Gene Over│Episode1蒼き星と少女 03会戦

 プロティア所属、宇宙連邦軍実動戦闘第七艦隊は、哨戒任務の期間をちょうど半分終えていた。
 その時、艦隊司令兼プロティア宇宙軍司令長官シーリス・タタラ中将は自室で休憩していた。軍服の上着を脱ぎ捨て、柔らかいソファに横になっていたが、突然のけたたましい警報に飛び起きた。ソファの横の小さなテーブルに置いてある携帯端末が悲鳴をあげているので、急いでそれを手に取る。そこには、『敵艦隊接近中』というテロップが横に流れて表示されていた。
 シーリスは端末をポケットに突っ込んだ上着を軽く羽織ると、急いで部屋を後にした。
 いくつもの転送機を乗り継ぎ、艦橋にたどり着く。
 第七艦隊旗艦ルシュアの艦橋では、艦長のゼリュース・モートル大佐を始めとするクルーたちが、敵との交戦に備えて忙しく動き回っていた。
「攻撃準備開始。主砲エネルギーチャージ三十秒前」
「艦隊速度持続。敵艦隊との接触まで、あと三十分です」
「防御シールド、五十五%から六十%に強化します」
「承認する」
 クルーたちが次々と発言していくのを、ゼリュースは一つ一つ注意深く確認していた。
「艦長、敵艦隊の正体が判明しました」
 黙々とコンピュータのキーボードを叩いていた通信士がゼリュースの方に振り向く。
「銀河同盟軍第十艦隊です。総艦数は百八隻のはずですが、今回は半個艦隊のようです」
 ゼリュースが驚いて通信士の操作しているコンピュータの表示を見る。
「半分?どういうことだ?何だ、この『UNKNOWN(正体不明)』というのは?」
 表示された敵艦隊のちょうど真ん中に、『UNKNOWN』と書かれた楕円が点滅している。艦隊の全てがそれを守っているような艦の配置に、ゼリュースは首を傾げた。
「新艦かもしれません。解析作業を始めます」
「ああ、頼む」
 頷いたゼリュースが振り向くと、そこにシーリスが立っていた。腕を組み、先程の映像を眺めている。
「お休み中申し訳ありません、司令長官」
ゼリュースの敬礼に彼女は形式だけ真似して応え、すぐに本題に入った。
「状況は?」
「敵は銀河同盟軍第十艦隊の半個艦隊です。スクリーンに映せ」
 ゼリュースが指示すると、艦橋に設置された巨大スクリーンに赤と青に色付けされた複数の三角形が表示される。青が宇宙連邦軍艦、赤が銀河同盟軍艦である。宇宙連邦軍の配置は偵察艦を先頭に、旗艦を取り囲むような縦長の楕円状であるのに対し、敵は『UNKNOWN』を中心に、他艦がそれを囲む円状に並んでいる。
「なんだか不気味な配置ね…。副司令はあの真ん中のアレ、何だと思う?」
「新造艦と判断し、解析作業をさせています。司令長官のお考えをお聞かせ願えますか?」
「新造艦ねえ…。でも、新造艦を実戦で使うのなら、もっと前に出してもいいのではないかしら。とすると、あれは新兵器かもしれないわ」
 腕を組んでシーリスはそう呟いた。耳元の黒真珠でできたピアスが茶色の髪の間からのぞいて光る。ゼリュースが緊張した顔で司令長官を見つめる。
「新兵器…」
「戦闘艦キューネロに搭乗しているフォルシモ第一級研究員にも解析を依頼しなさい。どうも嫌な予感がするわ」
「あ、あのフォルシモ研究員に、ですか…?」
 いつもは歯切れよく命令を受領するゼリュースの口調が暗い。どこか恐れているような表情でシーリスを見ている。
「仕方がないでしょう、非常時よ。それに彼女の専門分野なのだから、至極合理的だと思うけれど」
 彼の表情の理由を知っているシーリスも、やや表情を硬くしてゼリュースを睨みつけた。
「了解しました」
 ゼリュースは渋々キューネロとの通信のためシーリスの元を離れた。シーリスはスクリーンの表示域を拡大させた。
 第七艦隊は、宇宙連邦第七宙域主星カナドーリアへ、補給を目的として向かっていた。敵の艦隊は、その航路の途中にこちらを邪魔するように停止している。停止したまま少しも動かないので罠かとも考えたが、回避する航路は思いつかなかった。衝突は避けられそうにない。
「司令長官。フォルシモ研究員から通信です。スクリーンに出ます」
 軽快な受信音と共に、スクリーンに宇宙連邦兵器開発局第一級研究員ラノム・セクレア・フォルシモの顔が映し出されたのは、解析を依頼してから十分後のことだった。ウェーブがかった美しい金髪に青い瞳。左の目元の泣きぼくろが女性らしい魅力を発している。
「頼まれてたものの解析、完了したわよぉ〜」
 緊張感のない声がルシュアの艦橋に響き、クルーが明らかに嫌そうにスクリーンの彼女を睨んだ。しかし、彼女に口答えする者はこの中にはいない。この美人天才科学者に文句など言おうものなら、一体どんな仕返しをされるか、わかったものではなかった。
 シーリスは間延びしたラノムの口調に苛立ちを表面化させないよう冷静さを装って、スクリーン上の彼女と向き合った。
「意外と早かったわね。それで?あれは何なの?」
「連邦にはない、新兵器に間違いないわ〜。開発段階のときに同盟軍のデータベースに忍び込んで画像を拝借したことがあるから、それを送るわねえ〜」
 ラノムの顔の表示が消え、代わって衛星のような形をした、『新兵器』が映し出された。
「その画像は古いけど、きっと今はもっとかっこよ〜く色づけされているんでしょうねぇ〜」
 ラノムが嬉しそうに言う。敵のことであるにも関わらず、この科学者は自分のことのように新兵器完成を喜んでいるようである。
「…機能はわかっているの?」
 うんざりしたような表情で、シーリスがラノムに尋ねる。再びラノムの顔の映像が表示された時、ラノムは残念そうに肩をすくめた。
「さすがの私も、そこまで情報は手に入れられなかったのよねぇ〜。完璧に非公開の兵器だもの〜」
「手の打ちようがないじゃないか。どうします、司令長官?」
 ゼリュースの声に、艦橋内のクルーが全員シーリスに注目する。シーリスは難しい顔でスクリーンを睨みつけたまま、頷いた。
「いつかは出会うことになる兵器ですもの。この艦隊でできるだけの対応をするわ」
 明快な答えが艦橋に響き渡る。シーリスは艦体内の通信回線を開かせた。
「第七艦隊所属全艦に告ぐ。こちら司令長官。皆も知っての通り、連邦標準時刻1135に銀河同盟軍第十艦隊と接触する。敵の半個艦隊相手に、中規模の戦闘が予想される。総員、準備を急ぎなさい。なお、相手は正体不明の新兵器を所持している。全艦、それのデータ採りも併せて行うこと。以上」
 全艦隊から命令承諾の通信が入ったのは、接触予想時刻の十五分前だった。

「司令長官。全艦、指定位置に移動完了しました」
 ゼリュースが告げ、艦隊の状況をスクリーンに映し出す。シーリスはそれを確認して頷いて見せた。
「隊形承認。…敵艦隊への攻撃信号を」
「了解」
 通信士が敵艦隊に信号を送っている間、艦橋内は不気味なほどの静寂に包まれていた。やがて、通信士が敵からの返信文を読み上げ始めた。
「『我々の本来の目的は貴艦隊との戦闘にあらず。されど、我々の目的を邪魔するのであれば容赦はせず』」
 読み終えた通信士が少しだけ首を傾げる。ゼリュースも不思議そうにシーリスを見た。
「彼らの…目的とは…?」
「十中八九、あの新兵器でしょうね…」
 シーリスが呟く。しかし、その答えにゼリュースは納得できなかった。
「あの兵器を、私たち敵艦隊に使用するのが目的ではないのですか?」
「敵を掃討するためのものとは限らない」
 重苦しいシーリスの声により、艦橋内に空虚な空気が流れ始める。スクリーンを見つめていたシーリスは、不意に顔を上げた。ゼリュースの方に向けたその顔は、決意で引き締まっていた。
「だからなおさら、使われる前に倒さなければならないのよ」
 シーリスはそう言うと、右手を真っ直ぐに挙げた。
「全戦闘艦に打電!『ルシュアの量子砲を合図に戦闘を開始する』!」
「了解!」
 通信士に指示し終えると、シーリスはゼリュースを見た。
「副司令、敵艦隊中心部への量子砲使用を許可する!」
「了解、砲撃手!量子砲、発射!」
 数十秒後、第七艦隊旗艦ルシュアの主砲から、青白く光る量子砲が発射され、敵艦隊を明るく照らした。次の瞬間から、待機していた戦闘艦群が行動を開始し、赤や青や白に輝く光が暗黒の世界を照らし始めた。ここに、カナドーリア会戦が幕を開けた。


 戦闘が開始してから、既に三時間が経過していた。しかし、銀河同盟軍の半個艦隊が、宇宙連邦軍の一個艦隊に敵うはずはなく、連邦軍は大きな損害もなく、敵軍を打ち破っていた。
「…楽勝ですね」
 これほどの損害を与えれば、さすがに敵艦隊もこの宙域から手を引くのではないだろうか。そんな思いを込めてゼリュースがシーリスに向かって呟く。彼女はゼリュースの声に生返事で答えた。エメラルド色の瞳がスクリーンを睨み続けている。
 なぜだろう。どこかおかしい。この配置には明らかに違和感がある。
 その違和感はすぐに現実的な不安へと変わった。
「司令長官!敵に動きが見られました!」
 通信士が突然叫んだ。シーリスは立ち上がって彼を見る。
「どうしたの?」
「それが…後退して行きます…!カナドーリアに、向かっているようです…」
 スクリーンにその映像が表示される。小型偵察機がリアルタイムで旗艦に映像を送信してくるシステムである。
 ほとんど壊滅状態に近い敵艦隊が、全速力でカナドーリアへ向かっていく。その先頭には、無傷の新兵器が不気味に漂っていた。シーリスはその様子に胸騒ぎを覚え、通信士に向かって叫んだ。
「全戦闘艦に打電!『敵艦隊をカナドーリアに近づけるな!残らず駆逐せよ!』」
 普段は考えられないほどの力強い命令に、クルーの数人は驚きを隠せなかった。命令を受けた通信士もその一人ではあったが、シーリスの言葉に従い、通信機への入力を開始した。

「艦長!司令長官より入電!敵艦を全て駆逐せよと!」
 第七艦隊所属戦闘艦キューネロの艦橋内に、小さなざわめきが起こる。艦長のアゼレス・テリオール大佐は、彼らを黙らせると、命令通りに攻撃を開始することを告げた。そして、シートに勢いよくその巨体を滑り込ませると、スクリーンに映し出されている光の束を眺める。
「艦長!付近の敵、せん滅しました!」
「よし、移動するぞ!」
 アゼレスが野太い声を上げた時だった。移動を続けていた敵艦隊が、突如その動きを止めた。
「な、なんだ?逃げるのはもうやめたっていうのか?」
 新兵器も一緒に停止している。キューネロのクルーの一人が、新兵器から青白い光が漏れ出していることに気づいた。
「艦長!例の新兵器から高エネルギー反応が観測されました!レベルDです!」
 アゼレスは自分の耳を疑った。レベルDのエネルギー、それは大型の宇宙船や衛星でさえ軽く吹き飛ばすほどの力である。
「レベルDだと?あり得ん!…連邦で最強の駆逐艦でも、最大出力はCなんだぞ!?」
「エネルギー反応、更に拡大中!」
「冗談じゃない!そんなモノぶち込まれてたまるか!量子砲、最大出力!撃てぇ!」
 キューネロの主砲が、青白い量子砲を新兵器に向けて打ち込む。しかし、あと一歩で新兵器に命中するというところで、敵の戦闘艦が間に割り込んだ。多量の塵となった機体が宇宙に散らばり、ゴミのようにキューネロの視界を遮る。
「あいつを…庇っているのか?かまわん!何度でも撃て!」
 アゼレスは叫んだが、砲撃手の青年が首を振った。
「駄目です!艦砲のチャージに最低五分かかります!」
 アゼレスは舌打ちした。スクリーンで周囲の様子を確認する。仲間の戦闘艦が、キューネロと同じように新兵器を攻撃しようとしているが、いずれも敵艦の自殺行為により阻まれている。
「くそっ…どうしようもないのか…?」
「艦長!エネルギー反応が、レベルEに達しました!」
 艦橋内が、一瞬静まり返る。その中で通信士が掠れた声で呟く。
「高エネルギー体、射出…!目標は…カナドーリアです…」
 全員が、その瞬間スクリーンを見つめていた。
 真っ白な光が、空間を切り裂くように飛翔し、弱々しく輝く惑星カナドーリアに直撃した。
 白い光に包まれた惑星が、ギシギシと悲鳴をあげ、その質量は小さく縮んでいく。
 数秒後、光が消え去った時、そこに存在していた惑星の姿も一緒に無くなっていた。

 ルシュアの艦橋は、恐ろしいほどの静けさに包まれていた。誰も、声を発することができなかった。皆、一様にスクリーンを睨みつけていた。今までその中心にあった球体は、跡形もなく消え去ってしまった。
「…熱反応…消失…」
 通信士が、ようやく搾り出した声で状況報告を始める。艦橋内の全員が、彼に注目した。
「惑星カナドーリア…消滅しました…」
 報告を聞いても、誰も動くことはできなかった。シーリスも、塵さえ存在しない真っ暗なスクリーンを見つめることしか出来なかった。
 しかし、まだ状況を完全に理解できていない第七艦隊は、呆然とする暇さえ与えられなかった。通信士が、突然恐怖で引きつった顔で艦橋のクルーに向かって叫んだ。
「新兵器が反転しています!高エネルギー反応拡大!こちらに向けて撃ってきます!」
 全員が凍りついた。先程全てを消え去らせたおぞましい光が、徐々に膨らんでいく。
 艦橋は騒然とした。どうしようもない混乱の渦は、全員の判断力を鈍らせた。
 しかし、その中でただ一人、シーリスだけはシートに座り、静かに目を瞑っていた。そして、不意に立ち上がると、固く握り締めた拳を振り上げた。
 バキッ
 鈍い音が艦橋内に響く。全員の目が司令長官を捕らえた。シーリスは、目の前のデスクを思い切り殴りつけていた。振り下ろした右手から、血が流れ始めている。エメラルド色の瞳が、鮮やかな光を帯びていた。
「慌てるんじゃない!全艦を射線軸から極力外すのよ!急ぎなさい!」
「了解!」
 旗艦ルシュア以下、第七艦隊は、すぐに行動を再開した。しかし、レベルEにまで高まったエネルギーは、全ての艦が射線軸からずれる前に、ついに放射された。
 その瞬間、ルシュアのスクリーンは一面白い光に覆われ、目を焼き尽くさんほどであった。直撃はまぬがれたものの、衝撃によって艦がひどく傾いた。なんとかシートにしがみついたシーリスは、すぐに立ち上がる。
「被害状況は!?」
「戦闘艦二十三隻、補給艦八隻、偵察艦四十七隻、駆逐艦二隻、反応途絶…!」
 通信士が報告する。彼は、更に恐ろしい報告ももたらした。
「当艦が、敵残存勢力によって包囲されています!敵の量子砲直撃まで、三十、二十九、二十八…」
「シールドを八十%に強化!司令長官、時空転移しましょう!このままでは全滅です!」
 ゼリュースがシーリスに進言する。シーリスは彼から顔を背けた。
「しかし、散らばってしまった艦隊全ては転移できない…!それに、こんな傷を負った艦で無事に転移できるかどうか…」
「それしか方法がありません!司令長官、ご決断を!」
 シーリスは目を閉じ、辛そうに考えていたが、やがて力なく頷いた。
「…時空砲展開…!時空転移の準備に取り掛かりなさい!」
 宇宙空間に、歪んだ空間が出現する。その穴を時空砲の大量放射により、大きく広げていく。
「三、二、一…量子砲、来ます!」
 通信士の声と同時に、ルシュアが強い光に包まれる。艦は大きく揺れ動き、艦橋の人間も、立っていることが出来なくなる。シーリスは、シートに掴まり、その場にしゃがみ込んだ。
「くっ…状況は!?」
「シールド出力、四十%に低下!衝撃により、艦内の怪我人多数!」
「シールドを立て直せ!最低六十%まで強化!」
 ゼリュースが指示したその瞬間、別の敵艦からの攻撃が、ルシュアを襲った。シールドの不十分なルシュアは、多くの損傷を受け、艦橋に響いた衝撃もすさまじいものだった。ほとんどの者がシートから転落し、受身をとる暇すら与えられなかった。艦橋内の計器などが、天井から降り注ぐ。シートに掴まっていたシーリスも、衝撃に耐え切れず、床にたたきつけられた。
「司令長官…ご無事…です、か…?」
 ゼリュースの呻く声が聞こえる。シーリスがはっと目を開けると、そこには、落ちてきた計器の直撃を受け、倒れているゼリュースの姿があった。胸の辺りに計器が突き刺さり、そこから絶え間なく血が流れ出ている。シーリスは打撲で痛む全身を奮い立たせ、彼の横で膝をついた。
「副司令!しっかりしなさい!」
「私…より、早…く、転移を…」
 途切れ途切れに発せられる声が、徐々に小さくなり、ゼリュースはゆっくりと目を閉じた。同時に、呼吸も止まる。彼の名を呼びかけようとシーリスが息を吸い込んだとき、更に艦が傾いた。慌てて立ち上がった彼女が見たものは、ほとんど機能していない艦橋だった。半分以上のクルーが、シートを投げ出され、倒れている。自力で立ち上がり、自分のシートに戻ろうとしている者もいるが、それぞれがひどく傷ついている。
 シーリスは所々消えかかっているスクリーンを見た。時空の歪みは、十分な大きさに広がっている。シーリスは頭から血を流して倒れている通信士が先程まで座っていたシートに滑り込むと、通信機を手に取った。
「全艦、聞きなさい。これより戦線を離脱し、時空転移する。極力、ルシュアに近づいて、転移に参加しなさい!」
 シーリスが立ち上がると、なんとか無事だった砲撃手が必死にキーボードを叩いていた。
「…空間歪曲、達成率百%!司令長官、いつでもいけます!」
「よし、時空転移開始!」
 シーリスの声に、砲撃手が頷く。
「時空転移開始。完了まで…五、四、三、二……」
 目の前が色々な色に変化する。自分たちの横を、無数の虹が通り過ぎていくのを感じる。シーリスは手の中の汗を軍服で力強く拭った。
 数秒後、ルシュアと数隻の第七艦隊所属艦は、攻撃の届くことのない、静かな宙域を漂っていた。
「第七宙域から第六宙域への時空転移、完了。引き続き、第五宙域への転移を試みます。時空砲の再充填完了まで、十五分かかります」
「承認する」
 砲撃手が告げ、シーリスが頷く。十五分後、新たな時空の穴を開いたルシュアは、残った艦を率いて二回目の転移を行った。
「第六宙域からの時空転移完了。座標確認。…五五三…第五宙域です」
 シーリスは砲撃手に頷いて見せると、ポケットの中の携帯端末を取り出した。
「艦内の起動可能な医療ロボットに告ぐ、至急艦橋に出頭せよ」
 シーリスは携帯端末をポケットにしまい込むと、打撲で痛む全身を引きずるように通信士のシートへ腰掛けた。通信機を持つ。
「こちら、宇宙連邦軍実動戦闘第七艦隊旗艦ルシュア。銀河同盟軍との交戦により、被害甚大。至急、救援を請う。繰り返す。こちら…」
 味方がなるべく早く救援信号に気付いてくれることを祈りながら、シーリスは通信機のマイクを置く。血のついた指が微かに震えていた。背後で扉が開く音がして振り返ると、医療班のクルー数人と医療ロボットが艦橋へ入ってきていた。彼らはシーリスの元へ早足で近づくと怪我の手当てをと申し出てきたが、彼女は他の重症者を診るよう指示を出した。
 痛む足を引きずりながら、ここまで自分のことを一番近くで支えてくれたゼリュースの遺体の横まで歩いていくと、膝をつく。
「副司令……モートル、大佐…」
 冷たくなった頬に触れる。
 彼は、現在ではプロティア宇宙軍の要と言える第七艦隊が発足した当初から副司令としてシーリスをサポートしてくれていた。当時の彼はシーリスより階級が上で、しかも年上の副司令であることに不安を感じていたこともある。でも、そんな不安をすぐに忘れてしまえるほど、この実直な男は仕事のパートナーとして、一人の人間として尊敬出来る人物だった。
 彼だけではない、この艦隊のクルーひとりひとりが、シーリスにとってかけがえのない、守るべき仲間であった。
「……っ……」
 握り締めた拳に一粒の涙が落ちる。仲間を守り切れずに生き残った自身への悔恨の涙を抑えることは難しかった。


 圧倒的な戦力差で宇宙連邦軍の勝利に終わると思われたカナドーリア会戦は、連邦所属惑星の完全消滅、一個艦隊のほぼ全滅という信じられない結果で、ここに終結したのだった。
 大きな戦局の変化が見られず、銀河同盟との戦争のことなど忘れかけていた局面で起こったこの大事件は、連邦市民を驚愕させた。
 そして、次は自分の惑星かと、恐怖に怯える日々が始まったのである。