が重なって、病人の顔はその中間色に染められている。訪問者であるシオーダエイルは、点滴の管に当たらないよう気をつけながらベッドの横に立った。シェータゼーヌが、心配そうに顔を覗き込む見舞い客に笑いかけて見せる。
「ええ。ニュースを見て、少し驚いただけですから」
 気丈に答えるシェータゼーヌであったが、やはり具合が悪そうだった。シオーダエイルはそんな彼を複雑そうな表情で見遣ると、ゆっくりと窓の方に歩み寄り外の景色を見つめた。首都メルテの隣に位置するラナ市の病院は軍船発着所のほど近くにある。窓から見下ろすと、たくさんの軍用船が待機している様子がよくわかる。時折その内のいくつかが空の更に向こうを目指して飛翔する。昔は彼女自身も、あそこから宇宙へ向かったものだ。そして、彼女と夫の部隊がシェータゼーヌとシェーラゼーヌを伴いプロティアへ降り立ったのもあの場所だったことを思い出す。
「早く元気になって。あなたに元気がないと、シェーラちゃんが心配するわ」
 窓枠に寄りかかるように振り返ったシオーダエイルは優しく語りかけた。シェータゼーヌにそっくりな彼の『妹』の姿を思い出す。シオーダエイルは二人にとって『兄妹』という表現が本当は正しくないことを知っていた。
「あいつのことだから、心配する前に怒ると思うな。薬飲むのさぼったんでしょう?って怒鳴られそうです」
「ふふ、そうかもね」
 そう言っているシェーラゼーヌのことを同時に想像して、二人は小さな声で笑った。宇宙連邦軍で働く彼女は、あと数週間もすればプロティアへ帰ってくるのだろう。
「それにしても…カナドーリアが…」
 シオーダエイルはふと思い出したように口に出して、慌てて続きを飲み込んだ。シェータゼーヌの方に振り返ると、彼は寂しそうに微笑して首を振った。
「気にしないでください、俺は大丈夫です。ほとんど病院暮らしで、良い思い出は無いし、親の顔だって…」
 そこまで言って彼は言葉を切った。一度大きく深呼吸をして、辛そうに目を瞑る。シオーダエイルは俯いた。
「ごめんなさい、シェータ君。…ごめんなさい…」

 かつての恩人が退出した病室で、シェータゼーヌは一人もの思いにふけっていた。カナドーリア出身の自分が、今ここにいるという数奇な運命を辿ってみる。
 宇宙連邦第七宙域主星カナドーリアは、銀河同盟第八宙域主星スルセルと僅かな空間の歪みでしか隔てられていない、危険宙域に位置する惑星だった。宇宙連邦と銀河同盟の領地を巡る争いが勃発する度、奪い奪われを繰り返し、一ヶ月単位で連邦か同盟かの所属を変えていたような時代もあったという。そのような場所であるため、人口は少なく、文明も遅れた、悪く言えば辺境惑星だった。
 シェータゼーヌは、そんな星で生まれた。実父、ジャンサード・トロキスはカナドーリアの中でも進んだ生物学研究をしていた学者で、シェータゼーヌは物心がついた頃から、父が仕事をしている姿しか見たことがなかった気がする。そんな父に似て、シェータゼーヌは理数系の学問に興味を持ち、またそれを的確に理解する頭脳を持っていた。
 しかし、幼い頃から病弱で入退院を繰り返していたシェータゼーヌは六歳の時、カナドーリアの文明では治療出来ない病に侵された。看護士であった母親は、毎日彼の看病をしながら涙で腫れた目で優しく笑っていた。きっと治る、お父さんはそのために休まず研究しているのよ。いつもそう言っていた。シェータゼーヌは、父がどんな研究をしているか知らなかった。おそらく母も正確に理解していなかったのではないだろうか。息子が不治の病であることを知った時から、父は病室に訪ねて来なくなった。
 宇宙暦二二一〇年。
 小康状態であった宇宙連邦と銀河同盟の対立が深まり、互いの宇宙軍の睨み合いが発展して宇宙連邦第七宙域での大規模な戦闘が始まってしまう。戦闘は宇宙空間のみならずカナドーリアの地上にまで及び、軍人だけでなく多くの市民が犠牲になった。
 その日、大規模な市街戦が勃発した。銀河同盟軍はカナドーリア首都国家マールーク連合国の民を無差別に蹂躙し始め、対する宇宙連邦軍は自陣営の市民を守るための辛い戦いを強いられた。誰もが正気を保つことすら難しかった。
 電気供給が断たれた暗い病室。銀河同盟軍人による蹂躙は病院の内部まで及び、人々の叫び、怒号が響いていた。そんな中、衰弱し逃げ遅れたシェータゼーヌの元へ両親が訪ねてきた。一人の見知らぬ子供を連れて。数日間看病に現れなかった母は、父の後ろで作り物めいた笑顔を浮かべていた。
「お前が完成したんだ」
 どこか疲れたような、でも高揚したような顔で父は口を開いた。
 意味が分からず逸らした視線の先に、シェータゼーヌと同じ顔をした子供が無表情で立っていた。驚愕して父へ視線を移したとき目の前に現れたのは一丁の拳銃。父はどこか遠くを見ていた。
「お前の代わりは完成した。未完成のお前はいらない」
 父は拳銃の劇鉄を起こし、シェータゼーヌの額に押し当てた。背後の母は作り物の張り付いたような笑顔のまま動かなかった。父は嗤った。
「そうだよ、母さんも作り変えたんだ。これから私たち家族はまた三人で幸せに暮らせるんだよ」
 すぐ近くで爆発音が轟き、建物が揺れた。階下で窓ガラスが割れる音を聞いた。
 父の生物学研究は病を治すものではなく、病んだ人間自体を否定するものだった。代替の家族を手に入れた父にとって、既にシェータゼーヌは不要となっていた。
 しかし、シェータゼーヌを撃つために握られた拳銃はその機能を果たさなかった。父の予定は覆された。代わりに作られた子供―シェータゼーヌの遺伝情報を素に造られた―が、シェータゼーヌの目の前で父を刺殺した。そして、造られた子供は茫然とするオリジナルの手を引き、彼を病室から連れ出した。母の姿をした個体は追ってこなかった。部屋を離れてすぐに銃声が聞こえた気がした。おそらく彼女は父の銃で自分を、父の罪である自分を消したのだろう。そのときの彼女の心境がどのようなものであったかは、今となっては誰にも分からない。
 自らのコピーに引っ張られるまま走っていたが、シェータゼーヌの体力はそう長く持たなかった。病院の玄関で倒れ込んだところを銀河同盟軍人に見つかり、コピーの子供はオリジナルを守るように軍人の前に立ちはだかる。そんな絶体絶命の二人を助けたのが、若き日のシオーダエイルと彼女の夫カオス、そしてその仲間の宇宙連邦軍人だった。
 当時の宇宙連邦軍は、現在のように惑星ごとで組まれた大きな艦隊ではなく、惑星同士の連合小艦隊が多く、彼らもその一つに属していた。難なく銀河同盟軍人達を無力化すると、シオーダエイルとカオスはシェータゼーヌと彼のコピーを自らが乗ってきた宇宙船に保護した。
 百人にも満たなかったが、運良く保護されたカナドーリア人はそのまま半強制的に他惑星への移住手続きをされ、戦場となった母星から離された。プロティアの進んだ医療技術によって一命を取り留めたシェータゼーヌと彼のコピーは、事務的な処理により孤児院へ入れられることが仮決定された。しかしその後で、カオスの友人で宇宙船の通信士として勤務していたトレース・コルサが二人を養子として引き取ることを申し出た。トレースは、シェータゼーヌのコピーにシェーラゼーヌという名も与えてくれた。トレースと彼の妻ノービスに引き取られ、プロティアへ降り立った二人は文字通り母星を捨て、新たな人生を歩んでいるのである。
 プロティアに移住したからといって、シェータゼーヌの体が強くなったかといえば、そうでもない。それに比べて、彼のコピーであるシェーラゼーヌは、オリジナルであるシェータゼーヌの優秀な頭脳を引き継ぎ、更に彼の病弱な体質を遺伝子レベルで改善されている個体であると、プロティア宇宙連邦発展開発局による精密な検査で明らかになった。
 これは、クローンよりも更に進歩した技術であり、後に『同位体(アイソティア)』技術と名付けられた。同位体技術の史上初となる成功例であるシェーラゼーヌとその素体となったシェータゼーヌは、重要なサンプルとしてプロティア政府の管理下に置かれることとなった。
「…研究材料としての価値しか、ないんだろうな」
 暗くなってきた外の景色を見ながら、シェータゼーヌは呟いた。
 自分の遺伝情報を良いように改善して作られた個体。そんな人間が存在するのだから、自分の存在価値など既にこの世にないのではないだろうか。自分は完全な人間を作り出すための、一材料に過ぎなかったのではないだろうか。
 ―あの時、父に殺されていた方が良かったのではないだろうか。
 何度も、何度も考えている。
「(必要とされていた多くのカナドーリア人が死んで、役立たずなだけの俺は生きている…)」
 落ちていく陽を見ながら、シェータゼーヌはゆっくりと金色の瞳を閉じた。