Gene Over│Episode1蒼き星と少女 02機密

 誰にも気づかれてはいけない。
 誰にも言ってはいけない。
 自分の足で歩け。
 自分の手で掴め。

 『声』が頭から離れない。いつから聞こえているのだろう、それさえもわからなくなってきている。このまま僕は狂ってしまうのだろうか…。
 見慣れた廊下、庭園。
 今日はどこか違って見える。何が違う?いつも歩いているじゃないか。
 違っているのはこの僕だ。ここにいる僕自身が違ってしまったんだ。
 ここは立ち入り禁止の別館。部屋からいつも見ていたのに、近づくことさえ許されなかった別館。その扉が、僕の前に立ちはだかっている。
 通常ここには誰かしら立っているはずだ。王が命じた番兵が。どうして今日はいないのだろう。
 足元で何かが動く音がする。這っているのか。
 視線を向ける。赤い瞳を。
 人がいる。倒れている。扉の前にいなければ番をすることはできない。王が叱りに来る。厳しい王が。
 こちらを見る。青い瞳に込められた怒りの感情。射殺さんばかりに僕を睨みつけている。
 そんな彼に…。
 僕は…。
 右手に握った…。
 銃を…。

 誰にも悟られてはいけない。
 誰にも渡してはならない。
 自分の能力を信じろ。
 自分の手で掴み取れ。


 宇宙連邦第六宙域主星ダスロー、首都国家ノジリス王国の夏は暑い。
 恒星ニルの力強い日差しが整備されたアスファルトを照らし、乾いた熱風が頬を撫でる。
「…あちぃ…」
 車から降りた瞬間、決して言うまいと心に決めていた一言を思わず口にしていた。口にしたからといって暑さが和らぐわけではないのだ、言うだけ損だ。そう思っていたのに、口に出さずにはいられなかった。
 彼が生まれ育った国の夏はここまで気温が上がらない。昨年の職場は彼の出身国、サンビレイ公国であったので特に感じなかったが、今年はこのノジリス王国が仕事の拠点となってしまい、数週間前に赴任して以来、同じ惑星内でありながらその環境の変化に日々驚いているところである。
 惑星ダスローには二十七の国が存在する。そして、ダスロー全体を統治して代表する首都国家は交代制で、毎年変わるという変わった体制をとっていた。これは、二十七の国々がそれぞれ完全に性格を異にする―悪く言えばまとまりがない―ため、この体制をとらないことには所属している宇宙連邦政府の会議へ誰が出席するかということすらまともに決定出来ないような状態だからである。
 この二十七の国は、『平和民主主義国家』『軍事国家』『中立国家』の三つに大別出来る。昨年の首都国家サンビレイ公国は『軍事国家』、今年の首都国家ノジリス王国は『中立国家』である。昨年は『軍事国家』らしい政策が進められ、宇宙連邦軍への莫大な投資や敵対する銀河同盟への工作活動など大きく動いた年であった。それに比べて今年はそんなサンビレイ公国の動きを牽制するような動きが出始めている。
「(俺としては、去年の方が給料は良かったが。ま、無用な戦闘に駆り出されなくて済むのは良いことだな)」
 じりじりとした日差しから逃げるように足早に歩き出し、宇宙連邦軍特殊戦闘員デリスガーナー・レンティスは宇宙連邦ダスロー軍の司令部の建物を目指した。
 デリスガーナーが宇宙連邦軍に入ってからノジリス王国が首都国家となったのは初めてであり、この司令部の建物も初めて立ち入る場所である。軍服を着た人間ばかりが出入りしているので、もちろん軍の施設であることは一目瞭然なのだが、文化や芸術を重んじるノジリス王国の建物らしく、天井や壁には細やかな装飾がなされ、廊下の所々に凝った装飾の時計やら高級そうな花瓶やらが飾られているのがひどく不自然に映る。
「(美術館かよ…)」
 こういった芸術面に疎いデリスガーナーは呆れながら廊下を進んだ。道行く軍人に道を聞きつつ、この建物で一番偉い人物の部屋を目指す。
 特殊戦闘員は基本的に艦隊へは属さない。司令長官から直接の辞令を受け、単独で工作員的な役割を果たすのが仕事である。その司令長官からの辞令というのも、郵便や通信でされるだけというのが通例なので、今回のように司令部へ直々に呼び出されるのはデリスガーナーにとって初めての経験であった。それだけ重要な任務なのだろう。司令部の内装になんとなく調子を乱されていたデリスガーナーは、改めて気持ちを引き締めた。
 軽いノックの後、辿り着いた部屋はとても広い作りだった。全面に柔らかいカーペットが敷かれ、整然と家具が並べられている。部屋の一番奥、大きな窓の手前にあるデスク越しに、一人の中年男性が立っていた。デリスガーナーは小さく深呼吸して緊張を逃がし、彼の顔を真っ直ぐ見た。
「デリスガーナー・レンティス少佐、司令長官の招集に応じ参上しました」
 宇宙連邦実動戦闘第十一艦隊司令にしてダスロー宇宙軍司令長官、ネイティ・デア・ラルネ大将は、緊張を含んだデリスガーナーの声を聞いて頷いた。そして少し頬を緩める。叩き上げのベテラン軍人としてダスロー軍では有名な人物であるが、予想外に穏やかな人柄なのかもしれないとデリスガーナーは思った。
「よく来てくれた、少佐。まあ、そう緊張するな。早速だが、君に頼みごとがある」
 ネイティはあまり抑揚のない落ち着いた口調でデリスガーナーに語りかけた。デリスガーナーも改めてネイティを見る。
「これは君をダスロー所属の連邦軍特殊戦闘員の中で特に優秀であると認めているから頼むのだが…」
「光栄です」
 背筋を伸ばして敬礼したデリスガーナーに、ネイティが続ける。
「実は、物と人を探してきて欲しい」
「…と、言うと?」
 デリスガーナーはネイティの言葉をよく理解できず、聞き返した。ネイティはデスクの引き出しから一つのファイルを取り出し、あるページを開くと、それをデリスガーナーに渡した。
「探して欲しいのは、その写真の人物だ。ルド・アカムリア・ノジリス。ノジリス王国の王族だ」
 デリスガーナーは手渡されたファイルに目を落とした。提示された書類の右端に一人の少年の写真が貼り付けてある。きれいに梳かされた水色の髪と、それとは対照的な赤い瞳が特徴的な十五、六歳の少年である。その表情はどこか暗く、世で言う『王族』の印象からは縁遠い。どこにでもいそうな普通の少年である。
「誘拐ですか?」
 特殊戦闘員独特の鋭い視線が、中年の司令長官を刺した。デリスガーナーのような人間が極秘に召集されること、王族の行方不明。これらの事象は、彼の推理を口に出すに足るものだった。しかし、ネイティは彼の発言に首を振り、ゆっくりと返事をした。
「それが、ごく自然な考えだ。しかし、そうではないのだよ」
 そう言うと、ネイティはデリスガーナーに手渡したファイルの五ページ目を開くように指示した。彼は言われるままにファイルを捲ると、それを見た。そこにあった、『第一級機密』という字を見て、デリスガーナーは思わず緊張で手を止める。
「これは…」
「過文明器(オーパーツ)…連邦が十数年前に某宙域で手に入れたものだ」
「オーパーツ…」
 デリスガーナーはあまり聞き慣れない単語を小声で繰り返す。
 オーパーツ-out of place artifacts-とは、現代文明では科学的観点から解析されない物体をさす言葉である。科学では説明出来ない不思議な性質を持ち、それらは莫大なエネルギーを保有することから、しばしば軍事目的に転用される。しかし現代の技術レベルでは制御が不可能または極めて困難であるため、実用化されることのないまま封印されているものがほとんどである。
「…それと先程の少年とどのような関係が?」
「そのオーパーツ、通称『タイムラナー』は、ノジリス王家の宝物庫に安置されていた。その少年が失踪するまでは」
 重い沈黙が室内に流れた。デリスガーナーは、少年の写真とオーパーツに関する記述とを見比べる。ネイティはデリスガーナーから目を逸らすと、背を向け、大きな窓からどこへともなく視線を向けた。
「彼が失踪したのは昨日の正午。その時、一人の番兵が宝物庫の前で警備中だった。そして、一時間後、交代の兵にその死体が確認された。銃殺だそうだ」
 デリスガーナーはネイティの言葉に戦慄した。ファイルに目を落とすと、少年の無表情な顔と目が合った。
「司令長官、それは…まさか…」
「彼は、番兵を殺害し、オーパーツをいずこかへ持ち去ったのだ」
 この少年が?それでは、自分がこれから受けようとしている任務は、誘拐された可哀想な少年を救い出すことではなく―。
「宇宙連邦軍特殊戦闘員デリスガーナー・レンティス少佐に命じる。第一級機密であるタイムラナーを見つけ出し、それを不正に持ち出したルド・アカムリア・ノジリス少年を拘束せよ。彼には殺人容疑もかけられている。抵抗する場合は少々痛めつけても構わん」
 デリスガーナーへ向き直った司令長官は、威厳ある低い声で、淡々と言い放った。彼は厳しい表情のまま付け足す。
「ただし、絶対に殺してはならん。彼が王家の人間だからではない、彼自身も『第一級機密』だからだ」
 司令長官の言葉に、デリスガーナーは息を呑んだ。どういうことなのだろう。『第一級機密』の人間?聞いたことがない。つまりは、機密が機密を持ち出して逃げ出したので外に漏れる前に保護しろと、そういうことなのだろうか。これ以上語るべきことはないのだろう。司令長官は厳しい表情を崩さず、デリスガーナーを見つめている。
「了解しました。必ずや吉報をお届けしましょう」
 デリスガーナーは背筋を伸ばし、敬礼した。


 プロティアには宇宙船の発着所が合計三十四箇所ある。このうち軍部に所属するものは五箇所であり、残りは全て民間のものである。これは他の惑星に比べて最多であり、この惑星が観光惑星であることの何よりの証拠であった。
 首都メルテの市街地にほど近い第十二民間船発着所から、一つの宇宙船が宇宙へ飛び立とうとしていた。
 リフィーシュアは、慣れた手つきで計器をいじっていた。小型民間宇宙客船アスラは、客船の中では極小のサイズであり、定員は五名とこれまた極少である。狭い操縦室で発進前の準備をする姉の姿を、セフィーリュカは操縦席のシートに寄りかかって珍しそうに眺めていた。
「せっかく帰って来たのに、もう行っちゃうの?」
 妹の寂しそうな声に、姉は振り向きもせず頷く。
「しょうがないわ、会社の呼び出しだもの。今年は特に観光客が多いんですって」
「そっか…」
 リフィーシュアが前回プロティアに帰ってきたのは半年前。また同じくらい待たなくてはならないのだろうか。リフィーシュアはゼファーに比べれば優しくもないし昔から意地悪ばかりされているけれど、それでもセフィーリュカは彼女が好きである。仕事とはいえ遠くへ行ってしまうのはどうしようもなく寂しい。俯いたセフィーリュカの方を振り向くと、リフィーシュアは彼女の頬を挟み込むように両手でパンっと弱く打った。そして、驚いて自分を見つめている妹に意地悪な笑みを見せる。
「次に帰って来る時までには、試験、受かりなさいよ。そしたら少し休暇を取って、この船でお祝い旅行に連れて行ってあげるから」
「うん、わかった。頑張る…!」
 セフィーリュカがそう言って微笑むと、リフィーシュアは満足そうに頷いて操縦盤の方に向き直った。
「よし…じゃあ行くわ。見送りありがと」
 リフィーシュアが操縦席に座ると、様々な機械音が重なり合い、いくつものスクリーンが明滅し始めた。セフィーリュカは頷くと、操縦席を離れた。
「気をつけてね、姉さん。いってらっしゃい」
 去り際に振り向くと、姉は右手を挙げて了解の意を表した。
 楕円形の船体の後方からジェットが噴きあがる。セフィーリュカは少し離れた所からそれを眺め、操縦席の方に向けて大きく手を振った。向こうから振り返しているのかどうかは彼女には判断できなかったが、数秒後、ものすごい轟音をたて、アスラは発着所から出て行った。後には驚くほどの静寂が残る。空に向けて飛んでいった機体が、あっという間に肉眼で見えなくなる。セフィーリュカはしばらく姉が飛び立っていった空を眺めていた。


 デリスガーナーは軍船発着所内にある格納庫の重い扉を開けた。冷えた格納庫内に、乾燥した熱風が入り込む。ずらりと並んだ軍用船の間を進んでいくと、ある機体の上で、一人の若い男が昼寝をしていた。デリスガーナーは彼を起こさぬようそっと近寄ると、寝転がっている彼の耳元で、大きく息を吸い込んだ。
「敵襲!」
「うわひゃあっ!」
 意味不明な叫び声をあげながら、男が飛び起きる。青い瞳がしばらくきょろきょろと動き、やがてデリスガーナーの姿を捉えた。彼と目が合うと、デリスガーナーはにやりと笑ってみせた。
「こんな所でお昼寝とは随分な御身分ですねぇ、中佐殿?」
 中佐と呼ばれた男は、恥ずかしそうに頬をかいてデリスガーナーから視線を逸らした。
「今まで誰にも見つからなかったのにな…さすが特殊戦闘員は目の付け所が違いますね」
「まったく、会議をすっぽかしていても中佐になれるんだからな…楽な役職だよ」
「そう言わないでくださいよ。俺はあのお嬢様の下でいっつもこき使われてるんですよ?会議をさぼる権利くらい認めて欲しいな」
 そう悪態づくと、同じサンビレイ公国の出身者であり、デリスガーナーにとっては士官学校の後輩でもあるアラン・ペスロ・イーゼンは腕を組んでむくれた。デリスガーナーより五つも年齢が下のアランはそういう顔をするとやや幼く見える。腰の方まである長いオレンジ色の髪が寝癖でぐしゃぐしゃになっているので余計である。とても第六艦隊でも指折りの優秀性を誇る偵察艦の艦長には見えない。
「で、わざわざ俺をからかいに来た訳じゃないんでしょ?何の用です?」
 アランに尋ねられ、デリスガーナーは一度周囲に人がいないことを確認した。これは工作員のような働きをする特殊戦闘員の癖と言ってもいいだろう。
「実は今、ある任務を遂行中なんだが、少しお前に調べて欲しいことがあってな…」
 先輩が姿勢を低くし、声を潜めたので、アランも少し緊張して耳を傾けた。
「ノジリス王家の宝物庫のセキュリティについて。それと、そこの王族のルド・アカムリア・ノジリスっていう坊ちゃんについて。なるべく詳細な情報が欲しい」
「ふーん…なかなかヤバそうな任務を引き受けたんですね」
 『宝物庫』という言葉から何かを連想したのだろうか、アランはそう言ってにやりと笑った。
「ノジリス王家ねえ…うちの艦隊に王女様が所属してますよ。その人に何気なくそのルドって人のこと聞いてみます。あと、宝物庫か…まあ、任せてください、情報網は色々ありますから」
「頼りになるよ、その情報収集力は本当に感心する。いっそのことお前も特殊戦闘員になったらどうだ?」
 アランは照れくさそうに笑って、いえいえ、と首を振った。アランが二十歳という若さで一艦隊の重役であることの理由の一つには、彼のこの優れた情報収集力があるのである。頭の回転が速く、社交性もあるので、この若い中佐は艦隊に有利な情報を素早く集め、それについての考察も素早くまとめることができるのだ。今や彼は、第六艦隊にはなくてはならない存在なのである。
「俺は先輩みたいに宇宙船を操縦したり、一人敵地に殴り込んだり、っていうのは向いてないんですよ。艦隊で得意分野を発揮させてもらう方が楽ってもんです」
「楽、か。大勢がごちゃごちゃしていて規律だらけの艦隊での勤務なんて、俺には息が詰まって耐えられんがね」
 デリスガーナーはうんざりしたように天を仰いだ。人間関係を煩わしいと感じるわけではないが、どちらかと言えば自由を愛する性質である。
「適材適所って奴ですよ。…では、早速聞き込みに行ってきます」
 そう言ってアランは、昼寝に使っていた小型軍用船の機体から身軽に飛び降りた。デリスガーナーに向けて軽く手を挙げ、格納庫を走って出て行く。
 そんな彼を見送りながら、デリスガーナーは機体の上に寝転がった。
「俺の予測が当たっていれば、ノジリス王国だけの問題じゃないよな、こいつは…」
 デリスガーナーは誰にともなく呟いたが、その小さな声は、格納庫の広く乾いた空間に吸い込まれていった。


 僕はなぜこんな所にいるのだろう。
 操縦桿から手を離し、少年は硬いシートに体を埋めた。それでも小さな宇宙船は傾くことなく、宇宙空間をどこへともなく進んでいく。
 声が聞こえない。ダスローを出るまではうるさい程だったあの声が。自分を呼ぶ声が。
 ふと手元を見る。
 赤く血塗られた手がそこにある。
「!」
 驚いて数回瞬きをすると、それが偽りであることに気づく。血など付いていない。気のせいだ。でも、覚えている。引き金を引いた感触を。目の前で人間があっけなく死んでいく様を。
 頭を抱えた。もう、どうしていいかわからない。
 僕は人殺しだ。僕の意志ではなかったなどと、誰が信じてくれるだろうか、撃ったのは僕だ。このままダスローに帰ることはできない。
 操縦席の隣、助手席に目を向ける。そこに無造作に置かれた銀色の球体。それが重要なものであることは知っている。そうでなかったら、あんなに厳重なプロテクトがかかっているものか。
 球体、タイムラナーが自分を恨めしそうに見ているような気がして、ルド少年は顔を背けた。